終わりの日の神様の働きを受け入れますが、どうすれば神様の裁きと刑罰を経験し真理と命を得て罪深い本性を消し去り救われて天国に入れるのですか?

2021年3月17日

回答:どうすれば神様の裁きと刑罰を経験し、真理と命を得て罪深い本性を消し去り救われて天国に入るのかということですが、この質問はとても重要で、私達の行く末と終着点に深く係っています。全能神の言葉を読んで真理のこの側面を確かめましょう。

神への真の信仰とは、神はすべてのことに支配権を持つという信念に基づいて神の言葉と働きを経験することを意味する。堕落した性質から解放され、神の望みに応じ、神を知ることができる。そのような道程を経てのみ、神を信じていると言える(『神の出現と働き』「序文」〔『言葉』第1巻〕)

現在の言葉を語る過程は、征服そのものの過程である。では具体的に、人はどのように協力するべきなのか。これらの言葉をどのように飲食するかを知り、言葉を理解することで協力するのである。人がどのように征服されるかについては、それは人が自分でできることではない。あなたにできるのは、これらの言葉を飲み食いすることによって自分の堕落と汚れ、反抗心と不義とを知り、神の前にひれ伏すことだけである。神の心意を把握した後に、それを実行に移すことができ、そしてビジョンを持ち、これらの言葉に完全に従うことができ、自分勝手な選択をしないならば、あなたは征服されている。そして、それは言葉による成果である(『神の出現と働き』「征服の働きの内幕〔1〕」〔『言葉』第1巻〕)

神の言葉に自分自身を完全に捧げ、神の言葉を飲み食いすること、真理を探求すること、そして神の言葉の中にある神の意図を探し求めることに集中し、すべてにおいて神の心を把握しようと努めなければなりません。それが最も根本的にして極めて重要な実践の方法です。……神の言葉への心からの献身はおもに、真理を探し求めること、神の言葉の中にある神の心を探し求めること、神の心を把握することに集中すること、神の言葉からさらなる真理を理解し獲得することが含まれます。……神の性質と愛らしさを認識することに心を砕いたのです。ペテロはまた、神の言葉から人間の様々な堕落した状態を、また人間の堕落した本性や実際の欠点を認識しようと努め、それにより神が人間に課す要求のすべての側面を満たし、神を満足させました。ペテロは神の言葉を守る数多くの正しい実践を行ないました。それは神の心にもっともかなっており、また神の働きを経験しつつ人が行なうことのできる最高の協力方法です(「ペテロの道を歩むには」『キリストの言葉の記録』)

神様を信仰することの意味をまず理解する必要があります。信仰とは神様の言葉と働きを経験して真理を知り、真理の現実を生きることでそれが神様を信仰するということです。終わりの日の神様の働きは言葉で裁くことですので、堕落した性質を清め救われたいのなら、まず神様の御言葉に集中して心から読み神様の御言葉による裁きを受け入れることです。神様の言葉がどんなに辛らつに響き苦々しくても神様の言葉は全て真理であり、私達が生きるべきいのちなのです。神様の語りかけは全て私達を清めて変え、私達が堕落した性質を捨て救われ、真理を理解し神様のことをもっと知ることができるようにします。神様の言葉による裁きと刑罰刈り入れと取り扱いを受ける必要があります。神様の言葉の意味する真理を得たければ、苦労してでも真理と御言葉に従い、御言葉の真理を求め御心を感じ自分を見つめ直し御言葉によって、横柄さ欺瞞わがまま卑しさを自覚し、神様と取引し利用し騙し真理を弄ぶといったサタン的性質も信仰の不純さや祝福を狙った裏心も自覚しなければなりません。そうすると徐々に堕落の真実と自分の本性と本質が見えてくるでしょう。真理をより理解すると神様への認識が深くなり、神様がどんな人を愛し嫌うのかどんな人を救い逆に排除しどんな人を使い祝福するかがわかるようになるでしょう。そうすると神様の性質が理解できます。神様の御言葉による裁きと刑罰を経験してできることです。真理を追求したければ御言葉による裁きと刑罰を経験すること、全ての真理御言葉を実践して神様に従うこと、それができる人は神の言葉を経験することによって真理が徐々に理解でき、現実に入り救われて完全にされるでしょう。神様の示した真理により神様の出現と働きを認識しても真理を愛さない者は神様のために全てを犠牲にして本分を尽くす限り救われると思っています。しかし信仰歴が長くても結局は真理もいのちも得られません。わずかな言葉や文字や理論しか知らないのに、真理も現実も分かっていると思い込んで、自分に嘘をついているので間違いなく神様に見捨てられます。どうやって神様の働きを経験し救われるのか? 全能神の言葉をもう少し読んでみましょう。

