言葉は肉において現れる

目次

一番目の言葉

私の言葉を証しする人々は本当に私の言葉を受け入れるだろうか。あなたたちは本当に私を知っているだろうか。あなたたちは本当に従順について学んだだろうか。あなたたちは私のために誠実に精一杯頑張るだろうか。あなたたちは赤い大きな竜を前にして本当に私に強い断固とした証しをしただろうか。あなたたちの献身は本当に赤い大きな竜に屈辱を与えるだろうか。私の言葉の試練を通すことによってのみ、私は教会を清め、私を本当に愛する人々を選ぶという私の目標を達成することができる。人々が私を理解できる方法は、ほかにはないのだ。誰が私の言葉を通して私の尊厳、私の憤怒、私の英知を理解できるだろうか。私が開始したのだから、私が終わらせるだろうが、それでも人々の心を測るのは私である。実のところ、私を完全に理解できる人は誰もいないので、私は彼らを言葉で導き、こうして彼らを新しい時代へと導く。最後には、私は言葉を通してすべての働きを完成し、私を本当に愛する人々を私の国に連れ戻し、私の玉座の前で暮らせるようにする。状況は以前とは異なり、私の働きは新たな開始点に入っている。そういうわけで新しいやり方が出てくるだろう。私の言葉をまさに自分の命として読み、受け入れる人々は私の国の人々である。彼らは私の国にいるので、私の国の人民である。彼らは私の言葉によって導かれるので、私の人民と呼ばれるが、この呼び名は私の「子供たち」と呼ばれることとまったく同じである。私の人民として、すべての人は私の国で忠実にしており、義務を果たさなければならないし、私の管理上の命令を破る人々は私の罰を受けなければならない。これはすべての人に向けた私の警告である。

今や新しいやり方が使われているので、過去のものはすべて繰り返し言う必要はない。しかし、私は次のように語った。「私が語ったことは考慮されなければならないし、考慮されたことは完成されなければならない。そしてこのことは誰も変えることはできない」。これは絶対的なことである。私が過去に言ったことであろうと、将来言うことであろうと、すべては実現し、人類はそのすべてを目にするだろう。これは私の言葉の働きの背後にある原理である。教会の建設はすでに達成されたので、今はもはや教会建設の時代ではなく、むしろ私の国が首尾よく建設された時代である。しかし、あなたたちはまだ地上にいるので、あなたたちの集会場は教会として知られ続けるだろう。だが、教会の本質はかつてと同じではなく、本当の成功を示している。したがって、私の国が地上に降りてきたと私は言う。誰も私の言葉の根源を把握できないし、言葉の背後にある目的を理解することもできない。今日私が語るとき、あなたたちは突然のひらめきを経験するかもしれない。おそらく、泣き出す人たちもいれば、これが私の話し方だということに恐れを感じる人たちもいるだろう。一部の人たちは私のあらゆる行動に対して古臭い見方を続けるだろう。一部の人たちは私に対する不平や抵抗を後悔するかもしれない。一部の人たちは決して私の名前から外れることがなかったので、今日今や生き返ったことを、心の中で喜ぶかもしれない。おそらく一部の人たちはずっと以前に私の言葉によって混乱し、意気消沈しうつむいて生と死の間をうろうろし、いま私が別の表現を選んでも、もはや私の選んだ言葉を聞く気持ちがないかもしれない。私に非常に献身的で決して不平を言わず、疑いを持たず、今日幸運にも解放されて、心の中で私に言葉を越えた感謝を感じている人たちもいるだろう。すべての人が程度に応じてこれらのカテゴリーのいずれかに該当する。しかし、過去は過去であり、今は現在なので、もはや過去を切望する必要はなく、将来を心配する必要もない。現実に逆らい、私の指導に従って行動しない人々は、良い終わりを迎えることはなく、自分の身に困難をもたらすだけである。世界で起こるすべてのことの中で、私が最終的な決定権を持たないものはない。私の手の中にない存在などあるだろうか。私の言うことはすべてその通りに進み、人々の中には私の心を変えられる者はない。それが、私が地上で行った契約なのか。何事も私の計画を妨げることはできない。私の計画と同様に、私の働きの中にも、絶えず私は存在している。どのような人も妨害できない。これらを直接準備したのは私ではないか。今日のような状況になっても、私の考えが計画や予測から外れることは決してない。すべて私がずっと以前に決めていたのだ。あなたたちの中の誰がこの段階のための私の計画を推測できるだろう。私の民は私の声に耳を傾け、私を本当に愛する一人一人が私の玉座の前に戻るだろう。

1992年2月20日