宗教界の牧師と長老は本当に神によって任命されるのか。牧師や長老に従うことは、神に服従して付き従うことなのか

2017年11月23日

参考聖書箇所:

「人間に従うよりは、神に従うべきである」(使徒行伝 5:29)

関連する神の言葉

荘厳な教会で聖書を読み、一日中聖句を唱える人がいるが、そうした人は誰一人として神の働きの目的を理解していない。そうした人は誰一人として神を知ることができず、ましてや神の心意と一致することなど到底できない。そのような人はみな、価値のない下劣な人であり、高い位置から神を説く。神を旗印に使いながらも、故意に神に反対する。神を信じていると断言しながらも、人の肉を食べ、人の血を飲む。そのような人はみな、人の魂を食い尽くす悪魔であり、正しい道を歩もうとする人をわざと邪魔する悪霊の頭であり、神を求める人を妨害するつまずきの石である。彼らは「健全な体質」をしているように見えるかもしれないが、神に対抗するように人々を導く反キリストに他ならないことを彼らの追随者がどうして知り得るというのだろうか。彼らが人間の魂をむさぼり食うことを専門とする生きた悪魔であることを彼らの追随者がどうして知り得るというのだろうか。

『神の出現と働き』「神を知らない人はすべて神に反対する人である」(『言葉』第1巻)

各教派の指導者を見てみなさい。彼らはみな傲慢で、独善的で、彼らによる聖書の解釈には背景がなく、自分自身の想像に導かれています。彼らはみな才能と知識に頼って働きを行ないます。彼らがまったく説教できなければ、人々は従うでしょうか。彼らにもやはり多少知識があるので、何らかの教義を説くことができたり、人を勝ち取る方法や、策略の活用法を知っていたりします。彼らはそれを用い、人々を自分たちの前に連れてきて惑わします。名目上、それらの人たちは神を信じますが、実際には指導者に従っているのです。そうした人が真の道を説く人物に出会うと、「私たちの信仰について、指導者に相談しなければならない」と言う人がいます。神に対する彼らの信仰は人間が媒介になっているわけですが、それは問題ではありませんか。それで、これらの指導者はどうなりましたか。パリサイ人、偽の羊飼い、反キリスト、人々が真の道を受け入れるのを妨げる躓きの石となったのではありませんか。……

以前、神の信者は人に付き従い、あるいは神の旨を満足させてきませんでしたが、この最後の段階において神の前に出なければなりません。働きのこの段階を経たことが基礎となっていながら、それでも人に従い続けるなら、あなたは決して赦されず、最後はパウロのようになります。

『キリストの言葉の記録』の「真理を追求することだけが、神を真に信じることである」より引用

神に従う中で最も重要なのは、すべては神の現在の言葉に拠らねばならないということである。いのちへの入りを追い求めているのであれ、神の旨を成就させることを追い求めているのであれ、すべては神の現在の言葉を中心にしなければならない。あなたが交わり、そして追い求めるものが神の現在の言葉を中心にしていなければ、あなたは神の言葉を知らない人であり、聖霊の働きを完全に失っている。神が望むのは神の歩みに従う人である。あなたが以前に理解したことがどれほど素晴らしく、また純粋なものであっても、神はそれを望んでおらず、あなたがそうしたことを脇へのけられないなら、それは将来におけるあなたの入りにとって大きな障害になるだろう。聖霊の現在の光に従える人はみな祝福されている。過去の人々も神の歩みに従ったが、今日まで従うことはできなかった。これは終わりの日の人々の祝福である。神が自分をどこへ導こうともそれに付き従うほど、聖霊の現在の働きと神の歩みに従える人たちは、神に祝福される人である。聖霊の現在の働きに従わない人たちは神の言葉の働きに入っておらず、どれほど働こうとも、苦しみがどれほど大きくとも、どれほど駆け回ろうとも、そのどれも神には意味がなく、神はそうした人を賞賛しない。今日、神の現在の言葉に従う人はみな聖霊の流れの中にある。神の現在の言葉を知らない人は聖霊の流れの外にあり、そのような人は神に賞賛されない。聖霊が現在発する言葉から離れた奉仕は肉の奉仕であり、観念の奉仕であり、それが神の旨にかなうのは不可能である。宗教的観念の中で生きるなら、その人は神の旨にかなうことを何一つ行なえず、たとえ神に奉仕しても、それは想像や観念の中での奉仕であり、神の旨に従う形で奉仕することはまったくできない。聖霊の働きに従えない人は神の旨を理解せず、神の旨を理解しない人は神に奉仕できない。神は自身の旨にかなう奉仕を望んでおり、観念や肉の奉仕を望まない。聖霊の働きの歩みに従うことができないのであれば、その人は観念の中で生きている。そのような人の奉仕は妨害と混乱を引き起こし、そのような奉仕は神に真っ向から反している。そのため、神の歩みに従えない人は神に奉仕することができない。神の歩みに従えない人は間違いなく神に逆らっており、神と相容れることができない。「聖霊の働きに従う」とは、今日の神の旨を理解し、神の現在の要求に従う形で行動すること、今日の神に服従して付き従うことができ、神が発する最新の言葉に従う形でいのちに入ることを意味する。聖霊の働きに従い、聖霊の流れの中にいるのはそうした人だけである。そのような人は神の賞賛を受け、神を目の当たりにできるばかりでなく、神の最新の働きから神の性質を知ることができ、そして人の観念や不従順、人の本性と本質を神の最新の働きから知ることもできる。さらに、奉仕する中で自分の性質を徐々に変えることができる。このような人だけが神を得ることができ、真の道を本当に見つけた人である。

