刑務所で過ごした青春時代
青春時代は人生の中で最も輝きのある純粋な時期であると人は言います。多くの人にとって、青春は素晴らしい思い出がいっぱい詰まっている時期かも知れません。しかし、私は自分の青春時代を労働収容所で過ごすことになるとは想像もしていませんでした。こう言うと私のことを変だと思われるかも知れませんが、私はそれを後悔していません。労働収容所内の生活は苦しみと涙でいっぱいでしたが、それは私が人生で受けた最も貴重な贈り物で、それから多くを学んだのです。
私は幸せな家庭に生まれ、幼少時代は母と一緒に主イエスを崇拝しました。私が十五歳の時、私と家族は全能神が再臨された主イエスだと確信して、喜んで全能神の終わりの日の働きを受け入れました。
2002年4月のある日、十七歳の時、私はある姉妹と本分を尽くしていました。午前一時、突然ドアをしきりに叩く大きな音がして、私たちは目が覚めました。「ドアを開けろ! ドアを開けろ!」と誰かが外で叫んでいるのが聞こえました。姉妹がドアを開けたとたん、警察官数人が突然ドアを押し開け中に入ってきて、「私たちは公安局の者だ」と攻撃的に言ったのです。「公安局」という言葉を聞いて、私は直ぐに緊張しました。「私たちが神を信仰しているから逮捕しに来たの? 兄弟姉妹が神への信仰を理由に逮捕され、迫害されてたことを耳にしたことがある。今私にも同じことが起こっているっていうの?」その時、私の心臓は激しく鼓動し始め、パニックに陥った私はどうしていいのか分かりませんでした。そのため私は急いで神に祈りました。「神様、どうか私とともにいてください。どうか私に信仰と勇気をお与え下さい。何が起ろうと、私はいつも神様への証を立てる覚悟です。それから、神様の知恵と私が言うべき言葉を与え、私が神様を裏切ったり、兄弟姉妹たちを売り渡すようなことをしないようにして下さい」祈った後、私の心は次第に落ち着いていきました。私は邪悪警官四、五人が強盗のように寝具、各戸棚、箱、ベッドの下にあった物まで調べ、部屋中を引っかき回すのを見ました。彼らはついに神の御言葉を記した書籍と讃美歌のCDを幾つか発見しました。リーダーが無表情に言いました。「このような物を持っているということは、お前たちが神を信仰している証拠だ。俺たちと一緒に来て、陳述するんだ」ショックを受けて私は言いました。「言うべきことがあるなら、ここで言えます。一緒に行きたくありません」彼は直ぐに笑顔を見せて言いました。「怖がらなくてもいい。陳述をしにちょっと行くだけだ。すぐここに連れ戻してやる」彼の言葉を信じて、私は警官と一緒にパトカーに乗りました。このちょっと行くだけというのが、私の刑務所生活の始まりになるとは夢にも思いませんでした。私達が警察署の中庭に入ったとたん、この邪悪な警官たちが私にパトカーから降りるようにと怒鳴り始めました。彼らの表情は素早く一変して、急に先ほどまでとは別人になったようでした。私たちが事務所に着くと、体のがっしりした警官が数名私たちの後から入って来て私の両側に立ちました。今や私に対する警官側の優勢が確定すると、邪悪警官集団の長が私に怒鳴りました。「お前の名前は何だ? どこの出身だ? お前たちは全員で何人いる?」私が答えようと口を開き、まだ話し終えていないうちに彼は飛び付いてきて私をバシッ、バシッと二回引っ叩きました。私はこれに動揺して沈黙してしまいました。私は心の中で思いました。「なんで叩くの? まだ答え終わってないのに。どうしてこんなに荒々しくて野蛮で、私が想像していた人民警察のイメージと全然違うの?」次に、私の年齢を聞いてきたので、正直に十七歳だと答えると、又しても顔面を二回引っ叩いて、嘘をついていると言って私を叱りつけました。その後、私が何を言おうと関係なしに幾度となく私の顔面を殴りつけ、顔は痛みで熱くなりました。