主イエスが言われたのですが、「あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである」(ヨハネによる福音書 14:2-3)。主イエスは復活し天に戻り、私達のための場所を用意するとつまり天にあるということでしょう。もし主が戻られたのなら、私達を天に引き上げ空に持ち上げ主にお目見えできるということで、あなた方の証しは主イエスは戻り受肉して地にあり話し働いているというから、どうやって私達を天国に連れて行くのです? 天国は地上にあるのですかそれとも天に?

2019年4月2日

回答:天国が実際に天にあるのか地上にあるかについては、まず天国とは何なのかを理解する必要があります。誰もが「天国」とは通常天を神を指してそう呼びます。天国とは神様の国を指し、神様が権力を持つキリストの国です。神様の国は地上にあるのか天にあるのか? 主がお祈りの中でおっしゃっています。「天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように(マタイによる福音書 6:9-10)。主イエスの御言葉からわかりませんか? 主は神様の御心が地上で叶うよう神様の国が地上に下るように祈れと言われましたが、神様の国が天にできるとか、特に天に引き上げられるために祈れとも、希望を持てとも言われません。主の言葉にもなく御心にも沿わないのに神様の国に入るために天国に招かれることを望んでいたのでは? ヨハネの黙示録を見てみましょう「第七の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、大きな声々が天に起って言った、『この世の国は、われらの主とそのキリストとの国となった。主は世々限りなく支配なさるであろう』(ヨハネの黙示録 11:15)。「また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、『見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである』(ヨハネの黙示録 21:2-4)。どちらもこう言っています。「この世の国は、われらの主とそのキリストとの国となった」「聖なる都、新しいエルサレムが、神のもとを出て、天から下って来る」「神の幕屋が人と共にあり」、これはキリストの王国は地上に実現されることを指し、終わりの日の全能神の裁きの働きはキリストの国を地上に実現するためで、大災害が地球を襲う前に神様は勝利者の集団を作り、それが神様の国の中心となり、キリストの国で神様のお側で支配する者達なのです。災害では神様に完全にされた者は神様の国の民となり、終わりの日の全能神の働きを受け入れなかった者は神様に正体を暴かれ捨て去られるので、キリストの国には入れません。黙示録の預言は終わりの日に受肉した神様が発言するとあり、地上にキリストの国が実現したとき大災害は終焉を迎え、新しい地に新しい天国が永遠にできるのです。この預言がすべて成就し完成したら、神様の経営計画は完全に達成されます。終わりの日に全能神の働きを受け入れた者は清められ完全にされてさえいれば、キリストの国の民になります。災害の前に作られる勝利者で神様の言葉に耳を傾け従うことができる者です。大災害が起きてもこの者達は神様に保護され守られます。ぼんやりとした想像で空に引き上げられ主に会えると思い込み、終わりの日のキリストの裁きと清めを受け入れない者は災害で処罰を受け、ほとんどの人は滅ぼされ、少数だけが災害の苦難を生き抜き神様へと向かうでしょう。これが本当に神様がもうすぐなさる事です。

主イエスは約束されました。「あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである(ヨハネによる福音書 14:2-3)。主の御言葉は謎に包まれています。自分の思い込みや想像からすると主は天へ行かれ、そこで場所を準備されたことになりますが、それは大きな間違いです。神様の働きは人間には計り知れないので、自分勝手な観念や想像だけでは理解できません。働きが完成して初めてはっきり目に見えるのです。終わりの日の全能神の働きを受け入れるまでは私も理解できなくてでも、神様が完成した働きを目にしました。主イエスが私達の場所を準備されるという意味は、私達が終わりの日に生まれ受肉した神様の働きを受け入れ裁きを受けて清められ完全にされてキリストの王国に召される事なのです。考えてみれば、神様は受肉され人の中に生き終わりの日の裁きの働きをするために真理を示し、私達は神様の声を聞いたので、御前まで引き上げられるのです。つまり神様が私達に会いにいらっしゃっているということでは? 私達は神様の言葉を読み神様の働きを経験し、神様と共に宴会に出席できますが、これが主にお会いできるということではないですか? 神様の働きが完了する日が来た時、私達が清められ完全にされていれば、神様の国に招かれ、キリストは神様の国で支配し、私達は神様の民として神様を礼拝するのです。「わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである」という預言が成就されていますね。

