第12章 神の国の時代の憲法、行政命令、戒律についての言葉
595. わたしの計画した働きは、一瞬もやむことなく進行している。神の国の時代に入って、あなたがたをわたしの国にわが民として移したので、新たにあなたがたに要求することがある。つまり、あなたがたの前に、この時代を統治する憲法の公布を始めるのである。
わが民と呼ばれているのだから、わたしの名に栄光をもたらさなければならない、つまり、試練の只中において証しするのである。もし誰かがわたしを騙して真実をわたしから隠そうとしたり、わたしの陰で不名誉な行為を働こうとしたりするなら、そのような者は例外なくわたしの家から追い出されて排除され、わたしに取り扱われるのを待つことになる。過去にわたしに対して不誠実かつ親不孝であって、今日再び立ち上がり、公然とわたしを裁こうとする人たちもまた、わたしの家から追い出される。わが民である人々は、常にわたしの負担を気づかい、また、わたしの言葉を知るように努めなければいけない。そうした人々だけをわたしは啓き、彼らは必ずわたしの導きと示しの下で生き、けっして刑罰を受けない。わたしの負担を思いやらず、自分の未来を計画することに集中する者、つまり、行いによってわたしの心を満足させることを目指さず、それよりは施しをねだる者、そうした乞食のような人々を使うことをわたしは絶対に拒む。そうした人々は、生まれたときから、わたしの負担を思いやるということの意味を何も知らないからである。彼らは正常な理知に欠ける人である。そうした人々は、脳の「栄養不足」に陥っていて、何か「栄養」をとるために家に帰らなければならない。わたしは、そうした人々に何の用もない。わが民の中で、すべての人はわたしを知ることを、食べる、着る、眠るといった、一瞬も忘れないことのように、最後まで行うべき必須の務めとみなし、しまいには、わたしを知ることが食べることのように慣れ親しんだ技術、何の努力もなしにする手馴れた動作になるようにしなければならない。わたしの話す言葉については、どの一言も絶対に確かなものとし、完全に吸収されなければならない。おざなりの、その場しのぎであってはならない。誰でも、わたしの言葉に注意を払わない者は、真っ向からわたしに敵対しているとみなされる。誰でも、わたしの言葉を食べない者、あるいは、知ろうとしない者は、わたしに注意を払っていない者とみなされ、すぐさま、わたしの家の戸口から掃き出される。なぜなら、わたしが以前に述べたように、わたしが望むのは大勢の人々ではなく、優秀な者だからである。百人の中から、たった一人がわたしの言葉を介してわたしを知るようになるなら、わたしは喜んでその他の者たちを捨て去り、そのたった一人を集中的に啓き照らそう。このことから、多数だけでは必ずしもわたしを表現し、生きることができないことがわかる。わたしが望むのは、(実が詰まっていなくとも)麦であり、(たとえ実がいっぱいに詰まった立派なものでも)毒麦ではない。追い求めることには関心がなく、怠惰な行動をする者たちは、自分から立ち去るべきである。わたしはもう彼らを見たくない。彼らがわたしの名を汚すことのないように。
『神の出現と働き』「全宇宙への神の言葉、第五章」(『言葉』第1巻)
596. わたしは誰をも急いで罰することはせず、誰をも不当に扱うことはなく、すべての者に対して義である。わたしはわたしの子らを間違いなく愛し、わたしに反抗する悪人たちを間違いなく憎む。これがわたしの行動の背後にある原則である。あなたがた一人一人が、わたしの行政命令について何らかの識見を得なければならない。そうでないと、わずかな恐れも持たず、わたしの前で不注意に行動することになる。さらに、わたしが何を完全にしたいのか、何を成し遂げたいのか、何を得たいのか、またわたしの国がどんな人間を必要としているのかも理解できないことだろう。
わたしの行政命令は次のとおりである。
