22. 「虎の穴」からの脱出

中国 小優

私の名前は小優と言います。現在26歳です。以前はカトリック教徒でした。幼いころは母と一緒に教会へ出かけ、ミサに参列したり、聖書を読んだり、懺悔をしたり、聖体を拝領したりしたものです。母はとても信仰熱心で、食品や様々なものをよく家から持ち出して教会に寄贈し、献金もしていました。教会の指導者や修道女は母を特に気に入っていました。母を見ると笑顔で挨拶し、心から気遣う態度を示すとともに、電話をかけて教会の各種の行事に参加するようお願いしたり、さまざまな仕事を手伝ってほしいと頼んだりすることもよくありました。私も修道女が教えるクラスに積極的に参加しし、教会の友だちと一緒に聖書を読んだものです。あのころは、主が自分のそばにいらっしゃる喜びと安らぎを感じ、毎日が幸せでした。しかし時が経つにつれ、教会の友だちの信仰は日に日に冷めていきました。私の霊も弱くなり、主の教えを守ることができなくなりました。頻繁に罪を犯しては懺悔し、結婚後は仕事のため、夫とともに別の地域へ引っ越しました。

瞬く間に2013年のクリスマスが訪れ、私は全能神教会に所属する1人の姉妹と出会う幸運に恵まれました。彼女は、主イエスがすでに再臨なさり、働きの新たな段階を行なわれていると教えてくれました。私はこれを聞いて驚き、胸を躍らせながら「本当に?主が再臨されたんですね!いつ再臨されたのですか?いまどこにいいらっしゃるんですか?姉妹、いますぐ教えてください」と言いました。すると姉妹はこう教えを説いてくれたのです。「全能神は再臨された主イエスでいらっしゃいます。全能神は数百万もの御言葉を表わし、終わりの日における裁きの働きをなさっています。そして神が人類を救うためになさる3段階の働き、受肉の奥義、聖書の奥義、神の御名の意義、人類の結末と終着点など、人類を清めて救うことができるすべての真理を明らかになさいました。これは主イエスがおっしゃった次の御言葉を成就するものです。『わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう(ヨハネによる福音書 16:12-13)。」私はこの姉妹が説く教えに熱心に耳を傾け、「主の再臨をお迎えできるなんて思いもしなかったわ。なんて素晴らしいことなの」と思いました。それから姉妹は、神の3段階の働きと、神の御名の意義について私に証しをしてくれましたが、私が理解できないかもしれないと考え、比喩と例えを織り交ぜてくれました。姉妹が丹念に教えを説いてくれたので、私はすっきり明瞭に理解することができました。姉妹が説く教えを通じて、それまで理解していなかった多くの真理を理解するようになったのです。また、主は人を裁き、罰し、清め、完全にする働きをなさるべく再臨されたことも学びました。私は、全能神は本当に再臨された主イエスに違いないと感じ、終わりの日における神の働きについて調べたいとこの姉妹に言いました。それからというもの、私は兄弟姉妹との集まりに出て一緒に神の御言葉を読み、賛美歌を歌い、神を讃えて踊りました。神の御言葉を読んでいて理解できない箇所があると、兄弟姉妹は必ずそれについてわざわざ教えを説いてくれました。彼らが説く教えには聖霊の啓きと光があり、私は彼らとの集まりに出ることで、聖霊の働きによる喜びを再び享受できるようになりました。そうしてとてつもない幸せを感じたのです。全能神教会というこの大家族の中に、身分の高低や貧富による区別はありません。兄弟姉妹はみな互いに打ち明け合い、心の中で思っていることを常に口に出します。幸せに生きるとはまさにこのことだと、私は実感したものです。1ヵ月以上にわたって調べた結果、私は全能神の御言葉を数多く読み、全能神が再臨された主イエスでいらっしゃることを確信しました。自分はとても幸運だと感じると同時に、このよき知らせを母や教会の友だちにも伝えたいと思いました。

