終わりの日のキリストから発せられる言葉(選集)

目次
  • 第一部 全宇宙に向かって語った神の言葉 (キリストが初めに語った言葉) (抜粋)
    • 第二部 キリストが諸教会の間を歩いた時の言葉 (抜粋)
      • 第三部 キリストが自分の業の後期に語った言葉 (抜粋)

        キリストは、真理を以て裁きの働きを行う

        終わりの日の働きとは、時が近づき神の日が来たので、神の経営(救いの)計画を完成させるべく、その者の性質に応じて全ての人を分けることである。神はその国に入った者、すなわち神に最後まで忠実であった全ての者たちを神自身の時代に連れて来る。しかし、神自身の時代が来る前に、神がしたい働きとは、人の行為を観察したり、人の生活について尋ねたりすることではなく、人の神に対する背きを裁くことである。なぜなら、神は自分の玉座の前に来る者全てを清めるからである。今日まで神に付き従ってきた全ての者は、神の玉座の前に来た者であるから、神の最後の働きを受け入れる全ての者が、神によって清められる者である。すなわち、神の最後の働きを受け入れる全ての者が、神の裁きを受けることになる者である。

        以前に話した通り、裁きは神の家により始まる。この「裁き」とは、終わりの日に神の玉座の前に来る者に対して今日神が下す裁きのことを指す。終わりの日が来た時、神は天空に大きなテーブルを用意し、その上には白いテーブルクロスが広げられ、神は偉大な玉座につき、全ての人は地に跪く。そこで神は、その者が天国に昇るべきか燃える硫黄の湖に送られるべきかを決めるため、各々が犯した全ての罪を明らかにする―そのような超自然的な様子を想像する人がいるかもしれない。人の想像がどのようなものであろうとも、神の働きの本質は変わらない。人の想像は、人の思考による構築物にすぎず、人の脳に由来しており、人が見聞きしたものから組み立てられている。だから、いかに素晴らしくイメージが構想されていたとしても、それはやはり絵画にすぎず、神の働きの計画の代替物にはなり得ない。結局のところ、全ての人はサタンにより堕落しているのだから、どうして神の考えを推し量ることができようか。人は、神による裁きの働きを特に素晴らしいものと想像する。人は、神自身が裁きの働きをするのだから、とてつもない規模の、人間には理解出来ないようなものに違いないと考える。天に鳴り響き、地を揺らすはずだ、そうでなければ、神による裁きの働きにはなり得ない、そう考える。これは裁きの働きなのだから、神の働く様子は特に堂々と威厳のあるもので、裁かれている者は泣き叫び、ひざまずいて哀れみをもとめるに違いない、そう考える。そしてその光景は厳粛で熱気を帯びる…。誰もが神の裁きの働きは伝説的なものだと感じる、そのようなもののはずだと。しかし、神が人の間で裁きの働きを始めてから長い時間がたっても、あなたはまだ眠りを貪っていることを知っているか。あなたが神の裁きの働きが正式に始まったと思う時には、神が天と地を変える時が既に来ていることを、あなたは知っているか。その時、もしかしたらあなたは人生の意味をようやく理解したところかもしれないが、容赦ない神の懲罰の働きが、まだまどろんでいるあなたを地獄に送る。その時あなたは、神の裁きの働きが既に終わったことに突然気づくのだ。

        貴重な時間を使ってこんな忌まわしく嫌な話をするのは止めよう。それより、どのようなことが裁きを構成するかについて話そう。「裁き」という言葉を聞けば、ヤーウェがあらゆる場所に向けて語った言葉と、イエスがパリサイ人に語った非難の言葉を思い浮かべるだろう。こうした言葉は非常に厳しいものだが、神の人に対する裁きの言葉ではない。こうした言葉は、いろいろな状況、つまりそれぞれ異なる背景で神が語った言葉にすぎず、神が終わりの日に人を裁くときにキリストが語る言葉とは違う。終わりの日には、キリストはさまざまな真理を用いて人を教え、人の本質を明示し、その言葉や行為を解剖する。こうした言葉には、人の本分、人はいかに神に従うべきか、人はいかに神に忠実であるべきか、いかに正常な人間性を生きるべきか、そして神の知恵と性質など、さまざまな真理が含まれる。これらの言葉は、みな人の本質とその堕落した性質に焦点を当てている。とりわけ、いかに人が神を拒絶するかを明らかにする言葉は、人がサタンの化身であり、神に敵対する力であることを語っている。神が裁きの働きを行う際、神はほんの数語で人の本性を明示するのではなく、長期にわたって暴き、取り扱い、刈り込みをする。そうした暴き、取り扱い、刈り込みは、通常の言葉に置きかえることはできず、人が持つことなどない真理でしか置きかえられない。そうした働きのしかたのみが裁きとみなされる。そうした裁きを通じてのみ、人は説得され、神への服従に完全に納得し、神の真の認識を得ることができる。裁きの働きがもたらすものは、人による神の真の顔の理解と、自らの背きに対する真の理解である。裁きの働きにより、人は神の心、神の働きの目的、それまで人には理解できなかった奥義について大いに理解できるようになる。また、人が自分の堕落した本質と堕落の根源を認識し理解し、人の醜さを発見するようになる。これらの効果は全て、裁きの働きによりもたらされる。というのも、裁きの働きの本質は、実際に神を信じる全ての者に、神の真理、道、いのちを開く働きだからだ。これが、神がなす裁きの働きである。もしあなたがこうした真理を重視せず、避けたり、別の道を考え出そうと常に考えたりしているなら、あなたはひどい罪人だとわたしは言おう。もしあなたが神を信じていても、神の真理やその心を追求せず、あなたを神に近づける道を愛さないなら、あなたは裁きを逃れようとしている者だとわたしは言おう。あなたは、偉大な白い玉座から逃れる操り人形であり裏切り者で、神は自分の目から逃れようとする反抗者を誰ひとり容赦しない。そうした人は、更に重い懲罰を受ける。裁かれるために神の前に来たもので清められている者は、永遠に神の国に住むことになる。もちろん、これは将来のことだ。

