全能神は終わりの日の神の裁きの働きの真理をすべて語られました。それは聖霊が終わりの日に教会に語られる御言葉なのです。多くの人はもう全能神の御言葉を読み、御声を聞いたのです。彼らは皆神の御前に連れて行かれ、小羊の婚宴に参列しています。なんという素晴らしい祝福でしょう!ですが、多くの兄弟姉妹はまだ御声を聞き分けられないのです。ですから、今日全能神教会からシャンさんを招待したのです。神の御声の聞き分け方を明かして頂きに来ましたこれで私たちも全能神が主イエスの再臨だと確かめられます。

2021年3月17日

回答:今の問いはとても大切なことです。終わりの日の神の働きを受け入れ、神の出現を見るには、御声の聞き分け方を知らなければなりません。実際、御声を聞き分けるとは発せられた御言葉を認識することであり、創造主の御言葉の特徴を認識することです。肉となった神の御言葉も、神の霊の語りかけも、全て高いところから神が人類に語られたものです。それが神の御言葉の語調と特徴なのです。ここに神の権威と身分がはっきり現れています。これが創造主の独特な語り方です。神が肉となるたびに話される内容は多岐に渡りおもに、神の人への要求や警告、神の行政命令や戒め、裁きと刑罰の話や、人類堕落を暴く話です。また、預言の言葉や、神の人類への約束などです。これらの御言葉はすべて真理、道、いのちの表現です。全て神のいのちの本質を現わしています。神の性質と神の持つものと神であるものなのです。だから、私たちは神によって語られた御言葉から、御言葉が真理であり、権威と力があることが分かるのです。だから、全能神の御言葉が神の御声かどうか見極めたければ、主イエスの御言葉と全能神の御言葉をよく読んで、見比べて、同一の霊によって語られたかどうか、同一の神によってなされた働きかどうかを調べるのです。もし源が同じなら、全能神の御言葉が神の語りかけで、全能神が神の顕れであることは明白です律法の時代のヤーウェ神の御言葉と恵みの時代の主イエスの御言葉を詳しく見てみましょう。両方とも聖霊直々の表現で、同一の神の働きでした。これは主イエスがヤーウェの現れで、創造主の現れでもあったことを証明しています。神の羊は御声に聞き従います。皆さん、神の御声の聞き分け方は、主イエスの御言葉を見れば全てはっきりするでしょう。聖書を読んだ人なら皆、恵みの時代の主イエスの御言葉には、神の警告、人への要求や、神の行政命令などがあることを知っています。多くの預言や約束の御言葉なども含まれています。これらが、恵みの時代に神によってなされた一つの段階の、完全なる働きでした。

まず、主イエスの人への要求と警告を見ましょう。主イエスは言われました、「悔い改めよ、天国は近づいた(マタイによる福音書 4:17)。「あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない(マタイによる福音書 5:13-14)。「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。これがいちばん大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である、自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ。これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている(マタイによる福音書 22:37-40)。「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。……義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。……義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい(マタイによる福音書 5:3,6、10-12)

主イエスが行政命令について言われたことを見てみましょう。マタイによる福音書12章31と32節です。主イエスは言われました。「だから、あなたがたに言っておく。人には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる。しかし、聖霊を汚す言葉は、ゆるされることはない。また人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。しかし、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない」。また、マタイによる福音書5章22節で、主イエスは言われました。「しかし、わたしはあなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない。兄弟にむかって愚か者と言う者は、議会に引きわたされるであろう。また、ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。

行政命令の御言葉の他にパリサイ人たちを裁き暴露する御言葉もあります。主イエスは言われました。「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、天国を閉ざして人々をはいらせない。自分もはいらないし、はいろうとする人をはいらせもしない(マタイによる福音書 23:13)。「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたはひとりの改宗者をつくるために、海と陸とを巡り歩く。そして、つくったなら、彼を自分より倍もひどい地獄の子にする(マタイによる福音書 23:15)

