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第4章 終わりの日の神の働きの真理

1. 神の言葉の働きの意義

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神の国の時代に神は言葉を使い、新たな時代の到来を知らせ、神の働きの方法を変え、その時代全体の働きを行なう。これが言葉の時代において神が働く原則である。神は異なる視点から語るために肉となり、肉に現れる言葉である神、神の知恵と驚くべき素晴らしさを人間が本当に見ることができるようにした。このような働きは、人間を征服し、人間を完全にし、人間を淘汰する目的をよりよく達成するために行なわれる。これが言葉の時代において働くために言葉を使うことの真の意味である。言葉をとおして、神の働き、神の性質、人間の本質、人間が何に入っていくべきかを人間は知るようになる。言葉をとおして、言葉の時代に神が行ないたい働きはその全体が結実される。言葉をとおして、人間は明らかにされ、淘汰され、試される。人間は言葉を見、言葉を聞き、言葉の存在に気づいた。その結果、人間は神の存在、神の全能性と知恵、また神の人間への愛と人間を救う願望を信じる。「言葉」という語句は単純でごく普通であるが、受肉した神の口から出る言葉は宇宙全体を揺るがせる。それは人間の心、観念、古い性質、世界全体が以前にはどのように表れていたかを変革する。時代をとおして、今日の神だけがこのような働き方をし、今日の神だけがそのように語り、そのように人間を救いに来る。それ以降は、人間は言葉の導きの下に生き、言葉により牧され、施しを受ける。全人類は言葉の世界に、神の言葉の呪いと祝福の内に生きるようになった。そして言葉の裁きと刑罰との下に生きるようになったさらに多くの人間がいる。これらの言葉とこの働きはすべて人間の救いのため、神の旨を成就するため、過去の創造における世界の元来の状況を変えるためである。神は言葉をもって世界を創造し、宇宙の人間を言葉をもって導き、言葉をもって征服し救う。ついに、神は言葉を使って古い世界全体を終わらせる。そのときはじめて、経営(救いの)計画がくまなく完了する。神の国の時代をとおして神は言葉を使って働きを行ない、働きの成果を達成する。神は不思議や奇跡は行なわない。神はただ言葉をとおして働きを行なうにすぎない。言葉ゆえに人間は養われ、施しを受ける。言葉ゆえに人間は認識と真の経験を得る。言葉の時代の人間は真に格別の祝福を受けた。肉体的苦痛に苦しまず、ただ神の言葉の豊かな施しを享受する。探し求めたり、旅をしたりするために出かけていく必要もなく、安穏の只中にいるままで人間は神の出現を見、神がその口で話すのを聞き、神の施しを受け、神が自らその働きを行なうのを見る。これは過去の時代の人間には享受できなかったことであり、彼らが決して受けることができなかった祝福である。

