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神の三つの段階の働きの実録精選

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律法の時代における神の主要な働き

律法の時代に、人類を導く働きはヤーウェの名によってなされた。そして第一段階の働きは地上で実行された。この段階の働きは神殿と祭壇を建てることで、律法を用いてイスラエルの人々を導き、彼らの間で働くことであった。イスラエルの人々を導くことによって、神は地上での働きの拠点を築いた。この拠点から、神はその働きをイスラエルを越えて拡張した。すなわち、イスラエルから開始して、神はその働きを外に向けて拡張した。それにより、後の世代が、次第にヤーウェが神であること、ヤーウェが天と地とすべてのものを創造し、すべての被造物を造ったことを知るようになった。神はイスラエルの人々を通してその働きを広めた。イスラエルの地は地上におけるヤーウェの働きの最初の聖なる地で、地上における神の最も初期の働きは、イスラエル全土でなされた。それが律法の時代の働きであった。

『言葉は肉において現れる』の「神の働きのビジョン(3)」より

最初、旧約聖書の律法の時代に人間を導くのは、子どもの生活を導くようであった。原初の人類はヤーウェから生まれたばかりのイスラエルの民であった。彼らはいかに神を崇めるべきかも、いかに地上で生きるべきかも分からなかった。言うなれば、ヤーウェは人類を創造したが、つまりアダムとエバを造ったが、ヤーウェをいかに崇めるかや、地上でのヤーウェの掟をいかに守るかを理解するための能力を人類に与えなかったのである。ヤーウェからの直接の導きなしには、誰もこのようなことを直接に知ることはできなかった。初めのうち人間はそのような能力をもっていなかったからである。人間はヤーウェが神であるということだけを知っており、いかに神を崇めるべきか、神を崇めるために何をするべきか、どのような心で神を崇めるべきか、神への畏敬のしるしとして何を捧げるべきかをまったく知らなかった。人間は、ヤーウェが創造した万物のなかで楽しめるものをいかに楽しむかということしか知らなかった。どのような地上での生活が神の被造物の生活としてふさわしいかということについて、人間は少しも知らなかった。指導なしには、直接導いてくれる誰かなしには、このような人間は決してちゃんとした生活をおくることはできず、密かにサタンの虜になることしかできなかった。ヤーウェは人類を創造したが、つまり人類の祖先であるエバとアダムを造ったが、それ以上に彼らに知性や知恵を与えなかった。彼らはすでに地上で暮らしていたが、ほとんど何も理解していなかった。そのためヤーウェの人類創造の働きは半分完了しただけで、決して完了していなかった。ヤーウェは土で人間の雛形を形作り、それに息を吹き入れただけで、人間に神を崇めようという十分な意欲を与えなかった。初めのうち、人間は神を崇めたり畏れたりする心をもたなかった。人間は神の言葉に耳を傾けることを知っていただけで、地上における生活についての基本的知識や適切な生活の規則に関しては無知であった。このようなわけで、ヤーウェは男と女を造り七日間の作業を終えたものの、人間をすっかり完成させなかった。人間は殻でしかなく、本当にひとりの人ではなかったからである。人は人類を創造したのはヤーウェだということだけを知っていたが、ヤーウェの言葉と律法にいかに従うべきかについては何も知らなかった。だから人類創造の後も、ヤーウェの働きは決して完成といえるようなものではなかった。ヤーウェはまた、人々が地上で共に暮らしヤーウェを崇めることができるように、ヤーウェに導かれた後、人々が地上における適切な人間としての生活をおくるための正しい道程に入れるように、ヤーウェの面前にて人間をしっかりと導かなければならなかった。これがなされて初めて、主にヤーウェの名の下で行なわれた働きはすっかり完成された。つまり、そうなって初めてヤーウェの世界創造の働きが完全に完了したのである。このように、ヤーウェが人類を創造して以来、人類がヤーウェの命令と律法に従い、地上における人間として適切な生活のあらゆる活動に携わることができるように、ヤーウェは人類の地上における生活を何千年間も導かねばならなかった。これで初めてヤーウェの働きはすっかり完成した。

