神の救い

中国山東 依塵

神は言われます。「厳しい言葉であれ、裁きであれ、あるいは刑罰であれ、神の働きの各段階は人を完全にするものであり、絶対的に適切なものである。どの時代においても、神がこのような働きを行なったことはない。今日、あなたがたが神の知恵を理解するよう、神はあなたがたの中で働きを行なっている。あなたがたは内面においていくばくかの苦痛を味わってきたが、心は安定していて平安である。神の働きのこの段階を享受できるのは、あなたがたの祝福である。将来得られるものが何であるかにかかわらず、あなたがたが今日、自分における神の働きの中で見られるものは愛である。神の裁きと精錬を経験しなければ、その人の行ないや情熱は表面的なものにとどまり、性質はいつまでも変わらない。それで神に得られたと言えるのか。今日、人の中には傲慢やうぬぼれがいまだ数多くあるものの、その性質は以前に比べてずっと安定している。神があなたを取り扱うのはあなたを救うためであり、取り扱われる際に苦痛を感じることがあっても、あなたの性質に変化が起こる日はいずれやって来る。その時、あなたは振り返って神の働きがいかに賢明かを知る。またその時、あなたは神の旨を真に理解できる(『神の出現と働き』「辛い試練を経験することでのみ、神の素晴らしさを知ることができる」〔『言葉』第1巻〕)。この一節を読んで、かつての自分がいかに傲慢だったかを考えずにはいられませんこうした並外れた欲望をもち、名声と地位をいつも求めつつ他人と競って自分と他人を比べていました。人間らしさのないまま生きていたのです神の御言葉による裁きと刑罰と懲らしめを経験して自分のサタン的本性を少し理解し始めました悔い改めて自己嫌悪できるようになり、少しだけ正直で謙虚になりました神の御言葉の裁きと刑罰は人類に対する救いだと、本当に実感したのです。

全能神を受け入れてから1年以上経った2005年、私は教会の指導者に選ばれました神に引き上げていただき、兄弟姉妹に信頼されていた私は神に祈り、立派に本分を尽くして神の愛に報いる決意をしました私はすぐさま教会の働きに没頭しましたある種の状態に落ち込んだり、困難を抱えたりしている人がいると、私は神の御言葉を見つけて手助けしました私の交わりは浅いものでしたが、それでも多少成果を挙げました兄弟姉妹も、私の交わりに助けられたと言ってくれました本分を尽くす中で成果を挙げていたことからその後指導者から、複数の教会の働きを任されました。私は興奮しました特に、一緒に働いていた姉妹よりも早く神の御言葉を把握し、指導者から一目置かれていることを知ったとき私は自分にとても満足しました指導者は私のことを本当の才能の持ち主で教会に欠かせない人材だと見なしている、と思ったのですやがて私はますます傲慢になり、いまの自分には真理の現実が少しはあると考えました神の御言葉を飲み食いしたり、自分を反省したりすることに集中するのをやめ、問題に直面しても真理を求めませんでしたいつも自分のことで一杯で、横柄で、兄弟姉妹を見下していました自分の堕落した性質に抑え込まれ、本分を正しく尽くせていない兄弟姉妹を見ても真理について交わり、愛情から彼らの手助けをするのをやめ、我慢できずにこう叱るようになりました「神の働きはここまで来たのに、あなたは貪欲に肉の楽しみをむさぼっている災害に見舞われて懲罰されるのが怖くないの? ちゃんと本分を尽くさないなら、あなたは淘汰されるわ」彼らが抑え込まれて私に会いたくないのを知っても私は自分を反省せず、彼らは真理を追求していないと不満を募らせました。

