裁きとは何か。

2017年11月23日

関連する神の言葉

裁きの働きは神自身の働きであり、そのため当然ながら神が自ら行わなければならない。それは神の代わりに人が行うことはできない。裁きとは真理を用いて人類を征服することなので、この働きを人のあいだで行うために神が受肉した姿で再び現れることは疑いもないことである。つまり、終わりの日においてキリストは真理を用いて世界各地の人々を教え、彼らにあらゆる真理を知らしめる。これが神の裁きの働きである。

『神の出現と働き』「キリストは真理をもって裁きの働きを行う」(『言葉』第1巻)

「裁き」という言葉を出せば、ヤーウェがあらゆる場所に向けて語った言葉、イエスがパリサイ人に語った非難の言葉をあなたはたぶん思い浮かべるであろう。それらの言葉の厳しさにもかかわらず、それらは神の人への裁きの言葉ではなく、様々な環境において、つまり異なる脈絡において、神が語った言葉にすぎなかった。それらの言葉は、終わりの日にキリストが人間を裁きつつ語る言葉とは違う。終わりの日には、キリストはさまざまな真理を用いて人間を教え、人間の本質を明らかにし、人間の言動を解剖する。そのような言葉は、人の本分や、人はいかに神に従うべきか、人はいかに神に忠実であるべきか、いかに正常な人間性を生きるべきかや、また神の知恵と性質など、さまざまな真理を含んでいる。これらの言葉はすべて人間の本質とその堕落した性質に向けられている。とくに、人間がいかに神をはねつけるかを明らかにする言葉は、人間がいかにサタンの化身であり、神に敵対する力であるかに関して語られる。神は裁きの働きを行うにあたって、少ない言葉で人間の本性を明らかにすることはない。むしろ長い期間にわたり、それをさらけ出し、取り扱い、刈り込む。このような方法のさらけ出し、取り扱い、刈り込みは通常の言葉が取って代わることはできず、人間が一切持ち合わせていない真理でなければ取って代われない。このような方法のみが裁きと呼ばれることができる。このような裁きを通してのみ人間は屈服し、徹底的に納得して神への服従に向かうようになり、さらに神についての真の認識を得ることができる。裁きの働きがもたらすのは、神の真の顔と人間自らの反抗的性質についての真相を人が認識することである。裁きの働きにより、人は神の心、神の働きの目的、人には理解することのできない奥義についてかなり理解できるようになる。また、それにより人は自分の堕落した本質と堕落の根源を認識し知るようになり、人間の醜さを発見する。これらの効果はすべて、裁きの働きによりもたらされる。それは、実際に、この働きの本質は神を信じる人すべてに神の真理、道、いのちを開く働きだからである。この働きが神による裁きの働きである。

『神の出現と働き』「キリストは真理をもって裁きの働きを行う」(『言葉』第1巻)