私はこの悪質な警官たちと理性的に話そうとしても効果がないのだと兄弟姉妹が言っていたのを思い出しました。今やこれを自ら体験した私はそれ以上何を聞かれても一言も喋りませんでした。私が喋ろうとしないことを見て、彼らは叫びました。「この馬鹿女が! よく考えろ! でないと正直に話さないだろうからな!」こう言いながら警官の一人が私の胸を二回強打したので、私はよろめいて、床に強く倒れ込みました。次に警官は私を二回強く蹴り、私を床から引き上げ、私に跪くようにと怒鳴りました。私は言う通りにしなかったので、膝を数回蹴られました。激痛の波に圧倒された私はドスンと音を立てて倒れ、跪く恰好になりました。警官は私の髪を掴んで無理やり下に引き付けた後、急に頭を後ろに強く引っ張って私に無理やり上を向かせました。警官はさらに私の顔面を二回殴りながら罵り、私には部屋全体が回転しているような感覚しかありませんでした。間もなく、私は床に倒れました。その時、突然、邪悪な警官長は私が手首にしていた時計に気付き、それを物欲しそうに見詰めながら、「それ何だ?」と叫びました。すぐさま、警官の一人が私の手首を掴んで時計を無理やり取り外し、「親方」に手渡しました。このような卑劣な行動を目にして、私は彼らへの憎しみでいっぱいになりました。その後、彼らは更に尋問してきましたが、私はただ黙って彼らを睨み付け、それが彼らの怒りを更に煽りました。悪質な警官の一人がまるで小ぶりの鶏をつまみ上げるかのように私の襟を掴み、床から引き上げて怒鳴りました。「おお、お前は大きくて強いんだな。黙ったままの褒美を食らえ!」警官はこう言いながら私をさらに二回強打し、私は再び床に殴り落とされました。その時には私は既に体中が耐えられないほど痛く、戦う力はもはらありませんでした。私はただ動かずに目を閉じたまま床の上に横たわっていました。私は心の中で切羽詰まって神に嘆願しました。「あぁ神様、この邪悪な警官集団がこの先私にどのような残虐行為を働いてくるか分かりません。神様は私の霊的背丈が低く、肉体的にも弱いことをご存じであられます。どうか私をお守り下さい。私はユダのようになって神様を裏切るくらいなら死を選びます」祈りを終えたとき、神が私に信仰と力を授けてくださいました。ユダになって神を裏切り兄弟姉妹を売り渡すよりは私は死ぬほうがよいのです。神への証しをしっかりと立てたいのです。ちょうどその時、私の隣にいた誰かが「なんでこの女はもう動かないんだ? 死んだのか?」と言うのが聞こえました。その後、誰かがわざと私の手に足を乗せて強く踏み付けながら、どう猛な声で怒鳴りました。「立て! これからお前を別の場所に連れていくからな。」神が私に信仰と力を下さったので、私は彼らの脅しには怯えませんでした。心の中でサタンと戦う準備が出来ていたのです。
後に、私は県の公安局に護送されました。取調室に到着すると、邪悪警官の長と他に二名が私を取り囲み、幾度となく尋問し、私の前を行ったり来たりしながら私に無理やり教会指導者と兄弟姉妹を裏切らせようとしました。私が依然として期待通りの返答をしないのを見ると、警官が三人交代で私の顔を何度も繰り返し引っ叩きました。私は何度殴られたか分かりません。私に聞こえたのは殴られる度に真夜中の静けさの中に響き渡るバシッバシッという音だけでした。手が痛くなってきた邪悪な警官は本を使って私を殴り始めました。警官らは私がついに痛みを感じられなくなるまで殴り続けました。私の顔はひどく腫れて麻痺しました。私からは貴重な情報が得られないと分かった邪悪な警官たちは、最後には電話帳を取出して、満足げに言いました。「これはお前のバッグから見つけたんだ。お前が何も教えなくても、俺たちはまだ他の方法を隠してるんだ!」急に私は心配になりました。「もし兄弟姉妹の誰かが電話に出てしまったら、彼らも逮捕されるかもしれない。