程なくして、指導者が私たちの集会に来たのですが、私は自分を昇格させるのだと思いましたところが驚いたことに私のいのちへの入りは浅く、私の交わりは問題を解決できず複数の教会の働きをこのまま担当するのにふさわしくないと言ったのです私はこれを聞いてびっくりして、頭の中が真っ白になりました集会のあと、どうやって帰宅したかも憶えていませんずっと泣きながら、こう思ったのを憶えています「私は必死に働いて本分を尽くしてきたのに、前進するどころか沈み込んでしまった兄弟姉妹は私のことをどう思うだろうこんな広範囲の働きは自分には無理のようだでも、これほど小さな働きにどうして納得できるだろう」数日間、私は食べることも寝ることもできず苦痛に囚われましたただ神に祈り、御心を理解できるよう私を啓いてお導きくださいと願うだけでした祈り終えるとずっと落ち着きこの神の御言葉を読みました「あなたがたは追求において、個人的な観念や願望や未来をあまりに多く抱きすぎる。現在の働きは、あなたがたの地位に対する欲望や途方もない欲望を取り扱うためのものである。願望、地位、そして観念はどれも典型的なサタン的性質の表われである。……あなたがたは今や信者であり、働きのこの段階に関する認識が多少ある。しかし依然として地位への欲望を脇にのけていない。自分の地位が高ければしっかり追求するが、地位が低いと追求しなくなる。地位の祝福のことが常に心の中にあるのだ。大半の人が自分から消極性を取り除けないのはなぜか。その答えは常に、将来の見込みが厳しいせいではないか。……あなたがたがこのように求めれば求めるほど、刈り入れる物は少なくなる。地位に対する欲望が強ければ強いほど、その人は深刻に取り扱われ、重大な精錬を受けなければならない。この種の人は無価値である。このような人はこれらの物事を完全に捨て去るため、取り扱いと裁きを十分受ける必要がある。あなたがたが最後までこのように追求するなら、収穫は何もない。いのちを追求しない者が変わることはできず、真理を渇望しない者は真理を得られない。あなたは自分の変化と入りの追求に重点を置かず、その代わりに度を越した欲望や、神への愛を縛り、神に近づくことを阻む物事にいつも重点を置く。そのような物事があなたを変えられるのか。あなたを神の国へと導けるのか(『神の出現と働き』「なぜ進んで引き立て役になろうとしないのか」〔『言葉』第1巻〕)。これを読んで神の御心がわかりました神はこの状況を作ることで、地位を求める私の願望を取り扱い私が自分を反省し、真理を求める正しい道を歩むようにされたのです私は、信仰における自分の熱心な追求と犠牲が本当に真理を求めて被造物の本分を尽くすためだったかと考えました実際には、ただ人の上に立つという自分の野心を満たすためで真理を追求するためではまったくなかったのですそのため地位を得ると、私はすっかり自分に満足し、前進しようとしませんでした職を解かれたときも、私は自分を反省しなかっただけでなく、消極的かつ弱くなり、神を責めました降参して神を裏切ることを考えたほどです私には良心も理知もなく、あまりに利己的で卑劣でした職を解かれたのは神が私を守ってくださったのです私は否定的になったり神を誤解したりするのではなく、真理を求めて自分の堕落を解消すべきでしたそれに気づいた私は、神の御前に出て祈りました「ああ神よ。私はこれ以上地位を求めたくありません。あなたの支配と采配に従い心から真理を追い求め、本分を尽くしてあなたに満足していただきたいのです」それからの日々、私は神の御言葉を飲み食いして自分を反省することに集中しましたそして傲慢な性質が再び現われたときには、意識的に神に祈って自分を捨てましたしばらくこのように実践していると、気分がずっとよくなり兄弟姉妹と正しく交流することができました。

このようにして数年が経ち、私は再び教会の指導者に選ばれましたその直後、私の教会が別の教会と合併したので再度指導者の選挙を行なうことになりましたそのせいで地位を求める私の願望が再び頭をもたげ地位を失うのがとても怖くなりました他の教会指導者との集まりで神に関する彼らの理解や、真理に関する交わりが何ら際立っていなかったので自分が指導者に選ばれるのは間違いないと思いました自分の地位を守り、自分の有能さをもっと多くの人に見てもらおうと私は弱体化していたある教会の問題に対処することを申し出てすぐに解決すると約束しました毎日忙しく集会をこなし、交わりを行なって問題を解決するとともに交わりの中で、自分が過去どのように働きを行なってきたかどんな立派な成果を挙げてきたか、そのときの指導者にどれほど重宝されたかを意図的に語りましたまた、他の教会指導者が働きの中で犯した過ちや逸脱もわざと話し密かに自分を高めて彼らをけなしましたしかし神は私の心と頭脳をご覧になりますそして本分を尽くす私の動機が間違っていたので、神は私のもとからお隠れになりましたその間、私は絶えず忙しかったのに、働きで何ひとつ成果を挙げませんでした口の中に腫れ物ができて、水を飲むのも苦痛なほどです私は本当に苦しみここに来てからというもの自分が何ひとつ解決しておらず、働きが何の成果も挙げていないことを考えました指導者は私のことをどう見るだろうか私が有能ではないと考えるだろうか選挙前に解任されたらどうなるだろう。とんでもない屈辱です! そう考えると、この問題をすぐに残らず解決せねばと、いても立ってもいられなくなりましたしかしどのように交わりをしようとも、物事は以前と同じままで私は大いに苦しみ自分にできたのは神の御前に出て祈り、神を呼び求めることだけでした「ああ、神よ! 私は暗闇に落ちてしまい、どの問題もまったく理解できずにいます神よ、私はあなたに反抗したに違いありませんどうか私をお導きください。進んで自分を反省し、あなたに悔い改めてまいります」。

