全能神の御言葉を追求し、検証することを通して、私たちは全能神が主の現われであることを確信しています。しかし、全能神に従うことを決意した後、私たちの生活の中で不幸なでき事や災難が起こりました。私たちは神の御言葉を少ししか読んでいないし、まだ真理を理解していないので、私たちの状態が乱され、神を疑うような結果になることがあります。このようなことに直面するとき、私たちはどのようにそれらを経験すべきでしょうか?

2018年12月16日

参照聖書箇所

「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。」(ペテロの第一の手紙 5:8)

「わたしはこの三分の一を火の中に入れ、銀をふき分けるように、これをふき分け、金を精錬するように、これを精錬する。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『彼らはわが民である』と言い、彼らは『ヤーウェはわが神である』と言う」。(ゼカリヤ書 13:9)

「試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。」 (ヤコブの手紙 1:12)

関連する神の言葉

神は業を行い、人間を慈しみ、見守るが、サタンは常に神の働きの邪魔をする。神が大事にする人間を、サタンも見ていてつけ回す。神がその人間を求めると、サタンは持てる力の全てでどんなことでもして神の行うことを阻もうとし、隠された目的を達成するため、あらゆる邪悪な方法で神の業を試し、邪魔し、挫折させようとする。サタンの目的は何であろうか。サタンは神が人間を得られなくなることを求めている。サタンは神が求める人間を求め、その者を自分のものとして支配し、掌握してサタンを崇拝させ、サタンと共に邪悪なことを行わせることを求めている。これはサタンの悪意に満ちた動機ではないか。あなたがたは、常日頃からサタンが極めて邪悪であると言うが、その邪悪さを見たことがあるであろうか。あなたがたが見ることができるのは、人間が如何に邪悪であるかのみであって、サタンが実際どの程度邪悪であるかを見たことがない。しかし、あなたがたは、このヨブに関する問題でその邪悪さを見たであろうか。(見た。)この問題では、サタンの醜悪な姿と本質が極めて明瞭となっている。サタンは神と戦い、また神をつけ回している。サタンの目的は神が行おうとする業をすべて粉砕し、神が求める人間を自分のものとして支配し、完全に消滅させることである。こうした人間が消滅しなかった場合、その人間はサタンのものとなってサタンに用いられる。これがサタンの目的である。

『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 IV.」(『言葉』第2巻)

神が人々に対して行う働きのあらゆる段階で、物事があたかも人の手配で生まれたかのようであり、あるいは人の干渉から生まれたかのようであり、外面的には人々の間の相互作用のように見えるかもしれないが、舞台裏では、働きのあらゆる段階、起こるすべてのことは、神の面前でサタンが作った賭けの対象であり、人々は、神に対する証しにしっかりと立つことが要求される。ヨブが試練に会った時のことを例にとってみよう。秘かにサタンは神と賭けをしており、ヨブに起こったことは人間の行為であり、人間による干渉であった。神があなた方に対して行うすべての段階の背後にはサタンと神との賭けがある――その背後にはすべて戦いがある。…神とサタンが霊的領域で戦う時、あなたは神に満足してもらうためにどうすべきか、どのように固く証しに立つべきだろうか。あなたは自分に起こることのすべては大いなる試練であり、その試練の時に神があなたの証しを必要とすることを知るべきである。外面的には大したことではないように見えるかもしれないが、これらのことが起こると、あなたが神を愛しているかどうかが示される。愛していれば、あなたは神への証しに固く立つことができるが、神への愛を実践に移さなければ、これはあなたが真理を実践しない人であること、あなたには真理もなくいのちもないこと、あなたは無用の物であることが示される。人々にすべてが起こるのは、彼らが神に対する証しに固く立つことを神が必要とする時である。当面、あなたには重要なことは何も起こっていないし、あなたは重大な証しはしていないが、あなたの毎日の生活の詳細はすべて神への証しに関連している。あなたが兄弟姉妹、あなたの家族、あなたの周囲のすべての人から称賛を得られたら、また、いつか不信心者が来て、あなたの行うことのすべてを称賛し、神の行うすべては素晴らしいことがわかったら、その時、あなたは証しをしたことになるのである。

『神の出現と働き』「神を愛することだけが本当に神を信じることである」(『言葉』第1巻)

