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神の言葉の裁きを受け入れるには

自分を知るためには、自分が露わにしている堕落、致命的な弱点、性質、本性と実質を認識しなければなりません。また、自宅にいようと教会にいようと、集会に出席しているときであれ、神の言葉を飲み食いしているときであれ、また直面する一つ一つの問題においても、日常生活において露わにされるもの、つまりあらゆる事柄に関する動機や視点や態度を詳細に至るまで認識する必要があります。それらを通じて自分を認識するようにならなければならないのです。より深く自分を認識するには神の言葉と一体化する必要があります。神の言葉を基に自分を認識して初めて、あなたは成果を挙げることができるのです。

神の言葉の裁きを受けるとき、苦しみを恐れたり、痛みを心配したりしてはいけません。まして、神の言葉が自分の心を刺し通すのではないかと恐れてはいけません。神が私たちをどのように裁いて罰するか、私たちの堕落した本質をどのように暴くかについて、私たちは神の発する言葉をもっと読むべきであり、神の言葉を読みながら、もっと頻繁に自分とそれらを比べなければなりません。私たちにはこれらの堕落がどれもありますが、私たちは誰しもそれらと自分を比較することができます。神の言葉の一言一句が耳に心地よいかどうか、自分に苦みや甘さを感じさせるかどうかはどうでもいいことを、私たちはまず知らなければなりません。私たちは神の言葉を残らず受け入れなければならないのです。神の言葉に対してはそのような態度をもつ必要があります。

私たちは信仰の中で、神の言葉が真理であることを固く保たなければなりません。それは実際に真理なのですから、理知的に受け入れなければなりません。それを認識したり認めたりすることができようとできまいと、神の言葉に対する私たちの態度はまず絶対的な受容の態度でなければなりません。神が露わにするのはひとえに人の堕落した性質と、人のいのちの中にある、根深く本質的な要素に関することなのです。ゆえに、外面的現象をもって神の言葉と比較することはできないのです。

『キリストの言葉の記録』の「真理を追求する重要性とその道」より編集

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