その後、私は神の御言葉の一節を読みました「あなたがたの口には不義なる者の舌と歯がある。あなたがたの言動はエバを罪へと誘惑した蛇のもののようで、互いに目には目を、歯には歯を要求しあい、わたしの前で地位、名声、利益を自分のものにしようと奮闘するものの、わたしが密かにあなたがたの言動を見張っていることを知らない。あなたがたがわたしの前に来る以前でさえ、わたしはあなたがたの心の奥底を調べていた。人間はいつもわたしの手中から逃れ、わたしの目の観察を避けようと望んでいるが、わたしは人間の言動から離れたことがない。代わりに、それらの言動をわざとわたしの目に触れさせ、わたしが人間の不義さを罰し、人間の反抗に裁きを下せるようにする。このように、人間の密かな言動は絶えずわたしの裁きの座の前にあり、わたしの裁きは人間から離れたことがない。なぜなら人間の反抗は過度だからである(『神の出現と働き』「福音を広める働きはまた人間を救う働きでもある」〔『言葉』第1巻〕)。神による裁きと暴きの御言葉は、私を恐怖で震え上がらせました私は自分がどう考え、どう行動してきたかを振り返りました指導者としての地位を守り、より多くの人が私を仰ぎ見るようにすべく交わりを通じて問題を解決に導くのを見せつけることで、自分を証明して心を掴もうとしましたそして事あるごとに自分を高め、他人を見くびりました私は兄弟姉妹を競争相手のように扱い、策略や戦術を使いましたクリスチャンらしさも、人間性もなかったのです一口の食べ物を巡って争う動物とどこが違うでしょう私はあまりに利己的で卑劣でした! 私の行ないは悪事を犯して神に抵抗するもので、ずっと前から神の性質に背いていたのです口の腫れ物に苦しみ、働きで何も成し遂げられなかったことは神が私を懲らしめ、鍛えてくださっていたのです私が自分を反省し、悔い改めて変わることが神の御心でした自分がいつも名声と地位を追い求め他の何より重視した理由を考えましたそれはひとえに、サタンに惑わされ、堕落させられていたからですサタンは教育や社会的影響を使い私の心をこれらの害毒と哲学に浸していたのです「心を労する者は人を治め、力を労する者は人に治められる」「出世して先祖に栄誉をもたらす」こうしたサタンの哲学が私の心に深く根づき私の本性になっていました私はこれらの害毒によって生き、ますます傲慢で自惚れるようになり名声と地位を崇めいつも他人より一歩抜きん出ようとしていました私は正しい道を歩んでおらず、この堕落したサタン的性質の中で生きていたので目をふさがれて問題の根源を見ることも他人の問題を解決することもできず、教会の働きを遅らせました本分を尽くすのではなく、悪事を働いていたのです私は神の御前にひれ伏し、悔い改めました「神よ、私は名声と利益のために自分の本分を顧みず、あなたを騙して欺こうとしました私は呪われるべきです! ああ神よ、私はもうこんな風にいたくはありません。あなたに悔い改めたいのです」そして、次の神の御言葉を読みました「あなたがたは神の被造物なのだから、被造物の本分を尽くさなければならない。あなたがたに要求されていることはそれ以外にない。あなたはこのように祈るべきである。『神よ、わたしに地位があろうとなかろうと、わたしは今や自分を理解しています。わたしの地位が高いのであれば、それはあなたの称揚のためであり、わたしの地位が低いのであれば、それはあなたがそのように定められたからです。すべてはあなたの御手の中にあります。わたしには選択肢も不満も一切ありません。……わたしは地位を考えません。つまるところ、わたしは一つの被造物でしかないからです。あなたがわたしを底なし穴や、火と硫黄の池に落とされたとしても、わたしは被造物に過ぎません。あなたがわたしを用いられるとしても、わたしは被造物です。あなたがわたしを完全になさっても、わたしはやはり被造物です。あなたがわたしを完全にされなかったとしても、それでもわたしはあなたを愛します。なぜなら、わたしは被造物でしかないからです』(『神の出現と働き』「なぜ進んで引き立て役になろうとしないのか」〔『言葉』第1巻〕)。神の御言葉は私に実践の道を与えてくれました自分が交代させられようと、あるいはどんな地位があろうと私はそれでも真理を追い求め、立派に本分を尽くしまた本分を尽くす中で真理を実践し、自分のサタン的性質を捨てることに集中しなければならないのですその後、私は本分を尽くす動機を正し神の御前で自分を静め、神の御言葉を読んで祈ることに集中しました教会の問題を神に委ねて神を仰ぎ兄弟姉妹と一緒に真理を求めました教会におけるこれらの問題はすぐに解決しました私は神への感謝で一杯でした神はまさに真実で、愛すべき方でいらっしゃいます神は私のそばにいて、私を清めて変えるべく物事を用意されますまた私は、信仰の中で真理と性質の変化を追い求めることの重要性を認識しました。

