名声と富からの解放
「サタンは名声と利得を用いて人間の思想を支配し、人間が名声と利得しか考えられないようにします。人間は名声と利得のために奮闘し、名声と利得のために苦労し、名声と利得のために恥辱に耐え、持てるすべての物事を犠牲にし、名声と利得のためにすべての判断と決断を下します。このようにして、サタンは目に見えない足かせを人間にかけ、人間にはそれを外す力も勇気もありません。したがって、無意識のうちに人間は足かせをかけられ、大変苦労しながら歩んでゆきます。この名声と利得のために、人類は神を避け、神を裏切り、ますます邪悪になります。このようにして世代を追うごとに人間はサタンの名声と利得の只中で破壊されてゆきます」(『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 VI.」〔『言葉』第2巻〕)
1年前、私は教会指導者に選出されました。この委託が神のやさしさと引き立てであると思い誠実に真理を求め本分を尽くすことを誓いました。それからは、忙しく教会の仕事をこなし問題に直面すると神を頼り御心を仰ぎ、同労者とも話し合い、解決のため真理を求めました。しばらくして教会の働きが順調に行きはじめ神の導きに心から感謝したの。それからすぐ、もう一人の指導者の選挙があり、意外にも、何年か前にともに本分に励んだ夏姉妹が選ばれました。夏姉妹は指導者になって間がなく、いのちの経験も浅く一緒に仕事をしたときは私の助けなしには、直面した困難や問題を解決できなかったので今回ともに本分を尽くすにあたって私の方が能力が高いのは確かだった。
ある時、家に帰ると夏姉妹が伝言を残していて、城西教会のある班長が実際の働きができず交代の必要がある、他にもすぐに解決が必要な実際の問題があり、私の助けが欲しいとありました。これを思うと彼女も私の方が能力が高いと思っていたはず。尊敬される側として、しっかり仕事をこなし恥をかかないようにしよう。考えるほどに幸せな気分になりました。でも集会に着くと、夏姉妹は働きを細かく理解し真理の交わりも深く実践的でした。まさかたった数年でこんなに成長するなんて! 能力の高い私がたくさん指導しなきゃと思ったのにまるで私と同等の能力をもっているみたい! むっとしたのと同時に彼女が主導権を握ろうとしてるように見えたので兄弟姉妹に自分の実力を示さなくてはと思ったわ。何事にも手を抜かず彼女をこえる交わりをしようと考えすぎた結果とても退屈で、自分でさえもつまらないと思う交わりになりました。面目が丸つぶれで、落ち込みました。
それ以降も夏姉妹と張り合い続けました。一度集会で、兄弟姉妹の状態を知った彼女は、関連する神の御言葉を、自分の経験をうまく絡めて交わりました。みんながうなずきながら聞き入りメモを取る人もいました。「進むべき道がみえた」という人もいました。羨望と嫉妬を同時に感じこう思いました。「急いで交わりをもたなくては。絶対に彼女に劣ると思われたくない!」しかし考えるほどに何を交わるかわからなくなり、焦りが夏姉妹への非難に変わりました。「そんなに交わる必要なんてないのに。全部先に言われてしまったから私はお飾りのように座っているしかなくなった。これではだめ。挽回するために何か交わらなくちゃ」と思い彼女が水を飲んでいる隙に椅子を前に出し交わりを始めました。素晴らしい話をしたかったのに、全く的はずれでめちゃくちゃな交わりでした。兄弟姉妹のいぶかしげな視線を感じ完全に見当違いの話をしたことに気づきました。とても居心地が悪く恥ずかしくて穴があったら入りたいほどでした。自分をよく見せようとしたのにまったく逆効果で自分から舞台に上がり、皆の前で失敗したのです。心の中で、私ではなく姉妹に啓きを与えた神を責め他の兄弟姉妹にどう思われるかが気になりました。そう考えるほどに、どんどん辛くなりこの状況から逃げ出したい、彼女とは仕事をしたくないと思った。集会のとき、思わしくない状況にいる二人の姉妹がいて夏姉妹の交わりのあとも全く改善しなかったとき、私は交わりに手を貸さず「これでみんな彼女が問題を解決できないとわかったはず。彼女が上で私が下だと思わなくなるわ」とさえ思った。当時の私は常に夏姉妹と張り合い心の中は次第にどんよりと暗くなり集会で御言葉を交わっても光がなく兄弟姉妹の困難や問題をどう解決するかもわからず毎晩、早い時間に眠くなり本分への意欲も湧かなかった。苦しみは大きくなり神に祈り救いを求めることしかできなかったの。
