終わりの日のキリストから発せられる言葉(選集)

目次
  • 第一部 全宇宙に向かって語った神の言葉 (キリストが初めに語った言葉) (抜粋)
    • 第二部 キリストが諸教会の間を歩いた時の言葉 (抜粋)
      • 第三部 キリストが自分の業の後期に語った言葉 (抜粋)

        神は全人類の運命を支配する

        人類の一員として、また敬虔なクリスチャンとして、神が委ねた任務を全うするために心と体を捧げるのは私たちすべての責任であり、義務である。何故なら、私たちの全存在は神から来たものであり、神の支配のおかげで存在しているからである。私たちの心と体が神の委ねた任務のためでも、人類の正義の目的のためでもないなら、私たちの魂は神が委ねた任務のために殉教した人々に値しなくなり、ましてや、私たちに全てを与えた神には値しなくなる。

        神はこの世界を創造し、この人類を創造した。また、それだけではなく、神は古代ギリシア文化ならびに人類文明の設計者でもあった。神のみがこの人類を慰め、神のみが日夜人類のことを思いやる。人類の発展と進歩は神の支配と切り離すことはできない。また、人類の歴史と未来は神の計画と切っても切れない関係にある。あなたが真のクリスチャンならば、あらゆる国または民族の興亡は、神の意図によって起こるということを必ず信じるであろう。神のみが国または民族の運命を知っており、神のみがこの人類の進むべき道を制御する。人類が良い運命を望むなら、また国家が良い運命を願うなら、人間はひれ伏して神を礼拝し、神の前で悔い改め、罪を告白しなければならない。さもなければ人間の運命と終着点は災難となることは避けられない。

        ノアの箱舟の時代を振り返って見よう。人類はひどく堕落し、神の祝福から迷い出てしまっていた。もはや神の配慮は得られず、神の約束を失ってしまっていた。闇の中を、神の光のないまま生きていた。そうして彼らの性質は放縦となり、おぞましい堕落に身を任せた。このような人々はもはや神の約束を受けることはできなかった。彼らは、神の顔を仰ぎ見るにも、神の声を聞くことにも相応しくなかった。何故なら彼らは神を見捨て、神から与えられたものすべてを放棄し、神の教えを忘れてしまったからである。彼らの心は神から離れて行くばかりで、それにつれてあらゆる理性と人間性を失って堕落し、さらに邪悪なものとなった。こうして彼らは死に接近し、神の怒りと罰を受けた。ノアだけが神を礼拝し、悪を避けたので、神の声を聞くことができ、神の指示を聞くことができた。ノアは神の言葉の指示に従って箱舟を建て、あらゆる種類の生物を集めた。こうして一旦全ての準備が整うと、神は世界に破滅をもたらした。ノアとその家族7人だけが破滅を逃れて生き残ったが、それはノアがヤーウェを礼拝し、悪を避けたからであった。

        それでは現代に目を向けてみよう。ノアのように神を礼拝し、悪を避けることのできる正しい人々はいなくなってしまった。それでもなお、神はこうした人類に対して恵み深く、この終末の時代においても人類の罪を赦す。神は神の現われを切望する人々を探し求める。神は神の言葉を聞くことができる人々、神の任務を忘れず、心と体を神に捧げる人々を探し求める。神は神の前で赤子のように従順で、神を拒否しない人々を探し求める。あなたが何ものにも妨げられずに神に献身するならば、神はあなたを好意の眼差しで見、祝福を授けるだろう。たとえあなたが高い身分で、名声があり、知識が豊富で、有り余るほどの資産の持ち主で、多くの人々の支持を得ていたとしても、それらのものが、神の要求することを行うために、神の前に出て神の召命と任務を受ける妨げにならないならば、あなたの為す全ては、地上で最も意義深く、人類の間で最も正しいことになる。もしあなたが地位や自分自身の目標のために神の召命を拒むならば、あなたの為すことはすべて神によってのろわれ、忌み嫌われさえするだろう。あなたは大統領かもしれない、あるいは科学者、牧師、長老かもしれないが、あなたの地位がどんなに高くても、自分の知識と能力を頼りにして事業に着手するならば、あなたはいつも失敗し、いつも神の祝福をのがしてしまう。神はあなたの為すことは何も受け入れず、あなたの実績が正しいものとは認めず、あなたが人類の益のために働いているものとは見なさないからである。あなたの為すことは全て、人類の知識と力を用いて人から神の保護を奪い、神の祝福を否定することであると、神は言うだろう。あなたは人類を暗闇の方向へ、死の方向へ、人が際限なく神と神の祝福を失う存在の始まりへ導いていると、神は言うだろう。

