78 裁きと刑罰において人の子の姿を見る
1 刑罰と裁きを連発する中で、人の子は言葉を話すことによって本来の性質を表現し、その刑罰と裁きを受け入れるすべての人々が人の子の本当の顔、ヨハネが見た人の子の顔の忠実な描写である顔を見ることを認める。(もちろん、このすべては神の国の時代の神の働きを受け入れない人々には見えないだろう。)神の本当の顔は人間の言葉では十分明確に表現することはできないので、神はその本来の性質の表現を用いて人に本当の顔を示す。すなわち、人の子の本来の性質を経験した人々はすべて、人の子の本当の顔を見たのである。神はあまりに偉大なので、人の言葉で十分明確に表現することができないからである。
2 いったん神の国の時代における神の働きの各段階を経験したら、ヨハネが燭台の明かりの中にいる人の子について語った言葉の意味を人は知るだろう。「そのかしらと髪の毛とは、雪のように白い羊毛に似て真白であり、目は燃える炎のようであった。その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、声は大水のとどろきのようであった。その右手に七つの星を持ち、口からは、鋭いもろ刃のつるぎがつき出ており、顔は、強く照り輝く太陽のようであった」。その時、あなたは、これほどの多くの言葉を語ったこの普通の人間が、本当は二度目の受肉した神であることをまったく疑う余地なく知るだろう。そしてあなたは自分がいかに祝福されているかを本当に感じ、自分がもっとも幸運であると感じるであろう。あなたはこの恩恵を受け入れたくないだろうか。
『神の出現と働き』「序文」(『言葉』第1巻)より編集