        裁きの働きは神自身の働きなので、当然、神自身が行う。神の代わりに人が行うことはできない。裁きは真理を通した人への征服なので、人の間でこの働きを行うため、神はやはり受肉した姿で現れることは疑う余地がない。つまり、終わりの日には、キリストが真理を用いて地球上の人を教え、真理を用いて彼らに真理を全て明らかにする。これが、神による裁きの働きだ。多くの者が、神の二度目の受肉について受け入れ難いものを感じる。なぜなら、神が受肉して裁きの働きを行うことは、人には信じ難いからだ。しかしわたしはあなたに告げなければならない。神の働きは往々にして人の予測をはるかに超えるもので、人の頭がそれを受け入れるのは難しいのだと。というのも、人は地上のウジ虫にすぎないが、神は宇宙を満たす至高の存在だ。人の頭は、ウジ虫しか生み出さない汚い水たまりに過ぎないが、神の考えに支配されたひとつひとつの働きは、神の知恵によるの結晶だ。人は、常に神に敵対することを望む。それなら結局誰が負けることになるかは自明だと、わたしは言おう。わたしは強く勧める、あなたがたがみな自分を金より重要だとみなさないようにと。もし他の人たちが神の裁きを受け入れられるなら、なぜあなたはできないのか。彼らに比べてあなたがどれほどの高みにいるというのか。もし他の人たちが真理の前に頭を垂れるなら、なぜあなたも同様にできないのか。神の働きの偉大な潮流を止めることはできない。神は、あなたの「功績」のために裁きの働きを繰り返すことはなく、あなたはそんな好機を逃したことを痛烈に後悔するだろう。もしあなたがわたしの言葉を信じないなら、天の偉大な白い玉座があなたの上に「裁きを下す」のを待つが良い!あなたは、全てのイスラエル人がイエスを拒絶し否定したにも関わらず、イエスによる人類への贖罪はいまだに世界の果てまで広がっているという事実を知るべきだ。これは、神がはるか昔に実現した事実ではないのか。もしあなたがまだイエスによって天に引き上げられるのを待っているのなら、あなたは頑固な一片の枯れ木[a]だとわたしは言おう。イエスは、あなたのように真理に忠実でなく、祝福だけを求める偽の信者を認めないだろう。それどころか、神は容赦なく、何万年も焼かれるために火の湖にあなたを投げ入れるだろう。

        これで裁きとは何か、真理とは何かを理解できたか。もし理解できたなら、あなたが裁きに従うよう熱心に勧める。さもなければ、神に賞賛されることも、神にその国に連れて行ってもらうことも決してないのだ。裁きは受け入れるが清められることのない者、すなわち裁きの働きの最中に逃げ出すような者は、永遠に神に嫌われ拒絶される。彼らの罪は、パリサイ人の罪よりも、ずっと多く、ずっと重い。なぜなら、彼らは神を裏切り、神に背いたからだ。仕えさえするに値しないそんな人間は、さらに過酷で終わることのない懲罰を受ける。言葉で忠誠を誓いながら裏切るような者を、神は見逃さない。そのような者は報いとして、霊、魂、そして体に懲罰を受けることになる。これは、神の義なる性質を明示しているのではないだろうか。これこそ、まさに神の裁きと人の明示の目的ではないのか。神は、裁きの時にあらゆる邪悪な行いをした者全てを、邪悪な霊が生きる場所に置き、彼らの肉体を霊の意志により破壊されるようにする。彼らの肉体は、死臭を放つ。それが彼らにふさわしい報いなのだ。神は、不忠実な偽の信者、偽の使徒、偽の働き人の罪をひとつ残らず彼らの記録に書き留め、その時が来れば、霊が彼らの肉体をそっくり霊により思うままに汚されるよう、神は彼らを不潔な霊の渦中に放り込む。その結果、彼らは二度と肉体をもつことはなく、二度と光を見ることはない。一度は神に仕えたが、最後まで忠実であり続けられなかった偽善者は、神により悪人として数えられるので、彼らは悪人とぐるになり、烏合の衆となる。最終的に、神は彼らを滅ぼす。神は、キリストに一度も忠実でなかった者や神のために何の努力もしたことのない者を排除し、顧みることはなく、時代が変わる時に彼らをひとり残らず滅ぼす。彼らは、もはや地上に存在せず、神の国へ入れてもらうことなど無論ない。神に対して誠実であったことはないが、強引に神により取り扱いを受けた者は、神の民のために奉仕する者として数えられる。そうした者たちのごく一部だけが生き延び、大多数は奉仕をする資格さえない者たちと共に消えゆくだろう。最後に神は、神と同じ心を持つ全ての者、神の民と子ら、そして祭司として定められた者たちを、自分の国に迎え入れる。これが、神の働きを通して生まれる神による結晶だ。神が定めた種別のどれにも属せない者については、異邦人として数えられる。彼らの結末がどうなるか、もちろん想像できるだろう。わたしは既に、あなたがたに言うべきことを全て言った。あなたがたがどの道を選ぶのか、それはあなたがたの決断次第だ。あなたがたは次のことを理解しなければならない。神の働きは、神についていけない者のために待ってくれることはなく、神の義なる性質は、誰にも哀れみをかけない。

        脚注:

        a. 一片の枯れ木:中国の成語で、「望みのない事例」を意味する。