春節の際、私は夫と帰省しました。そして家に着くとすぐ、全能神の終わりの日の働きを母に証ししました。しかし、私が何を言っても母はそれを受け入れませんでした。私は少しがっかりすると同時に、とても困惑しました。「明らかに、全能神は再臨された主イエスでいらっしゃるのよ。どうしてそれを受け入れられないのかしら」。母が受け入れようとしないのを見て、私はこの話をやめるしかありませんでした。やがて帰省の時期が終わり、私は働いている場所に戻りました。そして兄弟姉妹との集まりに出て、教会の本分を尽くしました。そうしていると霊に喜びが満ち溢れ、私の生活はたとえようのない幸福と喜びでいっぱいでした。そして私はヨブに関する神の御言葉を読みました。試練のさなか、ヨブは全財産と息子や娘を残らず失い、身体が腫れ物に覆われましたが、それでも神の御名を讃え、神を真に信じることができたのです。またアブラハムについての話もあります。アブラハムは一人息子のイサクを捧げ、神にお返ししました。これらの話を読んだ私は神に対する二人の信仰と服従にとても感動し、自分もこのような人になりたいと思いました。

私が神の愛に浸っていたまさにそのとき、生活が突如悪夢に変わりました。2014年8月のある日、母から電話があり、私の娘が重病だと出し抜けに言ったのです。それを聞いて心臓が激しく鼓動し、「娘はまだ幼いのに、重病だなんてどういうこと?」と思いました。娘のことが心配で、つらくて仕方ありません。そこで神の御前に出てこう祈りました。「ああ神よ、この状況が私に降りかかったのはあなたのお許しによるものです。娘の病気はあなたの御手の中にあります。私は喜んで娘をあなたの御手に委ねます。どうか真の信仰をお与えください」。その後、心が少し落ち着きました。それから夫と一緒に故郷の我が家へ急いで戻りました。ところが家に着くと、娘がベッドですやすや眠っているのを見てすっかり驚きました。娘を起こそうとしたところ、母が手でそれを制し、厳しい口調で、「起こさないで。この子は大丈夫よ!」と言いました。そのとき初めて、親戚が家に集まっていることに気づきました。そして、全能神を信じるのをやめさせようと、母が私を騙して帰省させたのだとわかりました。私は「今日、神はこの状況を私のために整えられた。そこには経験すべき何かがあるに違いない」と考え、「お母さん、娘は大丈夫よ。どうして私を騙して帰省させたの?」と訊きました。すると私が話し終わらないうちに、母は激怒して叫ぶようにこう言いました。「教会に行って祭司や教会の指導者に尋ねたの。すると、東方閃電は危険な存在で、いったん加わったら二度と離れられないと言われたわ。あんなのもう信じちゃだめ。あなたのためにこうしたのよ。あなたが間違った道を歩んでしまったんじゃないかと心配だから」。さらに母は、宗教界がでっち上げた全能神教会に関する噂や中傷を繰り返しました。母の言葉を聞きながら、私はこう考えました。「私の信仰はまったく間違っていない。それどころか、神の新しい働きに歩調を合わせているのよ。私が信じている全能神は再臨された主イエスでいらっしゃって、いまは人を裁き、罰し、清める働きをなさっている。これが真の道なのは絶対に確かだわ。だったら、どうしてそれを捨てるっていうの?祭司や教会の指導者たちが『東方閃電を信じてその教会に加わったら決して離れられない』と言うのは、人を騙すための噂と嘘に過ぎない。私は全能神教会の集まりに出て半年以上になるけれど、そのことについてあなたたちよりよく知っている。全能神教会の扉はいつも開かれているし、離れることを選ぶのも自由。祭司や教会の指導者が言うこととは全然違うのよ。。兄弟姉妹は神の御言葉を読むことで真の道について確信をもち、いのちの糧を得て、いのちの水が湧く泉を見つけている。だからこそ、教会を教会を離れようとは思わないのよ。全能神の御言葉を読むことにより、私たちの霊は満足している。荒廃して不毛な以前の教会に誰が戻りたいっていうの?祭司や教会の指導者は全能神の終わりの日の働きについて一切調べていない。全能神の御言葉を読んだこともないし、そのうえ全能神教会の集まりに参加したこともない。彼らの主張は何に基いているのかしら?何の根拠もない噂をでっち上げているだけじゃないの?」私が黙っているのを見た母は怒り心頭でつかつかと私に近づき、二、三度平手打ちしました。そして神を裏切る言葉を私に言わせようとしました母がこんな風になるのを見て、私はとても悲しくなりました。祭司や教会の指導者がでっち上げた噂さえなければ、全能神を信じてはならないと母が無理強いすることはなかったはずです。そのとき、私は母にこう言いました。「全能神は再臨された主イエスよ。全能神を信じることは天地の不変の法だから、私は最後の最後まで信じなければならないの!」