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神の国の福音に関する代表的な質問と解答

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質問3.牧師や長老たちを崇拝する者もいます。長老たちはしばしば聖書を讃えていたにもかかわらず、受肉された全能神に反抗し非難する理由が分かりません。聖書を解釈し讃えることは、主について証し讃えることと同じでしょうか?

解答: 聖書を一番良く解釈できる者、最も優れた聖書論を持つ者こそ、讃えられ崇拝される傾向にあります。聖書と預言の謎を解き明かせる者が一番讃えられるのです。したがって、多くの人が牧師や長老たちを崇拝しています。聖書を讃えるほど主を讃えているとみなされるからなのです。終わりの日に長老たちが全能神を非難するのを見て、彼らの多くが葛藤し困惑しています。聖書を讃えることが主を証することだと思う者もいます。全能神は真理を表されているにもかかわらず、なぜ長老たちは非難するのでしょうか?彼の名前が主イエスではないから非難するのでしょうか?全能神は非難されるべきではありません!それでは何故真理を表してくださる全能神を牧師や長老たちは非難するのか?多くの人が理解していません。この問題は難しくはありません。思い出してください。主イエスが御業を行われた時、ユダヤ教の祭司長や律法学者、パリサイ人だちは非難しませんでしたか?これは主イエスが多くの真理を表したという理由からではなかったでしょうか?彼らは主イエスの言葉に力があり、奇蹟を起こせると分かっていた。多くの人がイエスに従うのを見て驚いたからです。もし彼らがイエスが神の御業を広めることを許していたなら、その結果は想像を絶するものだったでしょう?だから、彼らは主イエスを殺そうと望んだのです。これが十字架に磔にされた理由です。当時祭司長、律法学者、パリサイ人は聖書を解釈し讃えていませんでしたか?ではなぜ、主イエスを磔にしたのでしょうか?パリサイ人たちは真理と神の御業を忌み嫌っていたからではありませんか?彼らはその地位を守るため、真理を表す神に残忍でした。どんな邪悪なことでも反抗のためにやったのです!真理を忌み嫌い、神に反抗するという彼らの真の姿を見抜くことは難しいことではありません。彼らは地位のために聖書を讃えていますが、神への嫌悪でいっぱいだったのです。主イエスが御業を行われた時、真理を忌み嫌い、神に反抗する正体が暴かれたのです。人が神に反抗するのは聖書に影響されるものではありません。彼らの本質によるものです。神に反抗する人々にとっては、どのように聖書を解釈しようが、真理への嫌悪と神への反抗は変えられません。パリサイ人たちは主イエスを非難するために、聖書を使っていませんでしたか?これは神が明らかにされたものです。まだわかりませんか?

