破られない信仰

中国 孟勇

私は生まれつき正直な人間で、そのためいつも他人からいじめられました。それゆえ、人の世の冷たさを味わい、自分の人生は空虚で意味のないものだと感じてきました。全能神を信じ始め、神の御言葉を読んで教会生活を送ることで、私はかつて味わったことのない熱意と喜びを心の中で感じました。全能神教会の兄弟姉妹が家族のように愛し合っているのを見て、神だけが義でいらっしゃり、光は全能神教会にしか存在しないことがわかりました。また数年にわたって全能神の働きを自ら経験することで、全能神の御言葉は本当に人を変えて救うことができるのだと実感するようになりました。全能神は愛にして救いでいらっしゃいます。そのため、より多くの人が神の愛を享受して神の救いを受け取れるよう、私は兄弟姉妹と一緒に全力を尽くして福音を広めようと努めましたが、共産党に逮捕、迫害されるとは想像だにしていませんでした。

2012年12月、私は数名の兄弟姉妹と共に福音を伝える場所へ車で向かいましたが、悪人たちに通報されてしまいました。それから間もなく、県政府が風紀犯罪取締班や国家治安部隊、薬物対策班、武装警察隊、地元警察など複数の法執行機関に指示を出し、10台以上の車で私たちを包囲し、逮捕するよう命じました。兄弟の1人と私が車に乗って逃げようとしていると、7、8名の警官が別の兄弟を狂ったように警棒で殴っているのを目にしました。そのとき、4名の警官がすぐさま私たちの車に駆けより、車を発進できなくさせました。そして邪悪な警官の1人が説明もなしに車のキーを引き抜き、私たちに車の中でじっとしているよう命じました。すると、あの兄弟が打ちのめされ、動けない状態で地面に座り込んでいるのが目に入りました。私は義憤で一杯になり、暴行を止めようと車から駆け出さずにいられませんでした。しかし、邪悪な警官が私を脇に押しやりました。その後、彼らは私たちを警察署に連行し、私たちの車は強制的に押収されました。