祈りの中で、次の御言葉の一節を読みました。「地位や体面、名声に触れるとすぐ、みな期待に胸を躍らせ、自分が傑出し、名声や評価を得ることをいつも欲します。誰も譲歩したがらず、競うことは恥であり、神の家では許されないにもかかわらず、常に競おうとします。競争しないと気が済まないのです。あなたがたは、傑出した者を見ると嫉妬し、憎み、不公平だと感じます。『自分が傑出できないのはなぜだろう。傑出するのが常にあの人で、自分の番が回ってこないのはなぜだろう。』そして一種の憤りを感じます。あなたがたはそれを抑えようとしても抑えられません。神に祈り、しばらく気分が楽になるものの、そのような状況に再び直面するやいなや、それを克服できません。それは未熟な霊的背丈を示すものではありませんか。こうした状態に陥ることは罠ではないですか。これらは人を束縛する、サタンの堕落した本性の足かせなのです」(「自分の真心を神に捧げると真理を得ることができる」『キリストの言葉の記録』)。これはまさに私の状態であり、御言葉が心に突き刺さりました。私がこれほど苦しく辛い生き方をしたのはなぜか。その根源は、名声と地位への強い欲、そして私のごう慢な性質でした。本分を始めた頃働きで少し成功し兄弟姉妹から一目置かれると自画自賛し、自分に才能があると考えました。夏姉妹と働く中で彼女の方が優れているのを見て嫉妬深く、不愛想で、競争心丸出しの人間になった。彼女に勝てないと知り、消極的で愚痴っぽくなり、その感情を本分に影響させた。その姉妹たちの状態を解決できない夏姉妹をみても交わりを助けないどころか、ただ傍観し失敗を喜びました。恥をかくところがみたかった。とても本分を尽くしていたとは言えません。教会の指導者としてまったく無責任で頭にあったのは教会の働きでも兄弟姉妹の問題を解決することでもなくただ彼女の上に立つことだけ。自分勝手で卑しくずるい人間でした。名声と地位で頭がいっぱいで兄弟姉妹の問題が解決されなくとも、教会の働きを損ねようとも気にせず自分の評判と名声を守ることばかり。恩を仇で返すとはこのことです。重要な本分を尽くす資格はなく、神の嫌悪の対象だった! この考えに至ると、すぐに神の前で祈り悔い改めました。地位と名声の足かせを外すための導きを求めました。
そして次の御言葉を読みました。「いつも自分のために物事を行なったり、絶えず自身の利益を考えたりしてはいけません。自分の地位、体面、評判を考えないこと。また、人の利益を考慮してはいけません。まずは神の家の利益を考慮し、それを最優先にしなければなりません。神の旨を想い、自分が本分を尽くす中で不純だったかどうか、全力で忠誠を尽くし、全力で自分の責任を果たし、自分のすべてを捧げたかどうか、そして自分の本分と神の家の働きを心から考えてきたかどうかを熟慮することから始めなさい。あなたはこれらのことを考えなければなりません。これらのことを頻繁に考えなさい。そうすれば、立派に本分を尽くすのがより簡単になります」(「自分の真心を神に捧げると真理を得ることができる」『キリストの言葉の記録』)。この御言葉に心が明るくなり、進むべき道を得たのです。名声と地位から解放されるには、まず自分の心を正すこと。神の委託に心に留め、御心を大切にし、どうすれば本分を尽くせるかを考えなければ。心が前向きになると名声、地位、虚栄、名誉を簡単に手放せるようになります。他人によく思われても、神には認められず、他人に低くみられても、神に救われることもある。大事なのは神への態度、そして真理を実践し本分を尽くせるかどうかです。啓きを与え、進むべき道を正してくれたことを神に感謝しました。夏姉妹と張り合う気はなくなり被造物として神を満たすよう本分を尽くしたかった。その後は意識的に神に祈り、本分に心を捧げ教会での集会では兄弟姉妹の交わりをよく聞き問題を見つけたら真剣に考え関連する神の御言葉をみつけ自分の経験と組み合わせ交わりました。また自分の欠点を補うため夏姉妹の長所から学びました。このような実践で心が穏やかになり、状況はかなり改善し心から神に感謝しました。しかし名声と地位への欲は自分の中に深く根付きそのサタンの本質は、隙をみてすぐにまた顔をだしました。
あれは班の問題を処理しに行こうとしていた時です。出かけようとした私に夏姉妹が言いました。その班の問題は複雑だから同行したいと。それを聞き、幸せだった心が一気にしぼみこう思いました。「問題を解決できるのは自分だけだというの? 能力を見せつけたいのね。指導者の前でそんなこと言うなんて。私を悪く見せようとしているの?」とても腹が立った。結局一人で行きましたが、怒りを消化できず道中ずっと夏姉妹のことを憎く思うあまり集会場を見つけられず引き返す羽目になりました。とても落ち込んだわ。「私はそんなに役立たず? 集会場も見つけられないなんて、指導者はどう思うかしら? 本当に恥ずかしい!」教会に戻っても他の姉妹たちと話す気がしなかった。