『言葉は肉において現れる』の「神の働きのビジョン(3)」より

最初のイスラエル人は、ノアの子孫であった。これらの人々は、ヤーウェの息を持ち、生活における基本的な必要品をまかなうことができたが、ヤーウェがどんな神であるかを知らず、神の心、ましてや全ての創造物の主を畏れる方法など全く知らなかった。アダムの子孫は、彼らが従わなければならない規則や掟を知らず、創造されたものが、創造主にどんな仕事をすべきかを知らなかった。彼らが知っていたのは、夫は家族を養うために汗を流して労働し、妻は夫に従い、ヤーウェが創造した人類を永続させなければいけないということだけだった。つまり、この人々は、ヤーウェの息とその命だけを持っていて、神の律法への従い方あるいは創造主を満足させる方法は知らなかった。彼らは、あまりに理解が少なかった。したがって、彼らの心には、ゆがんだものやずるがしこいものは何もなく、嫉妬や闘争心はもっていなかったものの、全ての創造主ヤーウェを知らず、理解していなかった。彼ら人間の祖先は、ヤーウェが創ったものを食し、ヤーウェが創ったものを享受することは知っていても、ヤーウェを畏れることは知らなかった。彼らは、跪き、ヤーウェを礼拝すべきことを知らなかった。なぜ彼らを神の創造物と呼べようか。したがって、「ヤーウェは全ての創造主である」や「神は、自分の表現として人を創り、彼に栄光を与え、自身を現すこととした」と話すことは無駄ではなかっただろうか。ヤーウェを畏れない人々が、どうしてヤーウェの栄光の証しとなり得るだろうか。どうして彼らがヤーウェの栄光の表現になれるだろうか。このとき、ヤーウェの言葉「わたしは、わたしに似せて人を創った」は、悪の存在であるサタンの掌中の武器にならないだろうか。これらの言葉は、ヤーウェが人を創造したことへの不名誉の印にならないだろうか。働きのそのような段階を完了するため、ヤーウェは、人類を創った後、アダムからノアまで人類への教示または導きをしなかった。彼がアダムとノアの子孫であるイスラエル人を正式に導き始めたのは、やっと洪水の後になってからであった。イスラエルにおけるヤーウェの働きと言葉は、全土のすべての人々の生活を導いた。そして、ヤーウェは、人がヤーウェの命をもち、塵から形作られ、神の創造物になるように人に息を吹き込んだだけでなく、人類を支配するための杖を使って人類を炎で焼くこともできるし、人類を呪うこともできることを、ヤーウェの働きと言葉によって人に示した――ヤーウェが地上で人の生活を導き、昼と夜との時間によって人の中で語り、働くことができるのを人が知るために。人はヤーウェにより拾い上げられた塵から来て、人はヤーウェより創られたということを創造物である人自身が知ることができるように、ヤーウェはひたすら働きを行った。さらにまた、他の人々と民族(実際にはイスラエルとは別の人々と民族ではなく、イスラエル人から分かれ出た人々と民族であり、依然としてアダムとエバの子孫である)が、イスラエルからヤーウェの福音を受け取るようになり、宇宙における全ての創造物がヤーウェを畏れ、ヤーウェを崇めるようになるために、ヤーウェはイスラエルで働きを始めた。イスラエルでヤーウェがその働きを始めることをせず、人類を創っただけで、彼らに地上で気楽な生き方をさせたなら、人の肉体の本性(本性とは、人は自分が見ることができないものは決して知ることができないということ、すなわち、ヤーウェが人類を創ったとは人は知らず、ましてやなぜ創ったかなど知らないことを意味する)故に、人は、ヤーウェが人類を創ったこと、全ての物の主であることを知ることは決してなかっただろう。もしヤーウェが、人を創り、自分の喜びのために地上に置いたあとは手の塵を払って何もせず、一定の期間、人の中で指導するようなこともなかったというなら、全人類は無に帰していただろう。人を含めて、彼が創った天地万物までも無に帰し、サタンに踏みつけられただろう。したがって、「ヤーウェは、地上に立つ場所、自身が創ったものの中に聖なる場所を持たなくてはならない」というヤーウェの望みは打ち砕かれていただろう。だからヤーウェは人類を創った後、彼らを彼らの生活の中で先導し、彼らに話しかけた――自分の希望を実現するために、自分の計画を達成するために。イスラエルにおけるヤーウェの働きは、ヤーウェが全ての物を創る前に決めていた計画を実行するためのものである。したがって、ヤーウェのイスラエル人の中での最初の働きと万物の創造はお互いに相容れないものではなく、両者は、ヤーウェの経営と働き、そして栄光のためであり、人類を創造した意味を深めるためのものであった。ヤーウェは、ノアの後に二千年間、地上で人類の生活を先導し、その間、人々に万物の創造主ヤーウェをどのように畏れるべきかを教え、生活の仕方、人生の生き方、そして何よりも、ヤーウェの証人としての振舞い方、自身への従い方、そしてどのようにヤーウェを畏れるべきかや、どのようにしてダビデや彼の祭司たちのように音楽でヤーウェを賛美するべきかを教えた。