それから警官が教会を突き止めるかも。そうなったら一大事だわ」ちょうどその時、私は神の御言葉の一節を思い出しました。「宇宙で起こるすべてのことのうち、わたしが最終的な決定権を持たないものはない。わたしの手の中にないものなどあるだろうか」(『神の出現と働き』「全宇宙への神の言葉、第一章」〔『言葉』第1巻〕)。私は思いました。「その通り。すべての物事は神様の御手に調整され取り決められる。電話が通じるか通じないかさえも、完全に神様がお決めになること。私は神様を仰ぎ見て頼りにし、神様の采配にお任せすることをいとわない」そこで私は神に繰り返し祈り、兄弟姉妹をお守り下さるよう嘆願しました。その結果、警官らが記載されていた電話番号に一通り電話をかけたものの、呼び出し音が鳴っても誰も出なかったり、電話が全くつながらなかったりしました。ついには、邪悪な警官たちはイライラして口汚い言葉を吐きながら電話帳をテーブルに投げて電話をかけるのを止めました。私は神に感謝の意と賛美を示さずにはいられませんでした。
それでもなお、彼らは諦めず、教会の働きについて私に尋問し続けましたが、私は答えませんでした。これに動揺し憤慨した彼らは私を苦しませるために更に卑劣な方法を思いつきました。邪悪な警官の一人は私に無理やり半分しゃがんだ姿勢を取らせ、私は両腕を肩の高さで伸ばした状態のまま動くことを全く許されなかったのです。直ぐに、私は脚が震えだし、腕を真っすぐに伸ばしていることが出来なくなり、体が無意識のうちに立ち上がってしまいました。警官は鉄の棒を手にして獲物を見つめる虎のように私を睨めつけました。私が立ち上がったとたんに彼は容赦なく私の脚を殴り、あまりの痛さに私は膝をつきそうになりました。次の三十分近くの間、私の脚か腕が少しでも動くと、彼は即座に鉄の棒で私を殴りつけました。私は何度殴られたか分かりません。かなりの時間半分しゃがんだ姿勢を取っていたため、私の両脚はひどく腫れ上がり、まるで骨折したかのように耐え難いほどに痛みました。時間が経つにつれて、私の両脚はさらに激しく震えるようになり、私の歯はガタガタと音を立て続けました。ちょうどその時、私の力が尽きたと感じました。しかし、邪悪な警官たちは、残酷にも猿に芸をさせようとする人のように一方から私を馬鹿にしてあざ笑い、絶え間なく意地悪く嘲笑し、笑い者にしました。彼らの醜く卑しい顔を見れば見るほど、この邪悪な警官たちへの憎しみが強くなっていきました。私は突然立ち上がって大声で言いました。「もうこれ以上しゃがみません。どうぞ私を死刑にしてください! 今日私には失うものなんて何もないの! 死ぬことだって怖くないのに、あなたたちが怖いわけないでしょう? そんな大きな体してても私みたいな小さな女の子を虐めることしか出来ないんじゃない!」驚いたことに、私がこう言うと、邪悪な警官集団は口汚い言葉をいくつか発して私の尋問を取りやめたのです。
この邪悪な警官集団は私をほぼ一晩中拷問し続け、彼らが手を休めた時には夜明けになっていました。彼らは私に署名させてから、私を拘束すると言いました。その後、優しいふりをした年配の警官が私に言いました。「お嬢さん、あなたは本当にお若い。若い盛りの真っただ中だ。だからすぐに知ってることを全部私たちに言うのが一番です。あなたが釈放してもらえるようにすることを保証します。困ったことがあったら、遠慮なく私に言いなさい。ほら、顔がまるでパンみたいに腫れ上がっていますよ。もう十分苦しんだでしょう?」警官がこのように話すのを聞いて、警官が私に何らかの自白させようとしているのだと分かりました。私はまた集会中に兄弟姉妹が言っていたことを思い出しました。邪悪な警察は人を騙すために、あめとむちを使ったり、ありとあらゆる罠をしかけてくることです。これを思った私は年配の警官に言いました。「いい人ぶらないでください。あなたも同じ集団の一員じゃないですか。私に何を白状しろって言うんですか? 警察がやっているのは自白の強要って言って、違法の刑罰です!」これを聞いた警官は何食わぬ顔で言い返しました。「でも私はあなたを一度も叩いてませんよ。叩いたのは他の警官だ」私は神の御導きと御加護のおかげで再度サタンの誘惑に打ち勝てたことを感謝しました。
