人類を救い、その運命を大きく変えられるのは誰か
運命と聞くと、多くの人はこう思うでしょう。富と地位を手に入れ、成功を収めることが良き運命で、財産も地位もなく、苦労続きで、人に見下されることが、悪い運命だと。そして、知識があればお金や地位が得られると信じ、懸命にそれを追い求め、自分の運命を変えようとします。お金や地位や成功があれば、良き運命なのでしょうか? 困難と不運に見舞われることが、悪い運命なのでしょうか? 多くの人がこの点をよく理解せず、運命を変えようと必死に知識を追い求めていますが、本当に知識で運命は変えられるのでしょうか? 人類を救い、その運命を一変できるのは一体誰なのでしょう? 今日は、この点を深く掘り下げて考えてみます。
私たちの生活の中で、知識を得た人が財産と地位を得る、という例は多くあります。豊かな人生を送り、著名人や偉人と呼ばれる人もいます。成功者として名を成すことは、一見素晴らしい運命ですが、本当にそうでしょうか? 本当に幸せなのでしょうか? 権力や影響力をもち、一見輝かしい生活を送っている人も、実は虚無感や苦痛を抱え、生きがいを失っています。薬物や自殺に走る人もいれば、中には、権力と影響力を悪用して悪事に手を染め、刑務所行きとなり、破滅する人もいます。そのほとんどは知識を持つ人ではないでしょうか? 分別があり、法律をよく理解している人たちが、なぜ悪事を働くのでしょう? なぜ愚かなことをするのでしょう? なぜこうした結果を招くのでしょう? 今の時代、誰も彼もが教育を重視し、知識を追い求め、国や民族を統治するのも知識人たちです。知識人が権力を握り、世界のエリート階級を占めています。その理由は、知識人が統治すれば、文明化が進み、愛に満ちた世界が実現できるからだと言われますが、世界では今何が起きているでしょうか? 大きな混沌と、混乱の中で、人は騙し合い、いがみ合い、殺し合うことすらあります。彼らは神を否定し、神に抵抗し、真理を嫌い、悪を崇め、決して悔い改めず、神の怒りを招き、人の恨みを買っています。災害は次々と発生し、常に戦争の危機にさらされています。明らかに、知識階級が権力をもち、エリートが統治する世界では、平和と幸福どころか、ますます多くの災害と苦しみがもたらされています。感染症が流行し、戦争が各地で勃発し、地震や飢饉も起こっています。世界の終わりが来たようだと、人々は怯えています。この真の原因はなんでしょうか? なぜ人は、知識を得て、権力を握り、地位を手にすると、悪事に走るのでしょうか? なぜ知識人やエリートたちは、これほどの災難を国や人々にもたらすのでしょうか? これは熟慮に値する問題です。知識を得ることで、人は善人になり罪を犯さなくなりますか? 知識を得ることで、人は優しくなり、悪事をなさなくなりますか? 知識は、罪悪やサタンの勢力から人を救うことができますか? 私は、知識で運命を変えられるということに疑問を抱き始めています。知識を身につけ、それによって地位を得た人が、ごう慢になり、独善的になるのはなぜでしょうか? 知識を深めるほどに、自尊心が膨らむのはなぜでしょうか? 権力を手にした人は、心が歪んで衝動的になり、人に害を及ぼし、災難を招きます。優れた教育制度をもち科学が発達した国は、健全に統治され、文明化が進み、国民は健やかに暮らせるはずですが、そのような国は実在しますか? いいえ、ありません。これは本当に不可解なことです。神の御言葉を読んでみましょう。「人類が社会科学を考案して以来、人の精神は科学と知識に占領されてしまった。それから科学と知識は人類を支配する道具となり、もはや神を礼拝するための充分な余地は人にはなくなり、神を礼拝するための好ましい条件もなくなった。人の心の中で占める神の位置はどこまでも低められた。心の中に神が無いまま、人間の内面世界は暗く、希望も無く、空虚である。そのため、人類の心と精神を満たすために多くの社会科学者や歴史家、政治家が登場し、社会科学の理論や人類進化の理論、神が人を創造したという真理に矛盾するその他の理論を発表した。