私がそう言うのを聞いた母は怒りで顔が青ざめ、目を真っ赤にしました。そして大声で、「私はあなたの母親なのよ。言うことを聞きなさい!」と怒鳴りました。母があまりに理不尽なのを目の当たりにして、私はこれ以上何も言わないことにしました。そのとき、親戚も一斉に私を非難し始め、私に神を裏切らせようと様々なことを言いました。私はこう思いました。「私はすでに主イエスをお迎えした。私が信じる神は本物で、私が歩む道は正しい道よ。神を裏切るなんて絶対にしないわ!」私は心から、神の終わりの日の働きについて自分自身で調べ、祭司や教会指導者による噂に惑わされて無闇に全能神を断罪して抵抗しないよう、これらの親戚に忠告したいと思いました。しかし、真理と神を忌み嫌う彼らの態度を見て、この人たちは真理を受け入れないだろうし、何を言っても無駄だと思い、それ以上は何も言いませんでした。しばらくして、母と親戚は一緒にその場を去りました。しかし、母は私を解放したわけではなく、私の弟を我が家によこして住まわせたのです。毎日、まるで私が囚人であるかのように、弟は私に監視の目を光らせ、どこに行こうとついてきました。こうして、私は個人的な自由を失ったのです。

2日後、一家で夕食をとっていると、母が突然やって来ました。そして満面の笑みを浮かべながら、作ったような口調で、「小優、誰が来たと思う?」と言いました。その表情と声の調子に、私は「お母さんがこんな反応をするなんて、いったい誰だろう。嫌な予感しかしないわ」と思いました。そのとき、教会の劉指導者と、王という名前の信者が入ってきました。私は穏やかに挨拶し、座るよう促しました。食事が終わると、劉指導者が私を見て微笑みながら、「小優!単刀直入に言いましょう。お母様から聞いたけど、いま東方閃電を信じているそうね。言っておくけれど、それを信じるのをやめなさい。あなたのご家族は全員、何世代も前からのカトリック教徒よ。あなたが主を捨てることはできない。そうすれば主はあなたをお捨てになるわ。今日、私たちはあなたに忠告するために来たけれど、あなたは耳を貸そうとしなかった。そのときが来て地獄に堕ちても、それは自分のせいなのよ。小優、わたしたちはあなたのためにこうしているの。旦那さんが病気になったときのことを思い出して。お母様と私が毎日主に祈っていなければ、旦那さんが回復することはなかったはずよ。このまま東方閃電を信じ続ければ、旦那さんの病気はぶり返す。そうなったら誰も助けてくれないわよ」。彼女がこれらのことを言うのを聞いて、私の心臓は激しく鼓動し、いささか不安にならずにいられませんでした。そしてこう考えました。「夫が重い病気にかかったとき、大金を使ってもよくなることはなかった。結局、夫がよくなったのは私たちが毎日祈ったから。。本当にこの人たちの言うとおりなら、夫の病気がぶり返したとき、私はどうすればよいのだろう」。私が彼らの言葉に惑わされそうになったまさにそのとき、「全能神は全能の医者なのだ(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第六章」〔『言葉』第1巻〕)。という神の御言葉が心の中に浮かびました。それを思って突然目が覚め、こう考えました。「そうよ。私は主の再臨である全能神を信じている。夫がまた病気になるかどうかは神の御手の中にあるのであって、この人たちが決めることじゃない。神は万物を支配なさるのだから、何を恐れることがあるの?ともあれ、夫の病気を治してくださったのは主であって、この人たちじゃない。夫の病気を使って私に神を裏切らせようと脅したり、あるいは家族に起きた問題への心配につけ込んで、私に神を拒んで裏切らせようとするなんて思いもしなかったわ。この人たちはなんて陰険なのかしら」。彼らの悪意ある動機を目の当たりにした私は嫌悪しか感じず、これ以上話す気になれませんでした。