『言葉は肉において現れる』の「神の国の時代は言葉の時代である」より

当時、イエスは使徒たちにとっては不可解な働きをたくさん行い、人々には理解できないことを多く言った。これは当時イエスが説明しなかったからである。そのため、イエスが去ってから数年後にマタイがイエスの系図を作り、他の者も人間の意志による働きをたくさん行なった。イエスは人を完全にし、自分のものとするために来たのではなく、働きの一段階をするために来たのである。それは天の国の福音をもたらし、十字架の働きを完成させることであり、イエスが十字架につけられた時点でその働きは完了している。しかし、現在の段階、征服の働きの段階では、もっと多くの言葉が語られ、もっと多くの働きがなされ、そして多くの過程を踏まなければならない。イエスとヤーウェの働きの奥義も明らかにされ、すべての人が信仰において理解と明瞭を得られるようにされなければならない。というのは、これは終わりの日の働きで、終わりの日は神の働きの終わりであり、この働きが完了する時だからである。働きのこの段階はあなたのためにヤーウェの律法とイエスの贖いを明確にするであろう。この働きは主にあなたが神の六千年の経営(救いの)計画の全体像を理解し、六千年の経営計画のすべての意義と本質を理解し、イエスによってなされたすべての働きとイエスが語った言葉の目的、そしてあなたの聖書に対する盲目的信用と崇拝さえも理解するためである。この段階の働きはこれら全てをあなたがたに理解させるであろう。あなたはイエスによってなされた働きと今日の神の働きの両方を理解するようになるであろう。真理、いのち、そして道をすべて理解し見上げるであろう。イエスによってなされた働きの段階で、イエスはなぜ神の働きを終えることなく去ったのだろうか。それはイエスの働きの段階は、完了の働きではなかったからである。イエスが十字架に釘付けにされたとき、イエスの言葉もまた終わりを迎えた。十字架刑の後、イエスの働きは完全に終わりとなった。現段階は違っている。言葉が最後まで語られ、神の働きの全体が完了したあとではじめて、神の働きは終わる。イエスの働きの段階の期間、多くの言葉が語られずに終わったか、あるいは明確に語られなかった。しかしイエスの職分は言葉による職分ではなかったため、イエスは自分が何を語って何を語らなかったかは気にかけず、そのため、十字架につけられた後に去って行った。その段階の働きは主に十字架刑のためであり、今日の働きの段階とは異なる。この段階の働きは基本的には完了すること、明確化すること、そしてすべての働きを終結することである。もし言葉が最後の最後まで語られないなら、この働きを終える方法はないであろう。この段階の働きで、すべての働きは、言葉を用いて終わり達成されるからである。当時イエスは人には理解できない多くの働きをした。イエスは静かに去り、今日依然としてイエスの言葉が理解できない人たちが多くいる。彼らの理解は間違っているが、それでも彼らは正しいと信じており、間違っていることを知らない。最後には、この現段階は神の働きを完全に終わらせ、その終結をもたらすだろう。すべての人たちが神の経営計画を理解し知るようになるであろう。人の中にある観念、意図、間違った理解、ヤーウェとイエスの働きに関する人の観念、異邦人についての見解、そして人の他の逸脱と間違いは正されるであろう。そして人は人生の正しい道、神によってなされたすべての働き、そしてすべての真理を理解するであろう。そうなった時、この段階の働きは終わりとなるであろう。

『言葉は肉において現れる』の「神の働きのビジョン(2)」より

この最後の段階の働きにおいて、成果は言葉によって達成される。言葉を通して、人は多くの奥義や過去の世代にわたる神の働きを理解するようになる。言葉を通して、人は聖霊の啓きを受け、言葉を通して、人はかつての世代に決して解明されなかった奥義や、昔の預言者たちや使徒たちの働き、そして彼らの働きの原則などを理解するようになる。言葉によって、人は神の性質を知るようになると同時に、人の不従順さや反抗心を理解し、自分の本質を知るようになる。このような働きの段階と、語られた全ての言葉を通して、人は霊の働き、受肉した神の働きを知り、さらに彼の性質の全体を知るようになる。神の六千年以上にわたる経営(救いの)に働きについてのあなたの認識も言葉によって得られた。あなたが以前もっていた観念を知ったのも、それをわきに置くことができたことも、言葉を通して成されたのではなかったのか。前の段階で、イエスはしるしや不思議を行なったが、この段階ではしるしや不思議は行われない。なぜ神がしるしや不思議をしないのかという理解も言葉を通して得られたのではないのか。よって、この段階で語られる言葉はかつての世代の使徒たちや預言者たちによってなされた働きを越えている。預言者たちによる預言でさえもこのような成果を上げることはできなかった。

『言葉は肉において現れる』の「受肉の奥義(4)」より

世の終わりに神は言葉を発することを主な目的として来る。神は聖霊の観点から、人間の観点から、第三者の観点から話す。神は異なった話し方をする。ある期間は一つの話し方をし、人間の見方を変え、漠然の神の姿を人間の心から除くために、様々な話し方をする。これが神のする主要な働きである。人間は神が病人を癒やし、悪霊を追い払い、奇跡を行い、人間に物質的な幸いをもたらしに来たと考えているため、神はこの段階の働きをする──刑罰と裁きの働きを──そうした観念を人間の思考から除くために。人間が神の現実性、神の正常を知るように。そして、イエスの姿が人間の心から消え、新たな姿に置き換えられるように。人間の心の中にある神の姿が古くなるとすぐに、それは偶像になる。イエスが来てその段階での働きをしたとき、神の全体を示しはしなかった。イエスはいくつかのしるしや不思議を示し、言葉を語り、最後に磔刑に処せられ、神の一部分を示した。イエスは神の全体像を示したわけではなく、一部の働きをして神を示したのだ。これは、神があまりに偉大で、驚くべきであり、計り知れないからであり、神がそれぞれの時代にその働きの一部だけをするからだ。神がこの時代に実行する働きは、主に、人間のいのちのための言葉を与えること、人間の本性の実質と、人間の堕落した性質を明らかにし、人間の知識と文化とともに、宗教的観念、封建的な考え方、時代遅れの考えを除くことである。これはすべて神の言葉によって露わにし、清めなければならない。世の終わりに、神はしるしや不思議ではなく、言葉を用いて人間を完全にする。神は言葉によって人間を露わにし、裁き、罰し、人間を完全にし、言葉の中に神の知恵と素晴らしさを見、神の性質を知り、言葉によって人間が神の働きを知るようにする。