皆さん、主イエスはまた預言や約束についても語っています。それではヨハネによる福音書14章2節と3節を開いてください。主イエスは言われました。「あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである」。ヨハネによる福音書12章47節と48節でも、主イエスは言われました。「たとい、わたしの言うことを聞いてそれを守らない人があっても、わたしはその人をさばかない。わたしがきたのは、この世をさばくためではなく、この世を救うためである。わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう」。ヨハネの黙示録21章3節と4節でもこう言われました。「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである。

皆さん、恵みの時代に主イエスが語られた様々な真理から、主イエスが救い主の現れだったことが分かります。主イエスの御言葉が神の全人類への語りかけであることも分かります。主は神の性質と人類に対する御心を直接表されました。人類を導き養い、自ら人類を贖うためです。これは神ご自身の身分と権威を完璧に現しています。これらは、読むとすぐに真理であり、権威と力があると感じされます。これらの御言葉は神の御声であり、人類への語りかけなのです。終わりの日である今、主イエスが戻られました。全能神は終わりの日の裁きの働きのために来られ神の国の時代を開き、恵みの時代を終わらせられたのです。主イエスの贖いの働きに基づいて、神の家から始まる裁きの働きをなさり、人類を清めて救うための真理を全て語られました。全能神の御言葉は中身が豊かで、包括的です。次の全能神の御言葉通りです、「創世以来、神がすべての人類に話しかけたのはこれが初めてだと言っても過言ではない。神がかくも詳細に、またかくも系統立てて、被造物である人類に話したことはかつてなかった。もちろん、全人類にこれほど多くのことを、かくも長きにわたって話したのもこれが初めてである。それはまったく前例のないことなのである。そのうえ、これらの言葉は人類のあいだで神が発した初めての文章であり、神はその中で人々を暴き、導き、裁き、心を通わせて語っている。それはまた、神が人々に自身の足跡、横たわる場所、神の性質、神が所有するものと神そのもの、神の考え、そして人類に対する神の懸念を知らしめる最初の発言でもある。これらは、創世以来神が第三の天から人類に語りかけた最初の発言であり、神が本来の身分を使って言葉の中に現われ、心の声を人類に表現した最初の例だと言える(『神の出現と働き』「全宇宙への神の言葉、序論」〔『言葉』第1巻〕)。今は終わりの日で、全能神の御言葉はとてつもなく幅広く豊かです。その中には、おもに裁き、人の暴露、神の国の時代の行政命令、戒めや。神の人への警告、要求、約束、預言などもあります。次は、神の人への警告や要求、神の働きに関する御言葉を読みましょう。

全能神は言われます。「今日、わたしに本物の愛を抱いている者たちは幸いである。わたしに服従する者は幸いである。その人たちは必ずや、わたしの国にとどまるであろう。わたしを知る者は幸いである。その人たちは、必ずや、わたしの国で権力を振るうであろう。わたしを追い求める者は幸いである。その人たちは必ずやサタンの束縛から逃れ、わたしの中にある祝福を享受するであろう。自らを捨てることのできる者は幸いである。その人たちは、必ずやわたしのものとなり、わたしの国の富を相続するであろう。わたしのために走り回る者を、わたしは記憶し、わたしのために尽くす人を、わたしは喜んで抱こう。わたしに捧げ物をする人に、わたしは喜びとなるものを与えよう。わたしの言葉に喜びを見出す者を、わたしは祝福する。その人たちは必ずや、わたしの国の棟木を支える柱となるであろう。その人たちは、必ずやわたしの家で何ものにも及ばない豊かさを得、彼らに並ぶものは一人もいない(『神の出現と働き』「全宇宙への神の言葉、第十九章」〔『言葉』第1巻〕)

イエスは人間のあいだでたくさんの働きをしたが、全人類の贖いを完了して人の贖罪のためのささげものとなるだけだった。人から堕落した性質のすべてを取り除くことはなかったのである。サタンの影響から完全に人を救うためには、イエスが贖罪のささげものとして人の罪を引き受けることが必要だっただけではなく、神にとっても、サタンによって堕落させられた人の性質を完全に取り除くためにもっと大きな働きを行うことが必要だった。そこで、人が罪を赦された後、神は人を新しい時代に導くために人間の姿に戻り、刑罰と裁きの働きを開始し、この働きは人をより高い領域に連れてきた。神の支配の下に従う人々はすべてより高い真理を享受し、より大きな祝福を受けるだろう。彼らは本当に光の中に生き、真理、道、いのちを得るだろう。