 パリサイ人も長老たちもどちらも聖書を讃えています。どうして神を非難することができるのでしょうか?もう一つの事実があります。聖書は神の証でしかありません。律法の時代と恵みの時代の神の働きの記録です。神は段階に応じて真理を表し、人々はその言葉に神の性質を見ます。神の働きの段階を踏み、神についてもっと知っていくのです。その経営(救いの)計画の3段階を通して、神はその性質を少しずつ明らかにされるのです。神の国の時代では、神は義なる性質、全能性、知恵、権威、そして栄光を完全に明らかにされています。もし律法の時代と恵みの時代の神の御業しか知らなかったら、それは限られた認識です。信者たちは律法の時代にヤーウェ神の働きを通して、神の実存と知恵を知り、ヤーウェ神の律法は侵害されないものだと認識したのです。恵みの時代では主イエスの御業を見たとき、彼が人類の救い主だということを知ったのでした。しかし、神の性質については理解できていませんでした。認識できなかったです。ですから、もし私たちが律法の時代と恵みの時代の神しか知らないのであれば、神への認識は偏っています。神が何であるかを部分的にしか知らないということです。神を知らない人が聖書を解釈すると、神を人の定義に押し込め、反抗しがちです。しかし、ユダヤ教の祭司長、律法学者やパリサイ人は神を知らなかったばかりか?悪魔のような本質を持ち、真理を忌み嫌い、神に反抗したのです!それが彼らの欠点でした!もし彼らの心が正しければ、神を知らなくても、愛に満ちた主イエスを磔になどしなかったでしょう?パリサイ人の心の中には神の居場所はなかったということです。彼らは地位が重要だったのです。だから、それらが神によって脅かされたとき、敵と見なし、神を死に至らしめたのです。このように彼らの心と本質は醜いものでした!「まむしの子ら」と呼ばれて当然です!指導者たちが神のことを知らなかったとしても、神を非難し反抗する者は反キリストとして暴かれることでしょう?宗教界の指導者によっては、神の働きについて持論を持っているでしょうが、神を畏れる心があれば、神を非難したり反抗したりしないでしょう?主イエスがその働きを行われた時、ガマリエルは主イエスを非難しませんでした。ニコデモは主イエスを訪れ、真理を探れました。すべて聖書に書かれている事実です。見ての通り、神を信じていながら神を知らない人や畏れない人は、神に仕えていても反抗しがちです。もし真理を忌み嫌う本質を持つ人が宗教界の指導者になれば、反キリストとして正体を暴かれるでしょう?誰も否定することのできない事実です!これではっきりと理解できましたか?当時、主イエスは偽善的なパリサイ人の正体を暴きました。神に反抗する反キリストの本質を持つ長老たちの正体を終わりの日には全能神が暴き、裁き、非難しました。全能神の言葉を読みましょう。「荘厳な教会で聖書を読む者たちは毎日聖書を暗唱するが、一人として神の働きの目的を理解しない。一人として神を知ることができない。さらに、一人として神の心と一致していない。彼らは皆価値のない、卑劣な人々だが、それぞれ神を教えるために高い地位に就いている。彼らは神の名をこれ見よがしに振りかざすが、故意に神に反抗している。彼らは自分たちを神を信じる者と呼びはするが、人の肉を食し、その血を飲んでいる者たちである。そのような人々は皆人の魂を貪り食う悪魔、正しい道に一歩踏み出そうとする人々を故意に混乱させる悪霊のかしら、神を探し求める人々の道を妨げる躓きの石である。彼らは『健全な肉体』の者たちであるが、彼らの信者たちはどうしたら彼らが人を神に敵対する方向へ導く反キリストであると知ることができるだろうか。どうしたら彼らが魂を好んで求めては貪り食う悪魔の権化であることを知ることができるだろうか。」(『言葉は肉において現れる』の「神を知らない者はすべて神に反対する人々である」より)

 「そのような者は常に神の新しい働きに対して敵対する態度をとり、従う意志など微塵も示さず、喜んで服従を示すことや謙虚になることなど一度たりともないのである。他の人たちの前で得意になり、誰に対しても従うことをしない。神の前では、自分が説教者として最も長けており、他の人に働きかけることに自分が一番熟練していると考える。自分が獲得した宝を決して手放そうとせず、家宝として拝み、説教の題材にし、自分を崇拝するような愚か者への訓戒に用いる。……彼らは神の言葉(教義)を語ることを自分の最高位の本分と解釈する。何年も、何世代も、彼らは精力的に自らの『神聖で犯すべからざる』本分を続ける。彼らに触れる者は誰ひとりおらず、公然と非難する者もひとりもいない。神の家で『王』となり、何代にも亘ってはびこり、他の者を圧制する。このような悪魔の一団は、互いに手を組んでわたしの働きを潰そうとする。このような生きた悪魔をわたしの目の前に生かしておけるだろうか。」(『言葉は肉において現れる』の「真心で神に従う者は確かに神のものとされる」より)牧師や長老たちは聖書を解釈しているのに、神の行いに反抗しているのです。牧師や長老たちは神のことを知りません。人の定義に押し込め反抗しています。彼らは全能神を非難し冒涜しているのです。彼らの本質は、主イエスを十字架に磔にしたパリサイ人たちと同じで、真理を忌み嫌う卑劣な人たちなのです。彼らは皆神によって正体を暴かれた反キリスト。彼らは神を再び磔にしました。神によって呪われているのです。