1) 誰であれ、心の中でわたしに逆らう者は裁かれる。
2) わたしに選ばれた者たちは、間違った考えを持つとただちに懲らしめられる。
3) わたしを信じない者は、脇へ置いておき、最後の最後まで不注意に話し行動させておく。そして最終的に、徹底的に罰し懲らしめることになる。
4) わたしはいかなる時も、わたしを信じる者を守り世話する。そしていかなる時も、救いを通して彼らにいのちを与える。その人々はわたしの愛を得ることになり、決して躓いたり、道を見失ったりすることはない。彼らの持つどんな弱さもただ一時的なものとなり、わたしは決してそれらを思い出さない。
5) 信じているように見えても本当は信じてない者たち、すなわち神がいることは信じているがキリストを求めはせず、かといって抵抗もしない者たちは、最も惨めな種類の人々である。わたしは自らの業を通して、彼らにはっきりと理解させる。そのような人々はわたしの行為を通して救い、取り戻すことになる。
6) 長子たち、すなわちわたしの名を最初に受け入れた者たちは、祝福されることになる。あなたがたには必ずや最高の祝福を授け、それを心ゆくまで楽しめるようにしよう。誰一人それを妨げることはないだろう。これはすべて、あなたがたのために完全に用意されている。これがわたしの行政命令だからだ。
『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第五十六章」(『言葉』第1巻)
597. わたしは今、わたしの国の行政命令を布告する。すべてがわたしの裁きの内にあり、すべてがわたしの義の中にあり、すべてがわたしの威厳の中にある。わたしはすべての者に対して義を実践する。わたしを信じると言いながら心の奥でわたしに背く者や、心でわたしを捨てた者は追放されることになるが、すべてはわたしの時に応じて行われる。人に知られぬようにわたしのことを皮肉を込めて話す者は、ただちに死ぬであろう(彼らは霊も魂も肉体も滅びることになる)。わたしの愛する者たちを弾圧したり冷遇したりする者は、わたしの憤りによってただちに裁かれるだろう。つまり、わたしの愛する者たちに嫉妬心を抱き、わたしのことを義でないと思う者は、わたしの愛する者たちに引き渡され、裁かれることになる。品行方正な者、質素な者、正直な者(知恵がない者も含む)、そしてひたむきな誠実さでわたしに尽くす者は、みなわたしの国に留まる。訓練を受けていない者たち、つまり正直だが知恵と見識に欠けている者たちは、わたしの国で権力を持つことになる。しかし彼らも取り扱かわれ打ち砕かれてきたのだ。彼らが訓練を受けていないというのは絶対的なことではなく、むしろそのことを通して、わたしが全能性と知恵をすべての者に示すのだ。今もわたしを疑う者はすべて追放される。わたしはその中の一人も欲さない(このような時にまだわたしを疑っている者は非常に忌まわしい)。わたしは全宇宙にわたって行う業により、わたしの行為の素晴らしさを誠実な人々に示し、それによって彼らの知恵、見識、識別力を高める。そして不正直な人々は、わたしの驚くべき業によって一瞬のうちに滅ぼされる。最初にわたしの名を受け入れた長子たち(あの聖く穢れなき正直な人々)は皆、真っ先に神の国に入り、わたしと共に万国万民を支配し、神の国で王として治め、万国万民を裁くことになる(これは神の国のすべての長子たちを意味し、それ以外の者ではない)。万国万民の中で裁きを受けて悔い改めた者は、わたしの国に入り、わたしの民となる。一方、頑なで悔い改めない者たちは、底なしの穴に投げ込まれる(そして永遠に滅ぼされる)。神の国での裁きは最後の裁きとなり、それによってわたしは世界を完全に清めることになる。それ以降はもはやどんな不正も、悲しみも、涙も、嘆息もなくなり、そしてそれ以上に、世界も存在しなくなる。すべてはキリストの現れとなり、すべてがキリストの国となるのだ。何という栄光か!何という栄光だろうか!
