自分の本性を分析するには
さて、自分の本性を知るには、達成しなければならないことが幾つかある。第一に、自分が何を好むかを明確に理解しなければならない。これは食べ物や着る物の好みのことではない。むしろ、どのような物事を楽しみ、うらやましく思い、崇拝するのか、何を求めるのか、心の中で何に注意を向けているかという意味である。人の本性には、その人の好む物事の全般的な特徴がある。つまり、人は他者がその見た目ゆえにうらやむような物事や人々を好み、美しく豪華に見える物事や人々を好み、その外見ゆえに他者が崇拝してしまう物事や人々を好むのだ。人が好む物事は、偉大で目がくらむような、華麗で壮大なものである。人はみなこのようなものを崇拝する。人には真理が一切なく、また真正な人間と似ても似つかないことがわかる。このような物事を崇拝することには、ほんの少しの意義もない。
あなたが何を好み、何に注目し、何を崇拝し、何をうらやみ、毎日心の中で何について考えているのかは、みなあなたの本性を表している。あなたの本性は不義を好み、深刻な場合はあなたの本性は邪悪で救い難いと証明するにはこれで十分だ。自分の本性を分析するには、自分が生活において何を好み、何を捨てるのかを検証しなければならない。あなたは一時的には誰かに好意的かもしれないが、それはあなたがその人を好きだという証拠にはならない。あなたがほんとうに好きな物事は、まさにあなたの本性の中にあるものである。たとえ骨折しようが、なお楽しみ、決して手放すことのできないものである。これを変えるのは容易ではない。自分の奥底に潜む物事を変えられる人はいない。それは人間の本性に関わる事柄であり、人の本質を表わしている。
『キリストの言葉の記録』の「性質の変化について知るべきこと」より編集