聖書にこうあります。「すべての人は、上に立つ権威に従うべきである。なぜなら、神によらない権威はなく、おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたものだからである。したがって、権威に逆らう者は、神の定めにそむく者である。そむく者は、自分の身にさばきを招くことになる」(ローマ人への手紙 13:1-2)。何年も主を信じてきたならこの意味は分かるでしょう。聖書は神様に霊感を受けて書かれたんですから、私は我々信徒は権力者には従順であるべきだと思います。あなたの見解は分かりませんが、中国では当局と対立したらどうにもならない。共産党は革命政権だから、反抗すれば命を奪われかねない。中国で主を信仰するには共産党の統一戦線を受け入れて三自教会に入るしかありません。他に道はないんです! 私たちが主への信仰に求めるものは何でしょう。家庭の調和と平和な人生じゃないですか。三自教会の思慮深さを見てみてください。愛国的で教会を愛し、神様を賛美し人々に有益な組織です。我々は聖書にも国の政権にもたてつきません堂々と教会で信仰が出来るしびくびく隠れることもない良いとこ取りじゃありませんか?
回答:どうやらパウロの言葉を独特に解釈なさってるようですね。私が主を信じてから、中国共産党政府の迫害を受けました私はパウロの「すべての人は、上に立つ権威に従うべき」という言葉が理解できませんでした。パウロの言葉は主イエスの意図を代弁しているはずがないと感じます。主イエスは上に立つ権威に従うことについては何も言われなかったからです。聖霊もしかりです。主を信じることは主の言葉に従うことだと思います。人の言葉を真理や神の言葉として受け取ってはいけません。何年も探し求め、祈った結果分かったことは中国共産党は神様を拒む悪の組織だということです。中国共産党に従えば神様を裏切ることになります。中国共産党はご存知の通り無神論の党です。権力を握ってからずっと表立って神様を否定し拒んでいます。キリスト教とカトリック教会を共に邪教と指定しており聖書も邪教の本とされ、数えきれない聖書が押収され、燃やされました。しかも好き勝手にキリスト教徒を逮捕して迫害しています。数えきれないキリスト教徒が拷問で一生残る怪我を負ったり殺されたりし、沢山の家族が滅茶苦茶にされました。共産党は海外までも追いかけてきます。経済的な餌や政治的な圧力などありとあらゆる手で外国に逃れたキリスト教徒を帰国させようとします。共産党の神への抵抗とキリスト教徒弾圧は数えきれず、まったくひどいとしか言いようがありません。神様はその選ばれた民がそんな神様に大胆に反抗する悪魔の政権に従うことをお許しになるのでしょうか? 中国共産党に従えば、サタンの味方をしていることになりませんか? 共産党は神様を拒み冒涜し、我々が神様を信じることを止めようとします。神の敵でしかありません。共産党に従ったら、神様を拒み裏切ったことになりませんか。過去には沢山のキリスト教徒が主に従い証をしたために迫害されたり殉教したりしました。彼らは政権や権力者に従ったでしょうか。彼らの殉教は権力者を拒んだために自ら招いた罰なのでしょうか。パウロは主の殉教者を非難したでしょうか。非難しなかったと思います。では、パウロの言葉はどういう意味で言われたのでしょうか。パウロはまさか権力を握っているの多くが神様を拒む悪魔だとは気付かなかったのではないでしょうか。だから私はパウロの言葉に懐疑的なのです。私は「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものである」というパウロの言葉にすら疑問を抱きます。主イエスも聖霊も聖書についてそうは証していないからです。パウロの言葉の多くに人の意図が入っているような気がします。ですからそれを真理としては受け入れられないんです。私は神様を信じますから、神様の言葉だけに従い、それに従って自分のやり方を決めます。人の言葉については使徒の言葉も含めて参考として扱います。聖書の言葉でもです。そしてそれを受け入れ従うのはそれが神様の言葉と真理に合致した時だけです。そうでなければ受け入れませんこれが私の見方です。
中国で主を信じることは確かに困難で危険です。でもパウロの言葉通りにして悪魔的な共産党の言いなりになって三自教会の道を選べば身体上は安全になっても、主の称賛を得られるでしょうか。主が戻られたときに私たちが天国に連れて行かれる保証になりますか? 無理だと思います。主イエスは言われました。「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見出す者が少ない」(マタイによる福音書 7:13-14)。「あなたがたは、わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けるであろう」(マルコによる福音書 10:39)。「また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。自分の命を得ているものはそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう」(マタイによる福音書 10:38-39)。主の言葉ははっきりと狭い門から入り細い道を行けば永遠の命の道につながると言っています。主はまたこうも言われました。「また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない」。もしパウロの言葉通りに当局に従ったら、それは狭い門から入り細い道を通ったことになりますか。十字架を背負って主に従うことになりますか? 信仰において誰もが悪魔の共産党のもとにいる権力者に従ったら神様を拒み裏切る者になってしまうのではありませんか。そうなれば誰が福音を広め主の証をたて神様の意思をたどるのですか。このような信仰で私たちは主の称賛を得て良い終着点に着けますか? 三自教会は中国共産党が作った上辺だけの教会で共産党政府が完全に牛耳っています。聖書の純粋な真理についても神様を愛し従うことについても話しません。話すのは愛国精神や、家族の経済的繁栄や、神を賛美して国民に恩恵をもたらすことだけです。三自教会が実は偽教会である証拠です。家庭教会を弾圧する共産党の手先になり果てています。家庭教会の活動を監視するための組織なのです。中国共産党と手を結び、証をたてて福音を広げる兄弟姉妹を逮捕したり迫害したりもしているのです。これは政治と宗教がサタンの片棒を担いでいることになりませんか。教えてください。三自教会の人が中共政府に従うとき実際に従っているのは神様ですか? サタンですか? 神様はサタンに降伏する囚人や傀儡を称賛するでしょうか。神様はサタンに属する惨めな人間を天の国に入れてくれるでしょうか。今主イエスが戻られましたそれは受肉した全能神であり、終わりの日に真理を表し裁きの働きをされます。それは人類の清めと救い、完成の為であり、人類を神の国に迎えるためです。終わりの日の神様の出現と働きは、すべての信者にとって重要な試験です。それぞれの種類によって本性を暴かれます。主イエスが預言した通りです。「人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。……そのとき、ふたりの者が畑にいると、ひとりは取り去られ、ひとりは取り残されるであろう。ふたりの女がうすをひいていると、ひとりは取り去られ、ひとりは残されるであろう」(マタイによる福音書 24:37-41)。全能神の出現と働きはすべての人をその種類によって暴き小麦と毒麦、良きしもべと悪しきしもべ真理を愛するもの、嫌う者などすべてが終わりの日の神様の働きで暴露されます。人類の結果と終着点が明かされる時が来たのです。人類がもしここで全能神の終わりの日の働きを受け入れる勇気がなく、サタン的中国共産党を恐れるあまり惨めな姿をさらしてしまったらどうなると思いますか。こんな人間が主の称賛を受けられると思いますか?
映画『対話』より引用
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