日々の神の御言葉: 人類の堕落を暴く | 抜粋 312

2020年9月14日

数千年にわたり、この地は不浄の地であった。耐えがたいほど汚れ、悲惨に溢れている。至る所に幽霊がはびこり、欺し偽り、根拠のない言いがかりをつけ、冷酷かつ残忍であり、この幽霊の街を踏みつけて屍だらけにした。腐った屍の悪臭が地を覆い空気に充満し、そこは厳重に守られている。誰が空の彼方の世界を見ることができようか。悪魔は人間の身体全体をがんじがらめにし、両眼を見えなくし、両唇を堅く封じる。魔王は数千年前から現在にいたるまで猛威を振るい、幽霊の街を堅固に警備しており、それはあたかも難攻不落の悪魔の城のようである。一方、警護に当たる番犬の群れが睨んでいる。番犬は神による不意討ちで完全に滅ぼされるのを深く怖れるあまり、平和と幸福の余地はない。このような幽霊の街の住民が神を見たなどということが、どうしてありえるだろうか。住民は神の優しさや愛しさを享受したことがあるのか。人間世界の物事をどのように認識しているのか。そのうちの誰が神の切なる望みを理解できるのか。肉にある神が完全に隠れたままであっても、不思議ではない。悪魔が残忍非道をはたらく暗黒社会において、眉一つ動かさずに人々を殺す魔王が、愛しく優しく聖い神の存在をどうして容認できようか。どうして魔王が神の到来に喜び喝采を送ることができようか。卑屈な者ども。彼らは恩を仇で返し、神を侮って久しく、神を虐待し、残忍を極め、神を少しも敬うことなく、強奪や略奪を行い、良心を完全に失い、良心にすっかり逆らい、純真な人々を誘惑し無分別な状態に陥れる。遠い昔の祖先とは何なのか。愛すべき指導者とは。彼らは皆、神に反抗している。その干渉により、地にある者すべてが闇と混沌に陥れられている。宗教の自由だと。市民の正当な権利と利益だと。そのようなものはどれも罪を隠蔽する手口である。誰が神の働きを受け入れたというのか。誰が神の働きのために命を捧げ、血を流したというのか。親から子へ、何世代にもわたって、奴隷とされた人間はごく平然として神を奴隷にした。これがどうして怒りを買わずにいられようか。数千年におよぶ憎しみが心に凝縮し、数千年におよぶ罪深さが心に刻み込まれている。これがどうして憎悪感を喚起せずにいられようか。神の仇を討ち、神の敵を掃討せよ。敵が二度と蔓延ることを許してはならない。敵が意のままに災難を起こすことを許してはならない。今がその時である。人は随分前からあるだけの力を蓄え、努力の限りを尽くし、あらゆる犠牲を払ってきた。それは、この悪魔の忌まわしい顔をはぎ取り、盲目にされた人々、あらゆる苦しみと困難に耐えてきた人々が痛みから立ち上がり、この邪悪な古い悪魔に背を向けることができるようにするためである。なぜ、神の働きに対してそのような難攻不落の障害を建てるのか。なぜ神の民を欺くために様々な謀りを用いるのか。真の自由と正当な権利と権益はどこにあるのか。公平さはどこにあるのか。安らぎはどこにあるのか。温もりはどこにあるのか。なぜ偽りに満ちた謀りを用いて神の民を欺すのか。なぜ力ずくで神が来るのを抑制するのか。なぜ神が創った地の上を神に自由に移動させないのか。なぜ神が枕するところもなくなるまで神を追うのか。人間の温もりはどこにあるのか。人間の歓迎はどこにあるのか。なぜそれほどまで絶望的な思慕を神に引き起こすのか。なぜ神に何度も叫ばせるのか。なぜ神にその愛する子について憂わせるのか。この暗黒社会において、なぜ哀れな番犬は神自らが創った世界を神に自由に行き来させないのか。なぜ痛みと苦しみの中に生きる人間は理解しないのか。あなたがたのために、神は大いなる苦痛を受け、大いなる苦しみをもって神の愛する子、その骨肉をあなたがたに与えた。それならば、なぜあなたがたは依然として盲目を向けるのか。皆が見守る中、神の到来を拒絶し、神の友好を拒否している。なぜそれほどまでに非良心的なのか。このような暗黒社会の不正を進んで受けるつもりなのか。自分の腹を数千年におよぶ敵意で満たす代わりに、なぜ魔王の「糞」で自分自身を満たすのか。

『神の出現と働き』「働きと入ること(8)」(『言葉』第1巻)より

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