新時代の戒めは極めて意義深い
新時代における戒めの意義は極めて深淵である。戒めは、神が実際に地に現れ、地にあって宇宙全体を征服し、神の栄光を肉に完全に現すであろうことを示している。また戒めは、実践の神が地上で一層多大な実践の働きを行い、神が選んだ者を全員完全にする旨であることを示している。さらに、神は地上において言葉によりあらゆる物事を実現し、「肉にある神が最も高い所へと昇って讃美され、あらゆる民と国々が跪いて大いなる神を崇拝する」という法令を現す。新時代の戒めは人間が守るべきものであり、それは人間の本分であり、実現すべき目的であるものの、そうした戒めの意義は極めて深く、ひと言ふた言では完全に説明出来ない。新時代の戒めは、ヤーウェとイエスが公表した旧約の律法や新約のしきたりに取って代わる。これはさらに深淵な教えであり、人間が想像するほど簡明ではない。
新時代の戒めには、実践的な意味合いの側面がある。すなわち、こうした戒めは恵みの時代と神の国の時代の間の接点として機能する。旧時代の実践やしきたり、そしてイエスの時代の実践や新時代よりも前[a]の実践は、新時代の戒めをもって終焉を迎える。そうした戒めにより、人間は一層実践的な神の前に連れ出され、神による直接的な完全化を受け始めることが出来るようになるが、それは完全にされる道の端緒である。したがって、あなたがたは新時代の戒めに対する正しい姿勢を身に付けるべきであり、そうした戒めに安易に従ったり、それを安易に嫌ったりしてはならない。新時代の戒めでは、ある点が重視されている。それはすなわち、人間は現在における実践の神自身を崇拝すべきである、つまり霊の本質に一層実践的に従うべきである、という点である。またそうした戒めでは、神が義の太陽として現れて人間を罪人か義なる者かを裁く時の原則にも重点が置かれている。
新時代の戒めは、神と人間が新たな天と新たな地の領域に入ったこと、またヤーウェがイスラエルの民の間で働きを行い、イエスがユダヤ人の間で働きを行ったのと同様に、神が地において一層実践的な働きを行い、より偉大な働きをより多く行うことを象徴する。
『言葉は肉において現れる』の「戒めを守ること、真理を実践すること」より編集