私は東方閃電が真の道であることを知っていますが、もし終わりの日における全能神の御働きを受け入れたら、私は以前いた教派に属する兄弟姉妹たちによる拒絶と中傷の対象になってしまいます。私はそれに立ち向かう勇気が本当に無いので、どうするべきでしょうか?
参照聖書箇所
「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。」(ペテロの第一の手紙 5:8)
「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。」(マタイによる福音書 7:13-14)
「しかし、役人たちの中にも、イエスを信じた者が多かったが、パリサイ人をはばかって、告白はしなかった。会堂から追い出されるのを恐れていたのである。彼らは神のほまれよりも、人のほまれを好んだからである。」(ヨハネによる福音書 12:42-43)
関連する神の言葉
あなたがたは皆このような言葉を覚えているだろう。「このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。」あなた方は皆過去にこの言葉を耳にしたことがあるが、その言葉の真意を理解した者はひとりもいない。今日あなたがたは、この言葉の持つ真の意義をよく理解している。これらの言葉は終わりの日に神が成就するものである。そしてそれは、赤い大きな竜の横たわる地で、竜にひどく苦しめられている人々の上に成就する。赤い大きな竜は神を迫害する神の敵であり、よってこの地において神を信じる者たちは屈辱や迫害に晒されている。それ故、これらの言葉はあなたがた一群の中で実現するのだ。神に逆らう地において働きが行われるため、神のすべての働きは過度の妨害を受け、神の言葉の多くはすぐには達成されない。したがって、人々は神の言葉によって精錬される。これもまた、苦しみの要素である。…
…したがって、神の働きや神があなたがたに託したことをあまり簡単に考えてはならない。あなたがたは皆、すべてを超越した、神の永遠で重みのある栄光の継承者であり、それは神が特別そう定めたのである。神の栄光の二つの部分のうち、一つはあなたがたの中に現れている。神の栄光の一つの部分すべてがあなたがたに授けられており、あなたがたがそれを相続する。これは神によって引き上げられることであり、はるか昔に予め定められた神の計画である。…あなたがたの中には、法の保護を受けているものはひとりもおらず、むしろあなたがたは法によって罰せられている。さらに難しいことには、一人としてあなたがたを理解する者はいない。それが親戚であれ、両親であれ、友人や同僚であれ、誰もあなたがたを理解しないのだ。神があなたがたを「捨てる」なら、あなたがたが地上で生き続ける手段などない。しかしそれでも尚、人々は神から離れることに耐えられない。これこそ神が人々を征服することの意義であり、また神の栄光であるのだ。
『神の出現と働き』「人が想像するほど神の働きは簡単なものか」(『言葉』第1巻)
あなたはすべてに耐えなければならない。わたしに従いわたしのために全ての代価を払うために、あなたが持っているすべてを放棄し、できることすべてを行わなければならない。これはわたしがあなたを試す時である。あなたはわたしへの忠誠を尽くすか。忠誠心を持って道の終わりまでわたしに従うのか。恐れるな。わたしの支えがあれば、誰にその道を塞ぐことができようか。このことを覚えよ。覚えよ。起こることのすべてはわたしの善意によるものであり、すべてはわたしの観察下にある。あなたの一つひとつの言動がわたしの言葉に従えるか。火の試練があなたに臨むとき、あなたはひざまずいて叫ぶだろうか。それとも臆病になって前進できなくなるだろうか。
あなたは自分の内にわたしの勇気を持たなければならない。そして、未信者の親戚に直面するときは、原則を持たなければならない。しかしわたしのために、あなたはどんな暗闇の勢力にも屈してはならない。完全な道を歩むためにわたしの知恵に頼りなさい。サタンの陰謀に支配させてはならない。わたしの前にあなたの心を置くことに全力を尽くしなさい。そうすればわたしはあなたを慰め、あなたの心の中に平安と幸福を与える。あなたは人間の承認を求めてはならない。わたしを満足させることの方が、より価値があり重要ではないか。わたしを満足させることに、より多くの永遠かつ生涯続く平安と幸福があるのではないか。現在の苦しみは、あなたの将来の祝福がどんなに大きいかを示している。それは言葉では言い表せない。どれほど大いなる祝福を受けるのか、あなたは知らない。あなたはそれを夢見ることさえできない。今日、それは現実となる。ほんとうに現実となるのだ。それはもう遠くない。あなたにはそれが見えるか。すべてはわたしの中にあり、前途は何と明るいことか。あなたの涙を拭い去り、痛みも悲しみも感じるな。すべてはわたしの手の中に握られており、わたしの目標はあなたがたをすぐに勝利者にし、あなたがたを導き、わたしと共に栄光の中に入ることである。あなたはあなたに降りかかるすべてに感謝し、讃美しなければならない。そうすればわたしの心は満足する。
『言葉は肉において現れる』の「第十章」より
神は神の現われを切望する人々を探し求める。神は神の言葉を聞くことができる人々、神の任務を忘れず、心と体を神に捧げる人々を探し求める。神は神の前で赤子のように従順で、神を反抗しない人々を探し求める。あなたが何ものにも妨げられずに神に献身するならば、神はあなたを好意の眼差しで見、祝福を授けるだろう。たとえあなたが高い身分で、名声があり、知識が豊富で、有り余るほどの資産の持ち主で、多くの人々の支持を得ていたとしても、それらのものが、神の要求することを行うために、神の前に出て神の召命と任務を受ける妨げにならないならば、あなたの為す全ては、地上で最も意義深く、人類の間で最も正しいことになる。もしあなたが地位や自分自身の目標のために神の召命を拒むならば、あなたの為すことはすべて神によってのろわれ、忌み嫌われさえするだろう。
