私は全能神によって表された言葉を真理として認めていますが、私の家族は中国共産党や牧師たちが広めている噂によって混乱させられ、私が全能神教会のクリスチャンと連絡を取ることを全力で妨害します。私は終わりの日の全能神の働きを調査するようなことは敢えてできませんが、同時にまた神に引き上げられて救われる機会を失いたくもありません。私はこの問題をどう解決すべきでしょうか?

2018年12月16日

参照聖書箇所

「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。」 (ペテロの第一の手紙 5:8)

「人の敵はその家の者である。」 (ミカ書 7:6)

「また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。」 (マタイによる福音書 10:38)

「義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。」(マタイによる福音書 5:10)

「しかし、おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が…」。ヨハネの黙示録 21:8

関連する神の言葉

神は肉の姿になったので、サタンはあらゆる方法を用いて神を非難し、このように神を攻撃しようとしている。しかし、神はこのために退却したりはしない――神はひたすら人類の中で語り、働き、人々が肉となった神の姿から神を知ることを許している。サタンは怒りで目を赤くし、神の民を否定的にさせ、退却させ、迷わせようとすら考えて必死に努力した。

『神の出現と働き』「『全宇宙への神の言葉』の奥義の解釈、第十三章」(『言葉』第1巻)

地上には、あらゆる悪霊が果てしなく休みどころを求めてさまよい、いつも食べるための人間の死体を探している。わが民よ。あなたがたは、わたしの保護と世話の中にとどまりなさい。けっして自堕落なことをしてはいけない。けっして無謀なことをしてはいけない。そうではなく、わたしの家で忠誠をささげなさい。そして、忠誠によってのみ、あなたがたは悪魔の狡猾さに対抗できるのだ。いかなることがあっても、過去のように行動してはいけない。わたしの前で一つのことをし、わたしの後ろで別のことをする──そうすることで、その人は、すでに贖われなくなっている。…

『言葉は肉において現れる』の「十章」より

神が人々に対して行う働きのあらゆる段階で、物事があたかも人の手配で生まれたかのようであり、あるいは人の干渉から生まれたかのようであり、外面的には人々の間の相互作用のように見えるかもしれないが、舞台裏では、働きのあらゆる段階、起こるすべてのことは、神の面前でサタンが作った賭けの対象であり、人々は、神に対する証しにしっかりと立つことが要求される。ヨブが試練に会った時のことを例にとってみよう。秘かにサタンは神と賭けをしており、ヨブに起こったことは人間の行為であり、人間による干渉であった。神があなた方に対して行うすべての段階の背後にはサタンと神との賭けがある――その背後にはすべて戦いがある。例えば、あなたが兄弟姉妹に対して偏見を持っているなら、あなたには言いたい言葉――神にとって不愉快かもしれないとあなたが感じる言葉―― があるだろうが、心の中ではあなたにとって言わずにいるのは難しいことである。そしてこの時、あなたの心の中には戦いが始まる。私は話すべきか否か。これは戦いである。従って、すべての中に戦いがあり、あなたの心の中に戦いがある時、あなたの実際の協力と実際の苦しみのおかげで、神はあなたの中で働く。結局、心の中であなたは問題を脇にどけておくことができ、怒りは当然消滅する。それが、あなたが神に協力した結果である。あなたが行うすべてはあなたが一定の代償を努力で支払うことを要求する。実際の困難がなければ、あなたは神も満足してもらうことはできないし、神に満足してもらうことに近づくことさえなく、それらは空虚なスローガンに過ぎなくなる。これらの空虚なスローガンは神に満足してもらうことができるだろうか。神とサタンが霊的領域で戦う時、あなたは神に満足してもらうためにどうすべきか、どのように固く証しに立つべきだろうか。あなたは自分に起こることのすべては大いなる試練であり、その試練の時に神があなたの証しを必要とすることを知るべきである。

『神の出現と働き』「神を愛することだけが本当に神を信じることである」(『言葉』第1巻)