『言葉は肉において現れる』の「律法の時代における働き」より

ヤーウェが彼の働きをした二千年間より以前は、人は何も知らなかった。洪水の前の乱交や堕落に見られるほどに、人々はすさんでいた。彼らの心にはヤーウェはなく、ましてやヤーウェの道など彼らの心にはなかった。彼らはヤーウェがしようとしていた働きを全く理解していなかった。彼らは理知を欠いていたし、見識などなおさらなかった。人、神、万物について無知で、命についても無知であり、ただ生きて呼吸しているだけで、まるで機械のようであった。地上では、彼らはヘビのように多くの誘惑に関わり、ヤーウェに対してあれこれと攻撃的な言葉を発した。しかし、彼らの無知ゆえに、ヤーウェは彼らに刑罰や懲らしめを与えようとはしなかった。洪水の後、ノアが六百一歳の時、ヤーウェは正式にノアに現れ、二千五百年もの間、洪水を生き延びた彼と彼の子孫に加えて鳥や野獣を律法の時代の終わりまで導き続けた。ヤーウェは、イスラエルで二千年に渡り正式に働いた。イスラエルとイスラエルの外の両方で働いていた期間は五百年で、合わせて二千五百年間働いた。この期間ヤーウェは、自身に仕えるためには、神殿を建て、祭司の衣服をまとい、靴で神殿を汚して神殿の頂上から火が降り、焼き殺されることのないように、夜明けに神殿に入る時には裸足で入るように彼らを指導した。彼らは自分の本分を実行して、ヤーウェの計画に従った。彼らは、神殿でヤーウェに祈り、ヤーウェに啓示を与えられた後、すなわち、ヤーウェが語り終えた後、人々を導き、ヤーウェという彼らの神を畏れるように教えた。ヤーウェは、彼らに神殿と祭壇をつくるべきであると伝えた。そして、ヤーウェによって設定される時間、つまり過越の祝いに、彼らはヤーウェに仕える為に、祭壇に生まれたばかりの子牛と子羊を準備して、ヤーウェに生け贄として捧げなければならなかった。それにより、彼らの心を整え、ヤーウェへの畏敬の念を抱くためである。彼らがこの律法に従うかどうかが、彼らのヤーウェへの忠誠心の計りとなる。ヤーウェはまた、彼らのために安息日を創った。創造の七日目である。安息の翌日をヤーウェは最初の日にした、すなわち、彼らがヤーウェを讃え、ヤーウェに生け贄を捧げ、音楽を奏でる日である。この日、ヤーウェは、祭司たちを全て集め、彼らがヤーウェに捧げた生け贄を楽しむように、祭壇の上の生け贄を人々に分けて食べさせた。ヤーウェは、彼らは祝福を受け、ヤーウェと一部を共有する、彼らこそ、ヤーウェが選んだ人々(ヤーウェのイスラエル人との契約)であると言った。このような理由で、イスラエルの人々が今日でも、ヤーウェは彼らの唯一の神で、他の人々の神ではないといっているのである。