全能神は言われます。「単に神の言葉を読むだけでは、人のいのちが成長することはできず、神の言葉が実践されて初めて成長できる。もしもあなたの考えが、神の言葉を理解しさえすればいのちと霊的背丈を得ることができる、というものであれば、あなたの理解は歪んでいる。神の言葉の真の理解は、あなたが真理を実践する時に生まれる。そしてあなたは『実践して初めて真理を理解できる』ということがわかっていなければならない(『神の出現と働き』「いったん真理を理解したら、それを実践すべきである」〔『言葉』第1巻〕)

ペテロは、神を信じる中で、全てにおいて神を満足させること、そして神から来るもの全てに従うことを追い求めた。そしてペテロは不平一つ言わず、刑罰や裁きと同様に、精錬、苦難と生活上の欠乏も受け入れ、そのいずれも彼の神への愛を変えることはなかった。これこそ神への究極の愛ではなかっただろうか。これこそ被造物の本分を尽くすということではないだろうか。刑罰、裁き、試練――これらの中にあっても、死に至るまで従順であることができ、そしてこれこそが、被造物が達成すべきことであり、神への純粋な愛である。仮に人がここまで達成できたのなら、その人は被造物として相応しいということであり、これ以上創造主の満足を得られることはないであろう(『神の出現と働き』「成功するかどうかはその人が歩む道にかかっている」〔『言葉』第1巻〕)

あなたが追い求めるものが真理であり、実践することが真理であり、それによってあなたが得るものが自分の性質の変化であるなら、あなたが歩む道は正しいのである。もしあなたが追い求めるものが肉的な祝福であり、実践するものが自分の観念の中にある真理であり、自分の性質に変化がなく、また肉において神に全く従わず、未だ曖昧さの中に生きているのであれば、あなたの追い求めるものはあなたを確実に地獄へと導くであろう。なぜなら、あなたの歩む道は失敗の道だからだ。あなたが完全にされるか排除されるかは、あなた自身の追求にかかっている。つまり、成功するかどうかはその人の歩む道にかかっていると言える」(「成功するかどうかはその人の歩む道にかかっている」『言葉は肉において現れる』)

自らの本分を尽くしながら神を満足させることができ、言動において原則をしっかりともち、真理のあらゆる側面の現実に入ることができるなら、その人は神により完全にされる人間です。神の働きと言葉は、そのような人にとって完全に有効であり、神の言葉はその人のいのちとなり、その人は真理を得て、神の言葉に沿って生きることができる、と言うことができます。その後、その人の肉体の本性、つまり、根源的存在の基礎そのものが、震えてばらばらになり崩壊します。神の言葉を自らのいのちとして有するようになると、人は新しい人となります。神の言葉が人のいのちとなり、神の働きのビジョン、人類への神の要求、人への神による暴露、神が人に達することを要求する真のいのちのための基準が人のいのちとなり、これらの言葉と真理に従って生きるならば、人は神の言葉によって完全にされます。そのような人は生まれ変わり、神の言葉をとおして新しい人となったのです(「ペテロの道を歩むには」『キリストの言葉の記録』)