 主を誠に証し讃えることは、聖書を解釈することとは違う、神の言葉や働きに忠実でいることが重要なのです。真理を愛するのであれば、聖霊の啓示に加え、神の経験と認識を得ることができます。この認識は神の言葉を実践し体験することから生まれ、誠に神を知るということ。これらの経験と証を伝えることが神を讃え神に証するということです。神を讃え証する人が言う真の神への認識とは、自分の考えや想像、道理や神の言葉をそのまま解釈することではない。神を讃え証する人は、聖書の中の神の言葉を伝え、人々が神の御心と性質を理解し、誠に神を知ることができるよう、神の御心や要求などを伝えることに心を配っているのです。これこそが神をあがめ従うための方法です。このような解釈と伝え方で神を讃え証することができるのです。しかし、牧師や長老たちは聖書や神の言葉の本質を伝えていますか?神の心を伝えていますか?神の性質を証言できていますか?神を知り従えるよう他者を導いていますか?よくわかりましたね。宗教界の牧師や長老たちは真理を忌み嫌い、神に反抗している。神の言葉や働きさえ無視しているのです。神の御心や要求を理解しようとせず、ましてや神の性質すら理解していません。そのために、神への認識を伝えることはなく、主イエスの神性の本質について証することもできません。彼らは単に聖書の知識と神学的な理論や登場人物の話を適当にかいつまんで解釈し、人々の尊敬を得ようとしているだけなのです。それどころか、大抵はパウロのような聖書に出てくる人の言葉を解釈し、「聖書はすべて神の霊感を受けて書かれたもの」というパウロの言葉をうけ、聖書はすべて神の言葉と思っています。宗教界では使徒の言葉を神の言葉として実践するよう、信者に教えるようになってしまったのです。彼らは説教や伝道や証言を行う時、これまで以上に使徒の言葉を引用しますが、神と主イエスの言葉の引用は少なくなる一方です。結果的に、聖書にある神と主イエスの言葉はすべて置き換えられ、無効にされています。パウロや他の使徒の影響がどんどん大きくなり、人々の心の中の主イエスの存在は小さくなってしまい、パウロとその他の者の言葉で人の心はいっぱいになっています。主イエスの名を信じる人々は、実のところ、パウロの言葉のような聖書の中の人間の言葉によって信仰の道を進んでいます。このままでは神の道を正しく歩めません!このような行いは神の御心に従えない!主イエスは天の国について言われました。「天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。」(マタイによる福音書 7:21)しかしながら、牧師や長老はパウロの言葉で天国について語っています。これは主イエスに対しての裏切りであり、その結果、信者のほとんどはどう神の心に従えばいいのかわからず、またどのような人が天の国に入れるかもわかりません。人々は次のパウロの言葉を教訓としています。「わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。……」(テモテへの第二の手紙 4:7-8)牧師や長老は、パウロのように主のために働き、苦しみに耐えれば、天の国に入れると神の言葉を排して人の言葉で教えることで、人々を惑わしているのです。このような聖書の解釈で神を証していると言えますか?彼らは神に真っ向から対立しています!これは非常に深刻な問題です!牧師や長老は聖書の人物の言葉を神の言葉として代用します!これによってどういうことになるか?皆さんはもうご存知ですよね?皆さん、これを機に考えてみましょう!長年信じてきたのに多くの人が主を知らないのです。彼らはなぜ主の言葉を体験していないのでしょうか?主を信じている人は真理といのちをどのように得られるでしょうか?これは牧師や長老たちが人物の言葉を解釈し証し続けて、これらの言葉を守るよう人々を促してきたからでしょう?このような解釈の仕方でどうやって主を讃え証するのでしょう?このような行いは主の御心と一致していませんね?彼らは偽善的なパリサイ人たちと同じです。神に反抗しながら神に仕える道を歩んでいます。終わりの日受肉された神が働きを行うとき、彼らは平然と反抗し神の働きを非難し、彼らの真理を忌み嫌い、神に反抗するという本質が暴かれるのです。最後は彼らは神によって罰せられるでしょう?全能神はこう言われています。「どの教団、教派の指導者を見ても、みな独善的で聖書を勝手に解釈しています。彼らは賜物と学識に頼って働いています。彼らが説教をすることが出来なければ、人々はそれでも付いて来るでしょうか。指導者たちはそれなりの知識を得、教義を少しは語ることができ、他の人々を勝ち取ったり策略を用いたりして自分達のところへ人を集め、欺いてきました。欺かれた人々は、名目上神を信じてはいますが、実際には神ではなく指導者に付き従っているのです。真の道を語る人に彼らが出会ったならば、『信仰について、私たちの指導者に相談する必要がありますね。』と言う者もいるでしょう。彼らには神に対する信仰に関して、誰かの承認が必要なのです。それは問題ではないでしょうか。指導者達はどのような存在になったのでしょう。パリサイ人、偽羊飼い、反キリスト、真の道を受け入れようとする人々にとっての躓きになったのではないでしょうか。」(『キリストの言葉の記録』の「真理の追求のみが真の神への信仰」より)全能神は神に反抗する牧師と長老たちの本質を暴きました。真の信者と真理を求めている人たちは、「牧師と長老は神への反抗として聖書を誤って解釈している」ということを理解すべきです。そうすれば、彼らの欺瞞と支配を逃れ、神の御座へと戻ることができます。

