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神の羊は神の御声を聞く(新信者必読)

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3.神を信じることにおいて、あなたは神との正常な関係を確立すべきである

正常な霊的生活を実現し、神との正常な関係を確立することを望むのであれば、まず自らの心を神に捧げ、神の御前で自らの心を静める必要がある。自らの心を全て神に注いで初めて、人間は徐々に正常な霊的生活を得ることが出来る。人間が神への信仰の中で自らの心を神に捧げず、自らの心が神の中に存在せず、神の負担を自分自身のものとして扱わなかった場合、人間の行動は、すべて神を欺くものであり、宗教関係者の行動であり、神からの讃美を得ることは出来ない……

あなたがたは、神の御前にて自分の心を静めることが、最も重要な問題のひとつであることを理解する。これは、人々の霊的生活と、生活の進展状況に関連する問題である。自分の心が神の御前で平穏である場合のみ、自分の真理の追求とあなたがたの性情の変化が結実するであろう。なぜなら、あなたがは神の御前に来て苦しみ、自分が至らないことが多過ぎる、知るべき真理が多数有る、経験すべき現実が多数ある、神の御旨に注意を集中させる必要があると常に感じているからである。こうした物事が常に自分の心の中にあり、あたかもそうした物事が自分を圧迫する力が強いために呼吸出来ず、心に重くのしかかっているかのようである。(しかし、これは否定的な状態ではない。)神の御言葉による啓示を享受し、神の御霊により触れられる資格があるのは、こうした者のみである。それは、そうした者の重荷のためであり、そうした者の心が重いからである。また、そうした者が神の啓示と光を受けるのは、そうした者が払った代償と、神の御前で受けた苦悩のためである、と言える。なぜなら、神は誰も特別扱いされず、人々を常に公平に扱われるが、人々に与えられる際に専断的ではあられず、人々に無条件では与えられないからである。これは、神の義なるご性情の一側面である。実生活において、殆どの人間がこの領域に未達である。少なくとも、人々の心は完全には神の方を向いていない。それゆえに、人々のいのちの性情にはそれほど大幅な変化が無いままである。それは、人間が神の恵みの中だけで生活しており、聖霊の御業を得ていないからである。

『言葉は肉において現れる』の「神との正常な関係の確立は極めて重要である」より

祈りと神の関係は最も直接的であり、人間と神の関係は、祈祷時に最も緊密なものとなる。通常、何かする時に、あなたがたはすぐ跪いて祈ることが出来るだろうか、というと、出来ない。人間と神の関係は、人間が跪いて祈る時に最も親しくなる。あなたがたが神の御言葉を読んでいる時、祈ってからもう一度読むと、異なる感覚を覚えるであろう。あなたがたが一定期間祈らずに過ごした場合、神の御言葉を読んだ時に御言葉を理解できないであろう。読み終えた時に、御言葉の意味が分からないであろう。

祈りは、人々が神の御前に来て神がそうした人々に与える意向であられる物事を授かれるようにすることを目的とする。あなたがたが頻繁に祈り、神の御前に来るのであれば、あなたがたは神と継続的な関係を持ち、常に主に感激させられ、主の恵みを受け、したがって自分が変化するであろう。あなたがたの状態は継続的に改善され、退化することは無いであろう。兄弟姉妹が集まって祈祷する時は殊更である。祈りが終わった時、特に強い活力があり、皆の顔が汗に覆われ、皆多くの物事を得たと感じるであろう。事実、数日間を共にした後、兄弟姉妹はそれほど交わることが無く、兄弟姉妹の活力を喚起したのは祈りであって、兄弟姉妹は自分の家族と世界を一気に捨てること、神を除くすべてを一気に捨てることが出来るようになるよう望んだ。兄弟姉妹の活力が極めて強いことが分かる。

『キリストの言葉の記録』の「祈祷の重要性と実践」より

正常な霊的生活は、神の御前で生活することである。祈りを捧げる時は自分の心を神の御前で静め、祈りにより聖霊の啓示を求め神の御言葉と御旨を理解出来る。神の御言葉を食べ飲みしている時は、神がすぐに行うことを望まれている御業について一層明瞭かつ明晰に理解し、新たな実践の道を得て、保守性を回避することが出来るので、自分の実践は、すべて人生の進展を実現させることを目的とする。たとえば、自分の祈りは美辞麗句を述べることや、自らの負い目を神の御前でわめくことを目的とするものではなく、むしろ自らの霊を訓練し、神の御前で自らの心を静め、万事に関する指導を求め、自らの心を、日々新たな光へと惹かれてゆくものとし、受動的となったり怠惰となったりすることを避け、神の御言葉を実践する正しい道へと進んでゆくことを目的とする。

