宗教界のパリサイ人や反キリストによる惑わしと支配に服従することの結末。彼らは神によって救われ得るのか

2017年11月23日

参考聖書箇所:

「彼らは盲人を手引きする盲人である。もし盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むであろう」(マタイによる福音書 15:14)

「この民を導く者は、これを迷わせ、彼らに導かれる者は、のみ尽される」(イザヤ書 9:16)

「わたしの民は知識がないために滅ぼされる」(ホセア書 4:6)

関連する神の言葉

救いを得るために満たさなければならない条件とはどんなものでしょうか。まず、サタン的な反キリスト者を見極める能力を持っていなければなりません。真理のその側面を備えていなければならないのです。真理のその側面を身に備えることで初めて、本当に神を信じられるようになり、人を崇拝し人に従うことを避けられるのです。反キリスト者を見極められる者だけが、真に神を信じ、神を証しする能力を持っているのです。反キリスト者を見極めるには、まず完全な明確さと理解をもって人や物事を見る方法を学ばねばならず、反キリスト者の本質を見抜けなければならず、彼らの陰謀、策略、内なる動機、目的をすべて見抜かなければなりません。それができれば、揺るぎなく自分の立場を守ることができます。救いを得たいなら、まず最初に合格しなければならない課題は、サタンを倒す方法を知り、敵対する力や外界からの妨害に打ち克って勝利する方法を知るということです。サタンの勢力との闘いに最後まで耐え抜けるだけの霊的背丈と十分な真理を身に備え、サタンの勢力を打ち倒すことができたとき、そのとき初めてあなたは、着実に真理を追求できるようになり、そして初めて、真理を求め救いを受けられる道を決然とつつがなく歩めるようになるのです。この課題に合格できなければ、あなたは大きな危険に直面していることになり、反キリスト者に捕われてサタンの影響下で生きることになってしまう恐れがあります。……ですから救いを受けられる場所に行きたければ、合格しなければならない最初の課題は、サタンを見抜けるようになることであり、また同時に、立ち上がってサタンを暴き見放す勇気も持たねばなりません。では、サタンはどこにいるのでしょうか。サタンはあなたの隣に、そして周り中にいます。場合によっては、あなたの心の中にも住んでいるかもしれません。あなたがサタンの性質の中で生きているなら、あなたはサタンに属していると言えます。霊的領域のサタンは見ることも触れることもできませんが、現実生活の中に存在するサタンはどこにでもいます。真理を憎む人はみな邪悪であり、真理を受け入れない指導者も働き手も、反キリストの悪人です。そのような人は生きるサタンではないでしょうか。その人はあなたがまさに崇拝し尊敬している人かもしれません。またあなたを指導している人だったり、あなたが長年心の中で待ち望み、憧れ、信頼し、頼ってきた人かもしれません。しかし実際のところ、彼らはあなたの行く手を阻み、救いを得ることを邪魔する障害物であり、反キリスト者なのです。彼らはあなたのいのちとあなたが歩む道を支配することができ、さらに救いを受けられる機会も台無しにしてしまうことができます。彼らを見極めて見抜くことができなければ、あなたはいつでも彼らの罠にはまったり、捕われて連れ去られてしまう恐れがあります。ですから、あなたは大きな危険に直面しているのです。

『キリストの言葉の記録』の「指導者と働き手にとって道を選ぶことが最重要である(1)」より引用

ある教会に土地の顔役が数名いて、彼らが識見にまったく欠けた「小ばえ」を従えており、その教会の会衆が真理を理解してなお、それら顔役の呪縛と操作を拒否できないならば、そうした愚か者はみな最終的に淘汰される。小ばえは何ら劣悪な事をしていないかもしれないが、ことさら狡猾でずる賢く捉え難いので、みな淘汰されるのである。ひとり残らず消し去られる。サタンに属す者はサタンへと戻されるが、神に属す人は確実に真理を探し求める。これは人の本性によって決められることである。サタンに従う人はみな滅べ。彼らに憐れみがかけられることはない。真理を探し求める人には施しを得させ、心ゆくまで神の言葉を堪能させよ。神は義であり、誰もひいきすることなどない。あなたが悪魔であれば、真理を実践できない。真理を探し求める人であれば、サタンの虜にならないことは確実である。それについて疑いの余地はない。

『神の出現と働き』「真理を実践しない人への警告」(『言葉』第1巻)

識見のない者は自身の卑劣なたくらみのせいで、邪悪な者の手により滅ぼされ、惑わされて二度と戻ることがない。彼らにそのような扱いが相応しいのは、彼らが真理を愛さず、真理の味方になることができず、邪悪な者に付き従い、邪悪な者の味方となり、結託して神に反抗するからである。彼らは、邪悪な者が放つのは邪悪さであると完全に熟知しているが、心を頑なにして真理に背を向け、邪悪な者に付き従う。真理を実践せずに破壊的で忌まわしいことをするこのような人はみな邪悪な行為を行っているのではないか。彼らの中には自らを「王」のように装う者と、それに追随する者がいるが、両者の神に反逆する性質は同じではないのか。神は自分たちを救わないという彼らの主張をどのように弁明できるというのか。神は義でないという彼らの主張をどのように弁明できるというのか。彼らを滅ぼすのは彼ら自身の邪悪さではないのか。彼らを地獄へ引きずり落とすのは、彼ら自身の反逆ではないのか。真理を実践する人は、最後に真理のために救われ完全にされる。真理を実践しない人は、最後に真理のために滅びを自分自身にもたらす。これらが、真理を実践する人としない人を待ち受ける最後である。