人々が恵みの時代に留まっていれば、彼らは堕落した性質を決して免れないし、ましてや神の本来の性質を知ることはない。人々がいつも豊かな恵みの中に生きていても、神を知り、神を満足させることを可能にするいのちの道がなければ、いくら神を信じても決して本当に神を得ることはないだろう。それはなんと哀れな形の信仰ではないか(『神の出現と働き』「序文」〔『言葉』第1巻〕)

人が贖われる前、サタンの害毒の多くがすでに人の中に植え付けられていた。そしてサタンによって何千年も堕落させられてきた人間には、神に抵抗する本性がすでに定着していた。だからこそ、人が贖われたとき、それは人が高い代価で買い取られるという贖い以上のものではなく、人の中の害毒に満ちた本性は取り除かれていなかった。ここまで汚れた人は、神に仕えるのにふさわしくなる前に変化を経なければならない。この裁きと刑罰の働きによって、人は自分の中の汚れて堕落した本質を完全に知るようになる。そして完全に変わり、清くなることができる。この方法でしか、人は神の玉座の前へと戻るのにふさわしくなることができない(『神の出現と働き』「受肉の奥義〔4〕」〔『言葉』第1巻〕)

神の足跡と顕現を積極的に探し求める者は一人もいない。また進んで神の配慮と加護の中で生存しようとする者もいない。その代わりに、この世と邪悪な人類が従う生存の掟に適応するために、邪悪な者、サタンの腐敗に頼ることを人は望む。この時点で人の心と霊は、サタンへの貢物となり、その餌食となった。その上、人間の心と霊はサタンの住みかとなり、サタンの恰好の遊び場となった。こうして人間は、人間であることの原則について、また人間存在の価値と意義についての理解を気づかないうちに失うのである。神の律法、そして神と人の間で交わされた契約は、人の心の中で次第に薄れ、人は神を求めることも神に注意を払うことも止めてしまう。時間が経つにつれ、人は神が人間を創造した理由も、神の口から出る言葉や神から来る全てをもはや理解しなくなる。それから人は神の律法と掟に抵抗し始め、人の心と霊は麻痺してしまう……。神は自らが最初に創造した人間を失い、人間はその始まりの根源を失う。これが人類の悲哀である(『神の出現と働き』「神は人間のいのちの源である」〔『言葉』第1巻〕)

人類は今日まで、何万年もの歴史を通して発展してきた。しかしわたしが当初創造した人類は、はるか昔に堕落へと落ち込んでしまった。人間はすでにわたしが望んだ人間ではなく、そのためわたしの目にはすでに、人類という名前に相応しいものではなくなっている。むしろ彼らはサタンによって捕われた屑であり、サタンに取り憑かれサタンを内に宿した生きる屍である。人々はわたしの存在を信じておらず、わたしの到来を歓迎もしない。ただ渋々わたしの要求に応え、一時的にそれに応じるだけで、人生の喜びや悲しみを心からわたしと共有したりもしない。人々はわたしを不可解な存在とみなしているため、渋々笑顔を見せ、権力者に擦り寄るような態度をしている。それはわたしの働きについて何も知らず、ましてや現在のわたしの旨も一切知らないからだ。正直に言うが、その日が来たとき、わたしを崇める人の苦しみは、あなたがたの苦しみよりも軽くなる。あなたがたの信仰の程度は実際、ヨブのそれを超えておらず、ユダヤのパリサイ人の信仰ですらあなたがたの信仰を上回る。したがって、火で焼かれる日が訪れると、あなたがたの苦しみはイエスに非難されたときのパリサイ人よりも大きく、モーセに反抗した250人の指導者たちよりも、滅びの炎に焼かれたソドムよりも重くなるだろう(『神の出現と働き』「本物の人とは何を意味するのか」〔『言葉』第1巻〕)