こうして、神が万物を造ったという真理を信じる人はますます少なくなり、進化論を信じる人の数はさらに増加した。神の働きの記録と旧約聖書の時代の神の言葉を神話や伝説として取り扱う人々はますます多くなっている。人々の心は、神の威厳と偉大さに、神が存在し万物を支配しているという信条に対して無関心になっている。人類の生存、そして国家と民族の運命はもはや人にとって重要ではなく、人は飲食と快楽の追求にしか関心のない虚しい世界に生きている。……神が今日どこで働きを行っているのか、あるいは神が人の終着点をいかに支配し、定めているのかを自らすすんで探し求める人はほとんどいない。こうして、人間の文明は、人間の知らないうちに、ますます人の望みどおりには行かなくなり、こんな世界に生きている自分達はすでに亡くなった人々に比べて不幸せだと感じている人さえ数多くいる。過去に高度の文明を築いた国々の人たちでさえそのような不満をあらわにしている。なぜなら、神の導きなしには、支配者や社会学者が人類の文明を維持するためにどんなに頭を悩ませても何の役にも立たないからである。誰も人の心の中の空洞を埋めることはできない。誰も人のいのちとなることはできず、どのような社会学的理論も人を悩ませる虚しさから人を解放することはできないからである。科学、知識、自由、民主主義、余暇、快適さなどは、人間につかの間の慰めしかもたらさない。これらのものがあっても、人はやはり必然的に罪を犯し、社会の不公正を嘆く。これらのものは、人の探求への渇望や欲求を抑えることはできない。……人間は結局、人間に過ぎず、神の地位といのちに取って代われる人間はいない。誰もが食べる物があり、平等で自由で公平な社会だけが人類に必要なのではない。人類に必要なのは神の救いと神によるいのちの満たしである。神の救いといのちの満たしを受けて初めて、人間の必要、探究心、そして霊的空虚感が解決されるのである。一つの国や民族の人々が神の救いや配慮を得ることができなければ、その国や民族は暗黒に向かって、衰退への道を突き進み、神によって滅ぼされる」(『神の出現と働き』「附録2:神は全人類の運命を支配する」〔『言葉』第1巻〕)。
神の御言葉は正しく、物事の真相を明らかにしています。知識は実際どのように生み出されるのでしょうか? それはもちろん、人々が崇拝する歴史上の偉人や著名人たちが生み出したものです。孔子による儒教や、ダーウィンの進化論、マルクスの共産党宣言と共産主義理論、無神論、唯物論、そして進化論。これらはすべて偉人が書き著した思想や理論から生まれ、現代社会の科学理論の礎を形成しています。このような説や理論は、それぞれの時代の統治階級によって広められ、教科書に掲載されて、学校で教えられ、人類の公理となりました。若い世代を教育し、蝕み、麻痺させることで、人類を惑わせ、堕落させるための道具として使われています。人類はみな、科学と知識を重視する教育の影響下で、より一層堕落が進み、社会を覆う闇は深まり、混乱が広がり、神と人、双方の怒りが募っています。災害がより頻繁に発生し、災難が次々と降りかかり、常に世界大戦の危機にさらされ、人々は、まるで世界の終わりがきたかのように、恐れおののいています。ここで、次の疑問が生じます。科学と知識は本当に真理なのでしょうか? 科学と知識を追い求め、受け入れる人は増えていますが、彼らは罪から逃れ、幸せをつかむどころか、堕落が進み、より邪悪な人間になり、罪と苦しみの連鎖にとらわれています。少し考えてみましょう。人々に崇拝される偉人や著名人の本質とは何でしょうか? 彼らは神を否定し、神に抵抗する無神論者や進化論者です。神が存在し、すべてが神の支配下にあるということを信じておらず、神が表す真理を全く受け入れようとしません。彼らが唱える理論の中には、社会の闇を暴く言葉、サタンによる人間の堕落の本質と現実を暴く言葉、統治階級の本性や邪悪な本質を暴く言葉はなく、神の存在と働きを証しする言葉、神の御業と愛を証しする言葉、御言葉の真理と合致する言葉もありません。