『神の出現と働き』「附録2:神は全人類の運命を支配する」(『言葉』第1巻)
神の心を打ち砕き、神を裏切って悪者を求めるこのような人類はどこへ向かうか、誰も考えたことがない。まさにこの理由により、誰も神の怒りを知覚しないのである。神を喜ばせるための道を探す者、あるいは神により近づこうと努める者は誰もいない。さらに、神の悲しみと苦痛を理解しようとする者は誰もいない。たとえ神の声を聴いた後であっても、人は神の恵みと配慮を避け、神の真理を遠ざけて、神から離れた道を進み続け、彼はむしろ、神の敵であるサタンに自分の身を売り渡す。そして、神を棄て去った悔い改めない人に対して、神がどのように振るまうか、いくらかでも考えてみた者はあるだろうか。神が繰り返し注意や呼びかけを行うのは、神が準備した、人の肉と霊魂にとって耐えられない前例のない災いをその手にもっているからであるということを知る者は、誰もいない。この災いは、単に肉の懲罰だけではなく、霊魂の懲罰でもある。あなたはこのことを知っていなければならない。すなわち、神の計画が無効にされ、神の注意と勧告が何の反応も生まないときに、神はいかなる怒りを解き放つだろうか。これは、いかなる被造物も今までに経験したことも聞いたこともないものであろう。そして、この災いは前例がなく、決して繰り返されない、とわたしは言おう。これは、神の計画の中にはただひとつの創造とただひとつの救いしかないからである。これは最初であり、最後でもある。したがって、人類の救いのための、神の親切な意図と待ちきれない期待を、誰も理解できないのである。
『神の出現と働き』「神は人間のいのちの源である」(『言葉』第1巻)
人の交流
あなたは今福音を広めていますが、宗教界の人たちからの悪口や裁きに直面するとき、どんな気持ちになりますか。意気消沈して落胆してしまいますか。ある人は、宗教界の多くの人々が立ち上がって神の御働きに反抗し、裁くのを見て、意気消沈してしまい、「これほど多くの人たちが信じられないのはどうしてでしょうか? 信じているのは私たち少数です。私たちの道は正しいのでしょうか?」と言います。このように考える人たちは更に無知です。何故なら、真理は結局少数の者の手の中にあり、「滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者は少ない。」と聖書に書いてあるとおりだからです。ですから、宗教界が神に抵抗するのを見るとき、この御言葉を思い起こし、それを声に出して言うなら、あなたは大丈夫です。これらの御言葉を思い起こした途端、あなたはすぐに慰めを受けるので、意気消沈することも希望を失うこともありません。私たちは孤立してはいません。私たちには神の後ろ盾があり、神が私たちとともにおられます。
『いのちに入ることに関する説教と交わり(Ⅵ)』・「真理を実践することの意義と成果、そして解決しなければならない幾つかの問題」より
真理を追求することにより、人の心はますます喜びで満たされ、心はますます神を渇望し、神と共にいることを切望し、真理を持つ者たちと接することをいっそう愛します。注意して真理を持つ者と交わり、彼らと共に暮らすことにより、あなたは最終的にもっと真理を理解するようになり、さらに神に祝福され、いっそう神に信頼されるでしょう。神はあなたを探し求め、あなたの生涯の全てを整え、またあなたに最適な場所を整えることを願われ、そうしてあなたに信頼を寄せられます。ですから、真理を追求する者は決して孤独であることがありません。あなたが真理を本当に得たとき、神はあなたを愛し、あなたを祝福し、あなたを好きになり、最終的にあなたを用いられます。これは何と大きな祝福でしょうか! 真理を追求することはこれほど意義深いことなのです。真理を追求することにより、私たちは知らないうちに自分自身の堕落に関するより深い認識を得るのです。真理を追求することにより、私たちは知らないうちに多くの真理を理解するようになるのです。真理を追求することにより、私たちは知らないうちに神に関するより深い認識を得るのです。真理を追求することにより、私たちは知らないうちに自分のいのちの性質における変化を見るようになるのです。真理を追求することにより、私たちは知らないうちに神の祝福を見るようになり、それらが内なる光で満たされていることを見、真の人生を見、そうして最後には神の御顔を見ることができるのです。それ故、真理を追求するということは、辿れば辿るほどさらに明るく広くなる道なのです。どれほど他の人があなたを拒絶しようが、どれほど彼らがあなたに敵対しようが、真理を追求することにより、あなたは神の祝福を得ることができ、神の称賛を得ることができ、神の守りがあるので、これで十分なのです。これこそ、あなたの心に最大の満足をもたらすことができるのです。あなたは、神があなたを好きであるか否か、神があなたを称賛するか否か、神があなたを祝福するか否かを気にかけねばなりません。神の称賛と祝福を得るなら、あなたは心の奥底で満足を感じ、豊かで安定した気持ちになり、限りない平安と喜びを感じるでしょう―これこそが人生の最大の幸せなのです。
『いのちに入ることに関する説教と交わり(Ⅱ)』・「神に仕える者が満たさなければならない要求と神の御旨に沿って仕える方法」より
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