半年後、私はさらに数ヵ所の教会の働きを任されました地位に対する自分の願望の強さと、性質の傲慢さを知っていた私は自分の動機を正して立派に本分を尽くせるよう心から神に祈りました当時、私は王姉妹とペアを組んでいました彼女ははっきりした視点をもち、問題を扱うのに慣れていました私は頻繁に彼女のアドバイスを求め、彼女の長所から学びました数ヵ月も経つと真理を交わって問題を解決し教会の様々な働きを行なう上でずっと成長しました兄弟姉妹も私のことを仰ぎ見ていましたそうとは知らず、私は再び心から自分に喜びだしたのです自分は神を信じてさほど長く経っていないのに、私の交わりは王姉妹と同じくらい優れているし問題を扱う能力も成長したと考えました。自分の霊的背丈が成長したと思ったのです。事あるごとに傲慢さが現われ、名声と地位を求める願望がかつてなく強いものとなって戻ったことに、私は気づいていませんでした何につけても王姉妹が私の言うことに耳を貸すのを望み他の人が彼女の交わりを褒めたり彼女が教会でリーダーシップをとったりするのが我慢できませんでした自分はいくらか訓練を積んで多くの経験を重ねた右も左も分からない新人ではないし私の素質は彼女と同じくらいだと思っていました二人とも指導者なのに、彼女がいつもリーダーシップをとるのはなぜか。私が彼女の言うことを聞かなければならないのはなぜかそれが続けば、自分は名ばかりの指導者になるのではないか彼女を超えられるよう、私はより懸命に働き、神の御言葉を自分のものにし始めましたそして同労者の会議で教会の働きを話し合うとき彼女が意見を発表すると私はわざとあら探しをしてその欠陥を見つけましたそして自分の「素晴らしい考え」を発表し、彼女を貶めて自分を高めるのですしばらくすると教会の働きを話し合いながら、数名の同労者が私の考えに賛同し問題があると私のところに来て、私の意見を聞くようになりましたみんなが自分の周りに集まるのを見て、私は本当にいい気分でしたその後共産党に尾行されたせいで、王姉妹は外出して本分を尽くせなくなりましたそこでしばらくのあいだ、私が一人で教会の働きを担当することになったのです私はその働きに圧倒されることなく、本当にリラックスしていてようやく何でも自分で決められると思いました当時、自分の考え方が正しくないことには気づいていましたが自分を反省することも、心に留めることもまったくしませんでした。