県の公安局を出た後、私はそのまま直ぐ拘置所に閉じ込められました。正門に足を踏み入れると、そこは電気の流れた蛇腹型鉄条網が上部に施された高い壁に囲まれていて、四方にはそれぞれ監視塔のような物があり、その中には武装警官が見張りをしているのが見えました。全てがとても不吉で恐ろしく感じました。鉄格子を幾つも通り過ぎた後、私は監房に着きました。凍りつくほど冷たい煉瓦のベッドの上には麻のカバーが付いたぼろぼろの布団が置かれ、黒く汚れて刺激の強い悪臭を放っていました。それを見た私は体中に嫌気の波がうねるのを感じずにはいられませんでした。その後直ぐに悲しみの波が続きました。 私は心の中で思いました。「どうやったらここで人が暮らせるというの? ただの豚小屋じゃない」食事の際、囚人はそれぞれ酸っぱくて半生の小さな蒸しパンしか与えられませんでした。私は警察に夜更けまで拷問されて何も食べなかったのですが、これを見て本当に食欲を失いました。それに加え、私は警官たちに殴られたおかげで顔が腫れ上がっていたので、まるでテープで巻き付けられたように張り詰めた感じがしました。食べるのは言うまでもなく、喋ろうとして口を開けるだけでも痛みが走りました。このような環境に置かれ、私はとても憂鬱になり、物凄く不当な扱いを受けていると感じました。実際にこんな所にいて、非人道的な生活に耐えなくてはならないかと思うと、私はとても感情的になり無意識のうちに涙を流していました。一緒に逮捕された姉妹は私と神の御言葉を交わしました。そのあと私はわかりました。神はこの状況が私に起こるのをお許しになったのであり、それは神が私に試練を与え、試すことで、私が証しを立てられるかをご覧になろうとしていたのです。また、この機会を利用して私の信仰を完成させていました。これに気付くと、私は不当な扱いを受けたと感じるのを止め、苦難に耐えると心の中で決意するようになりました。
二週間経ち、あの邪悪な警官の長が又しても私を尋問しにやってきました。私が冷静さと落ち着きを保ったままで、何も恐れていない様子を見た警官は私の名前を叫んで怒鳴りました。「正直に言え。ここ以外のどこでこれまでに逮捕された? 拘置所はこれが初めてじゃないだろ。でなければ全く怖がらずそんなに冷静で慣れた振る舞いをしていられないだろ?」私はこれを聞いて、心の中で神に感謝して、神を讃えずにはいられませんでした。神は私をお守り下さり、私に勇気を下さることで、私が全く恐れずにこの邪悪な警官たちに立向えるようにして下さったのです。その時、心の中から怒りが込み上がってきました。「あなたがたは権力を濫用して宗教的信仰を理由に人々を迫害して、理由も無しに神の信仰者たちを逮捕したり、脅したり、傷つけたりしている。あなたがたはこの世の法律も天の掟も守らない。私は神を信仰して、正しい道を歩んでいる。私は法律違反などしていない。あなたがたを恐れる理由もない。私はあなたたちの邪悪な力には屈しない!」そして私は反論しました。「他の場所は退屈だから私がここに来たがったとでも思ってるの? あなたがたは私を不当に扱って乱暴なことをしたんじゃない! これ以上私に自白を強要したり、私を陥れようとしても無駄よ!」これを聞いた邪悪な警官の頭はとても憤慨し、耳から煙が吹き出てきそうな様子でした。警官は叫びました。「お前は頑固すぎて喋れないのか。喋る気がないんだろ? お前には三年の刑期をくれてやる。それでお前がいい子になるかどうか見てやる。