日々の神の御言葉: 人類の堕落を暴く | 抜粋 310

2020年9月21日

数千年に及ぶ古代文化や歴史の知識のせいで、人間の思考や観念、精神的視点は極めて固く閉ざされ、何も浸透させない分解不可能なものになった。人間は、あたかも神により地下牢に追放されたかのように、二度と光を見ることがない十八層地獄で生きている。封建的思想に抑圧されてきた人間はほとんど呼吸できず、息が詰まっている。反抗する力がまったくなく、ひたすら黙して耐え続けている……。義と公平のために敢えて戦ったり、立ち上がったりする者は今まで一人もいなかった。封建的倫理による打撃と迫害の下、動物以下の生活を日々送って年を重ねるだけである。人間は神を求めて人間世界で幸福を享受しようと考えたことがない。ひからびて色あせた枯れ葉のようになるまで、人間は打ち倒されたかのようである。人間は遙か昔に記憶を失い、人間の世界という陰府で絶望的に暮らし、陰府もろとも自分が滅びる最後の日の到来を待っている。待ちかねている最後の日は、あたかも人間が安らかな平和を享受する日であるかのようである。封建的倫理は人間の生活を「ハデス」へと陥れ、人の抵抗力をさらに弱めている。様々な抑圧により、人間はハデスのさらに奥深いところ、神からさらに遠いところへと一歩ずつ押しやられる。それゆえ現在、人間は神にはまったく知られない存在となり、神と会うと急いで避けようとする。人間は神を心に留めず、あたかもそれまで神を知ることはなく、神に会ったこともなかったかのように、神を一人きりにして去っていく。しかし、人生の長い旅路のあいだ、神はずっと人間を待ち続けており、抑え難い怒りを人間に投げつけたことは一度もなく、人間が悔い改めて再出発するのを無言で静かに待つだけである。神は遠い昔に人間の世界へ来て、人間世界の苦難を人と分かち合った。神が人間とともに生活した年月、その存在を見出した者はいなかった。神は人間世界における卑しき惨めさに黙して耐えつつ、自らもたらした働きを行っている。父なる神の旨と人類の必要のため、神は耐え続け、人間がかつて経験したことのない苦痛を受けている。父なる神の旨と人間の必要のために、神は人間の前で黙して人間に尽くし、人間の目前で謙遜した。古代文化の知識は、神の前からこっそりと人間を連れ去り、魔王とその末裔に引き渡した。四書五経は、人間の思想と観念をもうひとつの反逆の時代へと導き、四書五経の編纂者を人間にさらに称賛させ、その結果、神について人間の持つ観念がさらに悪化した。人間の知らぬ間に、魔王は無情にも人間の心から神を排除し、勝利の歓喜とともに自ら人間の心を占領した。その時以来、人間は醜く邪悪な魂と魔王の顔にとりつかれた。神への憎しみが人間の胸を満たし、魔王の凶悪さが日に日に人間の中に広がってゆき、ついに人間は完全に食い尽くされた。人間にはもはやほんの少しの自由もなく、魔王の呪縛から逃れる術もなくなった。その場で囚われの身となり、魔王の前で降伏し、服従するしか手がなかった。はるか昔、人の心と霊がまだ幼かったとき、魔王はそこに無神論という腫瘍の種を植え、「科学技術を学び、四つの現代化を実現せよ。この世に神などいない」といった偽りを人間に教えた。それだけでなく、魔王は「私たちの勤勉な労働により素晴らしい国家を建てよう」と機会あるごとに叫び、あらゆる人に、幼少時代から国のために忠実に仕える訓練をするよう要求した。人間は無意識のうちに魔王の前へと導かれ、魔王は(人類全体を掌握している神のものである功績を)躊躇なくすべて自分のものと偽った。魔王には恥の感覚が一切なかった。さらに、魔王は厚かましくも神の選民を捕らえ自分の家に引きずり戻すと、ねずみのように卓上に飛び乗り、人間に自分を神として崇拝させた。何というならず者であろうか。魔王は、「この世に神はいない。風は自然の法則に沿った変化が原因である。雨は蒸気が低温で凝結して水滴となって地表に落ちる水分である。地震は地質学的変化に起因する地表の振動である。干ばつは太陽表面の原子核工学的障害により起こる大気の乾燥のせいである。これらは自然現象である。これらのどこに神の業があるというのか」などという衝撃的なことを叫ぶ。さらには、「人間は古代の類人猿から進化したもので、現在の世界は、はるか昔に始まった一連の原始社会から進化したものである。ある国家の栄枯盛衰は、その国民の手により決まる」などという、声にすべきではないことを叫ぶ者さえいる。魔王はその背後で、人間に自分を壁に掲げさせたり、机上に置かせたりして、敬意を払って捧げ物をするようにさせている。魔王は「神はいない」と唱えると同時に、自らを神とみなす。真の神を粗野に地の果ての外へと追いやりながら、神の地位に立ち、魔王として君臨する。何と途方もなく馬鹿げたことであろうか。魔王には骨の髄まで憎悪が起こる。神と魔王は宿敵であるようで、共存は不可能である。魔王は神の駆逐を謀り、法の及ばないところを自由にうろつく。まさしく魔王である。どうして魔王の存在を容赦できようか。魔王は神の働きを阻止し、打ち砕いて台無しにするまで休むことがなく、それはあたかも最後に魚が死ぬか網が破けるかするまで、神に反抗し続けたいかのようである。魔王は故意に神に反抗し、神に迫り続ける。魔王の忌まわしい顔は完全に仮面を剥がされて久しく、今や打ちのめされてあざができ、窮状にあるが、それでも神への憎悪が衰えることはなく、あたかも神を一口に呑み込むまでは自分の心に鬱積した憎しみを解放することができないかのようである。こんな神の敵をどうして容赦できようか。魔王の根絶と完全な駆除をしなければ、人間の生涯の望みは実現できない。どうして魔王を意のままにさせておけるであろうか。人間が天日を知らず、行き詰まって愚鈍になるところまで魔王は人間を堕落させた。人間は正常な人間の理知を失った。私たちの存在のすべてを捧げて魔王を滅ぼし、焼き払い、将来への不安を残らず解消し、神の働きがこれまでになかった輝きにすぐに達せるようにしようではないか。この悪党どもは人間の世界に来て、それを大混乱に陥れた。悪党どもは全人類を断崖の縁へと追い詰め、そこから突き落とすことを密かに企んでいる。粉砕した死体をむさぼるつもりなのである。悪党どもは、愚かしくも大博打を打って神の計画を阻止し、神と争うことを望んでいる。それは決して容易ではない。十字架が用意されたのは、結局のところ、最も憎むべき罪に咎められている魔王のためである。神はその十字架には属さない。神はすでに悪魔にくれてやるために十字架を脇へ投げている。神は早くから勝利しており、人類の罪のためにもはや悲しみを感じない。しかし神は全人類に救いを授ける。

『神の出現と働き』「働きと入ること(7)」(『言葉』第1巻)より

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