996 道の最終行程をしっかり歩むには
1 今この言葉が語られたことをあなたは覚えておかなければならない。後に、あなたはさらに大きな困難と苦難を経験するからである。完全にされることは単純なことでも簡単なことでもない。少なくともヨブのような信仰、あるいはそれ以上の信仰をもっていなければならない。将来の試練はヨブの試練よりも大いなるものであり、その上に長期的な刑罰を受けなければならないことを知るべきである。それは簡明なことであろうか。自分の素質を向上させることができず、理解力が不足し、あまりに何も知らなければ、その時あなたには証しはなく、その代わりにサタンの冗談や玩具となる。現在、ビジョンを持ち続けることができないならば、あなたにはまったく基礎がなく、将来あなたは捨て去られる。
2 道はどの行程も歩み難いので、これを軽くとらえてはならない。今このことを入念に斟酌して準備し、道の最終行程を適切に歩めるようにしなさい。それが将来歩むべき道であり、あらゆる人が歩むべき道である。この認識に注目しないで放置してはならない。わたしがあなたに話すことはすべて息の無駄使いだと考えてはならない。あなたがこれをすべて役立たせる日が来る。わたしの言葉が無駄に語られることはありえない。今は備える時、将来のために道を整える時である。後に歩むべき道を準備し、将来いかに揺るぎなく立つことができるかを心配し、憂慮し、将来の道に向けて周到に準備すべきである。貪欲で怠惰になってはならない。
3 できる限りを尽くして時間を最大限に活用し、必要なことをすべて得られるようにしなければならない。わたしはあなたが理解できるようにあなたにすべてを与えている。さらに大いなる苦難を経験して、あらゆる人において真の認識が達成される。それが働きの過程である。今日伝えられたビジョンを完全に理解して、真の霊的背丈を得たならば、今後どのような苦難を受けようとも、あなたはそれに圧倒されることはなく、それを耐えしのぐことができる。わたしが働きのこの最終段階を完了し、最後の言葉を述べ終えた時、将来において人は自らの道を歩まなければならない。これは前に述べられた言葉を成就することになる。すなわち聖霊には一人ひとりのための任務と、一人ひとりの中で行なうべき働きがある。
『神の出現と働き』「あなたは道の最終行程をいかに歩むべきか」(『言葉』第1巻)より編集