彼らの言葉はすべて、神を否定し神に抵抗する誤謬です。結局のところ、彼らの理論はすべて統治階級の利益を守り、人類を惑わせ、堕落させ、害を与えるものです。そしてその結果、闇に覆われた邪悪な道へと進んだ人類は、神に抵抗し、神を裏切るサタンの同類になりました。統治階級の人々とは一体どのような人なのでしょう? 高潔で賢明でしょうか? 全く違います。高潔で賢明な者など一人もいませんでした。彼らが示したいわゆる美徳や智慧などというものは、そのメッキがすでに剥がされ、彼らが密かに犯した罪はすべて明らかになっています。事実として、サタンによる人類の堕落が始まって以来、高潔で賢明な君主など存在したことがなく、すべての権力者はサタンと悪魔の化身でした。彼らの理論の中で人類を最も堕落させたのはどれでしょうか? 無神論、唯物論、進化論、そして共産主義です。これらの理論は無数の偽りや誤謬を広めました。「この世には神も仏もない」「我々に救いを与える者は誰もいない」「運命は己の手中にあり」「知識は人の運命を変える」このような言葉は幼い頃に人の心に根付き、次第に大きくなります。すると人はどうなるでしょうか? 神と、神に由来する一切のものを否定し、神が天地万物を創造し、すべてを支配することすら否定し始めます。人は神によって造られた、という事実を否定し、真実を歪め、人間と動物がまるで同類かの如く、人はサルから進化したのだと主張します。このような誤謬や、馬鹿げた知識や理論が人の考えを支配し、心を奪い、やがてその人の本性になります。神を否定し、神から距離を置き、真理を受け入れるのがますます難しくなり、ごう慢さと邪悪さが増し、堕落が進みます。そして良心と理知を失い、人間らしさが完全に消え、救いようがなくなります。人類はこうしてサタンに堕落させられ、悪魔となったのです。これが、知識を追い求め、知識で運命を変えようとする人の末路です。事実が示すように、科学や知識は真理ではなく、人のいのちにはなりえません。むしろ、科学や知識は真理に矛盾し、決して真理と相容れることはなく、人類を堕落させ、苦しめ、破滅させるだけです。
ではなぜ知識は真理ではないのでしょうか? 知識は神がもたらしたものではなく、サタンによる人の堕落から生まれたものだからです。堕落した人類が崇拝する偉人に由来しているので、知識は真理ではないと、確実に言えます。第一に、知識は、自分の堕落した本質や、自分自身について知る助けになりません。第二に、知識は人の堕落した性質を清められず、人をますますごう慢にします。第三に、知識は罪から人を救えず、人を清めることもできません。第四に、知識は、人が真理を学び、神を知り、神に従う助けになりません。第五に、知識は、真の幸福や光を得る助けにはならず、特に美しい終着点を人に与えることができません。ですから、知識は真理ではなく、罪やサタンの勢力から人を救うことはできません。知識で人の運命は変えられない。これは確実に言えることです。神がもたらしたもの、そして神の御言葉だけが真理です。真理だけが、人のいのちとなり、人の堕落を清め、罪から解放し、人を聖いものにします。真理だけが、人が良心と理知を取りもどす助けとなり、真に人間らしく生きることを可能にします。真理だけが、人生の指針と目標を人に与えることができ、真理だけが、人が神を知り、その祝福を受け、美しい終着点にたどり着く助けとなります。ゆえに、肉となった神によって表された真理だけが、人類をサタンの勢力から救い、完全に神に立ち返らせることができます。救世主だけが人を救い、人の運命を一変させ、素晴らしい終着点を与えてくれます。ではなぜ知識は人を救えないのでしょうか? それは、人がサタンによって深く堕落させられ、サタン的本性をもち、サタン的な性質を生き、常に罪を犯し、悪事を働いているからです。チャンスさえあれば、どんな悪事をも働くことができ、権力を握るやいなや、本性を表し人類に害を及ぼします。知識は堕落した人類、つまりサタンに由来するので、真理ではないのです。堕落した人類がどれだけ学ぼうとも、自分自身の堕落の本質と真相を知ることはできず、真に悔い改め神に立ち返ることもできません。