『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第七十九章」(『言葉』第1巻)
598. 今、わたしはあなたがたに行政命令を公布する(これは公布したその日から有効であり、人々に応じてそれぞれの刑罰を割り当てる)。
わたしは約束を守り、すべてはわたしの手の中にある。疑う者は誰でも必ず殺される。考慮の余地はない。彼らはただちに根絶やしにされ、わたしの心からは嫌悪が取り除かれる。(これ以降、殺されるものは決してわたしの国に属する者ではなく、サタンの子孫に違いないことが確定する。)
あなたがたは長子として自分の立場を守り、自分の本分をしっかりと尽くし、他人のことに首を突っ込んではならない。あなたがたはわたしの経営(救いの)計画のために身を捧げ、行く先々でわたしをよく証しし、わたしの名を賛美しなければならない。恥ずべき行いはせず、わたしの子らやわたしの民すべての模範となりなさい。一瞬たりとも慎みをなくしてはならない。誰の前にも常に長子という身分で現れ、卑屈な態度をせず、胸を張って堂々と歩かなければならない。あなたがたにはわたしの名前を賛美し、それを汚さないよう求める。長子たちはそれぞれ自分の役割を持っており、何でもしてよいわけではない。これはわたしがあなたがたに与えた責任であり、それを逃れてはならない。あなたがたはわたしが委ねたことを全身全霊で、全力を用いて果たすことに専念しなければならない。
この日から長子たちには、世界中の至る所でわたしの子らとわたしの民をすべて牧養するという本分が委ねられる。それを全身全霊で遂行できない者は、誰であろうとわたしが罰するだろう。これはわたしの義である。わたしは長子たちでさえ、大目に見ることも容赦することもない。
わたしの子らかわたしの民の中に、わたしの長子の誰かを馬鹿にしたり侮辱したりする者がいれば、わたしはその者を厳しく罰するだろう。わたしの長子たちはわたし自身を表しており、誰かが彼らに対してすることは、わたしに対してすることでもあるからだ。これはわたしの行政命令の中でもっとも厳しいものである。わたしの子らや民の中にこの命令に背く者がいれば、わたしは長子たちに、わたしの義を思うさま実践させる。
わたしを軽薄に扱い、わたしの食べ物や衣服や睡眠にだけ注目する者、わたしの外面的事柄だけに関心を向けてわたしの重荷を考慮しない者,自分自身の役目をきちんと果たすことに注意を払わない者を、わたしはみな着々と見捨てていく。これは聞く耳を持つ者すべてに向けられている。
わたしへの奉仕を終えた者はみな、素直に粛々と引き下がらねばならない。注意しなさい、さもないとわたしはあなたを懲らしめることになるだろう。(これは補足的な命令である。)
わたしの長子たちは今から鉄の棒を手に取り、わたしの権威を示す行動を始め、すべての国家や民族を統治し、すべての国家や民族の間を歩き、わたしの裁きと義と威厳をすべての国家や民族の中で遂行することになる。わたしの子らとわたしの民は止むことなくわたしを畏れ、褒め称え、わたしに喝采を送り、わたしを賛美する。わたしの経営(救いの)計画は完遂され、長子たちはわたしと共に支配することができるからである。
これはわたしの行政命令の一部である。これ以降、わたしは働きの進み具合に応じて、あなたがたに行政命令を告げる。この行政命令から、あなたがたはわたしが行う働きの速度と、その働きがどの段階に達したかがわかるだろう。これは確認である。
『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第八十八章」(『言葉』第1巻)
599. 神の国の時代に神に選ばれた人々が従わなければならない行政命令十項目
(神の言葉の一篇より)
1) 人は自分を大きく見せてはならないし、崇めてもいけない。人は神を崇め、賛美するべきである。
2) あなたは神の働きのためになることは何でもするべきであり、神の働きに有害なことは一切してはならない。神の名、神の証し、神の働きを守るべきである。
3) 金銭、物質、神の家のすべての財産は、人が提供すべき捧げものである。これらの捧げものを享受するのは祭司と神だけである。人からの捧げものは神が享受するためのものであり、神はこれらの捧げものを祭司とだけ分かち合い、ほかの誰も、捧げもののいかなる部分であれ、享受するに相応しくなく、またそうする資格はないからである。人からの捧げものはすべて(金銭や享受できる物質的なものを含め)神に捧げられ、人には与えられない。それゆえ、これらのものを人は享受すべきではない。捧げものを享受するなら、その人は捧げものを盗んでいるのである。誰でもこのようなことをする人はユダである。ユダは裏切り者であることに加えて、金袋に入っているものも勝手に使ったからである。
