日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 188
2020年7月26日
ここですべての人間を三つの種類に分類します。最初の種類は未信者で、宗教的な信仰をもたない人のことです。このような人を未信者と呼びます。未信者の圧倒的大部分は金銭だけを信じ、自分自身の利益だけを追求し、物質主義者であり、物質世界だけを信じています。生死の周期、あるいは神性や幽霊に関する話は何も信じません。これらの人たちを未信者と分類し、それを第一の種類とします。第二の種類は未信者以外の様々な信者の人たちです。人類のうち、こうした信者は数種類に大別されます。一番目はユダヤ教徒、二番目はカトリック教徒、三番目はクリスチャン、四番目はイスラム教徒、そして五番目は仏教徒というように、五つの種類があります。様々な信者がいるのです。第三の種類には神を信仰する人々が含まれ、あなたがたもここに入ります。この種の信者は現在神に付き従っている人々で、神の選民と効力者の二種類に分かれます。これらのおもな種類は明確に区別されています。これで、人間の種類と階層を心の中で明確に区別できるようになりました。違いますか。第一の種類は未信者から成っており、それがどのような人かはすでに述べました。天の父を信じる人は未信者に数えられますか。多くの未信者は天の父を信じるだけで、風雨や雷などはすべてこの存在によって支配されていると信じ、穀物の植え付けや収穫の際に頼るものの、神への信仰の話になると神を信じるのを嫌がります。これを信仰と呼べるでしょうか。こうした人々は未信者に含まれます。わかりましたね。これらの種類を誤解してはいけません。第二の種類は信者の人々で、第三の種類は神に現在付き従っている人々です。では、わたしがすべての人間をこれらの種類に分けたのはなぜですか。(様々な種類の人たちには、それぞれ異なる結末と終着点があるからです。)それは側面のひとつです。これら異なる人種や種類の人々が霊界へと戻るとき、彼らはそれぞれ異なる場所へと向かい、生死の周期に関する様々な法則の対象になります。ゆえに、わたしが人間をこれら三つの主要な種類に分けたのは、それが理由です。
未信者の生死の周期
まずは未信者の生死の周期から話を始めましょう。人は死ぬと、霊界の担当官に連れ去られます。では、その人のいったい何が連れ去られますか。連れ去られるのは肉体ではなく魂です。魂が連れ去られた人は、死後間もない人の魂を専門に受け付ける霊界の部局に辿り着きます。(注:死者が死後最初に行く場所は、その魂にとって未知の場所です。)魂がこの場所に連れて来られると、係員が最初の検査を行い、名前、住所、年齢、そしてすべての経歴を確認します。その人が生前行なった物事は残らず帳簿に記録され、それが正確であることが確認されます。それらの確認が完了すると、その人の生前の振る舞いや行動により、懲罰を受けるか、人間として再び肉体を与えられるかが判断されます。これが第一段階です。この第一段階は恐ろしいですか。それほど恐ろしいものではありません。なぜなら、その人が暗く馴染みのない場所に到着するだけだからです。
第二段階では、生前多くの悪事を行い、邪悪な所行をなした人は、刑場へと連れられて取り扱いを受けます。それは明らかに、人々を懲罰する場所です。人間が具体的にどう懲罰されるかは、その人が生前犯した罪や、悪事を行った回数に左右されます。これが第二段階で最初に行われることです。中には、懲罰を受けた後に生き返ったとき、つまり物質世界に再び生まれたとき、生前行った物事や邪悪な所業のせいで、引き続き人間になる人もいれば、動物になる人もいます。つまり、霊界に戻った人は、自分が犯した悪事のために懲罰され、さらにその悪業のため、次に生き返る際、人間ではなく動物として戻ることもあるのです。こうした人が生まれ変わる動物には、牛、馬、豚、犬などが含まれます。中には鳥、アヒル、ガチョウなどに生まれ変わる人もいます。動物として生まれ変わった後に再び死ぬと、その人は霊界に戻ります。そして前回と同じく、霊界はその人の生前の行いに基づき、人間として生まれ変わるかどうかを決めます。大部分の人々はあまりに多くの悪事を犯し、その罪が重すぎるため、七回から十二回は動物として生まれ変わります。七回から十二回とは恐ろしくはありませんか。(恐ろしいです。)あなたがたを恐れさせるのは何ですか。人間が動物になるのは恐怖です。人間にとって、動物となって最もつらいことは何ですか。言葉をもたず、単純な考えしかできず、動物が行う物事を行い、動物が食べるものしか食べられなくなり、動物の単純な精神と身振りによる言葉を用い、まっすぐ立って歩くことも、人間と意思疎通を図ることもできず、また人間の振る舞いや活動は動物とまったく無関係であるという事実があります。つまり、万物の中で動物になったあなたがたは、すべての生物のうち最低の存在となり、そこには人間よりもはるかに多くの苦しみがあります。これが、数多くの悪事を行い、深刻な罪を犯した人に対する、霊界の懲罰の一側面です。懲罰の重さについて言えば、それは人間がどのような動物になるかで決定されます。たとえば、豚になるのは犬になるよりましですか。豚の生活は犬の生活よりましですか、それとも悪いですか。悪いでしょう。人間が牛や馬になったら、豚よりもましに暮らせるでしょうか。