人はサタンに堕落させられた後、神を畏れる心を失い、被造物として持つべき機能を失って、神に背く敵になった。人はみなサタンの権威の下に生きるようになり、サタンの命令に従った。それゆえ、神は被造物の間で働くことができず、被造物からの畏れ敬いを得ることはさらにできなかった。人は神に造られており、神を礼拝すべきであるが、人は神に背いてサタンを崇拝した。サタンは人の心の中の偶像になった。こうして、神は人の心における立場を失い、つまり人を造った意義を失った。だから、神が人を造った意義を回復しようとするなら、人に本来の姿を回復させ、人に堕落した性質を脱ぎ捨てさせなければならない。人をサタンの手から奪い返すには、人を罪の中から救い出さなければならない。このようなやり方によってのみ、神は次第に人に本来の姿を回復させ、本来の機能を回復させる。そして遂には、神の国を回復する。最終的にそれらの不従順の子を徹底的に滅ぼすのも、人がよりよく神を礼拝し、よりよく地上で生存することができるためである。神は人類を造ったので、人に自身を礼拝させる。神は人に本来の機能を回復させたいので、徹底的に、しかも混じりけが少しもないように、回復させる。神が自身の権威を回復することは、人に自身を礼拝させることであり、自身に従わせることである。それは、人を神ゆえに生きるようにすることであり、神の権威ゆえに神の敵を滅ぼすことであり、神のあらゆる部分全てが人の間で、全く拒否されることなく存続するようにすることである。神が打ち立てようとする国は神自身の国である。神が求める人間は自身を礼拝する人間であり、完全に従う人間であり、神の栄光を持つ人間である。もし神が堕落した人間を救い出さなければ、神が人を造った意義は無となる。神は人の間で権威を持たなくなり、地上に神の国が現れることもない。もし神に背く敵を滅ぼさなければ、神は完全な栄光を得ることができず、地上で神の国を打ち立てることもできない。人類の不従順な者たちを徹底的に滅ぼし、完全にされた者たちを安息の中に連れていく――これは彼の働きが終わったことのしるしであり、神が偉業を達成したしるしである(『神の出現と働き』「神と人は共に安息へと入る」〔『言葉』第1巻〕)

あなたは終わりの日にイエスが降臨することだけは知っているが、正確にはどのように降臨するのだろうか。あなたがたのように贖われたばかりで、まだ変えられておらず、神に完全にされてもいない罪人が、神の心に適うだろうか。古い自我を持ったままのあなたは、イエスによって救われたのは事実であり、神の救いのおかげで罪人とは見なされなくなったが、これは、あなたには罪や汚れがないという証拠ではない。変えられないままであれば、あなたはどうして聖いものとなれるのか。内側では、あなたは汚れに満ち、自分勝手で卑劣であるにもかかわらず、イエスと共に降臨することを望む――あなたはそこまで幸運ではない。あなたは神を信じる上での段階を一つ見落としている――あなたは単に罪から贖われただけで、変えられてはいないのである。あなたが神の心に適うためには、神が自らあなたを変えて清める働きをしなければならない。もしあなたが罪から贖われただけなら、聖さを得ることはできない。このように、あなたは、神が人を経営する働きの一段階、つまり変えられて完全にされるという重要な段階を逸したために、神の良き祝福を共有する資格はないであろう。よって、贖われたばかりの罪人であるあなたは、直接神の嗣業を受け継ぐことはできないのである(『神の出現と働き』「呼び名と身分について」〔『言葉』第1巻〕)

あなたはわたしがどのような人間を求めているかを知らなければならない。不純な人間は神の国に入ることを許されないし、また不純な人間が聖地を汚すことも許されない。あなたがたとえどれほど長くまたどれほど多くの働きを行なってきたとしても、最後のときになって未だ甚だしく汚れていれば、わたしの国に入ることは天の律法が許さないのである。世の初めから今日まで、人がいかに取り入ろうとも、人がわたしの国に入るのにわたしが便宜を図ったことはない。これは天の掟であり、誰にも破ることは許されない。あなたはいのちを追い求めるべきである。今日、神に完全にされるであろう人間はペテロのような人であり、自分の性質の変化を追い求める人であり、そして喜んで神を証しし、被造物の本分を尽くそうとする人である。そのような人だけが神によって完全にされるのである。もしあなたが見返りだけを求め、自分のいのちの性質を変えることを追い求めないのであれば、あなたの努力の一切は徒労に終わる。そしてこれは、不変の真理である(『神の出現と働き』「成功するかどうかはその人が歩む道にかかっている」〔『言葉』第1巻〕)