どれほどの知識も、人の罪深き本性を解決することはできず、堕落した性質を変えることもできません。堕落した人類がどれほど知識を得ても、罪やサタンの勢力から逃れ、聖さを得ることはできません。真理を受け入れずに、神への服従に到達することはできず、罪深き本性の問題を解決することもできません。堕落した人類は、知識を深めるほど真理を受け入れがたくなり、神を否定し、神に逆らいます。知識を求めるほど、人類はごう慢で、独善的になり、野心が膨らみ、罪悪の道に足を踏み入れてしまいます。知識とは、人を堕落させ、苦しめ、破滅させるだけのもの。多くの人が知識の本質や、その効果について理解できていません。知識の根源や出所が見えておらず、真理ではなく、知識ばかりを闇雲に崇め、求めているのです。なぜ人は皆、権力を得て有名になるとこれほどの悪事を働き、人々や国に害を及ぼし、あらゆる災難を招き、贖いきれないほどの、深い過ちを犯すのでしょう? これは知識を崇め、追い求めた結果なのです。このことが示すのは、知識は人の運命を変えることができず、知識をどれだけ高めても、信仰をもち真理を受け入れなければ、神の救いは得られず、神の祝福を受け、良き運命をたどることもなく、死ねば地獄ということです。神は義であり、人類の運命を支配します。ですから、神の承認や祝福を受けない人は、良き運命を得られず、最後は滅亡、破滅、地獄が待ち受けています。
現在、賢明な人々は知識を崇拝することを止め、聖なる者の降臨、そして人類を救う救世主の降臨を心待ちにしています。著名人や偉人に人類を救ってほしいと切望する人はいません。自分自身も救えない人たちが、人類を救うことなどできるでしょうか。この事実からわかるのは、知識は必ずしも良き運命をもたらさず、科学と教育による発展など無意味だということです。救世主だけが罪とサタンの勢力から人類を救うことができ、真理を表す救世主だけが、光の道へと私たちを導けるのです。そして救世主が表した真理を受け入れることでのみ、人はサタンの堕落から解放され、完全に神に救われ、神の承認と祝福を得られます。これが人の運命を一変させる唯一の方法です。つまり、運命を変えるには、救世主の出現と働きを受け入れること、終わりの日の救世主が表す真理をすべて受け入れること、終わりの日の神の裁きによって清められることが必要です。簡単に言うと、真理を受け入れることが、人の運命を劇的に変える唯一の道なのです。全能神は言われます。「神はこの世界を創造し、この人類を創造し、さらに神は古代ギリシア文化ならびに人類の文明の設計者でもあった。神のみがこの人類を慰め、神のみが日夜人類のことを思いやる。人類の発展と進歩は神の統治と切り離すことはできない。また、人類の歴史と未来は神の計画から切り離せない。あなたが真のクリスチャンならば、あらゆる国または民族の興亡は、神の意図に従って起こるということを必ず信じているであろう。神のみが国や民族の運命を知っており、神のみがこの人類の進むべき道を制御する。人類が良い運命を望むなら、また国が良い運命を願うなら、人類はひれ伏して神を礼拝し、神の前で悔い改め、罪を告白しなければならない。さもなければ人類の運命と終着点は避けることのできない災難となる」(『神の出現と働き』「附録2:神は全人類の運命を支配する」〔『言葉』第1巻〕)。
すでに明白なように自分すら救えない知識人が、どうやって人類を救えるでしょう? 救世主のみが人類を罪から救うことができ、人類に光と幸福、そして美しい終着点をもたらします。では、救世主とは誰なのでしょう? 疑う余地もなく、受肉して人となり、人のあいだに来て救いの働きをする、その神こそが救世主です。救世主は神の化身であり、人の肉をまとった神です。それが受肉ということです。このように、受肉した神は人の中に降臨された救世主です。人類を創造してから、神は2度にわたり受肉しました。2000年前、神は主イエスとして受肉し、このように言いました。