『言葉は肉において現れる』の「今日の神の働きを知るということ」より

終わりの日において、神は人を完全にするのに、主として言葉を用いる。神は、人に圧力をかけたり人を確信させたりするのに、しるしや不思議を用いない。それは、神の力を明らかにしない。もし神がしるしや不思議を示すだけならば、神の実在性を明らかにすることは不可能だろう。したがって、人を完全にすることも不可能だろう。神は、しるしや不思議によって人を完全にせず、人を潤し牧養するのに言葉を用いる。そしてその後で人は、完全な従順と神についての認識を達成することができる。これが、神が行う働きと神が話す言葉の目的である。神は、人を完全にするのにしるしや不思議を示すという方法を用いない。神は言葉を用い、多くの異なる働きの方法を用いて人を完全にする。それが精錬であろうと、取り扱い、刈り込み、あるいは言葉の施しであろうと、神は、人を完全にするために、人に神の働き、神の知恵や驚くべき力についてのより大きな認識を与えるために、多くの異なる観点から話す。

『言葉は肉において現れる』の「すべてが神の言葉によって達成される」より

終わりの日に、神が肉になるとき、神はすべてを成し遂げるために、すべてを明らかにするために、主として言葉を用いる。神の言葉の中においてのみ、あなたは、神とは何かを知ることができる。神の言葉の中においてのみ、あなたは、神が神自身であることを知ることができる。肉となった神が地上に来るとき、神は言葉を話すこと以外のどのような他の働きもしない。したがって、事実は必要でない。言葉で十分である。神は主な役割として、この働きをするために、神の力と至高を人が自身の言葉の中に見られるように、神が身を低くして自身を隠すことを人が自身の言葉の中に見られるように、そして神の完全性を人が自身の言葉の中に知ることができるように、来たからである。神が所有するものおよび神が今あるところのものすべてが、神の言葉の中にあり、神の知恵や素晴らしさは神の言葉の中にある。この中にあなたは、神が自身の言葉を話す多くの方法を見ることができる。今までずっと、神の働きのほとんどは、人間への施しであり、暴きであり、取り扱いであった。神は軽々しく人を呪いはしないし、そうするときでさえ、言葉を通してそれを行う。したがって、この肉となった神の時代において、神が再び病人を癒やし、悪魔を追い出すのを見ようとすべきでない。いつもしるしを見ようとしていてはならない。無意味なことだからだ。そのようなしるしは、人を完全にしはしない。わかりやすく言えば、以下のようなことである。今日、肉となった実在する神自身は、話すことだけを行い、行動はしない。このことは真理である。神はあなたを完全にするために言葉を用い、あなたに食べ物を与え、あなたの渇きを癒すために言葉を用いる。神はまた、働きをするために言葉を用い、さらに神は自身の真実をあなたに知らせるために、事実の代わりに言葉を用いる。もしあなたが、このような神の働きを感じ取ることができるなら、受け身でいることは難しいだろう。否定的なことに集中する代わりに、肯定的な事柄にのみ、あなたがたは集中すべきである。つまり、神の言葉が成就されようとしまいと、あるいは事実の到来があろうとなかろうと、神は自身の言葉から人がいのちを得ることを可能にする。これはあらゆるしるしの中の最大のしるしである。そしてなお偉大であるのは、これが議論の余地のない事実であるということである。この事実こそ、神を知る論拠とするのにもっともふさわしい。そしてこのことこそ、しるしよりもさらに偉大なしるしである。このような言葉だけが、人を完全にする。

