日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 141

2020年6月19日

神は人間を造り、それ以降、人類の生活を導いてきました。人類に祝福を与えるにしても、律法や神の戒めを与えるにしても、生活に様々な規則を定めるにしても、それらを行なうことにおける神の意図する目的が何であるかをあなたがたは知っていますか。まず、神のすることはすべて人類の益のためであると、確実に言うことができますか。この言い方は比較的大まかで内容がないとあなたがたは考えるかもしれませんが、具体的に言うと、神のすることはすべて人間が普通の生活を営むように導くためではないですか。それが人間が神の規則を守るようにするためであるか、神の律法を守るようにするためのものであるかにかかわらず、神の目的は人間がサタンを崇拝しないようにすること、サタンに害されないようにすることです。これは最も原則的なことで、一番最初に行われたことです。始めに、神の心を人間が理解していなかったときには、神は簡単な律法と規則を挙げ、考えられるあらゆる方面に関する規定を定めました。これらの規定は簡単なものですが、その中には神の心が含まれています。神は人類を大切にし、いつくしみ、心から愛しています。そうではありませんか。(その通りです。)では、神の心は聖なるものであると言うことができますか。神の心は清いであると言えますか。(はい。)神には隠された意図がありますか。(いいえ。)それでは、この神の目的は正しく、前向きですか。(はい。)神がどのような規定を定めたとしても、神の働きの過程において、それらはすべて人間にとって前向きな効果があり、それらが道を導きます。それでは、神の意思には利己的な考えがありますか。神には人間が関わるところで何か追加的な目的があったり、神は人間を何らかの方法で利用したいのですか。(いいえ。)そういうことは一切ありません。神は言葉の通りに行い、また心でもそのように考えます。目的が混入していることや、利己的考えはありません。神は自分自身のために何かをすることはなく、絶対的にすべてを人間のために行い、自身の目的は一切ありません。たとえ神には人間のための計画や意図があるものの、神は自分自身のためには何も行ないません。神が行なうことはすべて純粋に人間のために、人類を守り、人類が誤った道へと迷い込まないようにするために行なわれます。この心は貴重ではありませんか。この貴重な心をほのめかすものが一抹でもサタンに見られますか。(いいえ。)これをほのめかすものはサタンには一切見られません。神の行なうことは、すべて自然に明示されます。神の働き方を見ると、神はどのように働きますか。神はこれらの律法や言葉を、緊箍呪のように一人ひとりの頭にきつく結び付けて、すべての人に強制しますか。神はそのように働きますか。(いいえ。)それでは、神はどのようにその働きを行ないますか。(神様はわたしたちを導かれます。神様はわたしたちに助言を与え、励まされます。)神は脅迫しますか。神はあなたがたに堂々回りの話し方をしますか。(いいえ。)あなたが真理を理解できないとき、神はどのように導きますか。(神様は光を照らされます。)神はあなたに光を照らし、真理と一致しないことや、するべき事を明確に伝えます。神が働くこれらの方法から、あなたは神とどのような関係にあると感じますか。これらの方法は、神はあなたの把握する範囲を超えていると感じさせますか。(いいえ。)それでは、どう感じさせますか。神は特にあなたに近く、あなたとの距離はありません。神があなたを導くとき、あなたに施すとき、あなたを助け、支えるとき、あなたは神の優しさ、神の尊敬すべきことを感じ、神がどれほど美しく、どれほど温かいかを感じます。では、神があなたの堕落を咎めたり、神に背いたことについてあなたを裁いたり鍛錬するとき、どのような方法を用いますか。神は言葉で咎めますか。神はあなたの環境や人々、出来事、物事などを通して鍛錬しますか。(はい。)この鍛錬は、どの程度に達しますか。それは、サタンが人間を害するのと同程度に達しますか。(いいえ、人間が耐えられる程度に達します。)神は、優しく、愛に溢れ、繊細で、思いやりのある方法で、特別に配慮された適切な方法で働きます。