4) 人の性質は堕落している。その上、人はさまざまな感情を持っている。そこで、神に仕える際、男女が二人きりで一緒に働くことは絶対に禁止される。誰でもそうしていることが見つかった者は除名され、これに例外はなく、誰も免除されない。
5) あなたは神を批判してはならず、不用意に神に関連する事柄について話してはならない。人が行動すべき仕方で行動し、話すべき仕方で話し、自分の限度を越えてはならず、自分の境界を逸脱してもならない。口を慎み、自分の歩みに気をつけなさい。これらはすべて、神の性質を犯すことを防ぐであろう。
6) 人が行うべきことを行い、自分の責務を実行し、責任を果たし、本分を忠実に守るべきである。あなたは神を信じているのだから、神の働きに貢献するべきである。そうしなければ、あなたは神の言葉を飲み食いする資格がなく、神の家で暮らす資格もない。
7) 教会の仕事や事柄に関し、神に従うことは別として、すべてのことについて聖霊に用いられている人の指示に従うべきである。ほんのわずかな違反も受け入れられない。絶対的に順守するべきであり、正誤を分析してはならない。何が正しいか、間違っているかはあなたには関係がない。あなたは全面的に服従することだけを気にかけなければならない。
8) 神を信じる人は神に従い、神を礼拝すべきである。どんな人物をも、崇めたり、仰ぎ見たりするべきではない。神を第一位とし、仰ぎ見る人々を第二位とし、自分自身を第三位とすべきではない。誰もあなたの心の中に場所を占めるべきではなく、あなたは人々を、とりわけあなたが崇拝する人々を、神と劣らず、神と同等なものと考えてはならない。これは神にとって耐えられないことである。
9) あなたの思いは教会の仕事にあるべきで、自分の肉体の将来的展望は脇にやり、家庭問題については決然とし、心から神の働きに自己を捧げ、神の働きを第一にし、自分自身の生活は第二にするべきである。これが聖徒の礼儀正しさである。
10) 信仰のない家族(あなたの子供たち、夫または妻、姉妹、両親など)は強制的に教会に入会させられるべきではない。神の家はメンバーに不足しておらず、役に立たない人々で数を作り出す必要もない。喜んで信じない人は誰も、教会に導き入れてはならない。この命令はすべての人に向けられる。この件に関し、あなたがたはお互いに確認し、監視し、注意するべきである。だれでもこれを犯してはいけない。信仰のない家族が不本意に教会に入る時でさえ、彼らに書籍を与えたり、新しい名前を与えたりしてはならない。そのような人々は神の家には属しておらず、必要ないかなる手段を用いても彼らが教会に入ることは止めなければならない。もし悪魔が侵入したために教会に問題が持ち込まれたなら、あなた自身が除名されるか、またはいくつかの制約が課せられる。要するに、誰もがこの件に関して責任があり、無謀なことをしてはならず、個人的恨みを晴らすために使ってはならない。
神の出現と働き(『言葉』I)
600. 人々は自分の為すべき多くの本分を固守しなければならない。これが、人々が守りまた実行すべきことである。聖霊によって為されるべきことは、聖霊にまかせなさい。そこには人間の介入する余地はない。人間は人間によって為されるべきことを固守すべきであり、そこに聖霊との関係はない。これが正に人の為すべきことであり、それは旧約の時代に律法を守るのとちょうど同じように、戒めとして守るべきなのである。今は律法の時代ではないが、律法の時代の言葉と同一の多くの言葉がやはり存在し、それらを守らなければならない。そして、それらの言葉は、ただ聖霊によって感動させられることに頼ることで実行されるのではなく、それらは人が守るべき事である。例えば、実際の神の働きを裁いてはならない。神によって証しされている者に反抗してはならない。神の前では、自分の立場をわきまえ、放蕩であってはならない。あなたは口を慎み、自分の言葉と行動が神によって証しされている者の采配に従うものでなければならない。あなたは神の証しを敬い畏れなければならない。神の働きと神の口から出る言葉を無視してはならない。神の言葉の口調と目的を真似てはならない。外から見て、神が証しする者に明らかに逆らうことは一切してはならない。そしてその他のことも。これらは各人が守るべき事である。