神の国の時代における全能神の裁きの働きについて、次に、全能神の御言葉を読んでみましょう。

終わりの日には、キリストはさまざまな真理を用いて人間を教え、人間の本質を明らかにし、人間の言動を解剖する。そのような言葉は、人の本分や、人はいかに神に従うべきか、人はいかに神に忠実であるべきか、いかに正常な人間性を生きるべきかや、また神の知恵と性質など、さまざまな真理を含んでいる。これらの言葉はすべて人間の本質とその堕落した性質に向けられている。とくに、人間がいかに神をはねつけるかを明らかにする言葉は、人間がいかにサタンの化身であり、神に敵対する力であるかに関して語られる。神は裁きの働きを行うにあたって、少ない言葉で人間の本性を明らかにすることはない。むしろ長い期間にわたり、それをさらけ出し、取り扱い、刈り込む。このような方法のさらけ出し、取り扱い、刈り込みは通常の言葉が取って代わることはできず、人間が一切持ち合わせていない真理でなければ取って代われない。このような方法のみが裁きと呼ばれることができる。このような裁きを通してのみ人間は屈服し、徹底的に納得して神への服従に向かうようになり、さらに神についての真の認識を得ることができる。裁きの働きがもたらすのは、神の真の顔と人間自らの反抗的性質についての真相を人が認識することである。裁きの働きにより、人は神の心、神の働きの目的、人には理解することのできない奥義についてかなり理解できるようになる。また、それにより人は自分の堕落した本質と堕落の根源を認識し知るようになり、人間の醜さを発見する。これらの効果はすべて、裁きの働きによりもたらされる。それは、実際に、この働きの本質は神を信じる人すべてに神の真理、道、いのちを開く働きだからである。この働きが神による裁きの働きである(『神の出現と働き』「キリストは真理をもって裁きの働きを行う」〔『言葉』第1巻〕)

神は裁きと刑罰の働きを行なうが、それは人が神についての認識を得られるようにするためであり、また神の証しのためでもある。神が人の堕落した性質を裁かなければ、人は犯すべからざる神の義なる性質を知ることができず、神についての古い認識を新たにすることもできない。神はその証しのため、そして神の経営(救い)のため、その存在すべてを公にし、それによって人は、その神の公的な出現を通して、神の認識に到達し、性質を変化させ、明確な神の証しを立てられるようになる。人の性質の変化は、神のさまざまな働きを通して成し遂げられる。そのような性質の変化なくして、人は神の証しを立てることができず、神の心にかなうこともできない。人の性質の変化は、人がサタンの束縛と闇の影響から解放され、真に神の働きの見本かつ標本、神の証人、そして神の心にかなう者となったことを意味する(『神の出現と働き』「神を知る者だけが神に証しをすることができる」〔『言葉』第1巻〕)

時代を終わらせる神の最後の働きにおいて、神の性質は刑罰と裁きであり、神はその中で不義なるすべてのものを暴き、それによってすべての人を公然と裁き、真摯な心で神を愛する人たちを完全にする。このような性質だけが時代を終わらせることができる。終わりの日はすでに来ている。すべての被造物は種類ごとに選り分けられ、その本性を基にして異なる種類に分けられる。その瞬間、神は人の結末と終着点を明らかにする。もし人が刑罰と裁きを受けなければ、その人の不従順と不義を暴く術はない。刑罰と裁きを通じてでなければ、すべての被造物の結末を明らかにすることはできない。罰せられ、裁かれて初めて、人は本当の姿を示す。悪は悪と共に、善は善と共に置かれ、すべての人は種類ごとに選り分けられる。刑罰と裁きを通じ、すべての被造物の結末が明らかにされ、それによって悪人は罰せられ、善人は報いられる。そして、すべての人が神の支配に従属することになる。この働きのすべては義なる刑罰と裁きを通じて達成されなければならない。人の堕落は頂点に達し、人の不従順は極度に深刻になってしまったので、おもに刑罰と裁きから成り、終わりの日に明らかにされる神の義なる性質だけが、人をすっかり変えて完全な者とすることができる。この性質だけが悪を暴き、よってすべての不義なる者を厳しく懲罰することができる。……終わりの日には、義なる裁きだけが人を種類ごとに選り分け、新しい領域に連れて行くことができる。このように、裁きと刑罰から成る神の義なる性質を通じ、時代全体に終わりがもたらされるのである(『神の出現と働き』「神の働きのビジョン〔3〕」〔『言葉』第1巻〕)