次の日、業務をいくつか行うため夏姉妹と別々に教会に向かいました。心は再びかき乱れ「あんたが何者だろうが、どちらが上かを見せてやる!」と思っていたわ。教会につくなり、やるべき業務にとりかかり、交わりをもち、仕事を振り分けました。「今回は頑張った。きっとうまく行って、夏姉妹の上に立てるわ」。でも同労者の話し合いの中で、自分が本分の働きで最下位と知り、信じられない気持ちでいっぱいでした。すべての希望を失いどれほど頑張っても夏姉妹にはかなわないと思った。上役が遅く戻った夏姉妹をねぎらうのを見るにつけ、疎外感を感じ、嫉妬にかられました。全てにおいて私より上手で、上役からも大切にされている。私の出番はないように思いました。教会の指導者より班の指導者がましだ、少なくとも兄弟姉妹が尊敬してくれて支えてくれる。「鶏口となるも牛後となるなかれ」でありたいと思いました。悲しみが湧き上がり一刻もはやくその環境から逃げ出したいとばかり思っていました。状況は悪くなるばかりで夏姉妹に嫉妬と嫌悪を抱き自分が目立たないのは彼女のせいだと思い、「本分で失敗して異動してくれたいいのに」とさえ思うほどでした。
常に評判と個人の利益をめぐって戦い己を振り返ることもなかった私は間もなく神の懲らしめを受けたのです。指導者たちと集会の約束をしたのに誰も来なかった上、帰りに自転車がパンクしたり、そのあとすぐ背中がひどく痛み始めたの。疼き、腫れ、耐えられない痛み。本分もままならなくなりました。その時次の御言葉を思いました。「今日のあなたがたに対する要求 ― 協調してともに働くこと―は、ヤーウェがイスラエル人に求めた奉仕に似ている。それをしないなら、奉仕などやめることである」(『神の出現と働き』「イスラエルの民のように神に仕える」〔『言葉』第1巻〕)。怖かったわ。神が私から本分を奪い去ろうとしているの? そして別の一節を読みました。「葛藤すればするほど闇に包まれ、嫉妬や憎しみを感じ、欲望が強くなるだけです。欲望が強くなればなるほどそれを得られなくなり、得るものが少ないほど憎しみが増します。憎しみが増すにつれ、あなたの内面は一層暗くなります。内面が暗くなればなるほど本分を立派に尽くさないようになり、本分を立派に尽くさないほどあなたは無益になります。これは相互に関連する悪循環です。こうした状態では本分を立派に尽くすことなど決してできず、やがてあなたは次第に淘汰されます」(「自分の真心を神に捧げると真理を得ることができる」『キリストの言葉の記録』)。神の厳しいお言葉に恐れおののき、神の義なる性質は決して背きを許さないと感じた。次の御言葉がまさにそうです。「こうした状態では本分を立派に尽くすことなど決してできず、やがてあなたは次第に淘汰されます」自分が危険な状態にいるとわかりました。間もなくして夏姉妹が「教会の働きが全くうまく行っていない」と言い心配のあまり泣き始めました。そして指導者が、私たちの連携がうまく行かないことの本質を分析し神の家の働きを乱し、妨げていると言ったことを思い出したわ。それ以上考えたくなくて神の前に急ぎ、祈りを捧げた。名声や地位を追い求め、人に嫉妬することは神の御心に沿わない。それをわかっていながらなぜそのような悪を求め続けたのか。
次の神の御言葉を読みました。「サタンは名声と利得を用いて人間の思想を支配し、人間が名声と利得しか考えられないようにします。人間は名声と利得のために奮闘し、名声と利得のために苦労し、名声と利得のために恥辱に耐え、持てるすべての物事を犠牲にし、名声と利得のためにすべての判断と決断を下します。このようにして、サタンは目に見えない足かせを人間にかけ、人間にはそれを外す力も勇気もありません。したがって、無意識のうちに人間は足かせをかけられ、大変苦労しながら歩んでゆきます。この名声と利得のために、人類は神を避け、神を裏切り、ますます邪悪になります。このようにして世代を追うごとに人間はサタンの名声と利得の只中で破壊されてゆきます。サタンの行動を検討すると、サタンの邪悪な動機は、極悪非道ではありませんか。あなたがたはいまだに人は名声と利得なくしては生きてゆけないと考えているので、サタンの邪悪な動機を見抜くことができないかも知れません。名声と利得を捨て去ったら、将来が見えなくなり、目標を見失い、将来が暗く陰鬱になってしまうと人は考えています」(『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 VI.」