『言葉は肉において現れる』の「すべてが神の言葉によって達成される」より

わたしの言葉は厳しいかもしれないが、すべては人を救うために語られているのであり、わたしは言葉を語っているだけで、人の肉を罰しているのではない。これらの言葉は、人が光の中で生きるように促し、人に光が存在すること、また、その光は貴重であることを知らしめる。さらにはこれらの言葉が人にとっていかに有益であるか、そして神は救いであることを知らしめる。わたしは刑罰と裁きの言葉を数多く語ったが、それらのことは実際あなたたちに対して行われていない。わたしはわたしの働きを行うために、わたしの言葉を話すために来た。わたしの言葉は厳しいかもしれないが、あなたたちの堕落と反抗を裁くために語られているのだ。わたしがこれを行う目的は依然として人をサタンの支配下から救うこと、人を救うためにわたしの言葉を使うことである。わたしの目的はわたしの言葉で人を傷つけることではない。わたしの言葉が厳しいのは、わたしの働きから成果が獲得されるためである。このように働くことを通してのみ、人は自分自身を知ることができ、反抗的性質を断つことができる。言葉の働きで一番大きな意義は、人々が真理を理解した後、真理を実践し、彼らの性質において変化を達成し、自分自身および神の業についての認識を獲得させることである。話すことを通して働くという手段のみが神と人の意思疎通を可能にでき、言葉のみが真理を説明することができるのである。このような方法で働くことは、人を征服する最善の手段である。言葉を発すること以外では、真理や神の業をより明確に人に理解させることのできる手段は他にない。そこで神は神の業の最終段階で人に話しかけ、人が理解しないすべての真理や奥義を明らかにして、彼らが神から真理の道といのちを得て、神の心を満足させることができるようにする。

『言葉は肉において現れる』の「あなたたちは地位の恩恵は脇に置き、人の救いに関する神の心を理解するべきである」より

この時代に神はあなたがたのもとに、この現実をもたらす。つまり、一人ひとりが神の言葉を生き抜き、真理を実践することができ、誠実に神を愛し、すべての人が神の言葉を基盤として自分たちの現実として用い、神への畏敬の念に満ちた心をもち、神の言葉の実践をとおして、人間は神と共に王としての力を振るう、という現実である。神が達成するのは、この働きである。あなたは神の言葉を読まずに生きていくことができるか。神の言葉を読まずには一日、二日さえも生きていけないと感じる人が今では多くいる。彼らは神の言葉を毎日読まなくてはならず、もし時間のせいでそれが許されないのであれば、神の言葉を聴くことで事足りる。これが聖霊が人間に与える感情であり、これが聖霊が人間を動かし始めるやり方である。つまり、神は言葉をとおして人間を統治し、それにより人間が神の言葉の現実に入れるようにするのである。もし、神の言葉を飲み食いすることなしに一日だけ経った後、闇と渇きとを感じ、それを受け入れられないと感じるならば、それはあなたが聖霊により動かされており、聖霊があなたから離れていないことを示している。そうであれば、あなたはこの流れの中にいる。しかし、神の言葉を飲み食いしないで一日か二日経った後、何も感じず、渇きもなく、まったく動かされていないのならば、それは聖霊があなたから離れたことを示している。そうであれば、これはあなたの内面状態の何かが間違っているということである。あなたは言葉の時代に入っておらず、遅れをとったのである。神は言葉を用いて人間を統治する。もし神の言葉を飲み食いするならば、あなたは良い気分になり、もしそうしないならば、あなたにはたどるべき道がない。神の言葉は人間の食物、人間を動かす力となる。聖書には「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」とある。これが神が今日達成する働きである。神はあなたがたにおいてこの真実を達成する。どうして過去の人間が神の言葉を何日間も読まないで、それにもかかわらず食べて働くことができたのだろうか。そしてなぜ今ではそうではないのだろうか。この時代において、神はおもに言葉を使ってすべてを統治する。神の言葉をとおして、人間は裁かれ、完全にされ、そして最後には神の国に連れて行かれる。とりわけ神の国の時代においては、神の言葉だけが人間のいのちを供給することができ、神の言葉だけが人間に光と実践のための道を与えることができる。あなたが毎日神の言葉を飲み食いし、神の言葉の現実から離れない限り、神はあなたを完全にすることができるであろう。

『言葉は肉において現れる』の「神の国の時代は言葉の時代である」より

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