その夜9時過ぎ、2名の警官が私を尋問するためにやって来ました。私から有益な情報を得られないことがわかると、彼らは狼狽と苛立ちを募らせ、怒りのあまり歯ぎしりしながら私を汚く罵りました。「畜生、お前は後から始末してやる!」そう言うと、彼らは私を尋問待機室に閉じ込めました。夜11時30分になり、2人の警官が私を監視カメラのない部屋に連れていきました。暴力を振るうつもりだと予感した私は心の中で繰り返し神に祈り、私を守ってくださるようお願いしました。そのとき、賈という名字の邪悪な警官が私を尋問しに現われました。「ここ2、3日、お前はフォルクスワーゲンのジェッタに乗っていたか」私が「いいえ」と答えると、相手は激高しました。「複数の人間がお前を目撃しているんだ。それでもお前は否定するのか」そう言うと、悪意を剥き出しにして私の顔を平手打ちしました。頬が燃えるように痛み、それ以外の感覚がなくなりました。すると警官は大声で高笑いしました。「お前がどれほどタフかを確かめてやる!」そう言い放ちながら幅広のベルトを手に取り、私の顔を何度もそれで打ちました。何度打たれたかわかりませんが、あまりの痛みに何度も叫び声を上げました。これを見た警官たちは私の口の周りにベルトを巻きました。その後、数名の邪悪な警官がブランケットを私の身体にかぶせ、警棒で激しく殴り始めました。彼らが手を休めたのは殴り疲れて一息入れるときだけでした。私はあまりに強く殴られたせいでめまいがし、全身の骨が砕けてしまったかのような痛みを感じました。このときは、警官たちがなぜ私をこのように扱うのかわかりませんでしたが、暴行のせいで私の身体にあざが残らないよう、ブランケットを私にかぶせたのだとあとでわかりました。監視カメラのない部屋に閉じ込め、口に猿ぐつわをかませ、身体にブランケットをかぶせたのはいずれも、自分たちの悪行が暴かれるのを恐れたためだったのです。名誉ある「人民警察」がこれほど不実で非道だとはそれまで考えたこともありませんでした。殴り疲れた4名の警官は、別の手段で拷問を続けました。2名の邪悪な警官が私の一方の腕を背中に回して無理矢理引き上げ、別の邪悪な警官2名がもう一方の腕を肩から背中のほうに引き上げると、思い切り引き下げました。しかし両手を一緒に引っ張ることができなかったため、彼らは悪意を込めて私の腕を膝蹴りしました。ポキッと音が聞こえ、両腕が引き裂かれたように感じました。あまりの痛みに息が止まりそうでした。この種の拷問方法は「剣背負い」と呼ばれており、普通の人には耐えられません。両手の感覚がなくなるまでそう時間はかかりませんでした。警官たちはそれでもやめず、さらに私を苦しめるため、ひざまずくように命じました。あまりの激痛に全身から冷や汗が噴き出し、頭がガンガン鳴り響き、意識が少しぼんやりし始めました。そして、「私は長年生きてきた。自分の意識をコントロールできなくなったことはない。このまま死ぬのだろうか」と考えました。その後、私はそれ以上耐えられなくなり、死によって救いを求めることが頭に浮かびました。その瞬間、神の御言葉が私を内側から啓きました。「今日、大半の人はそのような認識をもっていない。そうした人たちは、苦しみには価値がなく、……中には苦しみが極限に達し、死を考えるようになる人がいる。それは神に対する真の愛ではない。そうした人は臆病者であり、忍耐力がなく、弱くて無力なのである(『神の出現と働き』「辛い試練を経験することでのみ、神の素晴らしさを知ることができる」〔『言葉』第1巻〕)。神の御言葉は私を急に目覚めさせ、自分の考え方は神の御旨に沿うものでなく、神を悲しませ、失望させるだけだということに気づきました。なぜなら、この痛みと苦しみの最中、神がご覧になりたいのは私が死を求めることではなく、私が屈辱を飲み込んで重荷を背負えること、神のお導きに頼ってサタンと戦い、神の証しを立て、サタンを辱めて打ち負かせることだったからです。死を求めるのはサタンの策略に落ちることであり、そうなれば神の証しを立てることができず、代わりに恥を晒すことになるのです。神の御旨を理解した私は無言で神に祈りました。「ああ、神よ。私の本性のあまりに弱いことが、現実によって明らかになりました。あなたのために苦しむ意志も勇気もなく、少しばかり身体に痛みを受けたせいで死にたいと考えました。いま私は逃げたくないです。どのような苦しみに耐えなければならないとしても、あなたの証しを立て、あなたに満足していただかなければならないです。しかし現在、私の身体は究極の痛みの中にあって大いに弱り、これら悪魔の暴行を自力で耐えることはとても難しいとわかっています。あなたに頼ってサタンを打ち負かすことができるよう、もっと自信と強さをお与えください。あなたを裏切ったり、兄弟姉妹を売ったりしないことを、いのちにかけて誓います」繰り返し神に祈るうちに心が少しずつ落ち着いてきました。邪悪な警察は私がほとんど息をしていないことに気づき、私が死んだ場合に責任を問われることを恐れて手錠を外しました。しかし、私の腕は既に硬直しており、手錠があまりにきつく締められていたため、それを外すのはとても一苦労でした。それ以上力をかけたら、私の腕は折れてしまっていたでしょう。4名の邪悪な警官は数分がかりで手錠を外してから、私を尋問待機室に引きずっていきました。