あなたに自分の観念と一致しない多くのことが起きても、あなたがそれを脇へ置いて、これらのことから神の業を知り、精錬の真っ只中で神を愛する心を示すことが出来るのであれば、それは証しに立つことである。あなたの家庭が平穏なら、あなたは、肉の快適さを楽しみ、あなたを迫害する者は一人もおらず、また、教会の兄弟姉妹が自分に従っている場合、あなたは神を愛する心を示すことが出来るであろうか。それがあなたを精錬するであろうか。あなたの神への愛は、精錬を通してのみ示されることが可能であり、あなたは、自分の観念と一致しない出来事を通してのみ完全にされることが可能となる。神は、数多くの否定的なこと、数多くの逆境によって、あなたを完全にする。神は、サタンの数多くの行為と非難、そして多くの人々の中に表されるサタンの表現を通して、あなたが認識を獲得できるようにして、あなたを完全にする。

『神の出現と働き』「完全にされる者は精錬を経なければならない」(『言葉』第1巻)

被造物として、人間はなすべき本分を尽くし、精錬の最中に神の証しに立つ必要がある。あらゆる試練において、人間は、なすべき証しを堅持し、神の明白な証しに立つ必要がある。それが勝者である。あなたは、神がどのようにして自分を精錬するかを問わず、完全に確信し、神への確信を決して失ってはならない。あなたは人間がすべき事をしなければならない。それが、神が人間に要求している事であり、人の心は、いかなる時も完全に神へと戻り、神へと向かわねばならない。それが勝者である。神が勝者と呼ぶ者は、サタンの影響下に置かれ、サタンに包囲された時、つまり闇の軍勢の中にいる時でも、神の証しに立ち、神への確信と献身を維持できる者である。何があっても、あなたが依然として純真な心と神に対する真実の愛を維持できるのであれば、それは、あなたが神の前で証しに立っているということであり、それは神が言うところの勝者となることである。神により祝福されている時の追求は優れているが、神の祝福が無ければ逃げ出すというのであれば、それは純粋さであろうか。あなたは、自分がその道が正しいと確信しているのであるから、最後までその道に従い、神への献身を維持する必要がある。あなたは、神自身があなたを完全にするために地に来たのを見てきたのであるから、自分の心をすべて神に捧げる必要がある。神が行う業が何であるかを問わず、神が最終的に自分にとって不利な結末に決定したとしても、あなたは依然として神に付き従うことが出来なければならない。このことは、神の前においてあなたの純粋さを維持するということである。聖なる霊的身体と純粋な処女を神に捧げるということは、神の前において真摯な心を維持することを意味する。人類にとって、真摯さとは純粋さであり、神に対して真摯になることが出来るということは、純粋さを維持するということである。これが、あなたが実践すべき事である。祈るべき時は祈りなさい。集まって交わりを持つべき時はそうしなさい。讃美すべき時は讃美しなさい。肉に背くべき時は背きなさい。あなたは、自分の本分を尽くす時、戸惑うことなくやり遂げねばならず、試練に直面した時は堅く立っている必要がある。それが、神への献身である。

『神の出現と働き』「あなたは神への忠誠を保たなければならない」(『言葉』第1巻)

人の交流

終わりの日における全能神の御働きを受け入れた最初の群れに属する全ての者は、あらゆる国の様々な社会的立場において、真理を追求する必要があります。神はあなたがたに大いなる委託を授けられました。最初に受け入れた者、最初に真理を得た者は、自国の人々、つまりその国で神に選ばれた者たちに水を与え、彼らを牧するために、必ず神によって用いられるでしょう。あなたがたがまず終わりの日における全能神の御働きを受け入れ、もしあなたがたが実際に真理を追求する者であれば、神はあなた方に任務を託され、あなたがたを訓練されるでしょう。そして、あなたがたは試練に直面するでしょう。神はあなたがたの信仰を試され、あなたがたがどの程度真剣に信じているか、神の御言葉と出現について確信できるかどうかを確かめられます。たとえば、ある人の場合は、信じて早々、家族の者が病気になるかもしれません。他の人の場合は、信じると、未信者が立ち上がって彼らを迫害したり弾圧したりするでしょう。さらに他の者は、信じるやいなや、家族が深刻な問題にぶつかるでしょう。「一体どういうことだ? 真の神が来られたが、私が信じた途端、不幸なこと、災いなどの悪いことが起こるとは。これは本当に真の神なのだろうか。」ある者は疑い、祈りません。考えてみて下さい。あなたは真の神を信じていますが、悪魔サタンはそれを憎まないでしょうか。悪魔サタンは諦めるでしょうか。悪魔サタンはあなたを奪い取ろうとするでしょう。悪魔サタンは様々な状況を作り出し、あなたがたに困難を引き起こし、あなたがたを退かせ、全能神から引き離そうとするでしょう。……悪魔サタンは食い尽くす者を求めて至るところを巡り歩いているので、あなたがたがイエスを信じるなら、悪魔サタンはあなたがたに反応しませんが、あなたがたが全能神を信じるなら、それは霊的世界において重大なことです。これは真理と虚偽との思想的闘争です。だから、試練にぶつかったときは、神を疑ってはなりません。自らの証しに固く立ってください。全てが神の掌中にあります。あなたがたがすべき事は、しっかりと信仰に立つことだけです。