裁きとは何か、真理とは何かをいま理解しているか。もししているならば、裁かれることに従順に従うよう強く勧める。さもなければ、神に称賛され、神の国に連れて行かれる機会を得ることは決してないであろう。裁きを受け入れるだけで清められることのできない人、つまり裁きの働きの只中において逃げる人は、永遠に神に嫌われ拒絶される。彼らの罪は、パリサイ人の罪よりもさらに多く、深刻である。彼らは神を裏切り、神の反逆者だからである。奉仕することさえ相応しくないそのような人は、さらに過酷で、加えていつまでも終わることのない懲罰を受ける。言葉では一度は忠誠を誓いながらその後、神を裏切った反逆者を神は容赦することはない。このような人は霊、魂、体の懲罰を通して報復を受けることになる。これこそ、神の義なる性質の明示ではないのか。これが人を裁き、明らかにする神の目的ではないのか。神は裁きのあいだにあらゆる邪悪な行いをする人々すべてを邪悪な霊がはびこる場所に引き渡し、邪悪な霊に彼らの肉体を好きなように破壊させる。彼らの肉体は死臭を放つ。これは彼らにふさわしい報復である。神は、それら不忠実な偽信者、偽使徒、偽働き人の罪を一つひとつその記録書に書き留める。そして、その時が来ると、神は彼らを不浄な霊の真中に投げ入れ、不浄な霊が彼らの全身を思うままに汚すようにし、そのため彼らは決して生まれ変わることはなく、二度と光を見ることはない。一時期は神に仕えるが最後まで忠実であり続けることのできない偽善者は、神が邪悪なものに含めて数え、そのため彼らは悪人の言いなりとなり、烏合の衆の一部となる。最後には神は彼らを滅ぼす。キリストに忠実であったことがない人、自らの強みをもって何らの貢献をしたことのない人を神は脇へやり、省みることはなく、時代が変わるときに彼らをすべて滅ぼす。彼らはもはや地上には存在せず、神の国へ入ることなどなおさらありえない。神に誠実であったことはないが、状況のせいで強制的に神を表面的に取り扱うことになった人は、神の民のために奉仕する人に含めて数えられる。これらの人々のうちほんの一部だけが生き残るが、大半は奉仕をする規準にさえ達しない人々とともに滅ぶ。最後に、神と同じ考えをもつ人すべて、神の民と子ら、そして神に祭司となるよう予め定められた人々を、神は神の国に連れて行く。彼らは神の働きの結晶となる。神が制定した範疇のどれにも当てはめることのできない人は、未信者に含めて数えられる。彼らの結末がどうなるか、あなたがたは確実に想像できることであろう。わたしは既に言うべきことをすべてあなたがたに語った。あなたがたが選ぶ道は、あなたがただけの選択である。あなたがたが理解するべきことはこれである。神の働きは神と足並みをそろえることのできない人を誰も待たず、神の義なる性質はどんな人にも憐れみを示さない(『神の出現と働き』「キリストは真理をもって裁きの働きを行う」〔『言葉』第1巻〕)