翌日の午後、警察は自分たちの裁量で私に「刑法違反」の罪を被せ、家宅捜索をするために自宅へ連行してから拘置所に連れ戻しました。拘置所に戻るとすぐ、4名の刑務官が私の綿のジャケット、ズボン、ブーツ、時計、そして所持金1300元を押収しました。そして規定の囚人服に着替えさせ、強制的に200元で毛布を購入させました。その後、刑務官は武装強盗、殺人者、強姦魔、麻薬の売人と同じ監房に私を閉じ込めました。私が監房に入ると、剃髪した12名の囚人が敵意を剥き出しにして私を睨みつけました。そこの空気は陰気でおどろおどろしく、突然、心臓が口から飛び出そうになりました。リーダー格の囚人2人が私に近づき、「お前は何で捕まったんだ」と尋ねました。私は「福音を広めたからです」と答えました。すると彼らのうちの1人が私の顔を無言で2度平手打ちしてから言いました。「お前、「司教」ってやつだろう。」それを聞いた残りの囚人は一斉にどう猛に笑い始め、「だったら、お前の神にここから出してくれって頼んだらどうだ」と言って私をからかいました。野次とからかいの中、リーダー格の囚人が私の頬をさらに数回平手打ちしました。そのときから私のあだ名は「司教」となり、頻繁に屈辱と嘲笑を受けました。もう1人のリーダー格の囚人は私が履いていたスリッパを見て、「お前は自分の立場をまったくわかってないな。こんな靴を履く価値がお前にあるのか。脱げ!」と傲慢な口調で言いました。そして私のスリッパを無理矢理脱がし、自分たちの履き古したスリッパに履き替えさせました。毛布も取り上げられて他の囚人のものになりました。囚人たちはその毛布を巡って何度も争い、結局私の手元には、薄くて破れだらけで、汚く、悪臭のする古い毛布が残りました。刑務官がけしかけたこともあり、囚人たちは私をありとあらゆる苦難と苦痛の対象にしました。夜間、監房内の照明は点灯したままですが、リーダー格の囚人は邪悪な笑みを浮かべて、「俺のために電気を消せ」と私に言いました。私ができないでいると(監房内にはスイッチさえありません)囚人たちは再び私を笑いものにして嘲り始めました。翌日、数名の若い囚人が私を監房の隅に立たせ、刑務所の規則を暗記するよう強要し、「2日以内に暗記しないと袋叩きだぞ」と脅しました。私は怯えずにはいられませんでした。ここ数日のあいだに経験したことを考えれば考えるほど、恐怖が増しました。私は絶えず神を求め、これに打ち勝てるようお守りくださいと乞うことだけでした。そのとき、神の御言葉の賛美歌が私を啓きました。「投獄や病気、他人からの嘲りや中傷に遭っても、あるいは逃れる道がないように見えても、それでも神を愛することができるのです。これが、心が神に立ち返ったということです」(『小羊に従って新しい歌を歌おう』の「あなたの心は神に立ち返ったか」より)神の御言葉は私に力を与え、神を愛することを求めて心を神に向けるという実践の道を示してくれました。その瞬間、心が突如澄み渡りました。この苦難が私に降りかかるのを神がお許しになったのは、私を苛むためでも、意図的に私を苦しませるためでもなく、このような環境でも私の心が神に向くよう訓練し、それによって私がサタンの暗い影響力の支配を耐え、なおも心を神に近づけて神を愛し、不満を言わず常に神の指揮と采配に従えるようにするためでした。それを心の中で理解すると、私はもはや怖くなくなりました。いかに警察や囚人が私を扱おうと、私は自分のすべてを神に捧げ、決してサタンに屈しないことだけを気をつけていればいいのです。