『神の出現と働き』「神の最新の働きを知り、神の歩みに従え」(『言葉』第1巻)

神を信じる人は神に従い、神を礼拝すべきである。どんな人物をも、崇めたり、仰ぎ見たりするべきではない。神を第一位とし、仰ぎ見る人々を第二位とし、自分自身を第三位とすべきではない。誰もあなたの心の中に場所を占めるべきではなく、あなたは人々を、とりわけあなたが崇拝する人々を、神と劣らず、神と同等なものと考えてはならない。これは神にとって耐えられないことである。

『神の出現と働き』「神の国の時代に神に選ばれた人々が従わなければならない行政命令十項目」(『言葉』第1巻)

一部の人々は真理を喜ばず、裁きとなればもっと喜ばない。むしろ、人々は権力と富に喜びを見出すのであり、そのような人々は権力の亡者と呼ばれる。彼らはもっぱら、影響力を持つ世界中の宗派や、神学校出身の牧師や教師を探し求める。真理の道を受け入れたにもかかわらず、彼らはどこまでも懐疑的で、自分自身を完全に献げることができない。彼らは神のために犠牲を捧げることについて話しはするものの、その目は偉大な牧師や教師に注がれ、キリストは無視されている。彼らの心は名声、富、栄誉にばかり向けられている。彼らは、そのような取るに足りない人がそれほど多くの者を征服することができ、そのような平凡な人が人を完全にすることができるなどと全く信じない。塵と糞の中にいるこれらのとるに足りない人々が神に選ばれているとは信じないのである。もしそのような人々が神の救いの対象であれば、天と地がひっくり返り、すべての人間が大笑いするだろうと彼らは信じている。彼らは、もし神がそのような取るに足らない人々を完全にするために選んだのであれば、先に挙げたような偉大な人たちは神そのものになると信じている。彼らの考え方は不信仰によって汚れている。実際のところ、不信仰どころか、彼らは、ばかげた獣である。なぜなら、彼らは地位、名声、権力だけに価値を置き、重要視するものは大組織や宗派であるからである。彼らはキリストに導かれる者のことを全く考慮しない。キリストに、真理に、そしていのちに背をむけた裏切り者でしかないのである。

あなたが敬慕するのはキリストのへりくだりではなく、目立った地位にある偽の牧者たちである。あなたはキリストの素晴らしさや知恵を愛さないが、邪悪な世と交わりを持つ奔放な者たちを愛している。あなたは、枕するところもないキリストの苦しみを笑うが、捧げものを奪い取り放蕩な生活を送る屍たちを賞賛するのである。あなたはキリストのそばで苦しむ覚悟はないが、あなたに肉、言葉、支配しか与えない無謀な反キリスト者たちの腕の中に喜んで飛び込む。今でもあなたの心は、彼らに、彼らの評判に、彼らの地位に、そして彼らの影響力に向いている。それなのに、あなたはキリストの働きを飲み込みがたいものにする態度をとり続け、進んでそれを受け入れようとしない。だから、あなたにはキリストを認める信仰がないとわたしは言うのである。あなたが今日に至るまでキリストに従ってきたのは、他に選択肢がなかったからに過ぎない。一連の気高いイメージが、あなたの心にいつまでもそびえている。彼らの言葉や行ないのひとつひとつが忘れられず、影響力がある彼らの言葉や手腕も忘れられない。あなたがたの心の中では、彼らは永遠に至高で、永遠に英雄なのである。しかし、これは今日のキリストにはあてはまらない。彼はあなたの心の中で永遠に取るに足らない存在であり、永遠に畏敬に値しない。なぜなら、彼はあまりにも普通すぎ、あまりにも影響力がなさ過ぎ、高遠さからははるかにかけ離れているからである。