全能神は言われます。「人のいのちが成長することはできず、神の言葉が実践されて初めて成長できる。……」。これは真理です。とても実際的だわ! 神様の御言葉を実践も経験もしない信者は真理を得ません。真理がない人はいのちもありません。全能神はペテロの真理の求め方について話されました。ペテロは真理を求める人で神様をどう愛するか考え、いのちの性質を変えようとし、そのために神様の裁きと刑罰、そして試練と精練を受けました。主が彼をサタンに引き渡しても死ぬまで逆らわず逆さ磔にされることで美しく響く証しをしました。ペテロは信仰の在り方に注意し心から神様に従い愛しました。説教や奉仕だけではなく真理の実践とその現実に入ることに集中したので、神様に完全にされ認められたのです。ペテロの証しによると私達は救われたければ真理を追求し神様の御言葉に集中し、神様の御心を察し真理を実践し、その現実に生きるのです。そうすれば真理の理解が深まり、その実践の道が増えます。いつの間にか真理の現実に生きるようになります。理論だけで満足していたら真理を実践して現実に生きることはできません。理論を理解していても真理を理解しているとは言えず、真理を理解して初めて神様と自分自身を知り真の悔い改めができます。理論の知識でできることではありません。理論の知識があると傲慢になりがちで神様も自分自身も知らないままです。終わりの日の神様の働きについては真理を愛さない者は神様の言葉による裁きと刑罰を避けてしまい、御言葉が核心を突いているのがわかると神様を避けるので真理を得ることもないのです。本当に真理を愛するなら真理を得るためにどんな苦しみでも受け入れるでしょう。神様の言葉による裁きの苦しみにも耐え試練や精錬があっても耐えられるでしょう。家族が引き裂かれても実刑を受けても命を捨てても神様の証しをしますから、間違いなく真理を得神様から認めてもらえるでしょう。

映画『勝利の凱歌』より引用

前へ: あなたは主イエスは全能神として再臨され、終わりの日に裁きの働きをし真理を示していると証しをされている。なぜそんなことが可能ですか? 主は実際に私たちを天の国に連れて行かれるのです。私たちを置いて終わりの日の裁きの働きをなされるなんて、有り得ないでしょう? 主を信じ、聖霊の働きを受けていれば、既に神様の裁きの働きを体験していると思います。主イエスの言葉が何よりの証拠です。「わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう」(ヨハネによる福音書 16:7-8)。私たちは、主イエスが復活されて天国に昇ぼられた後のペンテコステで、人に働きかけるために聖霊が下りてきたのだと考えます。それによって人々はすでに、自分の罪や義、裁きについて自分を責めています。主の前で告白し悔い改めたとき、私たちは実際に主の裁きを受けているのです。つまり、主イエスの働きは贖いの働きであっても主イエスが天に昇られたあとにペンテコステで降りてきた聖霊の働きが、終わりの日の神の裁きの働きであると信じています。それが裁きの働きでは? 「罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう」とありますが、主の信者として、私たちはよく聖霊に触れられ、戒められて訓練されています。だからいつも、主の御前で泣いて悔い改めるのよ。多くの良い行いこそが、主への信仰で私たちがどう変化したかを表すものです。これは神の裁きを受けた結果ではないのですか? あなたの言う終わりの日の全能神の裁きの働きは主イエスの働きとどう違うのですか?

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参考聖書箇所 「キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救を与えられるのである」(ヘブル人への手紙 9:28) 「わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今…

あなたは主イエスは全能神として再臨され、終わりの日に裁きの働きをし真理を示していると証しをされている。なぜそんなことが可能ですか? 主は実際に私たちを天の国に連れて行かれるのです。私たちを置いて終わりの日の裁きの働きをなされるなんて、有り得ないでしょう? 主を信じ、聖霊の働きを受けていれば、既に神様の裁きの働きを体験していると思います。主イエスの言葉が何よりの証拠です。「わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう」(ヨハネによる福音書 16:7-8)。私たちは、主イエスが復活されて天国に昇ぼられた後のペンテコステで、人に働きかけるために聖霊が下りてきたのだと考えます。それによって人々はすでに、自分の罪や義、裁きについて自分を責めています。主の前で告白し悔い改めたとき、私たちは実際に主の裁きを受けているのです。つまり、主イエスの働きは贖いの働きであっても主イエスが天に昇られたあとにペンテコステで降りてきた聖霊の働きが、終わりの日の神の裁きの働きであると信じています。それが裁きの働きでは? 「罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう」とありますが、主の信者として、私たちはよく聖霊に触れられ、戒められて訓練されています。だからいつも、主の御前で泣いて悔い改めるのよ。多くの良い行いこそが、主への信仰で私たちがどう変化したかを表すものです。これは神の裁きを受けた結果ではないのですか? あなたの言う終わりの日の全能神の裁きの働きは主イエスの働きとどう違うのですか?

回答:主イエスがされたのは贖いの働きであることはご存知ですが、主が言われたのはこうです。「悔い改めよ、天国は近づいた」(マタイによる福音書 4:17)。では一体何を根拠に、ペンテコステで聖霊が終わりの日における裁きの働きを行ったなどと言われるのですか? あなたがたは、主イエスの…