私が黙り込んでいるのを見て、劉指導者は当てこするようにこう言いました。「あなたは本当に頑固ね!私たちは今日までずっと話してきたんだから、何を考えているのか教えなさい!」この人たちが夫の病気について話したばかりだったので、私は少し狼狽しました。しかし、神が万物を支配なさっていることを思い出すと、突如自信が湧いてきました。何が起ころうと、自分が神を裏切ることはないのです。私は勇気をふるって、「それなら言わせていただきますが、私は全能神を固く信じていて、神への信仰を捨てるつもりはありません!」と言いました。すると母は、「行きましょう!教会に行ってお祈りしましょう」と大声でわめきました。母がそう言い終わると、一同は怒りも露わに出て行きました。彼らの凶暴な様子を目の当たりにして、私はいささか恐怖を感じずにはいられませんでした。「あの人たちはこれから祈りに行く。私を呪うつもりなのかしら?どうすればいいの?」無力感に襲われた私は、神の御前に出てこう祈りました。「ああ全能神よ!あの人たちは戦線を組んで私を取り囲み、私は孤立したように感じています。神よ!私はどうすればよいかわかりません。とても怖いです。どうか私を導いてください!」祈り終えると、神の御言葉をいくつか思い出しました。「あなたの周りの環境にあるすべてのものは、わたしの許しによってそこにあり、わたしがそのすべてを定めることを、あなたは知るべきである。わたしがあなたに与えた環境の中で、明確に見極め、わたしの心を満足させなさい。恐れてはならない。万軍の全能神が必ずあなたと共にいるのだ。神はあなたがたのしんがりとなり、神はあなたがたの盾である(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第二十六章」〔『言葉』第1巻〕)。神の御言葉の啓きと導きにより、私の心は突如光で満たされました。「そうよ!神は私の強固な支えでいらっしゃる。神がそばにいらっしゃれば、何も恐れることなんかない。教会の指導者と王という人はああ言うことで、私が地獄へ行くと脅したり、家族に起きた問題につけ込んで私を不安にさせたり、夫が病気になって神を捨てるなどと脅迫した。私が臆病だったり怖がったりしたら、それは私がサタンの企みにはまったということじゃないかしら。私の運命も、最後の終着点も、幸運も不運も、そして私の夫も、誰かの手の中にあるわけじゃないし、まして祭司や教会の指導者がそれらを握っているわけじゃない。それはすべて神の御手の中にある。彼らが私を断罪して呪っても、意味なんかないわ」。こう考えると落ち着きが戻ってきて、何も不安に感じませんでした。そして心の底から神を賛美するとともに、御言葉で私を導き、信仰と力を授け、私が母や他の人たちによって惑わされたり騙されたりしないよう、サタンの企みを見抜けるようにしてくださった神に感謝しました。

ある日の午後、子どもと一緒にお昼寝をしようとしたところ、私の以前の教会に所属する趙姉妹と張姉妹がやって来て、私に嫌がらせをしました。趙姉妹が私を脅かすことを言うと、張姉妹がとても真面目な顔つきで、「それは本当よ。前に全能神教会の人と会ったけど、もう少しで騙されるところだったわ」と言いました。彼女がそう言うのを聞いて私は腹が立ちました。兄弟姉妹が誰かを騙そうとするなど絶対できないことを知っていたからです。二人が言っているのはどれも嘘と中傷に過ぎません。そこで、「その人たちはどのようにしてあなたがたを騙そうとしたの?」と尋ねました。すると張姉妹が真面目な口調で、「あなたにはわからないでしょうけど、私に1冊の本を渡したのよ!」と言うので、私はさらに「ねえ、どんな本を渡されたの?本のタイトルは?どんなことが書いてあったの?」と訊きました。それを聞いて張姉妹は困った顔になり、少し躊躇してから、その質問を脇へのけようと「忘れちゃったわよ」と言いました。二人がそう言うのを聞いて、私はこう思いました。「あなたがたは本当に修道女なの?嘘の証しをして、そうと知りながら他人に濡れ衣を着せようとするなんて。神への畏れがこんなにないなんて、いったいどういうことなの?本当に神の信者なの?神に懲罰されるのが怖くないの?」その後、趙姉妹は私に「これから働くつもり?」と再度尋ねました。私が「そうよ!」ときっぱり答えたところ、趙姉妹は親切を装い、「働くのはおやめなさい。家で子どもの世話をするほうがずっといいわ!」と助言しました。私は二人の偽善に嫌悪感を抱き、部屋をあとにしながら、「私のことには構わないで」と言いました。私を惑わす試みが失敗に終わったことを悟った二人は、意気消沈して出て行きました。彼女たちが去ったあと、私はとても悩み、落ち込みました。