質問3.私達は、何年も主を信仰し、主のために働き、沢山苦労もしてきました。主イエスの御名を否定したり、裏切りもしていません。主の約束によると、私達は見捨てられてはいません。主が再来したら私達が先に天国へ招かれるはずなのに、なぜあなた方が先なのです?納得できません!終わりの日の全能神の働きを受け入れないと、本当に天国に入れないのですか?その点をきちんと確認したいのですが、どう説明なさるのですか?

2019年4月1日

解答: この疑問には、簡単に説明がつきます。全能神の言葉には、真理があり、人を清めて救うという事がわかっていても、受け入れない人がいます。自分の思い込みと想像にしがみついて、主イエスの御名を守り、主のために働き犠牲を払えば、天国に入れると考えています。これはどういう人たちでしょう?要するに、彼らは真理を愛さない、受け入れもしない未信者です!信者なら自分で道を選びます。神は強制しません。働きの新しい段階になると神は真理を示し、どう生きるべきかを語るのだという事を理解すべきです。特に終わりの日の神の裁きの働きについては、人類の救いにおいて、最も重要なことです。御言葉による裁きと刑罰を受けなければなりません。自分の本性と本質や、サタンの性質や、神の義なる性質を知るためです。そこで初めて真理を知り自分の物になり、サタンの性質が清められるのです。これが救われて天国に入る唯一の道です。終わりの日の神様の裁きの働きを拒むと、真理は理解できないし、罪からも解放されません、天国に入る資格はありません。主のためにどれほど働いたとしても、苦労し多大な犠牲を払ったとしても、主には褒めていただけません。

 全能神の言葉を読みましょう。「終わりの日のキリストはいのちをもたらし、変わることなく永遠に続く真理の道をもたらす。この真理を通して人はいのちを得ることができ、この真理を通してのみ、人が神を知り神に良しと認めてもらうことができる。あなたが終わりの日のキリストが与えるいのちの道を求めないのなら、あなたは決してイエスに良しと認めてもらうことはできず、天の国の門をくぐる資格を得ることはない。なぜなら、あなたは歴史の操り人形であり歴史に囚われた人だからだ。規則や文字に支配され、歴史に束縛される者は、決していのちを得ることはなく、永遠のいのちの道を得ることはない。なぜなら、彼らが持っているのは、玉座から流れるいのちの水ではなく、彼らが何千年もしがみついてきた汚水でしかないからだ。いのちの水を与えられない者は永遠に死体であり、サタンのおもちゃであり、地獄の子である。そのような者がどうして神に会うことができようか。」(『神の出現と働き』「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」〔『言葉』第1巻〕)

 「キリストが語る真理に依り頼むことなくいのちを得ることを望む者は、地上で最も愚か者であり、キリストがもたらすいのちの道を受け入れない者は幻想の世界で迷子になった者だ。だから、終わりの日のキリストを受け入れない者は神から永遠に嫌われるとわたしは言う。キリストは、終わりの日に神の国への門となる存在であり、誰も迂回することはできない。キリストを通してでなければ、誰も神に完全にしてもらうことはできない。あなたは神を信じているのだから、神の言葉を受け入れ、神が用意する道を受け入れなくてはならない。真理を受け取ったり、いのちの供給を受け入れることなく、祝福だけを得ようと考えたりすべきではない。キリストは、彼を真に信じる者にいのちを与えるために終わりの日にくる。神の働きは、古い時代を終わらせ新しい時代に入るためのもので、新しい時代に入る人が必ず進まなければならない道だ。あなたが彼を認めず、彼を非難したり、冒涜したり、さらに迫害したりするなら、あなたは永遠に火で焼かれなければならず、神の国には決して入れない。このキリストこそ、聖霊の現れであり、神の顕現であり、神が地上での業を託した者だからだ。だから、あなたが終わりの日のキリストがする全てのことを受け入れられないなら、あなたは聖霊を冒涜しているとわたしは言うのだ。聖霊を冒涜する者が受けなければならない報いは、誰の目にも明らかだ。そして、あなたが終わりの日のキリストに敵対し、拒むなら、誰もその結末をあなたに代わって引き受けることはできないともわたしは言おう。さらに、これから先、あなたが神に認めてもらう機会はない。たとえあなたが自らの罪を償おうとしても、あなたが神の顔を拝することは二度とない。なぜなら、あなたが敵対したのは人ではなく、あなたが拒んだのは卑小な存在ではなく、他でもないキリストだからだ。あなたはこの結末に気づいているのか。あなたが犯したのは小さな過ちではなく、重罪だ。だから、全ての人に忠告する。真理の前に牙をむき出したり、軽率に批判したりすることのないように。あなたにいのちを与えるのは真理以外にはなく、あなたを生まれ変わらせ、神の顔を仰ぐことができるようにしてくれるものは、真理以外にはないからだ。」(『神の出現と働き』「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」〔『言葉』第1巻〕)

 「わたしは既に、あなたがたに言うべきことを全て言った。あなたがたがどの道を選ぶのか、それはあなたがたの決断次第だ。あなたがたは次のことを理解しなければならない。神の働きは、神についていけない者のために待ってくれることはなく、神の義なる性質は、誰にも哀れみをかけない。」(『神の出現と働き』「キリストは真理をもって裁きの働きを行う」〔『言葉』第1巻〕)