『言葉は肉において現れる』の「律法の時代における働き」より

律法の時代を通じて、ヤーウェは多くの戒めを定め、モーセがエジプトを出て彼に従うイスラエル人にそれを伝えるようにした。ヤーウェは、この戒めをイスラエル人に与えた。それはエジプト人とは無関係で、イスラエル人を律する意味があり、イスラエル人にヤーウェが課した要求であった。人が安息日を守ったか、両親を敬ったか、偶像を崇拝したかなど、人が罪を犯したか、義であるかを裁く上での原則であった。人がヤーウェの火により焼かれるか、石打ちで処刑されるか、ヤーウェの祝福を受けるかは、これらの戒めに従ったかどうかで決められた。安息日を守らない者は、石打ちで処刑される。祭司で安息日を守らなかった者は、ヤーウェの火により焼かれた。両親を敬わなかった者も、石打ちで処刑にされた。これら全ては、ヤーウェによって称されたことである。ヤーウェは戒めと律法を設定し、彼らの生活を導く際に人々がヤーウェの言葉に聞き従い、そして背くことのないようにした。ヤーウェはこれらの律法を、新たに生まれた人類を治めるために、そして自身の働きの基礎を作るために用いた。したがって、ヤーウェが行った働きにより、この最初の時代は律法の時代と呼ばれた。ヤーウェは多くを語り、多くの働きをしたが、これら無知な人々に、どのようにして人間になるか、如何に生きるか、ヤーウェの道をどのようにして知るかを教え、ひたすら前向きに導いた。ヤーウェの仕事の大半は、人々がヤーウェの道を守って、ヤーウェの律法に従うことを目的としていた。この働きは、少しだけ堕落した人々の上になされた。それは、性質を変えることあるいはいのちの成長には関係しない。ヤーウェは人々を制約し、治めるために律法を使うことだけを考えた。その時代のイスラエル人にとっては、ヤーウェはただの神殿の神であり、天の神でしかなかった。ヤーウェは雲の柱で、火の柱であった。ヤーウェが彼らに求めたことは、人々が今日、神の律法や戒めとして知っている規則と呼ぶこともできるものに従うことだけであった。なぜなら、ヤーウェの働きは、人々を変えることではなく、人々が持つべきものをより多く与えるため、そして直接語るためであった。それは、人が創造された後、自分が持つべきものが何かを何も知らなかったからである。したがって、ヤーウェは、人が地上で生活するにあたり持つべきものを与え、自身が導いてきた人々を先祖であるアダムとエバを超えるほどの人々にした。ヤーウェが最初にアダムとエバに与えた以上のものを、彼らに与えたのである。にもかかわらず、ヤーウェがイスラエルでした働きは、ただ人類を導き、人類に彼らの創造主を認めさせることであった。ヤーウェは、彼らを征服したり、変えたりしなかった、ただ導いただけであった。これが、律法の時代の働きのすべてである。これがイスラエル全土におけるヤーウェの働きの背景であり、真実の物語であり、本質である。そして神の六千年にわたる働き──ヤーウェの手によって人類を治めるための働きの始まりである。ここから、神の六千年の経営(救いの)計画における更に多くの働きが生れた。

『言葉は肉において現れる』の「律法の時代における働き」より

最初の段階は人が地上で神を崇拝するように道を整えるためのヤーウェの働きであった。それは地上での働きの源となる場所を見つけるための始まりの働きであった。当時、ヤーウェはイスラエルの人たちに安息日を守り、両親を敬い、他の人々と平和に暮らすよう教えた。当時の人たちは人間とは何であるかも、地上でどのように生きていくべきかも理解していなかったので、最初の働きの段階で、神は彼らの生活を導かなければならなかった。ヤーウェが彼らに語ったことはすべて、人類はそれ以前は知らず、所有していなかった。当時多くの預言者たちが起こされて預言を語ったが、すべてがヤーウェの指導の下になされた。これは単に働きの一部であった。最初の段階では神は肉となることはなく、よって神は預言者たちを通してあらゆる部族や国々を諭した。……ヤーウェによって語られた言葉の本質は何であったであろうか。ヤーウェは地上での人々の生活を導いていただけで、それはいのちの霊的なこととは関係がなかった。ヤーウェが語ったとき、それはすべての地で人々を諭すためであったと言われているのはなぜであろうか。「諭す」という言葉は、明白に語り直接的に指示することを意味する。彼は人にいのちを与えたのではない。むしろ、人の手を取って、どのように彼を崇拝するかを教えたのである。たとえ話はあまりなかった。イスラエルでのヤーウェの働きは、人を取り扱ったり、鍛練したりすることでも、裁きや刑罰を与えることでもなかった。それは導くことであった。ヤーウェはモーセに神の民に荒野でマナを集めるように命じた。毎朝日の出の前に、彼らはその日に食べる分だけマナを集めなければならなかった。マナは翌日まで保管することはできなかった。翌日にはカビが生えたからである。ヤーウェは人を説教したり、人間の本性について暴露せず、人の考えや観念を暴露することもしなかった。ヤーウェは人を変えることはなく、生活において人を導いた。当時、人は子どものようで何も理解せず、基本的な機械的な動きしかできなかった。よって、ヤーウェは人々を導くため律法を制定した。