灰色底色部分,中英剧本里有,日文配音剧本里没有。

 終わりの日の全能神は宗教界の牧師や長老たちが反キリストであると暴くでしょう。もしそうでなかったら、彼らの聖書の解釈が人々を操るための手段とはわからず、彼らが神の敵として国を築こうとしているとも気づきません。その昔パリサイ人は聖書を讃え証しました。聖書の中に神を押し込めたのです。真理や神の足跡を追うことはありませんでした。主イエスが旧約聖書の遵守を拒否したとして十字架に磔にしました。深刻な罪を犯したのです!終わりの日牧師や長老たちは、まさにパリサイ人のようです!彼らは聖書を讃え証し、聖書によって神を定義し、「神の言葉や御業は聖書以外には存在しない」「聖書を信じるということは神を信じるということである」などと誤った考えを広めています。聖書を信じ崇拝するように人々を迷わせ、聖書が神であるかのようにふるまい、神を聖書で置き換えてしまっています。牧師や長老たちは、この手の込んだ秘密のやり方で神から人々を奪い、聖書へと導いているのです。その結果、かつて神を信じた人たちも今となっては聖書のみを信じています。彼らにとっては聖書が主であり神になってしまい、その盲目的な信条と崇拝は、牧師や長老などを崇拝する原因となっています。牧師や長老は聖書を宗教界を操り、彼らの野心を遂げるための道具として使い、人々を騙し陥れ操るために讃えて、都合よく解釈をしているのです。彼らは人々が人を崇拝し従い、神の敵となるように導いています。彼らは聖書を崇拝し守ることが神の存在を得るというという誤った考えを広め、終わりの日の神の働きを学ばず、救われる最後のチャンスを逃しています。これこそサタンの陰険で狡猾な計画です!非常に悪どい!まさに宗教界における牧師や長老は本物のパリサイ人か詐欺師です!彼らは偽の羊飼いであり反キリストなのです!宗教界は神に反抗するパリサイ人と反キリストの悪魔に操られ、神が働きを行える場所ではない、神を敵と見なすサタンの陣営、大いなる都市バビロンになってしまったのです。神の怒りの下にこの宗教的バビロンは崩壊します!

 宗教界の神への反抗は、少なくとも律法の時代の末期までさかのぼれることはお分かりですね。恵みの時代、神がはじめて肉となって働きをされた時、宗教界はすでにパリサイ人や反キリストに占領され、主イエスの贖いの働きの反抗勢力でした。全能神が現れ御業を行われる時でも、宗教界の人々は敵として立ちはだかりました。彼らは全能神を非難し冒涜した上に、全能神教会を迫害し、中国共産党の悪魔政権と手を組み、神を十字架にはりつけるという罪を再び犯したのです。主イエスはパリサイ人を呪われ、宗教界の闇を明らかにされ、終わりの日に全能神が裁きの働きを行う際、神に反抗する牧師や長老たちの本質を暴かれました。さらに、再び神を磔にした反キリスト達も呪われました。非常に考えさせられます!神が肉となられたどちらの時代でも、神は宗教界を非難され呪われました。神の選民は宗教界が、つまり、バビロンが倒される運命にあると理解できます。宗教界は神を信じていますが、神を讃えたり証したりすることはありません。御心を満たすこともせず、神の選民を御座に引き上げることもできず、もちろん神の言葉の実践と体験により、彼らが神を知るよう正しい道へと導くこともできません。宗教界の指導者たちは完全に御心に反して、彼ら自身真理を実践せず、人々から尊敬され崇拝されるために聖書の知識などを見せびらかしているのです。彼らは信者をパリサイ人の偽善的な道へと導き、神の選民を傷つけダメにしてしまうのです。宗教界の指導者たちは皆、本物の反キリストというサタンの道具になってしまったのです。人類を救う働きの3つの段階で人類を贖い救うために、神は2度受肉されました。宗教界全体がキリストの敵であり、神の救いの御業に対して躓きの石となり、神の性質を傷つけた結果、呪われて罰せられてしまったのです。まさに預言にある通り。「倒れた、大いなるバビロンは倒れた。そして、それは悪魔の住む所、あらゆる汚れた霊の巣くつ、……」(ヨハネの黙示録 18:2)「倒れた、大いなるバビロンは倒れた。その不品行に対する激しい怒りのぶどう酒を、あらゆる国民に飲ませた者。」(ヨハネの黙示録 14:8)「ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえに対するさばきは、一瞬にしてきた。」(ヨハネの黙示録 18:10)

