終わりの日のキリストから発せられる言葉(選集)

目次
  • 第一部 全宇宙に向かって語った神の言葉 (キリストが初めに語った言葉) (抜粋)
    • 第二部 キリストが諸教会の間を歩いた時の言葉 (抜粋)
      • 第三部 キリストが自分の業の後期に語った言葉 (抜粋)

        六番目の言葉

        霊の内のことについて、あなたがたは、細心の注意を払わなければいけない。わたしの言葉を心して聞きなさい。あなたがたは、わたしの霊と肉の体、わたしの言葉と肉の身とを切り離すことのできない単一のものと見ることができるようになるよう努め、わたしの前にあって、すべての人間がわたしを満足させる状態になるようにしなければならない。わたしは、この足で全宇宙を踏み、全宇宙の隅々にまで目をやり、すべての人間の間を歩き、人間であることの甘、酸、苦、辛を味わった。しかし、人間はけっして真にわたしを認識することがなかったし、わたしが歩き回っていても、それと気づかなかった。なぜなら、わたしは何も言わず、超自然のわざを何も行わなかったので、誰一人、真にわたしを見なかったのだ。物事は、かつてとは違っている。わたしは創造の初めから世界の誰も見なかったことをしよう。わたしは人間が、はるか昔からずっと、かつて聞いたことのないことを語ろう。なぜなら、すべての人間が肉におけるわたしを知るようになってほしいからだ。それがわたしの経営(救い)の手順である。人間にはそれがどういうものか、まるで考えもつかないことなのだ。それらについて、わたしが公然と語っても、人々はまだ頭が混乱しているため、すべてを詳らかに言い表してやることができないのだ。ここに人間の絶望的な低劣さがあるのだ。そうではないか。だからこそ、わたしは人間の内を修復したいのだ。そうではないか。長い年月、わたしは人間に何一つせずに来た。長い年月、受肉したわたしの体と直接接触した者でさえ、わたしの神性から直接発せられた言葉を聞いた者はいなかった。だから、人間にわたしについての知識が欠けているのは、やむを得ないことである。しかし、この一事だけでは、この長い年月、人間のわたしへの愛には影響がなかった。しかしながら、今、わたしはあなたがたに無数の奇跡的で人には推し量ることのできない働きを示し、多くの言葉で語ってきた。それなのに、そうした状況にあっても、実に多くの人々が、いまだに、面と向かってわたしに敵対しているのだ。いくつか例を示そう。

        あなたがたは、毎日、漠然とした神に祈りを捧げ、わたしの意向を理解しようとし、いのちを感じようとする。しかし、わたしの言葉が実際に与えられると、それをありのままにとらえない。あなたがたは、わたしの言葉と霊とを一つの不可分のものと考えていながら、人間を蹴りのける。人間であるわたしには、そもそも、こうした言葉を語ることができないと考え、わたしの霊がそうさせているのだと思っているのだ。あなたはこの状況をどう認識しているのか。あなたがたは、わたしの言葉をある程度まで信じるけれど、わたしのまとう肉の身については大なり小なり自分なりの考えを抱き、毎日自分の頭で考えては、「なぜあの人は、ああいうふうに物事をするのか」と言う。「これは神から来ているものなのだろうか。ありえない。思うに、あの人は、わたしとほとんど変わるところがない、普通のただの人間だ。」もう一度尋ねるが、こういう状況をどう説明するのか。

        今わたしの述べたことについて、あなたがたの中に、そういう考えをもっていない人はいるだろうか。そんなふうに考えていない人がいるだろうか。それは、まるで、あなたが個人的な所有物でもあるかのようにしがみついていて、ずっと手放すのを渋っているもののようだ。まして、積極的に努力しようという気持ちもない。そうでなくて、わたしが自分で働きをするのを待っている。実のところ、わたしを求めることなく、容易にわたしを知るようになる人間は、ただの一人もいないのだ。まことに、わたしがあなたがたに説いている言葉は浅いものではない。あなたの助けとなるよう、異なった点から例を挙げることができるのだから。