〔『言葉』第2巻〕)。御言葉の暴きの中に、問題の根源がありました。評判や地位を求め続けたのは幼い頃から学校教育と社会の影響を受け、サタンの哲学と誤った考えが心に深く刻み込まれていたから。例えば「己を怠る者は天罰を受け地が滅ぼす」「出世して先祖の栄誉をもたらす」「1つの山に2頭の虎は棲めない」「人は上を目指し水は下に流れる」「ガンは飛びすぎる時声を残し、人は死ぬと名を残す」これらの言葉が座右の銘であり人生の目標でした。社会でも神の家でも、ただ人から尊敬されどの集団にいてもその中心となり周りを従わせたかった。それだけが有意義な人生と思っていたの。素質が高くなく、得意なことも特にないのに、誰かの下になるのが許せなくて、自分より能力の高い人を見ると腹をたてつい張り合い、比較してしまった。出し抜くためには手段を選ばず敵わない時は、嫉妬と憎しみを抱き、周りを責めた。そんなひどい生き方をしてきたの。名声と地位を求めるのは正しい道でないとやっとわかった。その道を進むほどに自分がごう慢で卑劣になりこの本性によって、自分勝手で有害で、人間らしくない生き方をしていたのです夏姉妹は自分の本分に誠心誠意取り組み、その交わりには光があり兄弟姉妹の実際の問題を解決することもできました。これは、みんなにも教会の働きにも利益となり神の心を慰める素晴らしい行為です。一方私は心が狭く、嫉妬深く夏姉妹はいつも私の見せ場を奪うという偏見をもち彼女の失敗と交代を望んでやまない根っからの悪人だったのです。神が望むのは、より多くの人が真理を求め御心を大事にし神を満たすために本分を行うこと。しかし私は評判と地位を守るため兄弟姉妹のそのような行いを許さず嫉妬し排斥しようとした。これは神に背き、反抗しているのと同じでは? 神の家の働きを乱しているのでは? 悪魔サタンと変わらないのでは? 共産党幹部も評判と地位のために徒党を組み、下らない争いを続け手段を選ばず反対者を倒し、敵を排除し、民を抑圧しています。どれほどの悪を行い、どれほどの命を奪ったことか! 結局それは身の破滅を招き、死んだあとは地獄で懲罰を受けるのです。なぜ、彼らはそのような最期を迎えるのか。評判と地位を何よりも優先したからです。では自分はどうか。彼らほどではなくとも、本質的には同じです。サタンの哲学や法則に従って生きごう慢で独りよがり、自分勝手で卑しく、ずるくて邪悪な性質を示しました。人間らしさが全くない悪魔のような生き方でした。神に嫌われ憎まれるのも当然です。このような懲らしめは神の義なる性質の現れ、さらに言えば神の救済でした。これに気づき、すぐに神に祈りました。「神よ私は真理ではなく名声や地位ばかりを追い求め、サタンに弄ばれ、堕落させられ、人間らしさを失くしました。評判や地位を失い、本分への熱意が消え、あなたを裏切る寸前でした。神よ、私は悔い改めます。真理を求め、姉妹と協力し着実に本分に励み、あなたを満足させます」。
その後、夏姉妹にすべて打ち明け名声や利益を求め、張り合っていたことを分析し私への監督と支援を頼んだわ。それからは協力して本分を尽くせるようになったの。いまだに名声と利益への欲を示すこともありますがそれがサタンの性質とすぐに気づくことができます。そしてそれを続けることの性質と結果を思い、神の前で祈り、意識的に考えを改めます。姉妹の交わりに誠実に耳を傾け、長所から学びます。何か足りない点に気づいたらすぐに補足します。そういう時はみんなのためになるよう、明確に真理を交わる方法を考えます。みんな、こういった集会が啓発的だと感じ私にも得るものがあり自由と心の安らぎを感じます。次の御言葉の通りです。「加えて、自分の責任と義務を果たし、本分を尽くし、自分の利己的な欲求や意図や動機を捨て去り、神の旨を考慮し、神と神の家の益を第一にすることができるなら、それをしばらく経験した後、それがよい生き方だと感じるようになります。それは卑劣で役立たずな人間になることなく、正直かつ誠実に生きること、心が狭かったり卑しかったりするよりむしろ、公正かつ高潔に生きることです。人はそのように生きて振る舞うべきだと感じるようになります。自分の益を満足させようとする心の欲求も徐々に小さくなります。……そうした生き方をするのは有意義で糧を得られると感じる状態へと変化するのです。あなたの霊も地に足をつけ、安らぎと充足を覚えます。自分の動機、利益、利己的な欲求を捨て去った結果として、こうした状態があなたのものになるのです」(「自分の真心を神に捧げると真理を得ることができる」『キリストの言葉の記録』)