『いのちに入ることに関する説教と交わり』(B7第131巻)

終わりの日における神の御働きの間、更に多くの試練が人間に降りかかります。何故人間は試練に直面しなければならないのでしょうか。それはサタンが人類を堕落させたからです。サタンは神の経営(救いの)計画を破壊するため、人類を神の御手から引き離したいのです―これがサタンの目標なのです。神は人類を救い、人類をサタンの魔の手から取り戻し、人間を完全にし、もう一度神のもとに連れ戻すことを願っておられます。このように、霊の世界の戦いは非常に激しいのです。その戦いの焦点は人間であるので、神の御働きの一環として人間が試練を受けるのは当然のことです。神は人間を救うことを願っておられるが、サタンは必死に人間を堕落させようとしており、どうしても負けたくないのです。それでは、神は人間を救うために何ができるでしょうか。神は、サタンの誘惑が人間に降りかかることをお許しになり、サタンの誘惑を通してサタンの欺瞞を暴き、人間がそれらを見抜けるようにし、彼らが神の御言葉を受け入れられるようにし、神に立ち返り従えるように、神の側に立たせるのです。このようにしてのみ、堕落した人類は本当に救われるのです。これこそ、神が人類を救われる方法なのです。神は人類をこのようにして救われるので、堕落した人類が神の御働きを受け入れるにともない、彼らはサタンのありとあらゆる誘惑(つまり、神が人間に降りかかることをお許しになるあらゆる試練)に直面するのです。これは正常で、当然のことです。ある人は、「このような試練に直面しなくても済むのなら、それで良いのではないか?」と言います。ある人はこのことを見抜くことができないかも知れません。そのためには、彼らは霊の世界の戦いにおける事実を十分に理解する必要があります。

『いのちに入ることに関する説教と交わり(Ⅹ)』・神の御言葉に関する説教と交わり「神の働き、神の性質、そして神自身Ⅱ」(Ⅱ)

あなたはあらゆる試練に直面します。もし今日、何の試練にも直面していなければ、明日直面するでしょう。もし明日何の試練にも直面しなければ、いつか必ず直面するでしょう。つまり、神はあなたが試練に直面することを要求されるのです。何故でしょうか。試練なくしては、証を立てることはないからです。患難の中に置かれなければ、あなたの忠誠は明らかにされず、あなたの本当の心は明かされません。あなたの本当の心が明らかにされ、忠誠が明らかにされ、またあなたの従順も明らかにされなければなりません。それから終わりが来るのです。神はそれぞれの人からこのようなことを要求なさいます。私たちは神の御国の時代の間にこのように調べられ、キリストの御座の前に現れるとき、このように調べられ、誰もがこの試験に合格しなければなりません。もしあなたがこの試験に合格せず、ある時点でサタンの虜となり「獣の刻印」を受けるなら、あなたは絶対に神の御国に入る資格を得ることはできないでしょう。終わりの日のキリストを受け入れ、神の御前に引き上げられるということは、御国に入ることにおける一番重要な時なので、私たちは大きな戦いや大患難に直面しなければなりません。御国に入る途上には多くの苦難があるでしょう。そして、終着点に着くためには、自分の命を捧げることが要求されます。黙示録の中で、全能神を信じる者たちを見てください。「彼らは小羊の行く所へは、どこへでもついて行く。」(ヨハネの黙示録 14:4)、「あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、……」(ヨハネの黙示録 7:9)、「彼らは大きな患難をとおってきた人たちである。」(ヨハネの黙示録 7:14)これらの言葉をご覧ください。これらは全て全能神を信じる者たちのことを指しています。これらの人たちは一歩も逸れずにキリストに従い、死に至るまで忠実でした。彼らこそ勝利を得る者なのです。

『いのちに入ることに関する説教と交わり』(A6第132巻)

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