わたしは国々の上に怒りを投げつけ、わたしの行政命令を全宇宙に公布し、違反する者には刑罰を下す。

わたしが全宇宙に向かって話すと、人間はみなわたしの声を聞き、そこで、わたしが全宇宙で行なってきた業を見る。わたしの心に逆らう者、つまり、人間の行いでわたしに敵対する者は、わたしの刑罰を受けて倒れる。わたしは天の多くの星々を取ってそれらを新しくし、わたしにより、太陽と月は新たになる――空はもはや以前のものではない。地上の無数の物事が新たになる。すべては、わたしの言葉により完全になる。全宇宙の多くの国々は新たに区切られ、わたしの国に置き換わる。それにより、地上の国々は永遠に消え去り、すべてがわたしを崇める一つの国になる。地上のすべての国々は破壊され、存在しなくなる。全宇宙の人間のうち、悪魔に属する者はみな、滅ぼし尽くされる。サタンを礼拝する者はみな、わたしの燃える炎に倒れる――つまり、今、流れの中にいる者以外は、灰になるのだ。わたしが多くの民を罰するとき、宗教界にいる者は、わたしの業に征服され、程度の差はあれ、わたしの国に戻る。彼らは聖なる方が白い雲の上に乗って降臨するのを見たからである。人間はみな、種類に従い、それぞれの行いに応じて刑罰を受ける。わたしに敵対した者たちは、みな滅びる。地上での行いがわたしと関わりのなかった人たち、その人たちは、自分たちの行いによって、地上にわたしの子らとわが民の支配下で存在を続ける。わたしは無数の人々と無数の国々にわたしを現し、わたしは自ら声を発して地上にわたしの大いなる働きの完了を告げ、全人類が自分たちの目でそれを見られるようにする(『神の出現と働き』「全宇宙への神の言葉、第二十六章」〔『言葉』第1巻〕)

わたしの国では、無数の被造物がよみがえりを始め、生気を取り戻す。地上の状態が変化したため、地と地の境界にもまた、変化が起こる。以前、わたしは預言した――地が地から離れ、地が地とつながると、そのとき、わたしは国々を打ち砕くと。このとき、わたしはすべての被造物を新たにし、全宇宙を区切りなおす。それにより、全宇宙を秩序立て、古い状態を新しいものに変える。これがわたしの計画だ。これらがわたしの業だ。国々と世界の人々がみな、わたしの玉座の前に戻ると、わたしは天の富をすべて人間の世界に与え、わたしによって、比類ない富にあふれるようにする(『神の出現と働き』「全宇宙への神の言葉、第二十六章」〔『言葉』第1巻〕)

わたしの言葉が完成するにつれて、わたしの国は徐々に地に形を現し、人間は次第に正常に戻り、そうして、地上にわたしの心の国が築かれる。その国では、神の民全員が正常な人間の生活を取り戻す。凍える冬は去り、春の訪れた町々の世界となり、一年中春が続く。もはや人々は暗く惨めな人間世界に臨まない。もはや人間世界の凍える寒さを耐えることがない。人々は互いに戦うことなく、国々は互いに戦争を仕掛けることがない。もはや大虐殺が行われて血が流されることはない。地はすべて幸福に満たされ、どこも人と人のぬくもりが満ちる(『神の出現と働き』「全宇宙への神の言葉、第二十章」〔『言葉』第1巻〕)

人類がみな本来の姿を回復し、それぞれ自分の本分を尽くし、自分の立場を守り、神のすべての定めに従うことができたら、神が地上で一団の、自身を礼拝する人たちを得、自身を礼拝する国を打ち立てたことになる。神は地上で永遠の勝利を得、自身に敵対する者たちは永遠に滅びる。これは神が最初に人を造った時の意図を回復し、神が万物を造った意図を回復し、地上での神の権威、万物の中での神の権威、敵の間での神の権威をも回復したことになる。これらは神が完全に勝利を得たことのしるしである。その後人類は安息に入り、正しい軌道に乗った生活に入る。神も人との永遠の安息に入り、神と人が共有する永遠の生活に入る。地上の汚れと不従順は消え、地上の嘆き悲しみも消える。神に敵対する地上のあらゆるものも存在しなくなる。神と神に救われた人たちだけが残り、神の創造物だけが残る(『神の出現と働き』「神と人は共に安息へと入る」〔『言葉』第1巻〕)