ヨブの人間性に関するもうひとつの側面が、彼と妻との会話に表現されている。「時にその妻は彼に言った、『あなたはなおも堅く保って、自分を全うするのですか。神をのろって死になさい』。しかしヨブは彼女に言った、『あなたの語ることは愚かな女の語るのと同じだ。われわれは神から幸をうけるのだから、災をも、うけるべきではないか』。」(ヨブ記 2:9-10)。苦しむヨブを見た彼の妻は、ヨブが苦しみから解放されるようにと助言した。だがその「善良な意図」はヨブに受け入れられなかった。それどころか、ヨブの怒りを引き起こした。ヨブの妻はヨブの信仰とヤーウェ神への従順を否定し、ヤーウェ神の存在も否定したからである。ヨブにとってそれは耐え難いことであった。ヨブ自身、決して自分が神に反抗したり神を傷つけたりするようなことをせず、言うまでもなく他の人がそのようなことをすることも耐えられなかった。周りの誰かが神を冒瀆したり中傷したりするような言葉を発するのを見て無関心でいられる筈がなかった。だからヨブは彼の妻を「愚かな女」と呼んだのである。妻に対するヨブの態度は怒りと憎しみ、非難と叱責に満ちていた。これは愛と憎しみを区別するヨブの人間性が自然に表現されたものであり、ヨブの正しさの真の現れである。ヨブには正義感があった。その正義感故にヨブは悪が横行するのを憎み、ばかげた異端、愚かな論争、ばかげた主張を忌み嫌い、非難し、拒絶し、大衆に拒絶され、身内や親しい人達に見放された時でも自身の持つ正しい原理と立場を堅く守った。

『神を知ることについて』「神の働き、神の性質、そして神自身 II.」(『言葉』第2巻)

あなたは、あれやこれやと恐れてはならない。どれだけ多くの困難や危険に直面しようと、あなたはわたしの前に固く立ち続けなければならない。わたしの旨が遂行されるためには、何によっても妨害されてはならない。これをあなたの本分としなければならい…あなたはすべてに耐えなければならない。わたしに従いわたしのために全ての代価を払うために、あなたが持っているすべてを放棄し、できることすべてを行わなければならない。これはわたしがあなたを試す時である。あなたはわたしへの忠誠を尽くすか。忠誠心を持って道の終わりまでわたしに従うのか。恐れるな。わたしの支えがあれば、誰にその道を塞ぐことができようか。このことを覚えよ。覚えよ。起こることのすべてはわたしの善意によるものであり、すべてはわたしの観察下にある。あなたの一つひとつの言動がわたしの言葉に従えるか。火の試練があなたに臨むとき、あなたはひざまずいて叫ぶだろうか。それとも臆病になって前進できなくなるだろうか。

あなたは自分の内にわたしの勇気を持たなければならない。そして、未信者の親戚に直面するときは、原則を持たなければならない。しかしわたしのために、あなたはどんな暗闇の勢力にも屈してはならない。完全な道を歩むためにわたしの知恵に頼りなさい。サタンの陰謀に支配させてはならない。わたしの前にあなたの心を置くことに全力を尽くしなさい。そうすればわたしはあなたを慰め、あなたの心の中に平安と幸福を与える。あなたは人間の承認を求めてはならない。わたしを満足させることの方が、より価値があり重要ではないか。わたしを満足させることに、より多くの永遠かつ生涯続く平安と幸福があるのではないか。現在の苦しみは、あなたの将来の祝福がどんなに大きいかを示している。それは言葉では言い表せない。どれほど大いなる祝福を受けるのか、あなたは知らない。あなたはそれを夢見ることさえできない。今日、それは現実となる。ほんとうに現実となるのだ。それはもう遠くない。あなたにはそれが見えるか。すべてはわたしの中にあり、前途は何と明るいことか。あなたの涙を拭い去り、痛みも悲しみも感じるな。すべてはわたしの手の中に握られており、わたしの目標はあなたがたをすぐに勝利者にし、あなたがたを導き、わたしと共に栄光の中に入ることである。あなたはあなたに降りかかるすべてに感謝し、讃美しなければならない。そうすればわたしの心は満足する。

