753 神のなすことはすべて人を救うため
1 神が行なうことはどれも必要であり、そこには並外れた意義があります。なぜなら、神が人において行なうすべてのことは、神の経営と人類の救いに関連するからです。神が何を行なうか、その手段がどのようなものか、代価がどれほどのものか、および神の目標がどのようなものかにかかわらず、神の業の目的は変わらないのです。神の目的は自身の言葉を人の中に働かせること、そして人間に対する自身の要求と旨を人の中に働かせることです。つまり、肯定的だと信じるすべてのものを、自身の歩みに応じて人間に対して働かせ、人間が神の心を理解できるようにし、神の本質を把握できるようにするとともに、神の支配と采配に従えるようにすることで、神を畏れて悪を避けるようにするためです。これらが、神が行なう一切のことにおける、神の目的の一つの側面です。
2 もう一つの側面は、サタンが引き立て役で神の働きに役立つものなので、人間がしばしばサタンに与えられるということです。これは、サタンによる試みと攻撃の中、人々がサタンの邪悪さ、醜さ、そして卑劣さを見るために神が用いる手段であり、それによって人々はサタンを憎み、否定的なものを知って理解するようになります。この過程により、人々はサタンの支配、断罪、妨害、攻撃から徐々に解放され、やがては神の言葉のおかげで、そして神に関する認識と神への従順、神に対する信仰と畏れのおかげで、サタンの攻撃と断罪に勝利します。そうして初めて、人々はサタンの支配から完全に解放されるのです。
3 サタンからの解放とは、サタンが打ち負かされたという意味であり、人々がもはやサタンの餌食ではないということです。サタンは人々を飲み込む代わりに手放したのです。なぜなら、そのような人々は正しく、信仰をもち、従順であり、神を畏れ、サタンと完全に決別したからです。彼らはサタンを辱め、怖じ気づかせ、完全に打ち負かします。神に付き従うという彼らの信念、そして神への従順と畏れがサタンを打ち負かし、自分たちへの攻撃を諦めさせるのです。このような人たちだけが真に神のものとされ、それが人間を救う神の最終目標です。
『神を知ることについて』「神の働き、神の性質、そして神自身 II.」(『言葉』第2巻)より編集