人は名声や利益、衣食住、楽しみのために生きていますが、結局はすべてが無駄になってしまいます。どうすれば有意義で価値ある人生を送れるのか分かりません。

2022年8月14日

関連する神の言葉

人類が社会科学を考案して以来、人の精神は科学と知識に占領されてしまった。それから科学と知識は人類を支配する道具となり、もはや神を礼拝するための充分な余地は人にはなくなり、神を礼拝するための好ましい条件もなくなった。人の心の中で占める神の位置はどこまでも低められた。心の中に神が無いまま、人間の内面世界は暗く、希望も無く、空虚である。そのため、人類の心と精神を満たすために多くの社会科学者や歴史家、政治家が登場し、社会科学の理論や人類進化の理論、神が人を創造したという真理に矛盾するその他の理論を発表した。こうして、神が万物を造ったという真理を信じる人はますます少なくなり、進化論を信じる人の数はさらに増加した。神の働きの記録と旧約聖書の時代の神の言葉を神話や伝説として取り扱う人々はますます多くなっている。人々の心は、神の威厳と偉大さに、神が存在し万物を支配しているという信条に対して無関心になっている。人類の生存、そして国家と民族の運命はもはや人にとって重要ではなく、人は飲食と快楽の追求にしか関心のない虚しい世界に生きている。……神が今日どこで働きを行っているのか、あるいは神が人の終着点をいかに支配し、定めているのかを自らすすんで探し求める人はほとんどいない。こうして、人間の文明は、人間の知らないうちに、ますます人の望みどおりには行かなくなり、こんな世界に生きている自分達はすでに亡くなった人々に比べて不幸せだと感じている人さえ数多くいる。過去に高度の文明を築いた国々の人たちでさえそのような不満をあらわにしている。なぜなら、神の導きなしには、支配者や社会学者が人類の文明を維持するためにどんなに頭を悩ませても何の役にも立たないからである。誰も人の心の中の空洞を埋めることはできない。誰も人のいのちとなることはできず、どのような社会学的理論も人を悩ませる虚しさから人を解放することはできないからである。科学、知識、自由、民主主義、余暇、快適さなどは、人間につかの間の慰めしかもたらさない。これらのものがあっても、人はやはり必然的に罪を犯し、社会の不公正を嘆く。これらのものは、人の探求への渇望や欲求を抑えることはできない。人は神によって造られたからであり、人の無意味な犠牲や探索はさらなる苦悩につながるだけで、人類の将来にどのように向き合うべきか、目の前にある進路にどのように対峙すべきか分からないまま人を常に恐怖に怯えたままにさせるからである。人は科学や知識を恐れるまでになり、空虚感をそれ以上に恐れるようになる。この世であなたが自由な国に住んでいようと、人権のない国に住んでいようと、人類の運命から逃れることは決してできない。あなたが支配者であろうと、被支配者であろうと、人類の運命、奥義、そして終着点を探求したいという願望から逃れることは到底できない。ましてや、途方にくれるほどの空虚感から逃れることなどできない。全人類に共通するこの現象を社会学者は社会現象と呼んでいる。しかし、このような問題を解決できる偉人が現れることはない。人間は結局、人間に過ぎず、神の地位といのちに取って代われる人間はいない。誰もが食べる物があり、平等で自由で公平な社会だけが人類に必要なのではない。人類に必要なのは神の救いと神によるいのちの満たしである。神の救いといのちの満たしを受けて初めて、人間の必要、探究心、そして霊的空虚感が解決されるのである。

『神の出現と働き』「附録2:神は全人類の運命を支配する」(『言葉』第1巻)

神の現われを切望する人々を神は探し求める。神の言葉を聞くことができる人々、神の任務を忘れず、心と体を神に捧げる人々を神は探し求める。神の前で赤子のように従順で、神に抵抗しない人々を神は探し求める。あなたが何の勢力にも妨げられずに神に献身するならば、神はあなたを好意の眼差しを注ぎ、祝福を授ける。たとえあなたが地位が高く、名声があり、知識が豊富で、有り余るほどの資産の持ち主で、多くの人々の支持を得ていたとしても、それらのものが、あなたが神の前に出て神の召命と任務を受け、神の命じることを行う妨げにならないならば、あなたの為すことはすべて地上で最も意義深い行いであり、人類の最も義なる事業となる。もしあなたが地位や自分自身の目標のために神の召命を拒むならば、あなたの為すことはすべて神にのろわれ、さらには忌み嫌われるであろう。あなたは大統領かもしれない、あるいは科学者、牧師、長老かもしれないが、あなたの地位がどんなに高くても、自分の知識と能力を頼りにして事業に着手するならば、あなたは必ず失敗し、必ず神の祝福をのがすことになる。神はあなたの為すことは何も受け入れず、あなたの事業が義であるとは認めず、あなたが人類の益のために働いているとは見なさないからである。あなたの為すことはすべて、人類の知識と力を用いて人から神の保護を奪い去ることだが、それは神の祝福を否定するために行われると神は言う。あなたは人類を暗闇の方向へ、死の方向へ、人が神と神の祝福を失ってしまった終わりなき存在の始まりへ導いていると神は言う。

