キリスト教音楽「信仰は鍛錬によって生まれる」
2021年7月30日
あなたが神を見られるのは自分の信仰の中からだけであり、
あなたに信仰があるとき、神はあなたを完全にするのである。
信仰がなければ、神はそれを行なうことができない。
自分の実際の経験の中で神の業を見るという信仰があれば、
神はあなたの前に現われ、あなたを中から啓いて導く。
この信仰がなければ、神がそれを行なうのは不可能である。
あなたが神への望みを失ったとしたら、どうして神の働きを経験できるだろうか。
したがって、あなたに信仰があり、神に対して疑いを抱かず、
神が何をしようと神に対する真の信仰をもっているときにだけ、
神はあなたの経験を通じてあなたを啓いて照らし、
そのとき初めてあなたは神の業を見ることができる。
これらはすべて信仰を通じて成し遂げられる。
信仰は精錬を通じてのみ生じるのであって、
精錬なくして信仰が育まれることはあり得ない。
「信仰」というこの言葉は何を指すのか。
信仰とは、見ることも触れることもできないものがあるとき、
神の働きが人間の観念にそぐわないとき、また、それが人間の手に届かないときに、
人間がもつべき真の信念であり、誠実な心である。
これこそが、神の言う信仰である。
苦難や精錬のとき、人は信仰を必要とする。
そして信仰の後には精錬が続く。
精錬と信仰は切り離せないのである。
神がどのように働きを行なおうと、また自分の環境がどのようなものであろうと、
あなたはいのちと真理を追い求め、
神の働きに関する認識を求め、
神の業を理解し、真理にしたがって行動することができる。
そうすることが真の信仰をもつということであり、
あなたが神への信仰を失っていないことを示している。
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より
信仰上の悩みや疑問がありましたら、いつでもご連絡ください。
その他動画シリーズ