頑固でい続けられるものならやってみろ!」この時までには私の感情は憤慨を超えていました。私は大声で言い返しました。「私はまだ若いのよ。三年なんて大したことないでしょ? あっという間に釈放されるわよ」邪悪な警官は怒って急に立ち上がり、声を上げて部下に言いました。「もう止めた。お前らが代わりにこいつを尋問しろ」そして警官はドアを乱暴に閉めて去って行きました。これを見た警官二人はこれ以上私を尋問しませんでした。彼らは私が署名する陳述書を書き終えると部屋から出て行きました。邪悪な警官たちの挫折ぶりを見て、私はとても嬉しくなり、心の中で神のサタンに対する勝利を讃えました。二回目の尋問の最中、彼らは作戦を変更しました。彼らは入ってくるとすぐ、私のことを心配しているふりをしたのです。「お前がここに来てからもうしばらく経つが、どうしてお前の家族は一人も面会に来ないんだ? お前のことを諦めたに違いない。自分で家族に電話をして、会いに来てくれと頼んでみたらどうだ?」私はこれを聞いて、気分が悪くなり、動揺しました。孤独感と無力感はどんどん増していきました。私はホームシックで両親が恋しくなり、自由になりたいという渇望は強まりました。無意識のうちに、私の目に涙があふれましたが、この邪悪な警官集団の前では泣きたくありませんでした。私は静かに神に祈りました。「あぁ神様、私は今とても惨めで苦しく、とても心細いです。どうか私を助けてください。サタンに弱さを見せたくないからです。今、私には神様の御意向が分かりません。どうか私を啓き、導いて下さい」祈りを捧げた後、突然ある考えが頭にひらめきました。つまり、これはサタンのずるい計略で、私に家族と連絡を取らせようとしたのは家族に身代金を持参させ、お金を稼ぐという目的を達成するための罠だったのかもしれません。もしくは、警察は私の家族も全員が神の信仰者であることを知っていて、この機会を利用して私の家族も逮捕したかったのかもしれません。邪悪な警官たちは本当に策略だらけでした。神の啓きを受けていなかったら、実家に電話していたかも知れません。そうしていたら私は間接的にユダになっていたのではないでしょうか? それで私は秘かにサタンに宣言しました。「卑劣な悪魔め。私はお前の策略は絶対に成功させないから。」そして私は平然と言いました。「どうして家族が会いに来てくれていないのかは分かりません。あなたがたに何をされようと私にはどうでもいいです!」邪悪な警官たちは策が尽きて、それ以降はもう私を尋問しませんでした。
一か月が経ったある日、私のおじが突然面会に来て、私をここから出られるようにしようとしていて、数日後には釈放されるだろうと言いました。面会室から出た時、もの凄く嬉しくなりました。やっともう一度日の明かりを見られ、兄弟姉妹や大切な人たちにも会えると思いました。それで、私は空想しながらおじが私をここから連れ出しに来てくれることを楽しみにするようになりました。毎日、刑務官が釈放時間が来たことを告げる声が聞けるよう耳を澄ましました。期待通り、一週間後に刑務官が私を呼びに来たのです。大喜びで心臓が激しく鼓動し過ぎて胸郭から飛び出しそうになりながら、面会室に到着しました。しかし、私がおじを見ると、おじは顔を伏せてしまったのです。随分してからおじは落胆した声で言いました。「やつらは既にお前の件を確定してしまった。禁錮三年だ」私はこれを聞いて唖然としてしまい、頭の中は完全に真っ白になりました。私は涙をこらえて、なんとか泣かずにいられました。その後におじが言ったことは何も耳に入ってきませんでした。私は放心状態でおぼつかない足取りのまま面会室を後にしました。両足は鉛がいっぱい詰め込まれたようで、一歩進む度に足が重くなっていく感じがしました。どうやって監房に戻ったか全く覚えていません。監房に着くと、床に倒れ込みました。