『神の出現と働き』「附録2:神は全人類の運命を支配する」(『言葉』第1巻)

サタンは名声と利得を用いて人間の思想を支配し、人間が名声と利得しか考えられないようにします。人間は名声と利得のために奮闘し、名声と利得のために苦労し、名声と利得のために恥辱に耐え、持てるすべての物事を犠牲にし、名声と利得のためにすべての判断と決断を下します。このようにして、サタンは目に見えない足かせを人間にかけ、人間にはそれを外す力も勇気もありません。したがって、無意識のうちに人間は足かせをかけられ、大変苦労しながら歩んでゆきます。この名声と利得のために、人類は神を避け、神を裏切り、ますます邪悪になります。このようにして世代を追うごとに人間はサタンの名声と利得の只中で破壊されてゆきます。サタンの行動を検討すると、サタンの邪悪な動機は、極悪非道ではありませんか。あなたがたはいまだに人は名声と利得なくしては生きてゆけないと考えているので、サタンの邪悪な動機を見抜くことができないかも知れません。名声と利得を捨て去ったら、将来が見えなくなり、目標を見失い、将来が暗く陰鬱になってしまうと人は考えています。しかし、ゆっくりとではありますが、名声と利得はサタンが人間を束縛するために用いる非常に重い足かせであると、やがてあなたがた皆が気づく日が来ます。その日が来れば、サタンの支配と、サタンがあなたを束縛するために使う足かせをあなたは徹底的に拒否します。サタンがあなたに吹き込んだあらゆる物事を捨て去りたいと望む時が来ると、あなたはきっぱりサタンと訣別し、サタンがあなたにもたらしたものすべてを心から嫌悪します。その時になって初めて、人は神への真の愛と思慕をもつのです。

『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 I.」(『言葉』第2巻)

正常な人、神への愛を追い求める人として、神の国に入って神の民の一人になることは、あなたがたの真の未来であり、それはこの上ない価値と意義をもつ人生であって、あなたがた以上に祝福されている人はいない。なぜわたしはそう言うのか。それは、神を信じない人は肉のために生き、サタンのために生きているが、今日あなたがたは神のために生き、神の旨を行なうために生きているからである。あなたがたの人生にはこの上ない意義があるとわたしが言うのはそのためである。神によって選ばれたこの人々の集団だけが、この上なく有意義な人生を生きることができる。地上の誰もそのような価値と意義のある人生を生きることはできない。

『神の出現と働き』「神の最新の働きを知り、神の歩みに従え」(『言葉』第1巻)

人が自分の歩んで来た道程を振り返り、旅路のそれぞれの段階を回想すると、その道の苦楽を問わず、人は、それぞれの段階で神が自分の進む道を導き、計画していたことを知ります。人が気付かぬうちに人を今日まで導いてきたのは、神の周到な采配と入念な計画です。創造主による統治を受け容れ、創造主の救いを得ることができるということは、何と幸運なことでしょう! 人が自分の運命に対して消極的な姿勢でいる場合、それは、神が彼らのために用意したあらゆる物事をその人が拒否し、従順な姿勢ではないということを意味します。神による人間の運命の統治に対して、人が能動的な姿勢でいるならば、人が自分の旅路を回顧し、神の統治を真に把握するようになった時、人は神が用意した物事のすべてに従うことを一層真剣に望むようになるとともに、人の運命を神の指揮に委ね、神に反抗することを止めるということに一層強い決断と確信を得るでしょう。運命を把握することもなく、神の統治を理解することもなく、霧の中を敢えて苦労してよろめきながら手探りでさまよった時、旅路は困難で悲痛すぎるものになることが分かります。したがって、人の運命への神の統治を人々が認めた時、賢明な人は、それを知り、受け容れて、自らの手で良い人生を作り上げようとしていた悲痛な日々と訣別することを選び、運命に逆らい、いわゆる「人生の目標」なるものを自らの方法で追い求めることを止めます。神の存在もなく、神を見ることもなく、神の統治をはっきりと認識することもなければ、毎日は無意味で、無価値で、惨めです。どこにいようが、どのような仕事をしようが、人の生き方と目標への追求は終わりのない悲しみと深刻な苦痛しかもたらさず、回想するに堪えないものになります。創造主の統治を受け容れて、その指揮と采配に従い、真の人生を求めて初めて、人は徐々にすべての悲しみや苦痛から解き放たれ、人生の虚無感を払拭できるのです。