『神の出現と働き』「新時代の戒め」(『言葉』第1巻)
601. 今日人が守るべきことにおいて、次のことよりも重要なことはない。目の前にいる神を騙したり、神から何かを隠したりしようと試みてはならない。あなたの前にいる神の前で、みだらなことや傲慢なことを言ってはならない。神の信頼を得ようとして、あなたの目の前の神を上手い言葉やたくみな話で欺いてはならない。神の前で不遜なふるまいをしてはならない。あなたは神の口から出る全ての言葉に従うべきであり、それに対し抵抗したり、逆らったり、反論してはならない。神の口から出る言葉を自分勝手に解釈してはならない。あなたの舌を戒めなければならない。悪い者の偽りの計略に陥らないよう、あなたは口を慎むべきである。神があなたのために定めた境界線を超えないよう、あなたの歩みに注意しなければならない。そんなことをすればあなたは、神の観点から、自惚れた大げさな言葉を話すことになり、その結果神に忌み嫌われる。神の口から出た言葉をむやみに広めてはならない。でなければ他人があなたをあざけり悪魔が嘲笑するだろう。今日の神の働きの全てに従わなければならない。たとえそれが理解できなくても、それを裁いてはならない。あなたにできることは、ひたすら探求し、交わりを持つことだけである。誰も神の本来の地位を超えてはならない。あなたにできるのは、人間としての立場から、今日の神に奉仕することだけである。人間としての立場から今日の神を教えてはならない――そうすることは道に外れたことである。誰も神によって証しされている者の地位に立ってはならない。あなたがたの言葉、行動、最奥の思いにおいて、人間としての立場に立ちなさい。これは守るべきことであり、人間の責任であり、変更することは誰にも許されず、そうすることは神の行政命令に背くことである。これは全ての人が覚えておくべきことである。
『神の出現と働き』「新時代の戒め」(『言葉』第1巻)
602. わたしが語るすべての文は権威と裁きを備えており、誰もわたしの言葉を変えることはできない。わたしの言葉が発せられると、物事は間違いなくその言葉に従って成し遂げられる。それがわたしの性質である。わたしの言葉は権威であり、それを改変する者は誰であれわたしの刑罰に背いているため、打ち倒さなければならない。深刻な場合、彼らは自分自身のいのちに破滅をもたらし、冥府か底なしの穴に落ちることになる。これはわたしが人類を取り扱う唯一の方法であり、人間にそれを変える術はない――これがわたしの行政命令である。このことを憶えておきなさい。誰もわたしの行政命令に違反してはならず、物事はわたしの旨に従って行われなければならないのだ。これまでわたしはあなたがたに甘くし過ぎて、あなたがたはわたしの言葉だけに直面してきた。わたしが人々を打ちのめすことについて語った言葉は、まだ実現していない。しかし今日からはあらゆる災害(わたしの行政命令に関連する災害)が、わたしの旨に従わないすべての者たちを罰するため、次から次へと降りかかるだろう。事実の到来がなければならない、そうでないと人々はわたしの怒りを見ることができず、繰り返し放蕩に耽るだろう。これはわたしの経営(救いの)計画の一段階であり、わたしが次の段階の働きを行うやり方である。このことをあらかじめ伝えておくのは、あなたがたが過ちを犯して永遠の地獄に落ちることを避けられるようにするためだ。すなわちわたしは今日から、わたしの長子を除くすべての人々を、わたしの旨に従って適切な場所に就かせ、一人ずつ罰する。誰一人として見逃しはしない。もう一度放蕩に耽ろうとしてみるがよい。もう一度反抗しようとしてみるがよい。以前、わたしはすべての者に対して義であり感情のかけらもないと言ったが、それはわたしの性質が侵すべからざるものであることを示している。これがわたしの本体であり、誰もそれを変えることはできない。すべての人がわたしの言葉を聞き、すべての人がわたしの栄光に満ちた顔貌を見る。すべての人はわたしに完全に、そして絶対に従わなければならない――これがわたしの行政命令である。全宇宙と地の隅々に至るまで、すべての人々がわたしを賛美し、その栄光を讃えなければならない。わたしは唯一の神自身であり、神の本体であるからだ。誰もわたしの言葉や発言、話やふるまいを変えることはできない。それらはわたしだけの問題であり、太古の時代からわたしが所有してきたもので、永久に存在するからである。