私は思いました。「この一ヶ月以上の非人道的な生活は、その毎日が一年くらいの長さに感じたのに、どうやったらこれを三年間も耐え抜くことが出来るの?」これをくよくよと考えれば考えるほど、私の苦しみは増していき、私の将来は増々ぼやけて、果てしなく見えました。これ以上涙をこらえられず、泣き出してしまいました。未成年者として、私は決して刑を受けることはなく、せいぜい数ヶ月しか禁錮されないだろう、どんなに辛くても我慢して耐えられると思っていたのですが、3年の刑を言い渡されたとは思っていませんでした。私は悲しみの中、再び神の前へ行き、神に心の内を明かして言いました。「あぁ神様、私は全ての物事は神様の御手の中にあると分かってはいますが、現在は私の心は完全に空っぽになったようです。私は今にも崩れ落ちそうです。刑務所で三年間苦しむのはとても困難になると思います。あぁ神様、どうか御意向を私にお示し下さい、そして私が神様に完全に服従し、勇気を持って降りかかってきたことを受け入れられるよう私に信仰と力を下さるようお願いします」祈ったあと、私は神の御言葉を思いました。「あなたがたは終わりの日に神への証しをしなければならない。あなたの苦しみがいかに大きくても、最後まで歩まなければならず、最後の一息になってもなお神に対して忠実であり続け、神に身を委ねなければならない。これだけが真に神を愛するということであり、またこれだけが鳴り響くような強い証しなのである」(『神の出現と働き』「辛い試練を経験することでのみ、神の素晴らしさを知ることができる」〔『言葉』第1巻〕)。神の言葉は私に信仰と力を与え、私は心から従いたいです。私がどんな環境に直面しても、どんなに苦しんでも、決して神に不満をぶつけるのではなく、神への証しを立てなければなりません。私は労働収容所に護送されました。私は評決書を受け取ってそれに署名した時、刑期が三年から一年に減刑されていたことを知りました。私は心の中から何度も何度も神に感謝して、神を讃えました。神はこれら全てのことを御計画なさっており、私はその中に神から私への大いなる愛と御加護を見たのです。
労働収容所では、私は邪悪警察の更に卑劣で残忍な一面を目の当たりにしました。私たちはとても朝早くに起床して仕事に向かい、毎日作業を情け容赦なく過大に負わされていました。私たちは毎日長時間働き、時には数日間連続で一昼夜ぶっ通しでも働きました。囚人の中には病気になり点滴を必要とした人もいて、点滴が終了したら直ちに作業場に戻って仕事を再開出来るようにと滴下速度を最速設定されていることもありました。これが原因で受刑者の多くは後に治療困難な病気を患いました。仕事の遅い囚人たちは看守から頻繁に言葉の虐待を受けていました。看守の汚い言葉遣いは全く聞くに堪えませんでした。囚人たちの中には労働中に規則を違反して罰を受ける人もいました。例えば、「縄引き」という罰は、地面に跪かされ、両手を背中の後ろで縛られ、両腕を無理やり首の高さまで引き上げて痛め付けるというものです。他には、まるで犬のように鉄鎖で木につながれて、むちで容赦なく打たれる囚人もいました。この非人道的責め苦に耐えられなかった人はわざと餓死しようと試みるのですが、邪悪な看守はそんな囚人の両足首と両手首に手錠を掛け、体を強く抑え付けながら栄養チューブと水分を強引に体内に押し入れていました。看守は囚人たちが死んでしまうことを恐れていましたが、それはいのちを大切にしていたからではなく、囚人の安価な労働力を失うことを懸念していたからです。看守の犯した邪悪な行いは、恐ろしく凶暴でむごたらしい事件同様、本当にあり過ぎて数えきれませんでした。この全てにより、私は中国共産党政府は霊的世界に存在するサタンの地上のおける化身であるのだとはっきり分かりました。