「悔い改めよ、天国は近づいた」(マタイによる福音書 4:17)。主イエスは多くの真理を表し、最後は人類の罪を贖うため、生贄として十字架にかけられ、人に対する神の愛を明らかにしました。世界中の人々が主イエスを救世主として受け入れ、悔い改めることで、その罪を許されました。神に与えられた平穏と喜び、そして多くの恵みを享受しました。主イエスは贖いの働きを終えた時、このように預言しています。「わたしは、すぐに来る」「人の子の現れる」「思いがけない時に人の子が来るからである」(マタイによる福音書 24:44)。ゆえに、主イエスを救世主として受け入れた人はみな、終わりの日に主が再来し、救世主が降臨し、人類を救い神の国に導くのを待っています。主イエスは預言しました。「わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう」(ヨハネによる福音書 16:12-13)。「真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります」(ヨハネによる福音書 17:17)。この預言によると、神は終わりの日に人の子として受肉し、人類を完全に清め救うために、真理を表し、人類を美しい終着点に導きます。ですから、終わりの日の受肉した神は、人類の前に現れた救世主なのです。ではこの救世主をどうお迎えすべきでしょうか? 主イエスは言われました。「わたしの羊はわたしの声に聞き従う」(ヨハネによる福音書 10:27)。「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい」(ヨハネの黙示録 2:7)。主イエスは何度も告げています。主をお迎えするには、神の声を聞き、終わりの日に再来した神が表す真理を受け入れよと。今、大災害が目の前に迫っていますが、全世界を見回しても、人類を救うすべての真理を表しているのは全能神だけで、全能神以外に、真理を発した者はいません。これが証明するのは、全能神は主イエスの再来であり、終わりの日に人類を救うべく降臨した救世主だということ。これはとてつもない吉報です。人の運命を変える唯一の道は、救世主の救いを受け入れ、神が表す真理を受け入れることです。
全能神は言われます。「終わりの日のキリストはさまざまな真理を用いて人間を教え、人間の本質を明らかにし、人間の言動を解剖する。そのような言葉は、人の本分や、人はいかに神に従うべきか、人はいかに神に忠実であるべきか、いかに正常な人間性を生きるべきかや、また神の知恵と性質など、さまざまな真理を含んでいる。これらの言葉はすべて人間の本質とその堕落した性質に向けられている。とくに、人間がいかに神をはねつけるかを明らかにする言葉は、人間がいかにサタンの化身であり、神に敵対する力であるかに関して語られる。神は裁きの働きを行うにあたって、少ない言葉で人間の本性を明らかにすることはない。むしろ長い期間にわたり、それをさらけ出し、取り扱い、刈り込む。こうしたさまざまな方法のさらけ出し、取り扱い、刈り込みはどれも、通常の言葉が取って代わることはできず、人間が一切持ち合わせていない真理でなければ取って代われない。このような方法のみが裁きと呼ばれることができる。このような裁きを通してのみ人間は屈服し、神について徹底的に納得し、さらに神についての真の認識を得ることができる。裁きの働きがもたらすのは、神の真の顔と人間自らの反抗的性質についての真相を人が認識することである。裁きの働きにより、人は神の心、神の働きの目的、人には理解することのできない奥義についてかなり理解できるようになる。また、それにより人は自分の堕落した本質と堕落の根源を認識し知るようになり、人間の醜さを発見する。これらの効果はすべて、裁きの働きによりもたらされる。それは、実際に、この働きの本質は神を信じる人すべてに神の真理、道、いのちを開く働きだからである。この働きが神による裁きの働きである」(『神の出現と働き』「キリストは真理をもって裁きの働きを行う」〔『言葉』第1巻〕)。