刑務所での生活は、実際には地上の地獄です。刑務官は人々を苦しめる手段を絶えず考え出しています。夜寝るとき、私は他の数名の囚人と狭い空間に押し込められました。寝台の上で寝返りを打つことすら困難です。私は新参者だったので、便所の横で寝なければなりませんでした。逮捕されてから数日間寝ていなかったせいで強い眠気に襲われ、耐えきれずにうとうとします。すると見張り当番の囚人が私のもとに来て嫌がらせをし、私が起きるまでわざと頭をこつこつ叩き、私が目を覚ますと立ち去るのです。故意に私を起こして、私のズボン下を奪おうとする囚人がいました。翌日の朝食後、リーダー格の囚人が私に毎日床磨きを命じました。当時はその年で一番寒い時期だったうえ、お湯もありません。そのため、冷水を使って雑巾を洗うより他ありませんでした。さらにリーダー格の囚人は毎日このように床磨きをするよう命じました。そして数名の武装強盗が、私に監房の規則を暗記するよう強要しました。暗記できなければ殴られたり蹴られたりするに違いありません。顔を平手打ちされることはさらに日常茶飯事でした。このような環境に直面した私はとても辛かったです。夜になり、毛布を頭まで被って静かに祈りを捧げました。「ああ、神よ。この環境が私に降りかかることをあなたはお許しになりました。ならば、その中にあなたの御旨があるはずです。あなたの御旨をどうか私に示してください」その瞬間、神の御言葉が私を啓きました。「わたしは丘に咲くユリを賛える。草花は斜面を覆うが、ユリは春の訪れの前に、地上におけるわたしの栄光に輝きを加える。人にはそれができるか。人はわたしが戻る前に地上においてわたしに証しできるのか。赤い大きな竜の国でわたしの名のために自分を捧げることができるのか(『神の出現と働き』「全宇宙への神の言葉、第三十四章」〔『言葉』第1巻〕)。そうです。花も草も私もすべて神の創造物です。私たちが神の証しを立てて神を讃えるよう、神は私たちをお作りになりました。春の訪れより早く、百合の花は地上における神の栄光に輝きを加えることができます。つまり、神の創造物としてその本分を尽くしたのです。今日の私の本分は、神の指揮に従い、サタンの前で神の証しを立てることです。これらすべての苦しみと屈辱にいま耐えることは、私が法を犯したからではなく、神の御名のためです。この苦しみに耐えるのは名誉なことです。サタンが私を辱めれば辱めるほど、私はさらに神の側に立ち、神を愛さなければなりません。そのようにすることで、神は栄光を得られ、私は尽くすべき本分を尽くすことになるのです。神が幸せで満足していらっしゃる限り、私の心も安らぎます。私は喜んでこの最後の苦しみに耐えて神に満足していただくとともに、すべてを神の指揮に委ねます。このように考えだすと、ひときわ感動してまたもや涙を抑えることができませんでした。「ああ、神よ。あなたはあまりに愛しいお方です。長年あなたに従ってきましたが、今日ほどあなたの優しい愛情を感じた日はありません。今日ほどあなたを身近に感じた日はありません」私は自分自身の苦しみをすっかり忘れ、長い時間この感動に浸りました……

拘置所に入って6日目はとても寒かった日でした。警察に綿入れの服を押収されていたので、長袖シャツとズボンで過ごすしかなく、最後は風邪を引きました。高熱のせいで倒れてしまい、咳も止まりません。夜、私はすり切れた毛布にくるまり、病気の苦しみに耐えながら、囚人たちによる私への終わりのない不当な扱いと虐待について考え、強い惨めさと無力さを感じました。惨めさがある程度まで達したところ、神の御言葉の賛美歌が耳の中に鳴り響きました。「あなたがわたしに病を与えられ、わたしの自由を奪われても、わたしは生き続けることが出来ますが、あなたの刑罰や裁きがなくなったならば、わたしは決して生きてゆくことはできないでしょう。わたしにあなたの刑罰と裁きがなかったとしたら、わたしには言葉にできないほど深いあなたの愛を、わたしは失うでしょう。あなたの愛がなければ、わたしはサタンの領域下で生活することになり、あなたの栄光の御顔を見ることはできないでしょう。わたしはどうして生き続けられるでしょうか(『神の出現と働き』「ペテロの経験――刑罰と裁きに関するペテロの認識」〔『言葉』第1巻〕)。これらの言葉は、私に確信と強さを与えてくださいました。ペテロは肉体の苦痛など考慮しませんでした。彼が大事にし、重視していたのは神の刑罰と裁きで、追い求めていたのは、神の刑罰と裁きを経験して堕落が清めを得、最終的に死ぬまで従順で、神への究極の愛に到達することです。今日、私もペテロのように追い求めるべきです。このような環境に直面したのには神の許可があり、肉体は苦痛を受けますが、これは神の愛で、神は私の信仰と苦しみを受ける志を完全しようとしているのです。神の熱心な意図が理解した私は、深く感動したと共に、意気地なしで、自己中心で、神の旨への配慮しない自分を恨み、あまりにも神に申し訳ないと感じ、こう心に決めました「どんなに大きな苦しみを受けても、神を証し、満足させる。」と。次の日、私の高熱は奇跡的に下がり、私は心から神に深く感謝しました。