全能神の御言葉を少し読んでキリストの国が地上にどう実現し、それがいかに美しいものであるか学びましょう。全能神は言われます。「神の国は人間たちの間で拡大している。神の国は人間たちのただ中で形作られている。神の国は人間たちのただ中で建て上げられている。わたしの国を滅ぼすことのできる勢力はない。……わたしは今、わが民の間を歩き回り、わが民の中で生きている。今日、わたしに本物の愛を抱いている者たちは幸いである。わたしに服従する者は幸いである。その人たちは必ずや、わたしの国にとどまるであろう。わたしを知る者は幸いである。その人たちは、必ずや、わたしの国で権力を振るうであろう。わたしを追い求める者は幸いである。その人たちは必ずやサタンの束縛から逃れ、わたしの中にある祝福を享受するであろう。自らを捨てることのできる者は幸いである。その人たちは、必ずやわたしのものとなり、わたしの国の富を相続するであろう。わたしのために走り回る者を、わたしは記憶し、わたしのために尽くす人を、わたしは喜んで抱こう。わたしに捧げ物をする人に、わたしは喜びとなるものを与えよう。わたしの言葉に喜びを見出す者を、わたしは祝福する。その人たちは必ずや、わたしの国の棟木を支える柱となるであろう。その人たちは、必ずやわたしの家で何ものにも及ばない豊かさを得、彼らに並ぶものは一人もいない。あなたがたは、自分に与えられた祝福を受け入れたことがあるか。あなたがたは、あなたがたのために結ばれた約束を求めたことがあるか。あなたがたは、必ずや、わたしの光の導きの下、闇の力の抑圧を打ち破るだろう。あなたがたは、闇のただ中にあっても、あなたがたを導く光を絶対に見失いはしないだろう。あなたがたは、必ずや、すべての被造物の主人となる。あなたがたは、必ずや、サタンの前で勝利する。あなたがたは、必ずや、赤い大きな竜の国が滅びるとき、無数の大衆の中で立ち上がり、わたしの勝利を証しするであろう。あなたがたは、必ずや、秦の国にあって、決意を固くし、揺らぐことがないだろう。あなたがたの耐え忍ぶ苦しみによって、あなたがたはわたしからの祝福を相続する。そして、必ずや、全宇宙にわたしの栄光を輝かせるだろう(『神の出現と働き』「全宇宙への神の言葉、第十九章」〔『言葉』第1巻〕)

わたしの言葉が完成するにつれて、わたしの国は徐々に地に形を現し、人間は次第に正常に戻り、そうして、地上にわたしの心の国が築かれる。その国では、神の民全員が正常な人間の生活を取り戻す。凍える冬は去り、春の訪れた町々の世界となり、一年中春が続く。もはや人々は暗く惨めな人間世界に臨まない。もはや人間世界の凍える寒さを耐えることがない。人々は互いに戦うことなく、国々は互いに戦争を仕掛けることがない。もはや大虐殺が行われて血が流されることはない。地はすべて幸福に満たされ、どこも人と人のぬくもりが満ちる。わたしは世界を動き回り、玉座の上から楽しむ。わたしは星々の間で暮らす。そして、天使たちがわたしに新しい歌や踊りをささげる。天使たちは、もはや自身のもろさに涙がほおを伝うことはない。もはや天使がわたしの前ですすり泣くのを聞くことがない。そして、もはや誰も苦難をわたしに訴えることがない。今日、あなたがたはわたしの前で生きている。明日、あなたがたはみな、わたしの国で暮らすようになる。これは、わたしが人間に与える最大の祝福ではないか(『神の出現と働き』「全宇宙への神の言葉、第二十章」〔『言葉』第1巻〕)

