神を信じてもいのちを得ていないなら懲罰を受ける
おそらくあなたは、あなたの時に応じて充分に苦しんだだろう。しかし今なお、あなたは何も解かっていない。あなたはいのちにおけるすべてのことについて無知である。あなたは罰せられ裁かれたにもかかわらず、まったく変わらず、あなたの奥底ではまだいのちを獲得していない。あなたの働きを試す時が来ると、あなたは焼き尽くす炎のように激しい試練と、さらに大きな患難を体験するであろう。この炎はあなたの全存在を灰に変えるであろう。いのちを持たない者として、内に一かけらの純粋な金も持たない者として、いまだに古い堕落した性質から抜け出せない者として、また、脇役としてでさえ良い仕事ができない者として、どうしてあなたが取り除かれないことがあろうか。
一文の価値もなく、いのちを持たない者のために、征服の業がなんの役に立つのだろうか。その時が来ると、あなたたちの日はノアやソドムの日よりももっと困難になるであろう。その時あなたの祈りは何の役にもたたない。一度救いの業が終わってしまえば、あなたはどうやってまた最初から悔い改めることができるというのか。一度すべての救いの業が完了すれば、さらなる救いの業はない。次に来るのは、悪を罰する業の開始である。あなたは抵抗し、逆らい、自分で悪だと分かっていることをしている。あなたは、厳しい罰の対象ではないのか。
わたしは、あなたのためにこのことを今日、一字一句説明しているのだ。あなたがわたしの言うことを聞こうとしないなら、後に患難があなたの上に臨む時にやっと後悔し始め、信じ始めたところで、それはもう遅過ぎるであろう。わたしは今日、あなたの過去の背きの罪を憶えてはいない。わたしは、あなたを幾度も幾度も赦す。あなたの消極的な面から目をそらし、あなたの積極的な面だけに目を留めて。何故なら、わたしの現在の言葉と業のすべては、あなたを救うためであり、わたしはあなたに対して何の悪意も持っていないからだ。それでもあなたはいのちに入ることを拒む。あなたは善悪を区別することができず、親切の価値に感謝することも知らない。このような人には、ただあの懲罰と義なる報復を待つことしかないのではないか。
『言葉は肉において現れる』の「征服の働きの内幕(1)」より編集