        初めて社会科学の考えを持つようになってから、人の精神は科学と知識に占領されてしまった。それからすぐ、科学と知識は人類を支配する道具となり、もはや人が神を礼拝する充分な余地はなくなり、神を礼拝する好ましい条件もなくなった。人の心の中で占める神の位置はどこまでも低められていった。人の心の中に神の居場所が無い世界とは、暗く、何の希望も無く、空虚である。そこで、人の心と精神を満たすために、多くの社会科学者、歴史家、政治家が現れて、社会科学の理論、人類進化の理論等、神が人を創造したという真理に反する理論を述べた。こうして、神が万物を造ったという真理を信じる人はますます少なくなり、進化論を信じる人の数は増加の一途をたどっている。旧約聖書時代の神の働きや神の言葉の記録を、神話や伝説として取り扱う人々はますます多くなっている。人々の心は、神の威厳と偉大さに対して、また神が存在し、万物を支配しているという教義に対して無関心になっている。人類の生存、そして国家と民族の運命はもはや彼らにとって重要ではない。人は飲食と快楽の追求にしか関心のない虚しい世界に生きている。神が今日どこで働きを行っているのか、あるいは、神が人の終着点をいかに支配し、定めているのか、それを自らすすんで探し求める者はほとんどいない。こうして、人間の文明は知らず知らずのうちにますます人の願望を満たすことができなくなり、多くの人々がこんな世界に生きている自分達は、亡くなった人々に比べて不幸せだと感じてさえいる。過去に高度の文明を築いた国々の人たちでさえそのような不満をあらわにしている。何故なら、神の導きなしには、支配者たちや社会学者たちが人類の文明を維持するためにどんなに頭を悩ませても何の役にも立たないからである。誰も人の心の中の空洞を埋めることはできない。誰も人のいのちとなることはできず、どんな社会学的理論も、心をむしばむ虚しさから人を解放することはできないからである。科学、知識、自由、民主主義、余暇、快適な暮しは、つかの間の慰めに過ぎない。これらのものがあっても、人は必然的に罪を犯し、社会の不公正を嘆く。これらのものは、人の探索したい欲求や願望を鎮めることはできない。人は神によって造られたからであり、人の無意味な犠牲や探索はさらなる苦悩につながるだけである。人は常に恐怖に怯えて存在し、人類の将来にどのように向き合うべきか、目の前にある進路にどのように対峙すべきか分からない。人は科学や知識に脅かされるほどになり、自分の中にある空虚感をそれらのもの以上に恐れるようになる。この世であなたが自由な国に住もうと、人権のない国に住もうと、人類の運命から逃れることは決してできない。あなたが支配者であろうと、支配される者であろうと、人類の運命、奥義、そして終着点を探求しようとする願望から逃れることは到底できない。ましてや、途方にくれるほどの空虚感から逃れることはできない。全人類に共通するこの現象を、社会学者は社会現象と呼んでいる。しかし、このような問題を解決できる偉大な者が現れることはない。人間は結局、人間に過ぎない。神の地位といのちに取って代われる人間はいない。人類は、誰もが食べる物に満ちたり、平等かつ自由である公平な社会だけではなく、神の救いと神によるいのちの満たしが必要なのである。神の救いといのちの満たしを受けて初めて、人間の欲求、探究心、そして霊的空虚感が解消されるのである。或る国や或る民族の人々が神の救いや配慮を得ることができなければ、そうした国や民族は暗黒に向かって、破滅への道を突き進み、神によって滅ぼされるであろう。

