719 神の働きに真に従う者は神のものになれる
1 神のために鳴り響くような証しをすることは、おもに実際の神に関する認識があるか否か、そして普通であるだけでなく正常なこの人の前で服従し、死に至るまで従い続けられるかどうかと関連している。この従順さによって神のために真の証しをするならば、それはあなたが神によって得られたことを意味する。死に至るまで服従し、神の前で不満がなく、判断したり中傷したりせず、観念を抱かず、秘めたる意図を一切もたずにいられるなら、神はこのようにして栄光を得る。人から見下されている普通の人の前で従順になること、そして観念を抱かず死ぬまで従えることこそが、真の証しである。
2 神が人々に入るよう要求する現実とは、あなたが神の言葉に従い、それらを実践し、実際の神の前にひれ伏し、自分の堕落を知り、神の前で自分の心を開き、最終的にこれらの神の言葉によって神に得られることができることである。それらの言葉があなたを征服し、神に対して完全に従順にするとき、神は栄光を得る。神はそれによってサタンを辱め、自身の働きを完了させる。受肉した神の実際性についてあなたが何の観念も抱かないのであれば、つまりこの試練において揺るぎなく立ってきたならば、あなたはその証しを立派にしたことになる。
3 実際の神を完全に理解し、ペテロのように死に至るまで神に従える日が来るならば、あなたは神によって得られ、完全にされるだろう。すべての人が試練の最中にあるのは、神の実際性のためである。神の働きは実践的であり、超自然的ではない。神の実践的な言葉と発言を、観念を抱かず完全に理解し、その働きがますます実践的になるにつれて神を真に愛せるようになることで、あなたは神によって得られるだろう。神が得る人の集団は、神を知る者たち、すなわち神の実際性を知る者たちである。さらに彼らは、神の実践的な働きに服従できる者たちである。
『神の出現と働き』「神の実際性に絶対的に服従できる者は真に神を愛する者である」(『言葉』第1巻)より編集