『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第百章」(『言葉』第1巻)
603. わたしの裁きはすべての者に下り、わたしの行政命令はすべての者に及び、わたしの言葉と本体はすべての者に露わにされる。今はわたしの霊による大いなる働きの時である(ここで祝福される者と災いを受ける者が区別される)。わたしの言葉が発せられるやいなや、祝福される者と災いを受ける者が区別されたことになる。すべてはこの上なく明瞭であり、わたしにはすべて一目で見分けられる。(これはわたしの人間性について言っているのであり、わたしが行なった予定と選択に矛盾するものではない)。わたしは全宇宙の山と川と万物の間を行き巡り、あらゆる場所を観察し清める。そして汚れた場所やみだらな地はすべて、わたしの言葉によって消え去り、燃やし尽くされて無に帰すのだ。わたしにはすべてが容易だ。もしも今が世界を滅ぼすようわたしが予定した時であるなら、わたしはただ一つの言葉を発して世界を呑み込むこともできるが、今はその時ではない。わたしがこの働きをする前にすべてが準備され、計画への妨害や経営の中断が起こらないようにしなければならない。わたしはそれを合理的に行う方法を知っている。わたしには知恵があり、わたし自身の采配がある。人々は指一本動かしてはならない――わたしの手によって殺されないように気をつけなさい。これはすでにわたしの行政命令に触れている。このことから人はわたしの行政命令の厳しさだけでなく、その背後にある原則も見ることができる。その原則には二つの側面があり、一つはわたしの旨に適わず行政命令に違反するすべての者が殺されるということで、他方はわたしの行政命令に違反するすべての者がわたしの怒りの中で呪われるということだ。この二つの側面は不可欠であり、わたしの行政命令の背後にある大原則である。すべての人は、どれほど忠実かによらず、この二つの原則に従って感情なしに扱われる。これはわたしの義、威厳、そして怒りを示すのに十分であり、それらが地上のすべてのもの、世のすべてのもの、そしてわたしの旨と一致しないすべてのものを焼き尽くすのだ。わたしの言葉の中には隠されたままの奥義があり、また同時に、露わにされた奥義もある。そのため人間の観念に従えば、人間の心の中ではわたしの言葉は永遠に理解不能であり、わたしの心は永遠に計り知れないのだ。つまり、わたしは人間に観念と思考を捨て去らせなければならない。これはわたしの経営(救いの)計画の最も重要な事項である。わたしは長子たちを獲得し、成し遂げたいことを成し遂げるため、それをそのように行わねばならないのだ。
『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第百三章」(『言葉』第1巻)
604. 古い世界が存続する間、わたしは国々の上に怒りを投げつけ、わたしの行政命令を全宇宙に公布し、違反する者には刑罰を下す。
わたしが全宇宙に向かって話すと、人間はみなわたしの声を聞き、そこで、わたしが全宇宙で行なってきた業を見る。わたしの心に逆らう者、つまり、人間の行いでわたしに敵対する者は、わたしの刑罰を受けて倒れる。わたしは天の多くの星々を取ってそれらを新しくし、わたしにより、太陽と月は新たになる――空はもはや以前のものではない。地上の無数の物事が新たになる。すべては、わたしの言葉により完全になる。全宇宙の多くの国々は新たに区切られ、わたしの国に置き換わる。それにより、地上の国々は永遠に消え去り、すべてがわたしを崇める一つの国になる。地上のすべての国々は破壊され、存在しなくなる。全宇宙の人間のうち、悪魔に属する者はみな、滅ぼし尽くされる。サタンを礼拝する者はみな、わたしの燃える炎に倒れる――つまり、今、流れの中にいる者以外は、灰になるのだ。わたしが多くの民を罰するとき、宗教界にいる者は、わたしの業に征服され、程度の差はあれ、わたしの国に戻る。彼らは聖なる方が白い雲の上に乗って降臨するのを見たからである。人間はみな、種類に従い、それぞれの行いに応じて刑罰を受ける。わたしに敵対した者たちは、みな滅びる。地上での行いがわたしと関わりのなかった人たち、その人たちは、自分たちの行いによって、地上にわたしの子らとわが民の支配下で存在を続ける。わたしは無数の人々と無数の国々にわたしを現し、わたしは自ら声を発して地上にわたしの大いなる働きの完了を告げ、全人類が自分たちの目でそれを見られるようにする。
『神の出現と働き』「全宇宙への神の言葉、第二十六章」(『言葉』第1巻)