(ましに暮らせます。)猫として生まれ変われば、さらに快適でしょうか。様々な動物から選べるとしたら、猫になるのを選ぶのが、馬や牛になるよりも快適でしょう。なぜなら、ほとんどの時間を怠けて寝て過ごすことができるからです。牛や馬になると苦労が増えます。ゆえに、牛や馬に生まれ変わった人は必死に働く必要があり、それは重い懲罰と同じことです。犬になるのは、牛や馬になるより少しだけましでしょう。なぜなら、犬は飼い主と親しい関係にあるからです。さらに、現在では多くの人が犬を飼い、三ないし五年経つと、これらの犬は飼い主の言葉の多くを理解するようになります。犬は飼い主の言葉を数多く理解できるので、飼い主のことをよく理解し、ときには飼い主の気分や要求に合わせることができます。すると、飼い主の扱いがよくなり、食べ物や飲み物もましになり、苦痛を感じると看護してもらえます。そうすれば、犬は幸福な生涯を送るのではないでしょうか。ゆえに、犬になるのは牛や馬になるよりましです。このように、懲罰の重さによって、何回動物に生まれ変わるか、どのような動物として生まれ変わるかが決定されます。これは理解しましたね。
中には生前に犯した罪の数が多すぎるため、七回から十二回にわたり動物として生まれ変わるという懲罰を受ける人がいます。十分な回数の罰を受けて霊界に戻ったとき、こうした人々は別の場所へと連れて行かれます。そこにいるのは、すでに懲罰を受けており、人間として生まれ変わる準備をしている様々な霊です。この場所では、どのような家庭に生まれるか、生まれ変わってからどのような役割を担うかなどにより、魂が一つひとつ分類されます。たとえば、この世に生まれて歌手になる人がおり、そうした人は他の歌手の中に置かれます。この世に生まれたて実業家になる人は他の実業家の中に置かれ、人間として生まれてから科学研究者になる人は、他の科学研究者の中に置かれます。分類された魂は、現在の人々が電子メールを送信するときのように、それぞれ異なる予定日に送り出されます。これで生死の周期の一巡が完了します。霊界に到着したその日から懲罰が終わるまで、あるいは何度も動物として生まれ変わり、人間として生まれ変わる準備をするまで、これは完全な過程なのです。
懲罰を受け終えて動物として生まれ変わることがない人は、すぐに物質世界へと送られて人間として生まれ変わるでしょうか。その人が人間のもとにたどり着くには、どの程度の期間を要するでしょうか。そうなる頻度はどの程度でしょうか。これには時期的な制限があります。霊界で起きるすべての出来事には、正確な時間的制限と規則が適用されるのです。数値で説明すれば理解できるでしょう。短期間のうちに生まれ変わる人については、その人が死んだ際、人間として生まれ変わる準備がすでに行われています。それにかかる期間は最短で三日です。その期間が三ヵ月の人もいれば、三年の人も、三十年の人も、三百年の人々もいますし、中には三千年の人もいます。それでは、こうした時期的な規則についてどのようなことが言えますか。また、その規則の詳細はどのようなものですか。それは、物質世界、つまり人間の世界が魂から必要とするものと、その魂がこの世で担うべき役割に基づいています。普通の人間として生まれ変わる場合、大部分の人がごく短期間で生まれ変わります。人間の世界には、こうした普通の人々に対する差し迫った需要があるからです。ゆえに、こうした人は三日後、死ぬ前の家庭と完全に異なる家庭へと送られます。しかし、中にはこの世で特別な役割を担う人もいます。「特別な」というのは、人間の世界にはそうした人々に対する大きな需要がないということです。そうした役割を担わなければならない人の数が多くないので、三百年後になる場合もあります。言い換えると、こうした魂は三百年に一度、あるいは三千年に一度しかこの世に現われません。それはなぜですか。その理由は、三百ないし三千年間、そうした役割は人間の世界で必要とされず、したがってそれらの魂は霊界のどこかに留められているからです。たとえば、孔子は中国の伝統文化に甚大な影響を及ぼし、その出現は、当時の人々の文化、知識、伝統、思想に大きな影響を与えました。しかし、そのような人間はどの時代にも必要というわけではなく、したがって孔子は霊界に留められ、生まれ変わるまで三百年、ないし三千年待つ必要があったのです。人間界はこのような人を必要としていないため、孔子は何もせずに待機している必要がありました。なぜなら、孔子のような役割は極めて少なく、そうした人がなすべきこともほとんどないからです。ゆえに、孔子はほとんどの期間、霊界のどこかに留められ、何もすることなく、人間界が彼を必要とするとき、そこに送られるのをひたすら待ち続けました。大半の人が生まれ変わる頻度について、霊的領域の時間的規則はこのようなものです。普通の人間か特別な人間かを問わず、霊界にはその生まれ変わりの処理に関する適切な規則と正しい慣行があり、そうした規則と慣行は神から送られたものであって、霊界の担当官やその他の存在が決めたり管理したりするものではありません。
『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 10」(『言葉』第2巻)より
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