最近こうして教会の指導者や修道女が嫌がらせをしに来て、全能神と兄弟姉妹を中傷、攻撃したり、それにまつわる噂を広めたり、あるいは嘘をばらまいたりして私を惑わし、怖がらせ、自分たちに服従させようとしていることが頭に浮かんだのです。私が彼らに惑わされることはなく、彼らの主張に反論もしましたが、そうするたびに動揺してしまい、神の御前で自分を静めることも、神の御言葉を読むこともできませんでした。依然として弟にも絶えず見張られています。祈ったり、賛美歌を歌ったり、神の御言葉を読んだりするといつも束縛を感じ、自分がとてつもなく圧迫されているように感じました。苦痛の中、私は神に祈りました。「全能神よ!これら教会の指導者と修道女たちが、私に嫌がらせをするために何度も来ています。私はとても悩み、動揺しています。いま、彼らにどう対処すべきかわかりません。親愛なる神よ、どうか私を啓き、お導きください!」

祈り終えてMP5プレーヤーを取り出したところ、次の神の御言葉の一節がたまたま目に入りました。「荘厳な教会で聖書を読み、一日中聖句を唱える人がいるが、そうした人は誰一人として神の働きの目的を理解していない。そうした人は誰一人として神を知ることができず、ましてや神の心意と一致することなど到底できない。そのような人はみな、価値のない下劣な人であり、高い位置から神を説く。神を旗印に使いながらも、故意に神に反対する。神を信じていると断言しながらも、人の肉を食べ、人の血を飲む。そのような人はみな、人の魂を食い尽くす悪魔であり、正しい道を歩もうとする人をわざと邪魔する悪霊の頭であり、神を求める人を妨害するつまずきの石である。彼らは『健全な体質』をしているように見えるかもしれないが、神に対抗するように人々を導く反キリストに他ならないことを彼らの追随者がどうして知り得るというのだろうか。彼らが人間の魂をむさぼり食うことを専門とする生きた悪魔であることを彼らの追随者がどうして知り得るというのだろうか(『神の出現と働き』「神を知らない人はすべて神に反対する人である」〔『言葉』第1巻〕)。神の御言葉を読んで私はすぐに理解しました。つまり、これらの祭司や教会指導者たちは、神が御言葉の中で暴かれている極めて宗教的な反キリストなのです。彼らは主を信じながら真理をまったく求めず、神を畏れる心がこれっぽっちもありません。神の終わりの日の働きを自ら調べないばかりか、神を冒涜し、神の新たな働きを断罪するとともに、噂をでっち上げて母を騙しました。そのせいで、母は私を叩き、叱りつけ、私を事実上の軟禁状態に置いたのです。その後、彼らは繰り返し我が家に来て、私に嫌がらせをしたり、騙したり、惑わしたり、脅したりしました。しかし神の御言葉に導かれたおかげで、私は彼らの企みにはまることも、神を裏切ることもありませんでした。パリサイ人もありとあらゆる卑劣な方法を使い、ユダヤの一般大衆が主イエスの福音を受け入れるのを阻止しました。これらの人々を惑わすために嘘まで広め、主イエスの働きは旧約聖書を逸脱し、イエスは再臨された救世主ではないと言ったのです。これにより、ユダヤの一般大衆はパリサイ人とともに、罪のない主イエスを十字架にかけました。主イエスは次の御言葉で彼らを非難なさっています。「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、天国を閉ざして人々をはいらせない。自分もはいらないし、はいろうとする人をはいらせもしない(マタイによる福音書 23:13)。私はパリサイ人がしたことと、祭司や教会の指導者や修道女の行ないとを比較し、パリサイ人の本質をどう識別するかについて、かつて兄弟姉妹が説いてくれた教えを思い出しました。すると、祭司や教会の指導者が、基本的にはかつてのパリサイ人と何ら変わらないことがはっきりわかりました。自分たちの地位と生活を守るため、彼らはあらゆる手段を使い、私が全能神を信じるのを阻止しているのです。私が全能神の終わりの日の働きを母と家族に説き、そうして私の一家が全能神を信じ始めることを彼らは恐れています。それによって信徒の規模が縮小し、毎月受け取る献金の額も減るからです。彼らはまさに、神への捧げ物を盗み、人々が天国に入るのを妨げる悪しきしもべであり、反キリストなのです!彼らの反キリスト的な本質をはっきり目の当たりにした私は、これらの人たちにどう対処すべきかもわかりました。