『言葉は肉において現れる』の「十章 」より

人の交流

終わりの日における全能神の御働きを受け入れた最初の群れに属する全ての者は、あらゆる国の様々な社会的立場において、真理を追求する必要があります。神はあなたがたに大いなる委託を授けられました。最初に受け入れた者、最初に真理を得た者は、自国の人々、つまりその国で神に選ばれた者たちに水を与え、彼らを牧するために、必ず神によって用いられるでしょう。あなたがたがまず終わりの日における全能神の御働きを受け入れ、もしあなたがたが実際に真理を追求する者であれば、神はあなた方に任務を託され、あなたがたを訓練されるでしょう。そして、あなたがたは試練に直面するでしょう。神はあなたがたの信仰を試され、あなたがたがどの程度真剣に信じているか、神の御言葉と出現について確信できるかどうかを確かめられます。たとえば、ある人の場合は、信じて早々、家族の者が病気になるかもしれません。他の人の場合は、信じると、未信者が立ち上がって彼らを迫害したり弾圧したりするでしょう。さらに他の者は、信じるやいなや、家族が深刻な問題にぶつかるでしょう。「一体どういうことだ? 真の神が来られたが、私が信じた途端、不幸なこと、災いなどの悪いことが起こるとは。これは本当に真の神なのだろうか。」ある者は疑い、祈りません。考えてみて下さい。あなたは真の神を信じていますが、悪魔サタンはそれを憎まないでしょうか。悪魔サタンは諦めるでしょうか。悪魔サタンはあなたを奪い取ろうとするでしょう。悪魔サタンは様々な状況を作り出し、あなたがたに困難を引き起こし、あなたがたを退かせ、全能神から引き離そうとするでしょう。……悪魔サタンは食い尽くす者を求めて至るところを巡り歩いているので、あなたがたがイエスを信じるなら、悪魔サタンはあなたがたに反応しませんが、あなたがたが全能神を信じるなら、それは霊的世界において重大なことです。これは真理と虚偽との思想的闘争です。だから、試練にぶつかったときは、神を疑ってはなりません。自らの証しに固く立ってください。全てが神の掌中にあります。あなたがたがすべき事は、しっかりと信仰に立つことだけです。

『いのちに入ることに関する説教と交わり』(B7第131巻)

宗教においては、大多数の人たちが牧師を崇拝し牧師の言うことに聞き従います。彼らは神の御言葉を聞きもせず、ただ牧師たちの言うことを何でも聞き、牧師たちが指示することを何でもします。それでは、これらの人たちは一体誰を信じているのでしょうか。彼らは牧師を信じているのでしょうか、それとも神を信じているのでしょうか。彼らにはその違いが見分けられるのでしょうか。誰であれ、彼らが一番良く耳を傾ける人が、彼らの信じている者です。これが現状ではありませんか。これは全くの現実です。もしあなたが姉妹であり、あなたの夫が真理に反することを言ったら、あなたは耳を傾けますか。あなたはこれにどう対処しますか。あなたはこれをどう扱いますか。日常的なことなら耳を傾けることができます。人が歩むべき道や為すべきことは、神の御言葉に基づいていなければなりません。日常的なことなら、夫婦にはそれぞれ家庭での責任があります。もしそれがあなたの責任であることなら、あなたはそれをやらなければなりません。あなたは責任を取らなければなりません。そして、もしあなたがそれをしっかり行わず、あなたの夫があなたを叱るなら、それは正しいことです。しかし、あなたが神を信じることを夫が許さず、世の人たちの道をあなたに歩ませようとするなら、あなたは夫に耳を傾けてはなりません。そうでしょう?「キリストが真理であり、道であり、いのちなのです。私は全てのことにおいて、キリストに従わなければなりません。キリストの御言葉とキリストにより表された真理こそが私の歩むべき道であり、私はキリストの御言葉から逸れることはできません。これが私たちの信仰です。」もしあなたの夫があなたの信仰を侵害するなら、これは絶対に許してはなりません。これは原則の問題なので、決して譲ることはできません。……人生の道に関わる場合は、絶対に妥協してはなりません。あなたは真理を貫き、我々の信仰を固く守り、全てのことにおいて神の御言葉に従わなければなりません。そうして初めて、あなたは神を本当に信じる者になるのです。

『いのちに入ることに関する説教と交わり(Ⅴ)』・「真理を追求することの価値と意義」より

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