『言葉は肉において現れる』の「正常な霊的生活について」より

正常な霊的生活を送ることを望むのであれば、毎日新たな光を授かり、神の御言葉の真の理解を追求し、真理に対する明晰さを実現する必要がある。あなたがたは、あらゆる物事において実践の道を得る必要がある。そして毎日神の御言葉を読むことにより、新たな疑問が生まれ、自らの欠点を発見することが出来る。これにより、渇いて探し求める心が生まれ、その心により、あなたがたの全身が動き始め、神の御前で静まることができるようになり、遅れることに対する強い恐怖を抱くであろう。ある者がこの渇いた心、探し求める心、そして継続的に真摯な取り組みを行うことを望む心を抱くことが出来れば、その者は霊的生活への正しい道を歩んでいる。聖霊により動かされることを受け容れることが可能であり、進歩を望み、神により完全にされることを求める希望があり、神の御言葉の一層深い理解を求め、超自然を追求しないが実践的な代償を払い、神の御旨に対する実践的配慮を示し、実践的に真摯な取り組みを行い、自らの経験を一層正しく現実的なものとし、教義の空虚な言葉を求めず、また超自然の感覚を求める事も、偉人を崇拝することも無い全ての者は、正常な霊的生活を享受している。またこうした者の行動は、すべて生活のなかで一層の進展を実現すること、霊を新鮮で淀まない状態に維持し、常に肯定的に真摯な取り組みを行うことが出来る。

『言葉は肉において現れる』の「正常な霊的生活について」より

ある者が神を信じ、いのちの享受と、性情の変化を求めているのであれば、その者は代償を払い、神が行われる御業が何かを問わず、常に神に付き従う状態に達する必要がある。それが、人間がすべき事である。その全てに規則として従っていたとしても、それを頑なに遵守せねばならず、いかに試練が大きくても、神との正常な関係を手放してはならない。あなたがたは祈りを捧げ、教会の生活を維持し、兄弟姉妹と共に居ることが出来る必要がある。あなたがたは、神が自分を試されるときでもなお、真理を求める必要がある。これが霊的生活のための最低限度である。常に協力することを追求し、そのために努力する精神を持ち、全力を捧げることは、実行可能であろうか。これを基礎として、識別力と、現実性への真摯な取り組みが、あなたがたにとって実現可能なものとなる。あなたがたの状態が正常であるとき、神の御言葉を受け容れるのは容易であり、真理の実践は困難であると感じず、神の御業は素晴らしいと感じる。しかし、あなたがたの状態が劣っている場合、いかに神の御業が素晴らしく、いかに誰かが美しく語ったとしても、あなたがたは気に留めないであろう。ある者が正常な状態では無い場合、神はその者に対して御業を行うことが出来ず、その者は自分の性情を変えることが出来ない。

『言葉は肉において現れる』の「あなたがたは自らを神に捧げ続けなければならない」より

あなたがたに神との正常な関係が無い場合、人間関係を維持するために何をしようとも、またいかに精力的に取り組んだとしても、またいかに多くの労力を費やしたとしても、それは依然として人間の人生哲学の範疇に属するものである。あなたがたは、人々が自分を賞讃するようにするため、人間の観点と哲学により、人々の中における自らの地位を維持している。あなたがたは、神の御言葉に従って正常な人間関係を確立してはいない。人間関係に重点を置かず、神との正常な関係を維持し、自らの心を神に捧げて神に従うことを学んだならば、全ての人間関係も極めて自然に正常なものとなるであろう。このように、これらの関係は、肉ではなく、神の愛を基礎として成り立っている。肉に基づく相互関係は、ほぼ存在しないが、霊の中には、お互いの交流、愛、安らぎ、補給がある。これらは全て、神にご満足いただく心を基礎として行われる。これらの関係は人生哲学に依存して維持されているのではなく、神の負担により自然と形成される。これらの関係には、人間の努力は不要であり、神の御言葉の原則により行われる。……正常な人間関係は、自らの心を神に捧げることを基礎として成り立ち、人間の取り組みによって実現されるものではない。神なしでは、人間関係は単なる肉の関係である。そうした関係は正常ではなく、物欲の耽溺であり、神が忌み嫌われる関係である。自らの霊が触れられているが、自分が魅力を感じる人々や、高く評価する人々との交わりを常に求め、また道を求める者であって、自分にとって魅力の無い人々が居て、あなたがたが偏見を持ち、交わろうとしない場合、それは、あなたがたが感情的な人間であり、神との正常な関係が無い者であることを示す。あなたがたは、神を欺こうとし、自らの醜悪さを隠そうとしている。あなたがたが知識を述べることが出来ても、心に悪が潜んでいるのであれば、あなたがたの行動は、すべて人間の基準のみに基づいて善良なものである。神はあなたがたを讃美されないであろう。あなたがたは神の負担ではなく、肉にしたがって行動している。神の御前で自らの心を静め、神を愛する人々と適切な関係を持つことが出来る場合にのみ、あなたがたは神により用いられるに相応しい者である。このように、あなたがたが他人とどのように関係するかを問わず、それは人生哲学によるものではなく、それは神の重荷に配慮し、神の御前で生きることであろう。

『言葉は肉において現れる』の「神との正常な関係の確立は極めて重要である」より

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