彼らは神を信じながら神に抵抗し、神の敵となっています。それゆえ、私は彼らと関係を断つ必要があるのです。最近、私は彼らの嫌がらせに苦しんでいましたが、私には神の御言葉による導きと啓示があります。彼らが否定的な意味で神の引き立て役を演じることにより、私は識別力を育めただけでなく、それ以上に神の御言葉に関する実践的な経験を得ることができました。神の御言葉が真理であり、道であり、いのちであることを自ら経験するとともに、全能神が真の神でいらっしゃることをますます確信するようになったのです。私は心の中でとてつもない幸福と落ち着きを感じ、静かにこう決意しました。「サタンがどのように私の邪魔をしようと、私は決して神を裏切らず、神の証しを立てて悪魔サタンを辱めよう!」

平穏な2日間を過ごしたあと、再びサタンの嫌がらせと抑圧に見舞われるとは予想もしていませんでした。ある夜、私が全能神を信じるのを阻止しようと、母と数名のおじおば、さらには大叔母までもがやって来ました。一同が集まったのを見て、私はとても腹が立ってこう思いました。「私は真の神を信じているだけよ。それのどこが悪いの?この人たちはどうしてこんなことを続けるんだろう?」すると大叔母が妙な口調で、「小優、行きましょう!おばあさんに会いに行くわよ」と言いました。大叔母がそう言うのを聞いた私は驚き、こう考えました。「この人たちは私を母の実家に連れて行くために来たんだ。精神を患っているおばあちゃんの家で私を監禁するつもりなんだ!親戚なのにどうしてそんなことができるの?人情のかけらもない人たちだわ!」そう考えていると、母がロープを掴んで私に駆けより、しゃがみながら私の両脚を縛り始めました。私はとても不安になり、母の両手を押しのけて「何をしているの?どうして私を縛ろうとするの?」と声をあげました。これを見たおじ2人が私に近づき、両側から肩を押さえて私が抵抗できないようにします。その瞬間、私はソファに座らされ、立ち上がることもできません。そこでただちに心の中で神を呼び求めました。「ああ神よ!この人たちは私を縛って連れ去ろうとしています。それが成功したら、私はあなたを信じることができなくなり、教会を見つけることもできません。ああ神よ!私に信仰と強さを授け、ここから逃れる道を開いてください!」祈り終わると、体中に力が駆け巡るのを感じました。そしてもがきながら、「何をしているの?離して!」と叫びました。私が猛烈に抵抗するのを見て、彼らは私を放しました。私はとても神に感謝しました。心から神に頼れば、その御業を目の当たりにできることを実感したのです。また、神が私のそばにいらっしゃり、常に私を見守ってご加護を与えてくださっていることも実感しました。そして、「この環境の中、私は偽りのない心を神に捧げ、悪魔サタンを徹底的に辱めなければならない」と考えました。そこで断固たる口調で、「他の件だったら話を聞けど、神への信仰についてなら、私は神の言うことしか聞かないわ!全能神は再臨された主でいらっしゃると、私はもう確信しているの。どんな手段で私に無理強いしようと、私は決して揺るがないわ!」と言いました。神に従う決意をすると、私は神の御業を再び目の当たりにしました。叔母の1人が、「この子を縛るのはやめなさい。まったく無駄だから。信仰の堅さが見て取れるわ」と言ったのです。叔母がそう言って初めて、一同はすごすごと出て行きました。彼らが立ち去ったあと、私はすぐさま力が脱け、心身ともに疲れ果てました。力がまったく残っていません。私はベッドに横になり、そのまま寝てしまいました。翌朝、重い心で昨夜の出来事を思い出しました。親戚が私をどう扱ったかを振り返ると、こう思わずにはいられませんでした。「ああ、母も親戚も、祭司や教会の指導者が広めた噂に惑わされ、私に無理強いしようとしている。いつになったら終わるのかしら」。そして、全能神教会の兄弟姉妹といるときのことを思い出しました。私たちは心を一つにして真理を求め、本分を尽くし、誰もが互いに助け合い、支え合っていました。他の人をいじめたり圧迫したりする人はおらず、警戒する必要もありませんでした。私は自由と解放を大いに感じ、毎日が充実して快適だと思われました。なのにいまは家に監禁されて自由がなく、日々やきもきしながら暮らしています。親戚や以前の教会の人がいつ現われるかもわかりません。軽く叱るのはいいほうで、ひどいときには私を脅して怖がらせようとします。私は強い苦痛を感じ、まったく憂鬱でした。全能神教会に戻って兄弟姉妹との集まりに出て、一緒に神を讃える賛美歌を歌いたいと、心の底から思ったのです。