説教と交わりの参考箇所

神様の裁きと刑罰を経験したあと、私たちは真理の源は神様であり、一切の正しいことの源も神様であるという事実を知ることができます。サタンによる混乱と堕落、そして神様に抵抗する罪があるところでは、神様の裁きと刑罰が必ずそれに続きます。神様の裁きがあるところには、真理の出現と神様の性質のあらわれが必ずあります。真理と神様の性質は神様による裁きと刑罰のさなかにあらわされます。真理があるところにのみ裁きと刑罰があり、裁きと刑罰があるところにのみ神様の義なる性質のあらわれがあります。したがって、神様の働きと刑罰があるところでは、神様の働きの足跡が必ず見つかり、それが神様の出現を求める最も正確な道です。神様だけが裁きを下す権威をお持ちであり、キリストだけが堕落した人類を裁くお力をお持ちです。そのことは人の子キリストが裁きの主であることを裏づけ、確証しています。神様の裁きと刑罰がなければ人間は真理を得る手段を持たず、裁きと刑罰は神様の義なる性質をあらわすものであり、人間に神様を知る機会をもたらします。人間が真理を理解する過程は、人間が神様を知る過程です。堕落した人類にとっての真理は裁きであり、吟味であり、刑罰です。真理が明らかにするのはまさに神様の義であり、威厳であり、激しい怒りです。真理を理解する人は堕落を振り払ってサタンの影響から自由になることができます。それはひとえに神様の御言葉の力と全能性によります。人が真理を理解し、真理を得られるように、神様は人を救って完全になさいます。真理を理解すればするほど人は神様をより知るようになります。そのようにして、人は堕落を取り除き、清めを獲得することができます。真理を生きて真理の現実に入るとき、人は光の中で生き、愛の中で生き、神様の御前で生きています。これが真理をもたらし裁きをお下しになることでキリストが成し遂げられる成果です。実際、神様が発せられる御言葉はすべて真理であり、人類の裁きです。どの時代であろうと、神様がお話しになる御言葉には裁きの効果があります。律法の時代、ヤーウェ神の御言葉は堕落した人類の裁きでした。恵みの時代、主イエスがお話しになった御言葉は堕落した人類の裁きでした。現在、神の国の時代にあって、全能神が裁きと刑罰の働きの中でお話しになることはすべて、さらなる裁きであり、全能神による人類の裁きと刑罰は神様の最も大きな愛であることを、最後に人類に知らしめるのです。神様の裁きと刑罰が人類にもたらすのは救いと完全です。神様の裁きと刑罰を受け入れ、それに従うことでのみ、人は神様の真の愛と完全な救いを得ます。神様の裁きと刑罰を受け入れない人はみな神様の懲罰にさらされ、破滅と永遠の滅びに陥ります。……

兄弟の交わりより引用

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あなたは主イエスは全能神として再臨され、終わりの日に裁きの働きをし真理を示していると証しをされている。なぜそんなことが可能ですか? 主は実際に私たちを天の国に連れて行かれるのです。私たちを置いて終わりの日の裁きの働きをなされるなんて、有り得ないでしょう? 主を信じ、聖霊の働きを受けていれば、既に神様の裁きの働きを体験していると思います。主イエスの言葉が何よりの証拠です。「わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう」(ヨハネによる福音書 16:7-8)。私たちは、主イエスが復活されて天国に昇ぼられた後のペンテコステで、人に働きかけるために聖霊が下りてきたのだと考えます。それによって人々はすでに、自分の罪や義、裁きについて自分を責めています。主の前で告白し悔い改めたとき、私たちは実際に主の裁きを受けているのです。つまり、主イエスの働きは贖いの働きであっても主イエスが天に昇られたあとにペンテコステで降りてきた聖霊の働きが、終わりの日の神の裁きの働きであると信じています。それが裁きの働きでは? 「罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう」とありますが、主の信者として、私たちはよく聖霊に触れられ、戒められて訓練されています。だからいつも、主の御前で泣いて悔い改めるのよ。多くの良い行いこそが、主への信仰で私たちがどう変化したかを表すものです。これは神の裁きを受けた結果ではないのですか? あなたの言う終わりの日の全能神の裁きの働きは主イエスの働きとどう違うのですか?

回答:主イエスがされたのは贖いの働きであることはご存知ですが、主が言われたのはこうです。「悔い改めよ、天国は近づいた」(マタイによる福音書 4:17)。では一体何を根拠に、ペンテコステで聖霊が終わりの日における裁きの働きを行ったなどと言われるのですか? あなたがたは、主イエスの…

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回答:主イエスがされたのは贖いの働きであることはご存知ですが、「悔い改めよ、天国は近づいた」(マタイによる福音書 4:17)。主イエスはこうおっしゃったのに、ペンテコステで聖霊が終わりの日の裁きの働きをしたなどと、なぜそんなことを言うのです?根拠はこの言葉ですよね?「わたしが去…

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回答:神の働きは人間には計り知れないので、神の預言をはっきり説明できる者はいません。預言が成就されて初めて人間には理解できる、それはどういう意味でしょう。誰も神の知恵と全能を測ることはできないということです。主が恵みの時代に来られ働かれましたが、誰もそれを見抜けませんでした。神の…

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