全能神が表した多くの真理は、「言葉は肉において現れる」などの本にまとめられ、全部で数百万字にも上ります。これらはすべて終わりの日の裁きの働きのために表され、その分量は律法の時代や恵みの時代に神が表した真理をはるかにしのぎます。全能神は人類を救う経営計画の奥義や、これまで人が理解していなかった聖書の奥義、そしてサタンによる人類の堕落の真相と、神に逆らう人のサタン的な本性を明らかにし、人の罪深さの根源と堕落の真相を私たちに認識させました。人は事実に直面して心から納得し、自分を嫌悪し、後悔の念をもち、真に悔い改めます。また神は、人が実践し、入るべき真理を表すことで、私たちが御言葉に則り、真に人間らしく、真理を体現しながら生きられるようにします。これこそが神の約束と祝福を得る唯一の道です。全能神は非常に多くの真理を表しましたが、そのすべての目的は人類の堕落を清め、サタンの勢力から人類を救い、人が神に立ち返り、神を認識できるようにすること。これらの真理のみが、人生の公理であり、救いを得るための教えであり、人の運命を一変させるのに必要なものです。そしてその先に待つのは、美しい終着点――神の国です。大災難はすでに始まっており、人が望みをかなえる唯一の道は、救世主の出現と働きを受け入れることだけです。全能神が表す真理を受け入れた人だけが、神の承認を得て、神の加護と祝福を受けて大災難を生き延び、神の国に進めます。救世主が表すすべての真理を受け入れず、想像上の偽の神や、邪悪な霊が大災害から救ってくれると信じることは、ただの幻想です。得られるものは何もなく、その努力は無駄に終わるでしょう。偽の神や邪悪な霊は人類を救えず、受肉した神、救世主だけが人類を救えます。それが、良き運命、素晴らしい終着点を得る唯一の道です。全能神は言われます。「終わりの日のキリストはいのちをもたらし、変わることなく永遠に続く真理の道をもたらす。人はこの真理を通していのちを得ることができ、この真理を通してのみ、神を知り、神に良しと認められる。終わりの日のキリストが与えるいのちの道を求めないなら、あなたは決してイエスに良しと認められず、天国の門をくぐる資格も得られない」(『神の出現と働き』「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」〔『言葉』第1巻〕)。「キリストが語る真理に頼ることなくいのちを得たいと望む者は、地上で最も愚かな者であり、キリストがもたらすいのちの道を受け入れない者は、幻想の世界で迷子になった者である。ゆえにわたしは、終わりの日のキリストを受け入れない者は神から永遠に忌み嫌われると言う。キリストは、人が終わりの日に神の国へと入る門であり、それを迂回できる者は誰一人いない。キリストを通してでなければ、誰も神によって完全にされることはない。あなたは神を信じているのだから、神の言葉を受け入れ、神の道に従わなければならない。真理を受け取ることも、いのちの施しを受け入れることもできないのに、祝福を得ることだけを考えることはできない。キリストは、自身を真に信じる者にいのちを施せるよう、終わりの日に来る。その働きは、古い時代を終わらせ新しい時代に入るためのもので、新しい時代に入る人が必ず進まなければならない道である。キリストを認められず、非難したり、冒涜したり、さらには迫害したりするなら、あなたは永遠に火で焼かれなければならず、神の国には決して入れない。このキリストこそが聖霊の顕現であり、神の顕現であり、神が地上での働きを託した者だからである。したがって、終わりの日のキリストによってなされる一切のことを受け入れられないなら、あなたは聖霊を冒涜しているとわたしは言う。聖霊を冒涜する者が受ける報いは、誰の目にも自明である」(『神の出現と働き』「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」〔『言葉』第1巻〕)。
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