ある日、別の地域の集会に出席するよう指導者から言われましたそこには大きな地区が含まれているものの、10名ほどしか選ばれていないとのことです私はまた、自分が昇格することになっていると耳にしました自分は重要な人間でこの地区で一番優秀なのだと思い込みました私は高揚した気分で4名の姉妹と列車に乗り込みましたがその途中で予期せざることが起きました共産党警察に尾行され、逮捕されてしまったのです尋問が無駄に終わったので「邪教を組織、利用し、法執行を妨害した」という罪名で警察は私に重労働2年の判決を下しました判決後、私は試練のときを過ごしました神への誤解や疑いが心の中に生じたのです「これから昇格するというときに、逮捕されて監獄に入れられるのはなぜなの神は私を引き留め、それによって私を暴いて淘汰なさっているんじゃないの本分を尽くして救われる機会を失ったのかしら」私はとても苦悩し、茫然としました何度も泣きながら神に祈りました「ああ神よ、あなたの御心がわかりません。あなたが私を拒み、望んでいらっしゃらないかのように思えます神よ、あなたの御心を理解しこの状況でどうすれば真理に入れるかがわかるよう、どうか私を啓いてお導きください」私の祈りを聞いて下さった神に感謝しますある日、同房の姉妹が神の御言葉を写したメモをこっそり渡してくれましたそこにはこうありました「すべての人にとって精錬は耐え難く、非常に受け入れ難いものであるが、神が自身の義なる性質を人に明らかにし、人に対する要求を公にし、より多くの啓き、そしてより現実的な刈り込みと取り扱いを与えるのは精錬のさなかである。事実と真理の比較を通じ、神は自己と真理に関するより大きな認識を人に授け、神の旨をより深く理解させ、そうしてより真実かつ純粋な神への愛を人が抱けるようにする。それらが精錬を実行する神の目的である。人の中で神が行なうすべての働きには固有の目的と意義がある。神は無意味な働きをせず、人に恩恵がない働きもしない。精錬とは人々を神の前から取り除くことでなく、地獄で人々を滅ぼすことでもない。それはむしろ、精錬のさなかに人の性質を変え、その人の意図や従来の見方を変え、神に対する愛を変え、生活を変えることを意味する。精錬は人に対する実際の試練の一つであり、実際の鍛錬の一形態であって、精錬のさなかでのみ人の愛はその本質的な機能を果たすことができる(『神の出現と働き』「精錬を経験することでのみ、人は真の愛をもつことができる」〔『言葉』第1巻〕)。すぐに心が明るくなりましたこの状況は私に対する神の試練で神の御心は私を淘汰することではなくよりよく自分を反省し、自己認識し、真理に入れるようにすることだったのですこれ以上消極的かつ弱くなることはできず自分の観念に従い、神の御心を憶測してはならないことがわかりましたその代わりに自分を静めて真理を求め、真摯に反省して自己認識すべきなのです。