『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 III.」(『言葉』第2巻)

ヨブは価値ある人生を送ったでしょうか。その価値はどこにあったでしょうか。ヨブは価値ある人生を送ったと言われるのはなぜでしょうか。人間にとって、ヨブの価値とは何でしょうか。人間の観点から言うと、サタンと世の人々の前で鳴り響くような証しを神に行なったという点で、ヨブは神が救いたいと願う人間を代表していました。ヨブは被造物が尽くすべき本分を尽くし、神が救いたいと願うすべての人の見本となり、その模範として振る舞いました。そうすることで、神にすがってサタンに打ち勝つことは間違いなく可能だと、人々がわかるようにしたのです。神にとってのヨブの価値は何だったでしょうか。神にとってヨブの人生の価値は、神を畏れ、崇拝し、神の業を証しし、神の業を称え、神に慰めと喜びをもたらせたことにありました。そして、ヨブは死を迎える前に試練を経験してサタンに勝利し、サタンと世の人々の前で鳴り響くような証しを神に行ない、それによって神は人類の中にあって栄光を得て、神の心は慰められ、熱意に満ちた神の心に一つの結末と希望を見せたのですが、それもまた神にとってのヨブの人生の価値でした。ヨブの証しは、人類を経営する神の働きの中で、人が固く立って神の証しをできることの前例となり、また人が神に代わってサタンを辱められることの前例となりました。これがヨブの人生の価値ではないでしょうか。ヨブは神の心に慰めをもたらし、栄光を得ることの喜びを前もって味わわせるとともに、神の経営計画が素晴らしいスタートを切れるようにしました。このとき以降、ヨブの名は、神が栄光を得たことの象徴となり、サタンに対する人類の勝利の象徴となりました。ヨブがその生涯において生きた物事、そしてサタンに対する勝利は神によって永遠に尊ばれ、またヨブの完全さ、正しさ、神に対する畏れは後の時代に尊ばれ、模範となるでしょう。ヨブは傷のない輝く真珠のように、神に尊ばれるでしょう。そして人間にとっても、ヨブは尊ばれるに値する人なのです。

『神を知ることについて』「神の働き、神の性質、そして神自身 II.」(『言葉』第2巻)

人間は意味のある人生を生きることを追い求めなければならず、現状に満足していてはならない。ペテロの姿を生きるには、ペテロの認識と経験を備えていなければならない。人間は、より高く、より深遠な物事を追求しなければならない。神に対するいっそう深く純粋な愛と、価値ある有意義な人生を追い求めなければならない。これだけが人生であり、そうして初めて、人はペテロと同じようになれる。あなたは、肯定的な側面へ入ることに対して積極的になることに重点を置くべきであり、一時的快楽のために、さらに深遠で、具体的で、実践的な真理を無視しつつ、誰かに追随して引き下がっていてはならない。あなたの愛は実践的でなければならず、獣同然の堕落した気楽な生活から抜け出す方法を、あなたは見出すべきである。意味のある人生、価値のある人生を生きるべきであり、自分をごまかしたり、自分の人生を玩具のように弄んだりしてはならない。神を愛することを目指すすべての者にとって、獲得することのできない真理はなく、揺るぎなく立つことができない正義はない。あなたは、どのようにして自分の人生を生きるべきだろうか。どのように神を愛し、その愛を用いて神の願いを満足させるべきだろうか。あなたの人生において、これより重要なことはない。あなたは何にも増して、そうした大志と根気を持っていなければならず、気骨のない者、意志の弱い者のようであってはならない。あなたは有意義な人生を経験する方法を知り、有意義な真理を経験しなければならず、自分自身をそのようにいいかげんに扱ってはならない。あなたの人生は、気付かぬうちに過ぎてゆく。その後、あなたに神を愛する機会がもう一度あるだろうか。人は、死後に神を愛することができるだろうか。あなたは、ペテロと同様の熱意と良心を持っていなければならない。あなたの人生は有意義であるべきで、自分を弄んではならない。人間として、また神を追い求める者として、あなたは自分の人生をどのように扱うのか、どのようにして自分自身を神に捧げるべきなのか、どのようにしてもっと有意義な神への信仰を持つべきなのか、そして、神を愛している以上、どのようにしていっそう清く、いっそう美しく、いっそう好ましく神を愛するべきなのかを慎重に考慮することができなければならない。……あなたは真理のために苦難を受け、真理に自分を捧げ、真理のために恥辱を忍ばねばならず、またより多くの真理を得るために、さらに多くの苦難を受けなければならない。これこそがあなたのなすべきことである。あなたは平穏な家庭生活のために真理を投げ捨ててはならず、一時的な享楽のために、自分の一生の尊厳や人格を失ってはならない。あなたは、美しく素晴らしいすべてのこと、またいっそう有意義な人生の道を追求すべきである。このような俗悪な生活を送り、何の目的も追い求めないのであれば、あなたは人生を無駄にしているのではないか。そのような人生から何が得られるのか。あなたは、真理のために肉の享楽をすべて捨て去るべきであり、わずかばかりの享楽のためにすべての真理を投げ捨ててはならない。このような人には品位も尊厳もなく、その存在には何の意味もない。