この出来事の直後、さらに予期せざることが起こりました。ある日、私は夫と一緒に買い物に出かけました。帰宅後、MP5プレーヤーで神の御言葉を読もうと思いましたが、どこを探しても見つかりません。私は不安と苛立ちを感じ、「私のMP5プレーヤーはどこへ行ったんだろう。絶対家に置いたはず。どうして見つからないのかしら」と考えました。すると突然、母が持ち去ったに違いないとひらめきました。ある日、母が入ってきて、私がMP5 プレーヤーで神の御言葉を読んでいるのを目撃したことがあるのを思い出したのです。その後、母は頻繁に私の家に来ては、私の持ち物をあさっていました。こうして、MP5プレーヤーが見つからないのは母が持ち去ったからだと、私は確信したのです。そう考えると強い怒りを感じ、すぐさま母の家に駆け込みました。中に入ると、母は別の大叔母と話しているところでした。私は母に近づき、「お母さん、私のMP5プレーヤーを持って行かなかった?あれは私のものよ。持って行ったのならいますぐ返して」と言いました。すると驚いたことに、母はそれを持ち去ったことをあっさり否定し、軽蔑するような目で私を見たのです。私は怒りも露わに言いました。「私はMP5プレーヤーを家に置いていたのよ。他の誰も触ったはずはないわ。私のものをいつもあさるのはお母さんだけ。お母さんが持って行ったことは確かなんだから返しなさいよ!」と言いました。私に問い詰められた母は厳しい口調で、「返さないわ。私から取り戻すことなんてできないんだから、もう家に帰りなさい!」と言い返しました。私がどんなに言っても母は返そうとしません。そこで仕方なく、私は手ぶらで家に帰りました。その途中、とても惨めな気持ちになって、「MP5プレーヤーを失ってしまい、もう神の御言葉を読むことができない。前は母や他の人が来て私に嫌がらせをしても、神の御言葉を読んでその導きと指し示しを得ることができた。そのおかげで神の御心を理解し、彼らの攻撃に耐える信仰と強さをもつことができた。でもいまは、もうMP5プレーヤーがない。私はどうすればいいのかしら。神の御言葉がないなら、私はもうおしまいなんじゃないかしら」と考えました。そのことを考えれば考えるほど絶望を感じ、霊が落ち込んで否定的になっていきます。私はとてつもなく惨めな気持ちになりました。私が最も弱くなり、これ以上ない失望感を覚えた瞬間、神の御言葉の賛美歌が私の心に浮かびました。「今日、大半の人はそのような認識をもっていない。そうした人たちは、苦しみには価値がなく、自分は世の中から見捨てられており、家庭生活には問題があり、自分は神に愛されておらず、将来の見込みは暗いと信じている。中には苦しみが極限に達し、死を考えるようになる人がいる。それは神に対する真の愛ではない。そうした人は臆病者であり、忍耐力がなく、弱くて無力なのである。……したがって、あなたがたは終わりの日に神への証しをしなければならない。あなたの苦しみがいかに大きくても、最後まで歩まなければならず、最後の一息になってもなお神に対して忠実であり続け、神に身を委ねなければならない。これだけが真に神を愛するということであり、またこれだけが鳴り響くような強い証しなのである」(「あなたの苦しみがどんなに大きくても神を愛することを求めよ」『小羊に従って新しい歌を歌おう』)。神の御言葉の導きにより、この状況で私が神の証をすることを、神は望んでいらっしゃるのだと理解しました。物事がどれほど困難になろうと、私は絶対に最後まで神に忠実で、神への信仰を失わないようにしなければなりません。そして自分が経験した迫害を残らず振り返り、一つ一つの出来事が霊の世界の戦いだったことに気づきました。サタンはあらゆる手段を使って私を少しずつ打ち砕こうとしていたのです。まさにいま、サタンは私の魂を呑み込もうと、私の「いのちの糧」を奪いました。サタンは本当に野蛮です。サタンの企みにはまるわけにはいきません。MP5プレーヤーはなくなってしまいましたが、私にはまだ神がいらっしゃいます。神は依然として私を啓き、導いてくださるでしょう。一瞬も欠かさず神に頼る限り、神は私をお助けになり、あらゆる困難と苦難を乗り越えられるようにしてくださるはずです。今後どのような状況に直面するかにかかわらず、私は最後の一息が残っている限り、神の証しを立てていきます。神の御言葉が再び私を導き、前進するのに必要な信仰を与えてくれたのです。

