個人的な復讐のために権力を乱用することの本質
少し前に、私たちの地域をいくつかの地区に分ける必要がありました。リーダー選出基準に基づくと、比較的相応しい候補者として一人の兄弟がいました。私は彼を地区リーダーに選出する準備をしました。ある日、この兄弟と話していると、私が働きにおいて威圧的で、あまりにも張り詰めており、私との会合はあまり楽しくないと彼は言いました。これを聞いて、私は軽く扱われていたと感じました。嫌な気持ちになり、すぐさまこの兄弟に対するある種の見方が生じて、地区リーダーに彼を選出するのは止めることにしました。
その後、ホストファミリーの家に戻りましたが、気分は晴れず、気持ちを落ち着かせることができませんでした。その時、ある説教の一節を思いました。「リーダーが、自分が不愉快に感じ、自分に反対してくる、自分とは全く異なる意見を持つ兄弟姉妹をどのように扱うかは非常に重大な問題で、慎重に対応する必要があります。リーダーが真理に入らないと、この種の問題に遭遇した時、このような人物を差別したり、攻撃的な態度に出たりします。このような行動は、神に抵抗し、神を裏切る赤い大きな竜の本性を正確に露呈しています。リーダーが真理を追求し、良心があり、分別をわきまえている人であれば、真理を求め、適切に対応するでしょう。…人として私たちは、公正かつ公平でなければなりません。リーダーとしては、神の証人となるよう、神の言葉に従い物事に対処する必要があります。私たちが、私たち自身の堕落した性質に従い、自らの意志のままに行動するならば、恐ろしい破綻が待っているでしょう。」(上部からの説教)この兄弟と会話する前と会話した後の、私の全く異なる二つの態度を比較せずにはいられませんでした。私はもともとこの兄弟を地区リーダーに選出するつもりでした。しかし、会話の中で、彼は私に面子を失くさせるようなことを言ったため、私は彼に対する考えを即座に変えて、もう選出しないことにしたのです。これは、まさに個人的な復讐のための職権乱用ではなかったでしょうか。この行為は、異議を唱える人を差別したり、攻撃したりする赤い大きな竜と何が違うと言うのでしょうか。このような行動は卑劣ではないでしょうか。教会は社会とは同じではありません。教会は、どのレベルにいるリーダーにも、真理を愛し、真理を受け入れることができる人間性のある人であることを求めます。おべっかを使い、真理の現実がない人は求めていません。一方、私がしていたことは、神の心とは正反対のことでした。候補者を選んでいた時、私は自分自身の利益のみを考ており、相手が私に不快なことを言い、私を支持しないとなると、直ちに彼を差別し、腹を立てたのです。私のこのような行動は、神に抵抗し、神を裏切る赤い大きな竜の本性を正確に表していなかったでしょうか。これは、「従う者は富み栄える。逆らう者は滅びる」というサタンの性質を正確に露呈してはいなかったでしょうか。このような振舞いはサタンの下僕のものであり、神の働きを混乱させ、神の敵となるものではなかったでしょうか。私の心は非常に邪悪ではないでしょうか。教会はある地位につく人を選出しようとしており、この兄弟は地区リーダーにうってつけの候補者でした。彼の私に対する評価は、私にとっては不愉快でした。私はこの件に関して真理を求め、彼の意見を受け入れるべきでした。私は自分を省みて、自身を知り、働きにおける私の欠点を補うべきでした。しかし、私は自分自身の中に理由を探そうとしなかったばかりか、私の中に潜むサタンの本性に身をゆだね、彼を差別し、復讐しようとしたのです。私はなんと傲慢で、人間性が欠けているのでしょう。私のこのような性質に、神は強い嫌悪感をお抱きになります。その後もこのような堕落した本性のなすがままにさせていたら、私は神が見えない、悪の傲慢な下僕として最終的には荒んでしまっていたことでしょう。私は本当に危機的な状況にいました。あの時、私の中に赤い大きな竜の毒が一杯あり、神に対する完全な反目行動が現れるのを目の当たりにし、自分の考えや行動に身震いせずにはいられませんでした。神は本当にこれをお嫌いで、うんざりしておられます。
神よ、すばやく啓示を授け、私の差別的な行動を防ぎ、あなたの敵として振舞う私のサタン的な面をよりよく見えるようにしてくださり、ありがとうございます。今日から、私はこの性質を変えるべく模索していきます。私にとって心地良くない人や物事に遭遇した時は、私自身のことは脇に置き、肉に背き、すべてのことにおいて教会の利益を守り、私の責任を果たしていけるよう最大限の努力をするように努めます。
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