神の出現を待ち望むすべての人を歓迎します!
モバイルアプリ
日本語
神の国降臨の福音
ホーム
書籍
終わりの日のキリストが語る言葉
福音関連書籍
いのちの入りについての書籍
経験に基づく証し
動画
全能神の言葉の朗読
『神の出現と働き』朗読シリーズ
『神を知ることについて』朗読シリーズ
日々の神の御言葉朗読シリーズ
福音映画
宗教迫害の映画
教会生活の証し
いのちの経験の証し
説教シリーズ:真の信仰を探求する
音楽動画
歌とダンス
合唱団動画シリーズ
教会生活――バラエティー作品シリ-ズ
讃美歌動画
真実を明らかにする
映画ハイライト集
合唱作品ハイライト
讃美歌
朗読
日々の神の御言葉:神を知る
日々の神の御言葉:クリスチャンの生活
神の三段階の働き
神の出現と働き
終わりの日における裁き
受肉
神の働きを認識する
神の性質、および神が所有するものと神そのもの
聖書にまつわる奥義
宗教的観念を暴く
人類の堕落を暴く
いのちへの入り
終着点と結末
『神の出現と働き』(選集)
『神を知ることについて』(選集)
福音
福音に関する20種類の真理
神の受肉
終わりの日の裁き
神の三段階の働き
さらなる福音の真理
福音と神の御言葉を探求する
神を知る道
説教記事一覧
福音 Q&A
霧を吹き払って真理の光を見る
サタンの策略を見破る
噂を直接論破する
証し
いのちの経験の証し
迫害の証し
神に立ち返った人の証し
主の再臨を迎える
霊の戦い
信仰ガイド
霊的混乱の解消
日々のデボーション
信仰と人生
絵画展
私たちについて
フィルタ
検索する
モバイルアプリ
戻る
言語
國度降臨福音網
国度降临福音网
بشارة جيل الملكوت
EVANGELIUM DES HERABKOMMENS DES KÖNIGREICHS
ΕΥΑΓΓΕΛΙΟ ΤΟΥ ΕΡΧΟΜΟΥ ΤΗΣ ΒΑΣΙΛΕΙΑΣ
GOSPEL OF THE DESCENT OF THE KINGDOM
Evangelio del Descenso del Reino
L'ÉVANGILE DE LA DESCENTE DU RÈGNE
בשורת ירידת המלכות
राज्य के अवरोहण का सुसमाचार
Kilat dari Timur
VANGELO DELLA DISCESA DEL REGNO
神の国降臨の福音
ដំណឹងល្អអំពីការចុះមកនៃនគរព្រះ
하나님 나라 강림 복음사이트
ພຣະກິດຕິຄຸນແຫ່ງການລົງມາຂອງອານາຈັກ
Хаанчлалын Ирэлтийн Сайн Мэдээ
နိုင်ငံတော်သက်ဆင်းကြွရောက်ခြင်း၏ ဧဝံဂေလိတရားတော်
राज्य अवरोहणको सुसमाचार
EVANGELIE VAN DE KOMST VAN HET KONINKRIJK
EWANGELIA O ZSTĄPIENIU KRÓLESTWA
EVANGELHO DA DESCIDA DO REINO
EVANGHELIA POGORÂRII ÎMPĂRĂȚEI
ЕВАНГЕЛИЕ СОШЕСТВИЯ ЦАРСТВА
EVANGELIET OM RIKETS NEDSTIGANDE
INJILI YA KUSHUKA KWA UFALME
EBANGHELYO NG PAGBABA NG KAHARIAN
ข่าวประเสริฐแห่งการเคลื่อนลงสถิตของราชอาณาจักร
PHÚC ÂM VỀ SỰ HIỆN XUỐNG CỦA VƯƠNG QUỐC
IVANGELI LOKUFIKA KOMBUSO
終わりの日のキリストが語る言葉
神の出現と働き
神を知ることについて
裁きが神の家から始まる
全能神、終わりの日のキリストの重要な言葉
日々の神の御言葉
福音関連書籍
神の三つの段階の働きの実録精選
神の羊は神の御声を聞く
神の声を聞き、神の出現を見る
神の国の福音に関する重要な質問と解答
経験に基づく証し
キリストの裁きの座の前における経験の証し
私が如何に全能神に立ち返ったか
いのちの入りについての書籍
小羊に従って新しい歌を歌おう
リセット
検索する
ホーム
福音
福音 Q&A
目次
主の到来の方法
引き上げられること
神の声を聞き分ける方法
天国に入るための条件
神の御名
終わりの日における神の裁きの働き
受肉の真理
救いと完全な救い
永遠のいのちの道
終わりの日における神の働きの場所
聖書の内幕
真の道と偽りの道を見分ける
真のキリストと偽キリストを見分ける
神の働きと言葉と、人の働きと言葉の違いを見極める
神に従うことと人に従うことの違いを見極める
聖霊の働きと悪霊の働きの違いを見極める
パリサイ人の本質を分析する
真の道はなぜ迫害を受けるのか
中国共産党の噂と誤謬に反論する
三位一体
神への信仰
霊の戦い
クリスチャンのデボーションと生活
真理を実践する
神の義なる性質を知る
人間の結末と終着点
その他のカテゴリー
天国に入るための条件
目次
1
終わりの日における神の働きはなぜ霊を通して行われないのか。神はなぜ肉において働きを行うようになったのか。
2