 それでは、神に徹底的に反抗する反キリストと、それに操られた宗教界を全能神がどのように非難されるかを見てみましょう。全能神は言われる。「キリストは、彼を真に信じる者にいのちを与えるために終わりの日にくる。……あなたが彼を認めず、彼を非難したり、冒涜したり、さらに迫害したりするなら、あなたは永遠に火で焼かれなければならず、神の国には決して入れない。このキリストこそ、聖霊の現れであり、神の顕現であり、神が地上での業を託した者だからだ。だから、あなたが終わりの日のキリストがする全てのことを受け入れられないなら、あなたは聖霊を冒涜しているとわたしは言うのだ。聖霊を冒涜する者が受けなければならない報いは、誰の目にも明らかだ。……なぜなら、あなたが敵対したのは人ではなく、あなたが拒んだのは卑小な存在ではなく、他でもないキリストだからだ。あなたはこの結末に気づいているのか。あなたが犯したのは小さな過ちではなく、重罪だ。」(『言葉は肉において現れる』の「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」より)

 「二千年前にユダヤ人たちがイエスを十字架に釘づけにしたあと何が起きたかを思い起こしてみるがよい。ユダヤ人はイスラエルから追放され、諸国に逃亡した。多くは殺され、全ユダヤ民族は前例を見ない破壊を受けた。彼らは神を十字架に釘付けにし──凶悪犯罪を犯し──そして神の性質を侵害した。彼らは自分たちが為したことの代価を払い、その行動の結果に耐えなければならなかった。彼らは神を罪に定め、神を拒絶したので、たどる運命は一つしかなかった。すなわち、神の罰を受けたのである。これが彼らの支配者たちが彼らの国と民族にもたらした苦い結果と災害である。」(『言葉は肉において現れる』の「神は全人類の運命を支配する」より)

 「私たちは、いかなる国家も勢力も神が果たそうと願うものの前に立ちはだかることはできないと信じている。神の働きを妨害し、神の言葉に抵抗し、神の計画をかき乱し、阻害する者たちは最終的には神に罰せられる。神の働きに逆らう者は地獄に送られる。神の働きに反抗する国家は滅ぼされる。神の働きに反対するために立ち上がる民族は地上から一掃され、消滅する。」(『言葉は肉において現れる』の「神は全人類の運命を支配する」より)