『言葉は肉において現れる』の「受肉の奥義(4)」より

イスラエルで行われた働きは、現在の働きと大きく異なる。ヤーウェは人々の生活を導いたが、現在行われているほどに裁きや刑罰を行わなかった。なぜなら当時、人々はこの世の物事について少ししか理解しておらず、堕落した性質がほとんどなかったからである。当時、イスラエル人は、あらゆる面においてヤーウェに従順であった。神がイスラエル人に祭壇を造らせた時、イスラエル人はすぐに祭壇を造り、祭司の衣を着させた時、イスラエル人は従った。当時、ヤーウェは人々にとって、地上の羊の群れを飼う羊飼いのような存在であり、羊は皆、羊飼いに従い、導かれた牧草地で草を食べた。ヤーウェは当時の人々の生活を導いた。ヤーウェは彼らの食べ物、着る物、住処、移動における指導者であった。

『言葉は肉において現れる』の「征服の働きの第二段階はどのように実を結ぶか」より

イスラエルの人々は皆ヤーウェを主と呼んだ。当時イスラエルの人々は神を家長とみなし、イスラエル全体がひとつの大きな家族となり、家族全員が主であるヤーウェを崇拝した。ヤーウェの霊はしばしばイスラエル人に現れ、彼らに声を出して話しかけ、雲の柱と音をもって彼らの生活を導いた。当時、神の霊は直接イスラエルで導きを与え、人々に声をもって話しかけた。そして人々も雲を見、雷が鳴り響くのを聞いた。神はこのようにして何千年ものあいだイスラエルの人々の生活を導いた。そのため、イスラエルの人々だけが常にヤーウェを崇拝してきた。彼らはヤーウェは自分たちの神であり、異邦人の神ではないと信じている。これは驚くべきことではない。何と言っても、ヤーウェは四千年近くのあいだイスラエルの人々の間で働いたのだから。