この迫害と逆境を繰り返し経験する中で、私は神の御言葉の力と権威を目の当たりにしました。私が否定的になり、弱り、混乱し、当惑するたび、神の御言葉が私に必要な信仰と力を与え、サタンの企みを見抜いて神の証しを立てられるよう、私を導いてくれたのです。同時に、神がいかなるときも私のそばにいらっしゃり、私の支えとなって道を開いてくださることもわかりました。そして神への信仰が少しずつ大きくなり、家族から離れる願望がますます大きくなりました。私はできるだけ早くこの「虎の穴」から逃れ、教会と兄弟姉妹を見つけに行かなければなりません。そこで神に祈り、この件を神に委ねるとともに、私を導いてくれるようお願いしました。それから数日後、私は弟の監視を何とかくぐり抜け、家を離れることに成功しました。そして再び全能神教会に戻り、教会生活を送るとともに、全力を尽くして本分を尽くしました。一ヵ月以上にわたる苦痛がようやく終わりを迎え、心の中の圧迫感や不安も煙のように消えたのですサタンの闇の影響から抜け出し、「虎の穴」から逃れ、再び神の家族のもとに戻れるよう私を導いてくださったことに対し、神に感謝いたします。

この経験は私の記憶に鮮明に残っています。なぜなら、神の愛と救いをそのときはっきり目の当たりにするとともに、神がいかなるときも私のそばにいらっしゃって、サタンに騙されたり飲み込まれたりしないよう、私を守ってくださったことを知ったからです。同時に、私はこの並外れた経験のおかげで、祭司や教会指導者などに対する識別力も育むことができました。彼らは狂ったように全能神を断罪、冒涜し、嘘をでっち上げて偽りの証しをすることで私を惑わそうとしました。そしてあらゆる策略を使って私が全能神に従うのを阻止しようとしました。彼らは、私たちが終わりの日の神の働きを受け入れ、神の救いを受け、神のものとしていただくうえでの障害、つまずきの石であり、人の魂をむさぼり食うサタンの悪魔なのです!私はそのとき、全能神がおっしゃった次の御言葉の本当の意味をようやく理解しました。「信じる者と信じない者は相容れないのであり、敵対する(『神の出現と働き』「神と人は共に安息へと入る」〔『言葉』第1巻〕)。祭司も教会指導者も、修道女も以前の教会の信者も、そして私の母も、表面上は神を信じているように見えるものの、実は神のお声を認識しておらず、神を知らないことがわかりました。彼らは再臨された主の働きを受け入れませんでした。ゆえに、神は彼らの信仰を認識していらっしゃいません。神の目に、彼らは不信心者として映っています。終わりの日の神の働きによって明らかにされる毒草であり、本質的には神に反対する悪霊にして反キリストです。さらに、家族による迫害と宗教関係者からの嫌がらせがどれもサタンに端を発する攻撃であること、それが霊の世界で繰り広げられている激しい戦いであることもわかりました。サタンはそれらの人や出来事や物事を用いることで、私を惑わせ、私に真の道を諦めさせ、神を裏切らせ、おのれの「腕の中」に入らせ、神に救っていただく機会を失わせ、地獄の中で自分もろとも私を滅ぼそうとしました。しかし神のお知恵は、サタンの企みに応じて行使されます。サタンが私を攻撃し、私に嫌がらせをしたとき、神はいかなるときも私を導き、率いてくださり、私が神の御言葉を経験し、それを通じて識別力と洞察力を育めるようにしてくださいました。また、神に対する私の信仰を完全にななさって、私の神への信仰が真実かつ確固たるものになり、これ以上弱らないようにしてくださいました。わずか一ヵ月あまりで真理をいくらか理解できるよう、私を導き、助けてくださった神に感謝します。私はいま、善悪や美醜をを区別することができます。私の神への信仰はいっそう強くなり、神にまた近づきました。苦痛はまさに神の祝福なのです!自分の将来の信仰において、神の働きをもっと経験し、最後まで全能神に従っていきたいと思います!

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