ある夜、監房の窓の外に売り子がやって来て、リーダー格の囚人は沢山のハムや犬肉、鶏のもも肉などを購入しました。そして最後に、金はお前が払えと私に命じました。お金はないと答えると、彼は悪意を剥き出しにして、「金がないなら、じっくりお前を苦しめてやる!」と言いました。翌日、彼はベッドシーツと洋服と靴下の洗濯を命じ、拘置所の刑務官も自分たちの靴下を洗うよう命じました。拘置所では彼らの暴行にほぼ毎日耐えなければなりませんでしたが、もう耐えられなくなるたび、神の御言葉が頭に浮かびました。「あなたは地上にいる間に、神のために最後の本分を果たさなければならない。昔、ペテロは神のために逆さ磔にされた。しかし、あなたは最後に神を満足させ、神のためにあなたの全精力を使い尽くすべきである。被造物が神のために何ができるのか。だからすぐにでも神に身を委ね、神が思い通りにあなたを扱えるようにするべきである。それで神が喜び、満足しているならば、神が望み通りにあなたを扱えるようにしなさい。不平の言葉を言う何の権利が人間にあるというのか(『神の出現と働き』「『全宇宙への神の言葉』の奥義の解釈、第四十一章」〔『言葉』第1巻〕)。神の御言葉は私に力を与えました。その後も囚人から暴力や辱め、非難やリンチを時折受けましたが、神の御言葉の導きで、私はとても慰められ、もう苦くはありません。

ある日のことでした。刑務官が事務室に私を連行しました。そこに入ると、10数名の人々が変な目で私を凝視しているのに気づきました。そのうち1人が私の正面から左側にかけてビデオカメラを構え、別の1人がマイクを持って私に近づき、こう尋ねました。「なぜ全能神を信じているのですか」そのとき、マスコミのインタビューだとわかりました。私は誇りをもちつつも謙虚に答えました。「私は小さい頃からいじめや冷遇の的にされてきました。また、人々が互いに騙し合い、利用し合う姿も見てきました。この社会はあまりに暗く、あまりに危険だと感じました。人々は空虚で絶望的な暮らしを送り、希望も人生の目標もなく生きています。その後、ある人から全能神の福音を伝えられ、私はそれを信じ始めました。全能神を信仰してからは、他の信者が私を家族のように扱ってくれるのを感じました。全能神教会には、誰ひとり私を陥れようとする人はいません。誰もが互いに理解し合い、気遣っています。互いに世話をし合い、何の不安もなく心の内を語り合っています。私は全能神の御言葉の中に生きる目標と価値を見つけました。神を信じることはとてもよいことだと思います。」するとレポーターはこう尋ねました。「自分がなぜここにいるのか、わかっているのですか」私は次のように答えました。「全能神を信じ始めてからというもの、私は世俗の名利や損得を気にしなくなり、そのようなものは空虚で無意味だと思っています。善良な人間になって正しい道を歩けなければ、正しく生きることはできません。私の心はますます優しくなりつつあって、善良な人間になりたいという思いが強くなっています。全能神の御言葉が真に人を変え、正しい道に導くのを目の当たりにして、もしすべての人が神を信じられたら、私たちの国はより秩序があるものとなり、犯罪率も低下するだろうと思いました。そこで、この福音を他の人々に伝える決意をしたのです。しかし、このような善行が中国で禁じられているとはまったく知りませんでした。それで私は逮捕され、ここに連行されたのです」私の答えが自分たちにとって不都合なものだとわかったレポーターはすぐにインタビューを中止し、踵を返してそのまま立ち去りました。その瞬間、国家保安部隊の副隊長が怒りのあまり地団駄を踏み始めました。そして私を憎々しげに睨みつけると、歯ぎしりしながら耳打ちしました。「覚えてろよ!」しかし、彼の脅しや威嚇はまったく怖くありませんでした。逆に、このような機会に神の証しをできたことを大いに誇らしく思いました。そのうえ、神の御名を高めてサタンを敗北させることで、私は神に栄光をもたらしたのです。ある朝、刑務官がなぜか1枚の新聞紙を置いていきました。囚人たちは恐ろしげな薄笑いを浮かべながら、全能神を中傷・冒涜する新聞記事を馬鹿にした調子で読み上げました。私は怒りのあまり歯ぎしりしました。囚人たちが私のもとへ来て、この記事はどういうことなのかと聞いたので、「共産党による中傷だ!」と大声で言いました。囚人たちが全員、大衆にただ従い、悪魔と同じ言葉を使って真理を汚し、神を冒涜するのを聞いて、彼らの終わりが近づいているのを感じました。神を冒涜する罪は決して許されるものではなく、神の性質に背く者は誰であっても最も重い懲罰と報いを受けるのです。このようにして、共産党は中国の全国民を最終的な破滅に引き連れており、魂を貪り食う悪魔という真の顔を完全に露呈しているのです。