それは全悪魔の中で最も邪悪であり、その支配体制下にある刑務所は、名目上だけでなく実質においてもこの世の地獄です。私は尋問を受けた事務所の壁に書いてあった言葉を覚えています。それは、「任意に人を殴ること、または不法な罰に処することは禁じられており、拷問によって自白させることは更に強く禁じられている」です。それにもかかわらず、実際、彼らの行動はそのような規則に公然と反していました。彼らは成人ですらない女の子の私を無慈悲に殴り、不法な罰を加えました。さらに、彼らは私が神を信仰していたというだけで私に刑を宣告したのです。こういったこと全てによって、私は中国共産党政府が平和と繁栄のみせかけを提示する一方で、人々を欺くために用いる策略を明確に理解することが出来たのです。それは正に神の御言葉通りでした。「悪魔は人間の身体全体をがんじがらめにし、両眼を見えなくし、両唇を堅く封じる。魔王は数千年前から現在にいたるまで猛威を振るい、幽霊の街を堅固に警備しており、それはあたかも難攻不落の悪魔の城のようである。一方、警護に当たる番犬の群れが睨んでいる。番犬は神による不意討ちで完全に滅ぼされるのを深く怖れるあまり、平和と幸福の余地はない。このような幽霊の街の住民が神を見たなどということが、どうしてありえるだろうか。住民は神の優しさや愛しさを享受したことがあるのか。人間世界の物事をどのように認識しているのか。そのうちの誰が神の切なる望みを理解できるのか。肉にある神が完全に隠れたままであっても、不思議ではない。悪魔が残忍非道をはたらく暗黒社会において、眉一つ動かさずに人々を殺す魔王が、愛しく優しく聖い神の存在をどうして容認できようか。どうして魔王が神の到来に喜び喝采を送ることができようか。卑屈な者ども。彼らは恩を仇で返し、神を侮って久しく、神を虐待し、残忍を極め、神を少しも敬うことなく、強奪や略奪を行い、良心を完全に失い、良心にすっかり逆らい、純真な人々を誘惑し無分別な状態に陥れる。遠い昔の祖先とは何なのか。愛すべき指導者とは。彼らは皆、神に反抗している。その干渉により、地にある者すべてが闇と混沌に陥れられている。宗教の自由だと。市民の正当な権利と利益だと。そのようなものはどれも罪を隠蔽する手口である」(『神の出現と働き』「働きと入ること(8)」〔『言葉』第1巻〕)
邪悪な警官たちの迫害を経験した後、私は神の仰るこの御言葉の内容を完全に確信し、その時にはこのことに関する実際の認識と体験を自分のものにしていました。中国共産党政府は本当に悪魔的な集団であり、神を憎み神に反抗し、悪と暴力を擁護します。このサタン的体制の下で生きるのは、人間が作った地獄で生きることと何ら変わりません。同時に、私は労働収容所では、人々のあらゆる醜さをこの目で見ていました。口先が上手く看守長の機嫌をとっていた日和見主義で陰険な人の吐き気のするような顔、どう猛に暴力的で猛威を振るいながら弱い人を脅していた人の悪魔のような顔等です。まだ成人としての生活を始めていなかった私は、刑務所で暮らしたこの一年間に人類の堕落をはっきりと目の当たりにしたました。人々の心に存在する欺瞞を目撃し、人間世界がどれだけ邪悪なものになり得るかということに気が付きました。また私は、肯定的なものと否定的なもの、白と黒、是非、善悪、そして偉大なことと卑劣なことを区別することも学びました。サタンは醜く、邪悪で残忍であり、神のみが聖さと義の象徴であられることをはっきりと認識しました。神のみが美と善を象徴され、神のみが愛であり救いであられるのです。神に御見守られ御加護を受け、あの忘れ難き年は私にとってとても素早く過ぎていきました。今振り返ってみると、刑務所で過ごしたあの年、私は肉体的苦痛を経験しましたが、神が御言葉で私を導いて下さり、私のいのちを成長させて下さいました。この苦しみと試練は、神が私にお与え下さった特別な祝福です。全能神に感謝します!