 これでみなさんも主イエスが、本当に戻られたことがおわかりですね。全能神は神の家から始まる裁きの働きをされています。これは宗教界全体を明らかにされたのです!宗教界はいまや荒廃が進み、暴きたてられていますが、誰もがふさわしい場所を与えられます。神がひそかになさる働きはさすがですね。人にこのような偉大な事ができますか?全能神が終わりの日に真理を示す裁きの働きは、人を明らかにし、誰が小麦で、誰が毒麦で、誰が賢いおとめで、誰が愚かなおとめであるかを明確にされます。終わりの日の全能神の裁きの働きを受け入れた者は賢いおとめで、神の御座の前に挙げられ、御言葉による裁きと清めを受け、真理を知り自分の物にして、神を本当に理解できるようになります。サタンの性質とサタンの影響から解放され、神に完全にされて、最後に勝利者になるのです。神に造られた勝利者達は、御国を神と共に支配し、御国の柱となるのです。そして預言が成就します。「勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。彼は決して二度と外へ出ることはない。そして彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、天とわたしの神のみもとから下ってくる新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを、書きつけよう。」(ヨハネの黙示録 3:12)神がこの勝利者を造るとき、受肉による神の家から始まる裁きの働きは、終わりを迎え、大災害を呼び、悪を罰し善に報います。全能神に逆らって非難した者は千年に一度の大災害で罰せられることになるでしょう。神の御心により清められ、完全にされた者は神に守られ生き残るのです。神の御国に入り、約束通りに祝福を受け、次に述べる預言が成就します。「この世の国は、われらの主とそのキリストとの国となった。主は世々限りなく支配なさるであろう。」(ヨハネの黙示録 11:15)「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである。」(ヨハネの黙示録 21:3‐4)全能神の言葉を少し読みましょう。

 「人類がみな本来の姿を回復し、それぞれ自分の本分を尽くし、自分の立場を守り、神のすべての定めに従うことができたら、神が地上で一団の、自身を礼拝する人たちを得、自身を礼拝する国を打ち立てたことになる。神は地上で永遠の勝利を得、自身に敵対する者たちは永遠に滅びる。これは神が最初に人を造った時の意図を回復し、神が万物を造った意図を回復し、地上での神の権威、万物の中での神の権威、敵の間での神の権威をも回復したことになる。これらは神が完全に勝利を得たことのしるしである。その後人類は安息に入り、正しい軌道に乗った生活に入る。神も人との永遠の安息に入り、神と人が共有する永遠の生活に入る。地上の汚れと不従順は消え、地上の嘆き悲しみも消える。神に敵対する地上のあらゆるものも存在しなくなる。神と神に救われた人たちだけが残り、神の創造物だけが残る。」(『神の出現と働き』「神と人は共に安息へと入る」〔『言葉』第1巻〕)

 「わたしの言葉が完成するにつれて、わたしの国は徐々に地に形を現し、人間は次第に正常に戻り、そうして、地上にわたしの心の国が築かれる。その国では、神の民全員が正常な人間の生活を取り戻す。凍える冬は去り、春の訪れた町々の世界となり、一年中春が続く。もはや人々は暗く惨めな人間世界に臨まない。もはや人間世界の凍える寒さを耐えることがない。人々は互いに戦うことなく、国々は互いに戦争を仕掛けることがない。もはや大虐殺が行われて血が流されることはない。地はすべて幸福に満たされ、どこも人と人とのぬくもりが満ちる。」(『神の出現と働き』「全宇宙への神の言葉、第二十章」〔『言葉』第1巻〕)

 「そのような生活は地上における人の未来の生活であり、地上で最も美しい生活で、人が待ち焦がれている生活で、世界史上人が決して達成したことのない生活である。それは六千年の経営の働きの最終的結果で、人類が最もあこがれる、神が人に約束したものでもある。しかし、この約束は直ちには実現されない。終わりの日の働きが完成され、人が完全に征服され、つまり、サタンが完全に敗北して初めて、人は未来の終着点に入るのである。人は練られた後、罪のない性質になる。なぜなら、神はサタンを打ち負かしたので、敵対する勢力の侵略はなく、敵対する勢力による人の肉への攻撃がなくなるからである。そして、人は自由になり、聖くなり──永遠へと入ったことになる。」(『神の出現と働き』「人間の正常な生活を回復し、素晴らしい終着点へと導き入れる」〔『言葉』第1巻〕)

『夢からの目覚め』の映画台本から

前へ: 私達は長年主を信仰してきました。私達は説教して主のために働き苦労も多いのですが、相も変わらず嘘をつき欺きだまそうとします。毎日自己弁護に追われているし、よく横柄になり我を通し見栄を張り、人に恩着せがましくしたりします。私達は罪を犯し懺悔を繰り、返し肉の束縛から逃れることができません。主の言葉を経験するとか実行することはありません。私達は主の言葉にある現実に生きていません。こんな私達が天の国に招かれますか? どんなに罪を犯し肉に束縛されても主は私達を罪のない者と見てくださると言う人もいます。パウロの言葉にそうあるからです。「終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである」(コリント人への第一の手紙 15:51-52)。主が見えたとき瞬時に私達の姿を変え天の国に連れて行ってくださると思ってます。信仰があり救われていてもしょっちゅう罪を犯す者は天の国に入る資格はないと信じています。これは主イエスの言葉にあるからです。「わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである」(マタイによる福音書 7:21)。「……わたしは聖なる者であるから、あなたがたは聖なる者とならなければならない」(レビ記 11:45)。

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