その後、私を担当する警察官が再び私を尋問しましたが、今回は拷問によって情報を無理に引き出そうとせず、代わりに「優しげな」表情で私に尋ねました。「君のリーダーは誰なんだ。もう1度チャンスを与えよう。話してくれれば悪いようにしない。寛大な措置をとってあげよう。君はもともと何も知らなかったのに、他の人間に裏切られてしまった。なのに、なぜ彼らをかばおうとするんだ。君はとても礼儀正しい人間のようだ。どうして自分の命を彼らに捧げてしまうんだ。情報を提供してくれれば家に帰れる。何のためにここに残り、苦しむ必要があるんだろう」この2つの顔を持つ偽善者は、強硬策が功を奏しないと見て取り、今度は下手に出ることにしたのです。彼らは狡猾な策略を山ほどもっており、実に陰謀と誘導に長けています。相手の偽善的な顔を見るなり、私の心はこの悪魔の群れに対する憎しみで一杯になりました。「私が知っていることはすべてお話ししました。それ以上は何も知りません。」と、私は答えました。私の断固とした態度を見て、彼は何も引き出すことができないと悟り、意気消沈して部屋を出ていきました。

拘置所で半月拘束された後、警察は私の家族に保釈金として8000元を支払うよう命じ、それからようやく私を釈放しました。しかし外出を禁じたうえ、自宅に待機していつでも呼び出しに応じられるように警告しました。釈放された日、刑務官はわざと私に食事を与えませんでしたが、囚人たちは「お前の神はすごいな。俺たちは病気をしていなかったが、みんなここで病気にかかった。お前は病気を抱えてここに来たのに、元気になって出ていくんだからよ。よかったな!」と言いました。この瞬間、心の中は神へのさらなる感謝と賛美で一杯になりました。私の叔父は看守ですが、釈放されたのは父に権力者との特別なコネがあったからではないかと疑い続けました。そうでなければ厳重警備の刑務所から半月で釈放されるはずがない、少なくとも3ヶ月はそこにいたはずだというわけです。家族は全員、それは神の全能さによるもので、神の素晴らしい働きが私に行われたのだとよくわかっていました。そして私は、これは神とサタンの闘いだったのだとはっきりわかりました。サタンがどれほど野蛮で悪意があろうと、常に神の前に敗北を喫するのです。その日以来、自分が遭遇するすべてのことは神の采配の一部だと確信するようになりました。その後、私は「社会秩序攪乱罪」により、懲役1年、執行猶予2年という判決を中国共産党から下されました。

この迫害と患難を経験した後、私は無神論者で構成される中国共産党の邪悪な本質を理解して識別できるようになり、心の底から嫌悪を抱くようになりました。彼らは暴力や嘘で自分たちの地位を維持し、狂乱したかのように神の信徒を鎮圧、迫害し、あらゆる手を使って神の地上での働きを阻止し、邪魔し、真理を極端に恨んでいます。彼らは神の最大の敵であり、私たち神の信徒の敵でもあります。このような苦難を経験したことで、私は神の言葉しか人のいのちになれないことが分かりました。私が最も絶望し、死に瀕していたとき、神の言葉が私に確信と勇気を与えてくれ、力をもたらせてくれたのです。それによって、私は頑張って生き続けることができました。これらの最も暗く苦しい日々、神が私を守ってください、神に感謝します。神は私をとても愛してくださいます!

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