『神の出現と働き』「ペテロの経験――刑罰と裁きに関するペテロの認識」(『言葉』第1巻)

あなたは被造物であり、もちろん神を崇拝し、意味のある人生を送るべきである。神を崇拝せず、汚れた肉体のうちに生きるならば、人間の衣装を身に着けた獣にすぎないのではないか。あなたは人間であるから、神のために費やし、すべての苦しみに耐えるべきである。喜んで、確実に、今日直面している小さな苦しみを受け入れ、ヨブやペテロのように意味のある人生を送るべきである。この世で人は悪魔の服をまとい、悪魔が与える食べ物を食べ、悪魔の言いなりになって働き、仕え、汚濁の中ですっかり踏みにじられる。あなたが人生の意味を把握せず、また真の道を自分のものにしないならば、このように生きることに何の意義があるのか。あなたがたは正しい道を追求する人、向上を求める人である。あなたがたは赤い大きな竜のいる国で立ち上がり、神が義なる者と呼ぶ人である。これは最も意味のある人生ではないのか。

『神の出現と働き』「実践(2)」(『言葉』第1巻)

人生観、生存の意義、および生存の基盤がすっかり変わり、骨の髄まで変化して別人になる日が来るまで人が経験するとき、それは驚くべきことではないですか。まさに驚天動地の巨大な変化です。この世の名声、富、地位、金銭、悦楽、権力、栄誉に無関心になり、それらをわけなく捨て去ることができるようになって初めて、人間らしさを得ます。最後に完全なものにされるのはこのような人たちです。彼らは真理のため、神のため、そして正しいことのために生きます。それが真の人間らしさです。

『終わりの日のキリスト講話集』の「人の本性には類似点と相違点があることを認識しなければなりません」より

真に神を愛する者だけが最も価値ある意義深い人生を送ることができる理由、彼らだけが真に神を信じている理由は、彼らが神の光の中に生きることができ、神の働きと経営のために生きることができるということにある。闇の中に生きるのではなく、光の中に生き、無意味な生を生きるのではなく、神の祝福を受けた生を生きているためである。神を愛する者だけが神を証しでき、彼らだけが神の証人であり、彼らだけが神に祝福され、彼らだけが神の約束を受ける。神を愛する者は神の知己であり、神に愛され、神と共に幸福を享受できる。このような人々だけが永遠に生き続け、このような人々だけが永遠に神の配慮と加護の下に生きるのである。神は人々が愛するべき存在であり、万人に愛されるにふさわしい存在だが、すべての人々が神を愛せるわけではなく、すべての人々が神を証しして神と共に力をもつわけでもない。真に神を愛する者は、神を証しできるため、そしてすべての努力を神の働きに捧げることができるため、彼らに敢えて敵対しようとする者はおらず、彼らは天の下のあらゆる場所を歩くことができ、地において力を振るい、神の民を一人残らず支配することができる。こうした人々は世界中から集まってくる。話す言葉は違い、肌の色も異なっているが、その存在は同じ意味をもっている。彼らには神を愛する心があり、みな同じ証しをし、同じ決意をもち、同じことを願っている。神を愛する者は世界中を自由に歩くことができ、神を証しする者は全宇宙を旅することができる。こうした人々が神に愛され、神の祝福を受け、永遠に神の光の中に生きるのである。

『神の出現と働き』「神を愛する人は永遠に神の光の中に生きる」(『言葉』第1巻)

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