神の方法は、「神はわたしにこれをさせてくれるべきだ」とか、「神はわたしにそれをさせてくれるべきだ」のような強い感情をあなたに抱かせることはありません。神は物事が耐えがたくなるような強い考え方や強い感情をあなたに与えることは決してありません。そうではありませんか。たとえ神の裁きと刑罰の言葉を受け入れるときでさえ、あなたはどう感じますか。神の権威と力を感じるとき、あなたはどう感じますか。神は神聖で害することができないと感じますか。(はい。)そのようなときに、あなたは神から遠ざけられたと感じますか。神に対する恐怖を感じますか。感じません。そのかわりに、あなたは神に対する畏敬の念を感じます。人は神の働きのおかげで、これらすべてのことを感じるのではないですか。もしサタンが人間に働きかけたとしたら、人間はこうした感情を抱くでしょうか。(いいえ。)神は神の言葉、神の真理、神のいのちを用いて、絶えず人間に施し、人間を支えます。人間が弱いとき、落ち込んでいるとき、神は決して厳しく「落ち込むな。なぜ落ち込んでいるのか。なぜ弱いのか。弱くなるどのような原因があるというのか。あなたはあまりに弱く、常に落ち込んでいる。生きていて何の意味があるのか。死んでしまえ」などとは言いません。神はこのように働きますか。(いいえ。)神にはこのように振る舞う権威がありますか。(はい。)しかし、神はそのように振る舞いません。神がそのように振る舞わないのは、神の本質、神の聖なる本質のためです。神の人間への愛、神が人間を大切にし、いつくしむことは、一、二行では明確に表現できません。それは人間の誇りによりもたらされるものではなく、神が実際の実践において生み出すものであり、それは神の本質の明示です。神が働くこれらの方法すべてにより、人間は神の聖さを見ることができますか。神の善意、神が人間において達成したい効果、神が人間に対して働くために用いる様々な方法、神が行う働きの種類、神が人間に理解させたいことを含め、神が働くこれらの方法すべてにおいて、神の善意に何らかの邪悪や悪賢さを見たことがありますか。(ありません。)それでは神が行うことすべて、言うことすべて、神が心で思うことすべてにおいて、また神が明示する本質のすべてにおいて、神を聖なるものと呼ぶことができますか。(はい。)この聖さをこの世において、あるいは自分自身の中に見たことがある人間はいますか。神以外に、聖さを誰か人間かサタンの中に見たことがありますか。(ありません。)今まで話してきた内容から、神を唯一無二の聖なる神自身と呼ぶことができますか。(はい。)神の言葉、神が人間に対して働く様々な方法、神が人間に語ること、人間に思い起こさせること、助言し、励ますことを含め、神が人間に施すものはすべて一つの本質に由来します。すなわち、それらはすべて神の聖さに由来するのです。もしそのような聖なる神が不在であったなら、神に代わり、神の働きを行なうことのできる人間はいません。もし神がこれらの人々をすっかりサタンに引き渡したなら、あなたがた皆がきょう、どのような状況に置かれていたかを考えたことがありますか。あなたがたは、全員無傷でここに座っていたでしょうか。あなたがたも「地を行きめぐり、あちらこちら歩いてきました」などと言うでしょうか。あなたがたは神の前で自信たっぷりで、厚かましく、誇らしげで、恥じることもなく、そのような話し方をしつつ気取って歩き回るのでしょうか。(はい。)100パーセントそうします。絶対にするでしょう。サタンの人間に対する態度により、サタンの本性と本質は神のそれと全く異なることを人間は理解できます。サタンの何の本質が神の聖さとは正反対なのですか。(サタンの邪悪さです。)サタンの邪悪な本性は、神の聖さと正反対です。神のこの表出と神の聖さの本質を大部分の人々が認識しないのは、彼らがサタンの領域において、サタンの堕落の中で、サタンの住まいの囲いの中で生きているからです。彼らは聖さとは何かも、聖さをどう定義するかも知りません。たとえ神の聖さに気づいても、依然としてそれが神の聖さであるとは断言できません。これは、神の聖さについての人間の認識における相違です。

『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 4」(『言葉』第2巻)より

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