『神の出現と働き』「真理を実践しない人への警告」(『言葉』第1巻)

どれほど多くの人々が神を信じようと、その信仰がなんらかの宗教または団体であると神によって定義された瞬間、彼らは決して救われないと神は決めたのです。私はなぜこう言うのでしょうか。神の働きと導きを持たず、神をまったく崇めない人々の群れや集まりにおいて、人は誰を崇めますか。誰に従いますか。形式上、名目上は人に従いますが、実際には誰に従いますか。彼らは心の中で神を認めていますが、実際には人間による操作、采配、支配の対象です。彼らはサタン、悪魔に従います。神に敵対的な勢力、神の敵に従うのです。神がこのような人々の群れを救うことがあり得ますか。(あり得ません)なぜですか。彼らは悔い改めることができるでしょうか。できません。人間の事業を実行し、自らの経営を行ないつつ、信仰の旗を振り、人類を救うための神の経営計画に背くのです。彼らの最終的な結末は神に憎まれ、拒絶されることです。神は到底これらの人々を救うはずがなく、彼らは悔い改めるはずがなく、すでにサタンに捕らわれています。彼らは完全にサタンの手の中にあるのです。……いくつ説教を聞いたといえども、またいくつ真理を理解したといえども、最終的にやはり人に従いサタンに従うのであれば、最終的にやはり神の道をたどることができず、神を畏れ悪を避けることができないのであれば、このような人は神によって憎まれ、拒絶されます。外から見る限り、神に憎まれ、拒絶されるこれらの人々は字句や教義について多くのことを語ることができ、数多くの真理を理解するようになりましたが、それでも神を崇めることができません。神を畏れ悪を避けることができず、完全に神に服従することができないのです。神の観点では、彼らを宗教、単なる人間の集団、人間の群れ、そしてサタンのねぐらと神は定義します。彼らはひとまとめにサタンの群れと呼ばれ、神に大いに嫌悪されます。

『キリストの言葉の記録』の「常に神の前で生きてのみ、救いの道を歩くことができる」より引用

神に付き従っていると言う彼らにとっては、目を開き、自分が誰を信じているのかをじっくり見るのが最善であろう。あなたが信じているのは本当に神なのか、それともサタンなのか。自分が信じているのが神ではなく、自分の偶像であることを知っているならば、自分は信者であると言わない方が良い。自分が誰を信じているのか本当に知らないならば、やはり自分は信者であると言わないのが最善であろう。信者であると言うのは冒涜である。誰もあなたに神を信じることを無理強いしていない。わたしを信じていると言うな。そのような言葉は聞き飽きており、二度と聞きたくない。なぜなら、あなたがたが信じているのは心の中の偶像であり、あなたがたのそばにいる土地の顔役だからである。真理を聞いたら首を横に振り、死の言葉を聞いたら笑みを浮かべる者はみなサタンの子孫であり、みな排除される。教会には識見のない者が多数いる。何か惑わすようなことがあると、彼らは不意にサタンに味方をする。彼らは自分がサタンの僕と呼ばれると、憤慨すらする。彼らには識見がないと言う人もいるが、彼らは真理のない側にいつも味方し、重要な時期に真理の側に立ったことや、真理のために立ち上がって議論をしたことは一度もない。彼らには本当に識見がないのか。なぜ彼らは不意にサタンの味方をするのか。なぜ彼らは真理のために公平で合理的な言葉を一言たりとも述べないのか。この状況は本当に彼らの一時的な混乱から生じたのか。人の識見が少なければ少ないほど、真理の側に立つ能力も低くなる。このことは何を示しているのか。それは識見のない人は邪悪を愛することを示しているのではないのか。彼らはサタンの忠実な子孫であることを示しているのではないのか。なぜ彼らは常にサタンの味方をすることができ、サタンの言語を話すことができるのか。彼らのあらゆる言動と表情はすべて、彼らが決して真理を愛する者ではなく、むしろ真理を忌み嫌う者であることを十分に証明している。彼らがサタンに味方できることは、サタンのために戦って生涯をすごすこれらの小悪魔をサタンが真に愛していることを十分に示している。こうした事実はすべて十分に明白ではないであろうか。あなたが本当に真理を愛する人ならば、なぜ真理を実践する人を軽視し、真理を実践しない人に少し見られただけで、なぜ彼らにすぐさまついて行くのか。これはどのような問題なのか。わたしは、あなたに識見があるかどうかは気にしない。あなたがどれほど甚大な代償を払ったかも気にしない。あなたの勢力がどれほど強いか、あなたが土地の顔役なのか、あるいは旗を掲げる主導者なのかも気にしない。あなたの勢力が強いのであれば、それはサタンの支援があってのことであり、あなたの威信が高ければ、それは単にあなたの周囲に真理を実践しない人が多すぎるということである。あなたがまだ追放されていないのであれば、それは今が追放の働きの時ではなく、むしろ排除の働きの時だからである。今あなたを急いで追放する必要はない。あなたが排除された後にあなたを懲罰する日を、わたしはただ待っているのである。真理を実践しない人は誰であれ排除されるのである。

『神の出現と働き』「真理を実践しない人への警告」(『言葉』第1巻)

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