ある日の夜、私は眠ることができず神はなぜ私がこんな目に遭うのをお許しになったのかと思わずにはいられませんでしたすると神の御言葉が心に浮かびました「あなたがたは、ほんとうに赤い大きな竜を憎んでいるのか。ほんとうに、心から竜を憎んでいるのか。なぜわたしは、こんなに何度も尋ねているのか。なぜわたしは、この問を何度も繰り返しているのか(『神の出現と働き』「全宇宙への神の言葉、第二十八章」〔『言葉』第1巻〕)。私は何度も自問しました「自分は本当に赤い大きな竜を憎んでいるのか。本当に心から憎んでいるのか」そのとき、『いのちに入ることに関する交わりと説教』にある次の一節が心に浮かびました「『私は赤い大きな竜を捨てた私を圧迫する赤い大きな竜を、私はいま憎んでいる』と言う人がいます。口では捨てていても、心から捨てているのではありません心の中で憎んでいてもあなたの振る舞いと本性は依然それに支配されていますなぜなら、赤い大きな竜の害毒、思考、観点哲学、そして人生観が、依然としてあなたの心を握っているからですあなたの見方はいまだに赤い大きな竜の見方ですあなたの思考、人生観、および物事全般に関する見方は、赤い大きな竜のそれと同じですそれらはどれも赤い大きな竜に属するものであり、ゆえにあなたは依然としてその支配下にあるのです。……サタンの勢力から本当に逃れたいなら自分の中にあるサタンの害毒を残らず完全に清めなければなりません……」(『いのちに入ることに関する交わりと説教』)。これらの御言葉から私が赤い大きな竜を憎んでいるのは、ただ兄弟姉妹を逮捕、迫害し神の働きを乱して妨げているからに過ぎず心からそれを憎んで捨てているわけではなかったのです心から憎んで捨てるには、その邪悪と反動的な本質を完全に見通すしかありませんそうして赤い大きな竜を骨の髄から憎み自分の中にあるその害毒を捨て去れるのです赤い大きな竜による逮捕、迫害、拷問を自ら経験し強制的に洗脳されることでそれは真理と神を憎む悪魔だということが本当にわかりました人を惑わし堕落させるその醜い顔を見たのです赤い大きな竜は無神論と唯物論を吹聴し神の存在を必死に拒み自分を高めて「偉大で、栄光に満ち、正しい」ことを見せつけようと、あらん限りのことをしています人民の救世主として自らを称揚し誰もが自分たちを崇め、神であるかのように信じることを願い人々の心の中で神に取って代わろうと無駄な望みを抱いています赤い大きな竜はとても卑劣で、邪悪で、恥知らずなのですそして自分の本質もそれと変わらないことに気づきました神は私を高め、指導者の本分の中で私に訓練させまた他の人たちが神を知って神に従えるよう、真理に関する交わりを通じた問題解決を学ばせて下さいましたでも私はその機会を使って、できる限り自分を誇示しました他の人たちが私を仰ぎ見て、私の言うとおりにすることだけを望んだのですそれは神への反抗ではないでしょうか私は王姉妹に嫉妬して彼女を排除しいつも彼女の落ち度を責めて彼女を見くびりました自分が教会で決定権を握れるよう、彼女が解任されることを必死に願ったほどですそれは独裁者の振る舞いではないでしょうか「両雄並び立たず」とか「天上天下唯我独尊」といった赤い大きな竜の害毒に支配されていたのではないでしょうか神の行政命令にはこうあります「人は自分を大きく見せてはならないし、崇めてもいけない。人は神を崇め、賛美するべきである(『神の出現と働き』「神の国の時代に神に選ばれた人々が従わなければならない行政命令十項目」〔『言葉』第1巻〕)。自分が示したあらゆることを振り返るとどうして自分の本分を尽くしていたと言えるでしょう。私は悪事を犯して神に抵抗していたのです! 私の行ないはずっと以前から神の行政命令に反していました神が私を懲らしめずこの状況を使って悪の道をひた走る私を止めてくださらなかったらそして私が自分の本性と野心に従って進み続けていれば私はきっと名声と地位のためなら何でもし最後は大きな悪事を犯して神に懲罰されていたでしょうそれに気づいたのは、私にとって重大な警告でした自分はこれほど危険な状態に達していたのに、まったく知らずにいたのです赤い大きな竜というこの悪魔が引き立て役としていなければその害毒がどれほど多く自分の中にあるかを知らず自分がその同類であることに気づかなかったでしょう本当に赤い大きな竜を捨て、その害毒から自由になろうとすることもできなかったはずです神がなさったすべてのことは私を清めるためだとわかり自分を救って下さった神に心の底から感謝しました。

私は監獄の中で大いに自分を反省し特に自分の本分を尽くす機会を大事にしなかったことを後悔しましたその代わりに名声と地位を求めることにこだわり、サタンの害毒によって生きていたのです私は真理に反することを数多く行ない、それによって兄弟姉妹を傷つけ教会の働きを妨げ乱してしまいました私は神をとても傷つけ、こんなに大きな借りを作ってしまい、後悔で一杯でしたそのとき初めて、真理を追い求めて神の裁きと刑罰を経験する強い願望が生まれたのですこれらの害毒をすぐに取り除き、人間らしく生きられるように釈放後、私は自分の本分を再開したのですが再び教会の指導者に選ばれたとき以前ほど自己満足することも、自画自賛することもありませんでしたその代わりに大きな責任を感じこれは大切にすべき神の使命であり全力で真理を求め、本分を尽くすべきだと思いました何度も懲らしめを受けて鍛えられたことでサタンにくらまされていた私の霊はようやく目覚めました真理と性質の変化を追い求め被造物の本分を立派に尽くすことだけが正しい追求だと気づいたのです! 名声と地位への願望も以前ほど強くはなく傲慢さも減ってきていますいまでは他の人たちと協調し、正しく本分を尽くせますそしていくらか人間らしく生きていますそのわずかな変化も簡単には生じなかったと実感していますそれはひとえに、神の御言葉の裁きと刑罰によって成し遂げられたのです全能神の救いに感謝します!

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