一旦、征服の働きが完了すると、人類は美しい世界に連れて行かれる。もちろん、この生活はまだ地上にあるが、現在の人間の生活とは全く違う。それは全人類が征服された後の生活であり、それは地上の人間にとって新しい始まりとなり、人類がそのような生活を送ることは、彼らが新しく美しい領域に入ったという証拠となるであろう。それは地上における人と神の生活の始まりとなる。そのような美しい生活の前提として、人は清められ征服されたあと、造り主の前に服従する。それゆえ、征服の働きとは、人類が素晴らしい終着点に入る前の、神の働きの最終段階である。そのような生活は地上における人類の未来の生活であり、それは地上で最も美しい生活、つまり人が待ち焦がれていたような生活であり、世界史上、人が決して達成したことのないような生活である。それは六千年の経営の働きの最終的結果であり、人類が最も待ち望んでいたものであり、それはまた、神が人間に約束していたものでもある。しかし、この約束はすぐには実現されない。終わりの日の働きが完成され、人が完全に征服され、すなわちサタンが完全に打ち負かされて、初めて人類は未来の終着点に入るのである。人は精錬された後、罪の性質がなくなる。なぜなら、神はサタンを打ち負かしたので、敵対勢力による侵略はなく、人の肉を攻撃する敵対勢力がなくなるからである。そのようにして、人は自由になり、聖くなり、永遠の中に入るだろう(『神の出現と働き』「人間の正常な生活を回復し、素晴らしい終着点へと導き入れる」〔『言葉』第1巻〕)

人類がみな本来の姿を回復し、それぞれ自分の本分を尽くし、自分の立場を守り、神のすべての定めに従うことができたら、神が地上で一団の、自身を礼拝する人たちを得、自身を礼拝する国を打ち立てたことになる。神は地上で永遠の勝利を得、自身に敵対する者たちは永遠に滅びる。これは神が最初に人を造った時の意図を回復し、神が万物を造った意図を回復し、地上での神の権威、万物の中での神の権威、敵の間での神の権威をも回復したことになる。これらは神が完全に勝利を得たことのしるしである。その後人類は安息に入り、正しい軌道に乗った生活に入る。神も人との永遠の安息に入り、神と人が共有する永遠の生活に入る。地上の汚れと不従順は消え、地上の嘆き悲しみも消える。神に敵対する地上のあらゆるものも存在しなくなる。神と神に救われた人たちだけが残り、神の創造物だけが残る(『神の出現と働き』「神と人は共に安息へと入る」〔『言葉』第1巻〕)

わたしはすべての人々の上を動き、至る所を見ている。何一つ古びて見えるものがなく、誰一人かつてと同じ人はいない。わたしは玉座に座し、全宇宙上に横たわり、満ち足りている。すべてのものが聖さを取り戻し、わたしは再びシオンで安らかに暮らすことができるからだ。そして、地上の人々はわたしの導きの下、穏やかで満ち足りた生活ができる。諸国民は、わたしの手の中であらゆることを管理している。諸国民はかつての知性と本来の姿を取り戻した。彼らはもはや塵におおわれてはいない。わたしの国では、人々は翡翠のように聖く、人の心の中の聖い者のような顔をもつ。わたしの国が人々の間に打ち立てられたからである(『神の出現と働き』「全宇宙への神の言葉、第十六章」〔『言葉』第1巻〕)

世界の至る所で、神と人間だけが存在する。ほこりも汚れもなく、すべてのものは再び新しくなり、子羊が大空の下で緑の草原に横たわっているように、神のすべての恵みを享受している。そして、一面の新鮮な緑が現れたことから、生命の息吹が輝き出る。というのも永遠に人間と共に暮らすために神がこの世に来るからである。神の口から「わたしは再びシオンで安らかに暮らすことができる」と語られたとおりである。これはサタンの敗北の象徴であり、この日は神の安息の日であり、すべての人々によって褒めそやされ、称えられ、すべての人に祝われる。神が玉座で安息している時は、神が地上における働きを終了する時でもあり、まさに神のすべての奥義が人間に示される瞬間である。神と人間は永久に調和し、離れることはないだろう――これらは神の国の美しい光景である(『神の出現と働き』「『全宇宙への神の言葉』の奥義の解釈、第十六章」〔『言葉』第1巻〕)

映画『待ち焦がれて』より引用

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