私達は長年主を信仰してきました。私達は説教して主のために働き苦労も多いのですが、相も変わらず嘘をつき欺きだまそうとします。毎日自己弁護に追われているし、よく横柄になり我を通し見栄を張り、人に恩着せがましくしたりします。私達は罪を犯し懺悔を繰り、返し肉の束縛から逃れることができません。主の言葉を経験するとか実行することはありません。私達は主の言葉にある現実に生きていません。こんな私達が天の国に招かれますか? どんなに罪を犯し肉に束縛されても主は私達を罪のない者と見てくださると言う人もいます。パウロの言葉にそうあるからです。「終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである」(コリント人への第一の手紙 15:51-52)。主が見えたとき瞬時に私達の姿を変え天の国に連れて行ってくださると思ってます。信仰があり救われていてもしょっちゅう罪を犯す者は天の国に入る資格はないと信じています。これは主イエスの言葉にあるからです。「わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである」(マタイによる福音書 7:21)。「……わたしは聖なる者であるから、あなたがたは聖なる者とならなければならない」(レビ記 11:45)。
3
質問2.もう何年も主を信じてきましたが、謙虚に、人に寛容で、兄弟姉妹を愛し、主のために奉仕して働いてパウロの例に従う限り、主に服従していることになり、主が戻られたときに天の国に引き上げられると誰もが思っています。パウロは言った「わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。……」(テモテヘの第二の手紙 4:7-8)しかし、主を信じるには終わりの日における全能神の裁きを受けなければならず、清められてはじめて、神の賞賛を得て天国へと入ることができると証されました。疑問です、これまで何年も主を信仰してきた私たちでも、終わりの日における全能神の裁きの働きを受けずには、天国へ行けないのでしょうか?
4
私たちは長い間主を信じてきて、主の御名を支えてきたわ。普段から聖書を読み、祈り、主に私たちの罪を告白してきたじゃない。謙虚で、寛容で、他人を愛していて、慈善活動を行い、寄付を施し、全てを犠牲にして主のために働いて、主に証するために福音を広めているわ。私たちは主の言葉を適用し、主の道にしたがっていないって言うの? 主への現実的な信仰は持ったこともなく、実は不信心者だったなんて、どうしてそんなことが言えるのよ? 聖書でパウロはこう言ったわ。「わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである……」(テモテヘの第二の手紙 4:7-8)。だから私たちの信仰は主の賞賛を得るはずじゃないの。主が来られたら、確実に私たちを天国へと引き上げて下さるわ。
5
主イエスは私達のために十字架の上で亡くなったのだと思っていました。罪を贖い赦してくださったのだと。再び罪を犯しても、まだ清められていなくても、主に全ての罪を赦してもらい、信仰すれば良いのだと。主のために犠牲を払って奉仕し辛酸を舐め代価を払えば、天国に招かれると思っていました。それが主の約束であると。ただその信念に疑いを持つ兄弟姉妹もいるのです。主のために奉仕してもしばしば罪を犯して懺悔しますので、清められていません。主は聖なるものですから、汚れた人間は主に会うことはできません。お聞きしたいのは主のために犠牲を払ってきても、本当に天国に招かれるのですか? 本当にわからないのです。教えていただけますか。
6
質問3.私達は、何年も主を信仰し、主のために働き、沢山苦労もしてきました。主イエスの御名を否定したり、裏切りもしていません。主の約束によると、私達は見捨てられてはいません。主が再来したら私達が先に天国へ招かれるはずなのに、なぜあなた方が先なのです?納得できません!終わりの日の全能神の働きを受け入れないと、本当に天国に入れないのですか?その点をきちんと確認したいのですが、どう説明なさるのですか?
7
長年主イエスを信じ、熱心に自分を費やし、ひたすら働いてきた人たちは、主のために多くの苦しみを受けてきた。それは、終わりの日における全能神の働きを受け入れないせいで、救いと天国への入りを拒まれるということなのか。
8
私たちはみな長年主を信じて、パウロの例にならって主に仕えてきました。主の御名と主の道に忠実でした私たちには義の冠が待っているはずです。今日、私達は懸命に主に仕え、目を覚まして再臨を待ってさえいれば、天の御国に入れるのです。聖書にあるように、「わたしを待ち望む者は恥をこうむることがない」(イザヤ書 49:23)。私たちは主の約束を信じています。主は再臨の時、必ず私たちを天の御国に招いてくださいます。このような信仰実践が間違っているでしょうか?
9
主イエスは慈悲深く愛に満ちた神である。自分たちが主イエスの御名を掲げて主の道を守る限り、再臨した主は自分たちを見捨てず、天国に直接引き上げてくださると私たちは信じているが、このような信仰は正しくないのか。
10
もう何年も主を信じてきましたが、謙遜な態度で人に寛容で、兄弟姉妹を愛し、主のために奉仕して働いてパウロの例に従う限り、主に服従していることになり、主が戻られたときに天の国に引き上げられると誰もが思っています。パウロが言ったように、「わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである……」(テモテヘの第二の手紙 4:7-8)。しかしあなたがたは、主を信じるには、終わりの日における全能神の裁きを受けなければならず、清められてはじめて神様の賞賛を得て、天国へと入ることができると証されました。お聞きしたいのですが、これまで何年も主を信仰し、主に仕え働いてきた私たちでも、終わりの日における全能神の裁きの働きを受けずには天国へ行けないのでしょうか?
目次