私たちは全能神の御言葉を聞いて、全能神と主イエスは同じ方で、同じ受肉の神であり、至高なお立場で人に語っておられることが分かりました。両者が現わされているのは神の性質と聖なる本質そして、神の権威とご身分を現わされています。パリサイ人を裁き、暴く主イエスの御言葉や堕落した人類を裁き、暴く全能神の御言葉から神が罪を憎み、人類の堕落を嫌われていること神は義にして聖なる性質を持ち、人の心の奥をご覧になることが分かります。私たちの堕落を知り尽くしておられます。主イエスと全能神の人類への警告と要求から神が人類に期待されていることが分かります。正直者を好み、神に真剣に身を捧げる者を祝福してくださる。これは神の人類への配慮と救いを示しています。主イエスと全能神の人類への約束から、神の人類に対する愛が分かります。更に、神が人類の運命を定め、万物を支配される権威と力が見えます。主イエスと全能神は口調も話し方もよく似ています。神の性質の顕れだからです。神の身分と本質を完全に現されています。皆さん、考えてみましょう。創造主以外に、誰が全人類に語りかけ神の御心を直接表現し、人間に要求することができますか? 誰が人の終わり、人の生と死を決められますか? 誰が宇宙や、すべてを支配できるでしょうか。神以外に、誰が人類堕落の本質を見抜き私たちの心の奥に潜むサタンの本性を暴けるでしょうか? 誰が、終わりの日の神の裁きの働きを成し遂げ、私たちをサタンの影響から完全に救い出せるでしょうか? 創造主だけに、そんな権威と力があるのです! 全能神の御言葉は完全に神のみが持つ権威と身分を現しています。皆さん、全能神の御言葉を聞いて、私たちは心から確信しましたねこれらは全て神によって語られた。神の御声なのです。それらは全て、終わりの日の裁きの働きの際、創造主が表された真理です。私たちの心は神を本当に畏れるようになります。皆さんも全能神の御言葉を聞いて同じように感じませんか? これで明らかに全能神の御言葉と主イエスの御言葉は源が同じだと分かります両方とも同一の霊の表現で同一の神が異なる時代の人類へ語られたのです。終わりの日に、全能神は主イエスの贖いの働きの土台のもとに、神の家から始まる裁きの働きを行われます。人類を救い清めるため真理を全て表し人類の救いのための経営計画の奥義を全て明らかにし各方面の真理の本質をはっきり語られます。こうして私たちは開眼し、確信するのです。全能神の御言葉と働きは、主イエスの預言を全て成就させました全能神が終わりの日の裁きの働きのため語られた全ての御言葉に、私たちは御声を認識し全能神が主イエスの再臨であり、天地万物を造られた唯一の真の神が終わりの日の裁きの働きに来られたと確信します。地上のサタンの支配と、悪と暗闇の時代を終わらせ、地上での神の支配、千年の神の国の時代を開きに来られたのです。こうして、私たちは願い通り天の御国に入れるのです! 皆さん、どうですか? 終わりの日の全能神の働きによって主イエスの預言が全て成就しましたね。

映画『待つ』より引用

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回答: その問題は極めて重要です。終わりの日の神の働きを受け入れ、神の出現を見るには御声の聞き分け方を知らねばなりません。御声を聞き分けるとは、実際は発せられた御言葉を認識することであり、その特徴を認識することです。肉となった神の御言葉も、神の霊の語りかけもすべて高いところから人…

賢明な乙女とは何か。愚かな乙女とは何か。

「賢い乙女」とは、神様の御声を認識して「花婿」の声を聞き分けられ、よってキリストを受け入れて服従することができ、かくして主の再来をお迎えして子羊の婚礼の宴に出席する人のことを言います。

主イエスは天の御国の奥義を弟子たちに語られましたね。主イエスの再臨として、全能神も多くの奥義を明らかにされたのですか。全能神が明かされた奥義を幾つかお話しくださいませんか? 神の御声を聞き分けるのに大きな助けになります。

回答:神が肉になるたびに、多くの真理や奥義を明らかにしてくださいます。これは間違いありません。神は人類を救うために肉になられます。ですから、神は当然、多くの真理を表現し、さらに多くの奥義を明らかにしてくださいます。たとえば、恵みの時代に、受肉の神・主イエスは、説教をして働きながら…