日々の神の御言葉「神の三つの段階の働きを認識することは神を認識する道である」抜粋7

2020年4月4日

三つの段階の働きは、神の働きすべての記録であり、神の人類救済の記録であり、そしてそれは架空のものではない。もしあなたがたが、神の性質全体を認識することを真剣に追い求めるのであれば、神によって為された働きの三段階を知らなければならず、しかもどの段階も欠けてはならない。これは神を知ろうと努力する人たちが達成しなければならない最低限のことである。人は思いつきのように独自で本当に神を知ることはできない。それは人が自分で想像できるものでもなければ、聖霊が特定の人に特別に恩恵を授けた結果でもない。むしろそれは、人が神の働きを経験した後に得る認識であり、神の働きの事実を経験した後にだけ訪れる神に対する認識なのである。そのような認識は、ふと思いついて得ることはできないし、教えられるものでもない。それは完全に個人的な体験に関係することなのだ。これらの三つの段階の働きの核心には、神の人に対する救いが在るが、この救いの働きの中には幾つかの働き方と、神の性質を表す手段が含まれている。これは、人がもっとも識別し難いことであり、また理解するのがむずかしいことである。時代の区分、神の働きの変化、働きの場所の変化、この働きの受益者の変化等、これら全てが三つの段階の働きに含まれている。特に、聖霊の働き方の違い、神の性質、姿、名前、身分、その他の変化など、これら全てが三つの段階の働きの一部である。一つの働きの段階は、一部しか表すことはできず、特定の範囲に限られている。それは時代の区分や神の働きの変化には関係がなく、他の側面にはさらに関連性がない。これは完全に明らかな事実である。三つの段階の働きが人類を救う神の働きの全てなのだ。人は、人類を救う働きの中で、神の働き、そして神の性質を認識しなければならず、この事実なしには、あなたがたの神に対する認識は、ただ無意味な言葉でしかなく、机上の空論にすぎない。そのような認識では、人を納得させることも征服することもできず、そのような認識は実情にそぐわないし、また真理でもない。その認識がたとえ十分で、聞こえの良いものであっても、神の元来の性質と合致しないのであれば、神はあなたを容認しない。神はあなたの認識を称賛しないだけでなく、神を冒涜した罪びととしてあなたに天罰を下す。神を認識する言葉は軽々しく語られるものではない。たとえあなたが流暢で弁が立ち、あなたの言葉が死人を生き返らせ、生きている人を死なせることができるとしても、神に対する認識を語ることに関しては素人同然である。神は、あなたが急いで判断を下したり、気軽に褒めたり、また無頓着に中傷したりできる対象ではない。あなたは誰でもどんな人でも褒めるが、それでもなお神の大徳と恩恵を描写する適切な言葉に悪戦苦闘し、これは全ての失敗者が体験することなのである。神を描写することのできる言語の専門家は大勢いるが、その描写の正確さは、神に属し、限られた語彙しか持たずとも豊かな経験を身に着けている人々によって語られる真理の百分の一にすぎない。よって神への認識は、巧みに言葉を使うことや豊富な語彙によるものではなく、正確さと現実性にかかっていることが見て取れる。人の知識と神への認識は、全く関係がない。神を認識するという学びは、人類のどの自然科学よりも高尚である。それは、神を認識することを探し求める非常に少数の人間によってのみ達成できる学びであって、才能があれば誰でも達成できるわけではない。よってあなたがたは、神を認識することと真理を追求することを、ほんの子供でも達成できる、という見方をしてはならない。あなたは、家庭生活、仕事の経歴あるいは結婚生活においては完全に成功を収めているかもしれないが、真理および神を認識する学びに関しては、自分では見せられるものは何も持たないし、また何の成果も上げていない。真理を実践するとは言うことはできるのだが、非常に難しいことであり、神を認識することは更に困難な問題なのだ。これはあなたがたにとって困難なことであり、同時に人類全体が直面している難事である。神を認識するために何らかの達成した人たちの中で、標準レベルに達する人はほとんどいない。人間は、神を認識することが何を意味するのか、あるいはどうして神を認識する必要があるのか、またはどの程度で神を認識していると見なせるのかを知らないのである。これは人類を非常に困惑させるものであり、ごく簡単に言うと人類が直面する最大の謎であり、誰もこの質問に答えることができないし、誰も進んで答えようとはしないのだが、その理由は、今日まで人類のうち誰一人としてこの働きの研究に成功したことがないからだ。おそらく、三つの段階の働きの謎が人類に明らかにされるときは、神を認識する才能集団を成す人たちが次々と現れるだろう。もちろん、そうなることをわたしは望むし、さらにわたしはこの仕事を実践中であり、近い将来そのような人材がもっとたくさん現われることを願う。彼らは、三つの段階の働きの事実を証しする者となり、そしてもちろん、三つの段階の働きを証しする最初の者となるだろう。神の働きが終わる日になって、もしそのような才能ある者がいなかったならば、あるいは一人か二人しかいなかったならば、そしてこの一人か二人は受肉した神によって完全にされることを自ら受け入れていたとしたら、これ以上悲しく、また悔やまれることはない。もちろんこれは最悪のシナリオにすぎないが。いずれの場合も、真剣に追及する者がこの祝福を得られることを願う。世の始まりの時から、このような働きはかつて一度も存在しなかったし、人類の発展の歴史の中で、かつてなかった仕事である。もしあなたがたが本当に最初に神を認識する者達の一人になることができるならば、被造物全ての中で、最も名誉なことではないだろうか。人類のなかで神によってこれ以上に称賛される人がいるだろうか。このような仕事は簡単に達成できるものではないが、それでも最終的には成果を収める。性別や国籍に関わらず、神を認識することのできる人々は皆、最後に神から最高の名誉を受けるだろうし、また神の権威を備える唯一の者たちとなる。これが今日の仕事であり、未来の仕事でもあるが、要はこれが最終の、また過去6000年の働きの中で達成される最高の仕事ということであり、それによって人間の各区分を明らかにする仕事の一手段である。人に神を認識させるための働きを通して、人の異なるランクが明らかにされる。つまり、神を知る者は神の祝福を受け、神の約束を受け取る資格があるが、一方で、神に対する認識を持たない者は神の祝福を受ける資格、神の約束を受け取る資格がないことになる。神を知る者は、神の知己であり、神に対して認識を持たない者は神の知己とは呼ばれない。すなわち、神の知己は、神のあらゆる祝福を受けることができるが、神の知己でない者は、神の働きのどれにも値しない。苦難であれ、精錬あるいは裁きであれ、全ては人が最終的に神に対する認識を得られるようにするためであり、人が神に服従するようになるためである。これが最終的に達成される唯一の成果である。三つの段階の働きはどれも秘密ではなく、これは人が神を認識するのに役に立つことで、人が神についてもっと完全で徹底的な認識を得る手助けとなる。この働きは全て人のためである。

『言葉は肉において現れる』より引用

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