いずれにしても、真理を重んじない者はすべて、不信者であり真理を裏切る者であるとわたしは言う。そのような人は決してキリストの承認を得ることはない。あなたのうちにどれほど多くの不信仰があるのか、どれほど多くのキリストへの裏切りがあるのか、あなたは今分かったのか。わたしはあなたに以下のことを熱心に勧める。あなたが真理の道を選んだのだから、誠心誠意献身すべきである。あいまいであったり、気のりのしない態度であったりしてはならない。神は世界にも、一人の人間にも属さず、本当に神を信じ、礼拝し、献身的で忠実なすべての人々に属することを知るべきである。

『神の出現と働き』「あなたは本当に神を信じる人なのか」(『言葉』第1巻)

神に付き従っていると言う彼らにとっては、目を開き、自分が誰を信じているのかをじっくり見るのが最善であろう。あなたが信じているのは本当に神なのか、それともサタンなのか。自分が信じているのが神ではなく、自分の偶像であることを知っているならば、自分は信者であると言わない方が良い。自分が誰を信じているのか本当に知らないならば、やはり自分は信者であると言わないのが最善であろう。信者であると言うのは冒涜である。誰もあなたに神を信じることを無理強いしていない。わたしを信じていると言うな。そのような言葉は聞き飽きており、二度と聞きたくない。なぜなら、あなたがたが信じているのは心の中の偶像であり、あなたがたのそばにいる土地の顔役だからである。真理を聞いたら首を横に振り、死の言葉を聞いたら笑みを浮かべる者はみなサタンの子孫であり、みな排除される。教会には識見のない者が多数いる。何か惑わすようなことがあると、彼らは不意にサタンに味方をする。彼らは自分がサタンの僕と呼ばれると、憤慨すらする。彼らには識見がないと言う人もいるが、彼らは真理のない側にいつも味方し、重要な時期に真理の側に立ったことや、真理のために立ち上がって議論をしたことは一度もない。彼らには本当に識見がないのか。なぜ彼らは不意にサタンの味方をするのか。なぜ彼らは真理のために公平で合理的な言葉を一言たりとも述べないのか。この状況は本当に彼らの一時的な混乱から生じたのか。人の識見が少なければ少ないほど、真理の側に立つ能力も低くなる。このことは何を示しているのか。それは識見のない人は邪悪を愛することを示しているのではないのか。彼らはサタンの忠実な子孫であることを示しているのではないのか。なぜ彼らは常にサタンの味方をすることができ、サタンの言語を話すことができるのか。彼らのあらゆる言動と表情はすべて、彼らが決して真理を愛する者ではなく、むしろ真理を忌み嫌う者であることを十分に証明している。彼らがサタンに味方できることは、サタンのために戦って生涯をすごすこれらの小悪魔をサタンが真に愛していることを十分に示している。こうした事実はすべて十分に明白ではないであろうか。あなたが本当に真理を愛する人ならば、なぜ真理を実践する人を軽視し、真理を実践しない人に少し見られただけで、なぜ彼らにすぐさまついて行くのか。これはどのような問題なのか。わたしは、あなたに識見があるかどうかは気にしない。あなたがどれほど甚大な代償を払ったかも気にしない。あなたの勢力がどれほど強いか、あなたが土地の顔役なのか、あるいは旗を掲げる主導者なのかも気にしない。あなたの勢力が強いのであれば、それはサタンの支援があってのことであり、あなたの威信が高ければ、それは単にあなたの周囲に真理を実践しない人が多すぎるということである。あなたがまだ追放されていないのであれば、それは今が追放の働きの時ではなく、むしろ排除の働きの時だからである。今あなたを急いで追放する必要はない。あなたが排除された後にあなたを懲罰する日を、わたしはただ待っているのである。真理を実践しない人は誰であれ排除されるのである。

『神の出現と働き』「真理を実践しない人への警告」(『言葉』第1巻)

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