『言葉は肉において現れる』の「神の働きのビジョン(2)」より

当時、イスラエルの人々は直接神殿でヤーウェに仕えていた。彼らの身分は祭司だった。(もちろん全員が祭司だったのではないが。神殿でヤーウェに仕えていた何人かだけが、祭司の身分だった。)彼らはヤーウェが授けた冠を身に着けていた(これはヤーウェの要求に従って冠を作っていたのであって、ヤーウェが直接彼らに冠を授けたのではない。)ヤーウェが授けた祭司の衣を身にまとって裸足で神殿に入り、朝から晩までヤーウェに直接奉仕していた。ヤーウェへの奉仕は、決して無計画なものではなく、自分の意思で背けるものでもなかった。全て規則に従っており、直接ヤーウェに仕えていた者は、誰もこの規則に違反できなかった。どの祭司もこれらの規則を遵守しなければ、神殿に入ることが許されなかった。神殿の規則を破る者、つまりヤーウェの命令に背く者は、ヤーウェが定めた法に従って裁かれなくてはならなかった。誰も反論することを許されず、違反者を守ることも許されなかった。神に何年仕えていようとも、全員この規則を遵守しなければならなかった。だからこそ、非常に多くの祭司が全員祭司の衣をまとい、このように1年中ヤーウェに仕えていた。ヤーウェが彼らを特別扱いすることはなく、祭司は一生、祭壇の前や神殿に行き、仕えた。これが彼らの忠誠心であり、服従であった。ヤーウェがこのように彼らを祝福したのは不思議ではない。全て忠誠心ゆえに彼らは神の好意を得て、ヤーウェの偉業の全てを見たのだ。ヤーウェが自身の選んだイスラエルの民の間で働きを行った当時、民に対する神の要求は非常に厳しいものであった。彼らは全員非常に従順で、法で規制されていた。これがヤーウェへの崇拝を守るのに役立った。これらは全てヤーウェの行政命令だった。祭司の中でも、安息日を守らない者やヤーウェの戒律を破った者が一般人に見つかった場合、その者は直ちに祭壇の前に連れ出され、石打ちの刑に処せられた。このようにして、ヤーウェが定めた「規定に反した人々の祭壇」の前で生贄とされた。そして彼らの遺体は、神殿や神殿の周囲に置くことを許されなかった。ヤーウェがそれを許可しなかったのだ。そのようなことをする者がいたならば、「規定に反したいけにえ」を捧げた者と同じ扱いを受け、大穴に投げ込まれて死刑に処された。もちろん、このような者は全員命を失い、生き残る者はひとりとしていなかった。中には「規定に反した火」を捧げた者さえいた。つまり、ヤーウェが指定した日に生贄を捧げなかった人々は、生贄の品物と共に、ヤーウェの炎で焼かれたのだ。生贄の品物を祭壇に残すことも許されなかった。以下は祭司に課される要件である。足を洗わずには神殿にも神殿の外庭にも入ってはならない。祭司の衣をまとわずに神殿に入ってはならない。祭司の冠を身につけずに神殿に入ってはならない。死体で穢れた体で神殿に入ってはならない。よこしまな者に触れた後、自分の手を洗わずに神殿に入ってはならない。女性と性的関係を持った場合、神殿に入ってはならず(永続的ではなく禁止期間は3カ月)、ヤーウェの顔を見てはならない。禁止期間後、つまり3か月経ってやっと清潔な祭司の衣を身にまとうことが許可され、まず7日間外庭で仕え、その後、神殿に入ってヤーウェの顔を見ることが許可される。ヤーウェの神殿を汚さぬよう、祭司の衣服は全て神殿の中でだけ身に着け、神殿の外で着用してはならない。祭司は皆、ヤーウェの法に違反した犯罪人をヤーウェの祭壇の前に引き出し、そこで一般人が犯罪人を死刑に処していた。祭司が犯罪人を見ていながらそのように犯罪人に対して行わなかった場合、祭司には炎が下された。このように、ヤーウェに対する人々の忠誠心は揺るぎないものであった。なぜならヤーウェの法はあまりに厳しく、敢えてその行政命令を破ろうとするものはいなかったからだ。イスラエルの人々はヤーウェに忠誠心があった。なぜなら、彼らはヤーウェの炎やヤーウェが人々を懲らしめた手を見ていたうえ、もともとヤーウェを心から崇拝していたからだ。そのため、彼らが得たのはヤーウェの炎だけではなかった。ヤーウェから労りと保護、そして祝福も得ていた。彼らの忠誠心とは、自分が行動する際にヤーウェの言葉を遵守することであり、誰も背かなかったことである。誰かが背くと、人々はヤーウェの言葉を実践して、ヤーウェに背く者を死刑に処した。自由裁量の余地や隠ぺいはなかった。特に安息日に違反した者、乱交の罪に問われた者、そしてヤーウェへの捧げ物を盗んだ者は、更に厳しく罰せられた。安息日に違反した者については、彼ら自身(一般人)が石打ちの刑か鞭打ちで死刑にし、例外はなかった。淫らな行為を犯した者や、魅力的な女性に劣情を抱いた者であっても、悪女を見て劣情を催した者も、若い女性を見て欲情した者も、このような人間は皆死刑にされた。若い女が覆いやヴェールを身につけず、男性を違法行為に誘った場合、その女は死刑に処された。祭司(神殿で仕える者)がこのような法に違反した場合、十字架に磔か吊るし首になった。このような者で生き残った者はいない。ヤーウェの前では誰一人として特別扱いはなかった。このような者の親戚は、その者の死から3年間、祭壇にヤーウェへの捧げ物を捧げることが許されなかった。ヤーウェが一般人に授けた捧げ物を分かち合うことも許されなかった。禁止期間が過ぎて初めて、最高クラスの牛か羊をヤーウェの祭壇に捧げることができた。他の逸脱行為については、ヤーウェの前で3日間断食して、神の恵みを懇願した。彼らがヤーウェを崇拝したのは、ヤーウェの法が重く厳格であったからだけではない。むしろそれはヤーウェの恵み故であり、また彼らにヤーウェへの忠誠心もあったからである。このように今日まで彼らの奉仕には昔と同様に忠誠心があり、ヤーウェの前で懇願したことを撤回したことは一度もなかった。今日でも、イスラエルの民はヤーウェから労りと保護を受け、今日までずっと、イスラエルの民にとってヤーウェは恵みであり、常に共にいてくれる存在である。

『言葉は肉において現れる』の「イスラエルの民のように神に仕える」より

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