        ペテロの名を聞くと、誰もがみな、たたえの心に満ち、ペテロについての物語のあれこれを思い出す──彼が三度神を否定したこと、さらに、サタンの手助けをしたこと、そうして神を試みたこと、しかし、最後には神のために十字架に逆さに釘で打ち付けられたこと、等々。今、わたしはペテロがどのようにしてわたしを知るようになり、最後にはどうなったかを語ることを重視している。このペテロという人は、すばらしい素質の持ち主だったが、彼の境遇はパウロのそれとは異なっていた。彼の両親はわたしを迫害した。彼らはサタンにとりつかれ、悪魔の側にいた。だから、二人がペテロに道を教えたとは言えない。ペテロは頭脳明晰で、生まれながらに豊かな知性をもち、子供のころから両親に可愛がられて育った。しかしながら、彼は両親の敵になった。というのも、ペテロがいつもわたしを知ろうと願い、その結果、両親に背を向けることになったからなのだ。それはつまり、第一に、彼は天と地はみな全能者の手の内にあり、すべてのよいものは神に発し、サタンの手を経ることなく、神から直接来ていると信じたからである。両親の悪い手本のおかげで、ペテロはかえって、わたしの愛と憐れみとをみてとることができ、そうして、わたしを求める欲求がより強く燃え上がることになった。彼はわたしの言葉を飲み食べるだけではなく、わたしの意図するところを把握しようと注意を払った。そして、常に思慮深く、慎重に考えた。だから、彼はいつでも霊が敏感で、その行いのすべてにおいて、わたしの心に適うようにすることができたのだ。ふだんの生活では、失敗の網にかかるようなことを深く恐れ、過去に失敗した人々の教訓を元に、より大きな働きができるよう、自らを励ました。ペテロはまた、遠い昔から神を愛した人々すべての信仰と愛から学んだ。このようにして、ペテロはどのような状況からも学び、急速に成長し、わたしの前で最もよくわたしを知る者となったのだ。このため、想像に難くないことだが、彼は所有物をすべてわたしの手に託し、もはや食べること、着ること、眠ること、どこに宿るかにおいてさえ、自分の主人であることをやめ、あらゆる点においてわたしを満足させ、それによってわたしの恵みを豊かに得たのである。まことに、わたしは何度もペテロを試した。もちろん彼は死にかけたのだが、そうした何百もの試練の中にあっても、彼は一度たりとわたしへの信仰を失ったり、わたしに失望したりしなかった。わたしがもう彼を捨て去ったと告げた時でさえ、ペテロの心が弱ってしまったり、絶望してしまったりすることなく、それまでと同じように、わたしへの愛を実現するため、自分の信じることを続けた。わたしは彼にこう告げたのだ。おまえをほめはしない。かえって、最後には、サタンの手中に投げ込む、と。そうした試練、肉の試練ではなく、言葉による試練の中にあって、ペテロはそれでもわたしに祈った──おお、神よ。 天と地ともろもろのものの中にあって、人間や生き物、あるいはその他のもので、全能者の手の中にないものが何かあるでしょうか。あなたが憐れみを示されるとき、その憐れみのために私の心は大いに喜びます。あなたが私に裁きを下されるとき、私はそれに相応しい者ではありませんが、その御業に神の計り知れない奥義をますます深く感じるのです。なぜなら、神は権威と知恵とに満ちておられるからです。私の肉は苦しみを受けても、霊においては慰められます。どうして神の知恵と御業とをたたえずにおられましょう。たとえ神を知って後に死ぬとしても、常に備えと心構えができています。おお、全能者よ。まことに、神がお姿をお示しにならないのは、そう望んでおられないためではないでしょう。まことに、私に神の裁きを受ける資格に欠けているからではないでしょう。私の中に、ご覧になりたくないものがあるということなのでしょうか。こうした試練の中にあって、ペテロはわたしの意図を正しく把握することはできなかったが、わたしに用いられることを(たとえそれが、人類にわたしの威厳と怒りとを示すため、裁きを受けるだけだったとしても)誇りと栄光であると考え、試練にさらされても、心砕けることがなかった。わたしの前で忠実であったため、また、わたしの与えた恵みのゆえに、ペテロは数千年もの間、人類のための手本、見習うべき者となったのだ。これこそは、あなたがたが見習うべき例ではないのか。今このとき、あなたがたは、わたしがなぜペテロのことを詳しく語っているのか、よくよく考えて、理解しなければならない。これをあなたがたの行動の原則としなければならない。

        たとえわたしを知る者がごく少なくとも、人類のうえに怒りを示しはしない。なぜなら、人間にはあまりに多くの欠点があるため、わたしの望む高みに至ることができないからである。だから、数千年の長きにわたり、今日に至るまで、わたしは人間に寛容であった。しかし、わたしが寛容であるからといって、基準を緩めるようなことをしてはならない。そうではなくて、ペテロを通してわたしのところへ来て、わたしを求め、ペテロの物語すべてから、これまでよりはるかに多くを示され、そうして、人間がかつて到達できなかった域に達するのだ。宇宙と無限の世界を通じて、無数の被造物、地上の無数の物、天の無数の物がみな、すべて、わたしの働きの最終段階のために全力をささげている。まことに、あなたがたは傍観者でいて、サタンの力によって、あちらこちらへ動かされていたくはないだろう。サタンはいつでも、人間がわたしについて心にもつ知識をむさぼっている。そして、牙と爪をむき出して、死を賭した戦いの中にある。あなたがたは、今このときに、欺きに満ちた策略によって捕らえられたいのか。あなたがたは、わたしの働きの最後の段階で、いのちを断たれたいのか。まことに、あなたがたはもう一度、わたしが寛容さを示すことを待っているのではあるまい。わたしを知ろうとすることが肝要だが、実践に注意を注ぐことを怠ってはならない。わたしが直接言葉によって明らかにしているのは、あなたがたがわたしの導きに従うことができるようになり、自分なりの野心や願望をもつことをやめるようにさせたいからなのである。

        1992年 2月27日