 「古い世界が存続する間、わたしは国々の上に怒りを投げつけ、わたしの行政を全宇宙に公布し、違反する者には刑罰を下す。

 わたしが全宇宙に向かって話すと、人間はみなわたしの声を聞き、そこで、わたしが全宇宙で行ってきた業を見る。わたしの心に逆らう者、つまり、人間の行いでわたしに敵対する者は、わたしの刑罰を受けて倒れる。……全宇宙の多くの国々は、新たに区切られ、わたしの国に置き換わる。地上の国々は永遠に消え去り、わたしを崇める一つの国になる。地上のすべての国々は破壊され、存在しなくなる。全宇宙の人間のうち、悪魔に属する者はみな、滅ぼし尽くされる。サタンを礼拝する者はみな、わたしの燃える炎に倒れる──つまり、今、流れの中にいる者以外は、灰になるのだ。わたしが多くの民を罰するとき、宗教界にいる者は、わたしの業に征服され、程度の差はあれ、わたしの国に戻る。彼らは『聖なる方が白い雲の上に乗って』降臨するのを見たからである。人間はみな、種類に従い、それぞれの行いに応じて刑罰を受ける。わたしに敵対した者たちは、みな滅びる。地上での行いがわたしと関わりのなかった人たち、その人たちは、自分たちの行いによって、地上にわたしの子らとわが民の支配下で存在を続ける。わたしは無数の人々と無数の国々にわたしを現し、わたしは自ら声を発して地上にわたしの大いなる働きの完了を告げ、全人類が自分たちの目でそれを見られるようにする。」(『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉」の「第二十六章」より)

 「世界は崩壊しつつある。バビロンは麻痺している。宗教的世界──どうしてこれが、わたしの地上の権威により破壊されないことがあろう。誰がまだわたしに逆らい、敵対しようとするのか。律法学者たちか。すべての宗教関係者か。地上の支配者や権力者か。天使たちか。誰がわたしのからだの完全さと豊かさをたたえないだろう。すべての民の中で、誰がわたしの讃えをやむことなく歌わず、誰がいつでも幸福でないのか。……どうして地上の国々が滅びないことがあろう。どうして地上の国々が倒れないことがあろう。どうしてわが民が歓声を上げないことがあろう。どうして喜びに歌わないことがあろう。」(『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉」の「第二十二章」より)

 全能神の言葉のすべてが真理であり、権威と力を兼ね備えています。そして神の義、威厳、怒り、性質を完全に示しています。神に反抗し、神の御業を邪魔する者は、間違いなく神から罰と報復を受けるでしょう?律法の時代、ソドムの民は神を否定し反抗しました。彼らは神の性質を激怒させ、神によって一人残らず滅ぼされました。恵みの時代、祭司長、律法学者、そしてパリサイ人が神に反抗し主イエスを非難しました。ローマ政府と手を組んで主イエスを十字架に磔にし、神の性質を挑発する!重大な罪を犯したのです!ユダヤの国はこれまでにないほど破壊されました。終わりの日には宗教界の指導者たちは、全能神をでたらめに裁き反抗し非難しています。しかも中国共産党の悪魔と共謀して、神の国の福音を広める兄弟姉妹を弾圧しているのです。彼らは聖霊を冒涜し、再び神を十字架に磔にするという罪を犯した。彼らの邪悪さはソドムの民よりも悪く、ユダヤのパリサイ人たちとも比べものにならないくらいなのです。彼らこそ、終わりの日を神の御業によって暴かれた反キリストです!彼らは歴史上最も激しく神に反抗した邪悪な宗教勢力なのです!宗教界はすべて神に反抗する邪悪な力で構成されている!反キリストの悪魔の巣です!キリストの国に対抗しようとする堅固な砦ともいえます。神に対して反抗し、敵だと公言したサタンの陣営です!神の義なる性質を傷つけることはできない、神の清さも同様です!終わりの日の神の御業は新時代の始まりと古い時代の終わりです!反キリストの悪魔によって操られている宗教界と邪悪な世界は、終わりの日の神の災いによってもうすぐ滅ぼされるでしょう!神の義なる罰がすでにやってきたのです!全能神が言われている通り。「世界は崩壊しつつある。バビロンは麻痺している。宗教的世界──どうしてこれが、わたしの地上の権威により破壊されないことがあろう。」(『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉」の「第二十二章」より)

『滅びゆく都』の映画台本から

前へ:質問2.聖書を読み、パリサイ人たちが主イエスを非難したことはみんな知っています。しかしわからないことがあります。主イエスがその御業をなされた時、パリサイ人たちはそこに権威と力があるのを知っていたにも関わらず、主イエスに反抗し非難しています。主イエスを磔にしました。彼らの本質と実質について話していただけますか?

次へ:質問1.主イエスは再臨され、それが全能神だと。そんなまさか。マタイの福音書24章29節を見て。「しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。」 主が戻られたのなら、雲に乗って輝かしく来られたはずだ。天と地は震え、太陽も月も輝きを失う。そんな光景は見ていないのに、なぜ主はもう戻られていると言えるんだ?一体どういう事だろう?