        あなたの国は今のところ繁栄しているかもしれない。しかし、国民が神からそれることをあなたが許すなら、あなたの国はますます神の祝福から遠ざかることになるだろう。あなたの国の文明はどんどん踏み躙られ、間もなく人々は神に反対して立ち上がり、天を呪うだろう。こうして一国の運命は予期せぬうちに破滅に終わるだろう。神は神によって呪われた国々に対処するために強大な国々を興すだろう。またそうした国々を地球上から一掃することさえあり得る。一つの国や一つの民族の興亡は、その支配者たちが神を礼拝しているかどうか、その国民を神に近づけ、神を礼拝する方向に導くかどうかによって決められる。しかし、この終末の時代に、真に神を求め神を礼拝する人々はますます少なくなっているので、神はキリスト教を国教とする国々に特別な恩恵を授ける。神はそれらの国々を結集させて比較的正義である世界の陣営を形成する。一方無神論の国々、あるいは本当の神を礼拝しない国々は正義である陣営の敵対者になる。このようにして、神はその働きを行うための場所を人類の中に持つだけでなく、正義なる権力を行使できる国々を獲得し、神に抵抗する国々に制裁と制限を課す。しかしそれにも関わらず、神を礼拝するために前向きに取り組む人々がまだ増えないのは、人間が神からあまりにも遠く離れてしまい、神は人間の思考からあまりにも長いこと抜けてしまっているからである。地上にはただ正義を行使し、不正に抵抗する国々があっただけである。しかし、これは神の願望とは程遠い。どの国の支配者も神が自国民を統括することを許さず、どの政党も神を崇拝するために人々を結集させたりしないからである。神は各国、民族、与党の中心において、さらには各人の心の中においてでさえ、正当な位置を失った。確かにこの世界には義なる勢力が存在するが、人の心の中に神が正当な位置を占めていない統治は脆弱である。神の祝福がなければ、政治の舞台は混乱に陥り、攻撃を受けやすくなってしまうだろう。人類にとって神の祝福がないことは、太陽の光を受けないようなものである。どんなに熱心に支配者が国民に貢献しようが、どんなに数多く正義なる会議を人類が集まって開催しようが、どれも事態を方向転換させることはなく、人類の運命を変えることはないだろう。人々が衣食を与えられる国、平和に共に暮らす国はよい国であり、良い指導者の国だと人は考える。しかし、神はそうは思わない。神は、神を礼拝する者のいない国は滅ぼされるべき国であると考えている。人の考え方は、神の考え方とはあまりにも食い違っている。国の長が神を崇拝しなければ、その国の運命は悲劇的なものになり、国の終着点はないだろう。

        神は人間の政治に参加しないが、国または民族の運命は神によって支配されている。神はこの世界と全宇宙を支配している。人の運命と神の計画は密接に関連しており、誰もどの国も民族も神の支配から免れない。人間の運命を知りたいなら神の前に来なければならない。神は神に従い、神を崇拝する人々を繫栄させ、抵抗し、拒絶する人々に衰退と絶滅をもたらす。

        神がソドムを滅ぼしたときの聖書の場面を思い出してみるがよい。ロトの妻がどうして塩の柱になったかも考えてみるがよい。ニネベの人々が荒布をまとい、灰の中に座していかに罪を悔い改めたかを思い返し、二千年前にユダヤ人たちがイエスを十字架に釘づけにしたあと何が起きたかを思い起こしてみるがよい。ユダヤ人はイスラエルから追放され、諸国に逃亡した。多くは殺され、全ユダヤ民族は前例を見ない破壊を受けた。彼らは神を十字架に釘付けにし―凶悪犯罪を犯し―そして神の性質を侵害した。彼らは自分たちが為したことの代価を払い、その行動の結果に耐えなければならなかった。彼らは神を罪に定め、神を拒絶したので、たどる運命は一つしかなかった。すなわち、神の罰を受けたのである。これが彼らの支配者たちが彼らの国と民族にもたらした苦い結果と災害である。

        今日、神は自身の働きを行うために世界に戻ってきた。神が最初に留まった所は、独裁的支配者たちの大いなる集り、すなわち無神論の頑強な砦、中国である。神はその知恵と力によって一群の人々を獲得したが、その間にも神は塗炭の苦しみにさらされ、頭を休める場所もなく、避難する場所を見つけることもできない。それにも関わらず、神は意図した働きを続行している。つまり神は声を発し、福音を広める。誰も神の全能性を推し量ることはできない。神を敵と見なす国、中国で、神は決してその働きをやめてはいない。それどころか、ますます多くの人々が神の働きと言葉を受け入れている。神は人類の一人一人を救うためにできる限りのことをしているからである。私たちは、いかなる国家も勢力も神が果たそうと願うものの前に立ちはだかることはできないと信じている。神の働きを妨害し、神の言葉に抵抗し、神の計画をかき乱し、阻害する者たちは最終的には神に罰される。神の働きに逆らう者は地獄に送られる。神の働きに反抗する国家は滅ぼされる。神の働きに反対するために立ち上がる民族は地上から一掃され、消滅する。私は、すべての民族、国家、さらには産業界が神の声に耳を傾け、神の働きに目をやり、人類の運命に留意し、ひいては神をもっとも聖なる、至尊の、至高の、唯一の礼拝の対象とし、アブラハムの子孫がヤーウェの約束の下に暮らしたように、最初に神によって造られたアダムとエバがエデンの園で暮らしたように、人類全体が神の祝福の下に生きることができるようにすることを強く勧める。

        神の働きは強く打ち寄せる大波のようなものである。誰も神を引き留めることはできないし、誰も神の歩みを停止させることはできない。神の言葉に注意深く耳を傾け、神を探し求め、渇望する人々だけ神の歩みをたどり、神の約束を受けることができる。そうしない者は圧倒的な災難を被り、当然の罰を受ける。