日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 566

2021年11月24日

現在、ほとんどの人が自分自身を非常に表面的にしか理解していません。自分の本性の一部であるものを、明確に知るようにはまったくなっていません。ただ自分の堕落した状態の一部や、自分がしそうなこと、あるいは欠点のいくつかを知っているだけで、自分を知っていると信じ込んでいます。さらに、いくつか規則を守り、特定の分野で間違いを犯さないようにし、特定の過ちを犯さないようにしていれば、自らの神の信仰には現実性があると考え、自分は救われると思い込んでいます。これは完全に人間の空想です。そうしたものに従っていれば、本当にどんな過ちも犯さないようになれるでしょうか。性質を本当の意味で変化させられたことになるのでしょうか。本当に人間らしく生きられるようになるのでしょうか。それで純粋に神を満足させることができるのでしょうか。いいえ、絶対にできません、それは間違いありません。神への信仰は、人が高い基準を持ち、真理を手に入れ、そのいのちの性質に何らかの変化があったときにのみうまくいくのです。したがって、自己認識があまりに浅い場合、人が問題を解決するのは不可能で、そうなると自分のいのちの性質はどうしても変わりません。自分自身を深く知ることが必要であり、それは自分自身の本性を知ることを意味します。つまり、その本性にどのような要素が含まれているのか、そうした物事がどのように生まれ、どこから来たのか、ということです。さらに、あなたはこれらを実際に憎むことができますか。自分の醜い魂と邪悪な本性を見ましたか。自分自身の真実を本当に見ることができるなら、自分を忌み嫌うようになります。自分を忌み嫌い、それから神の言葉を実践すると、肉に背くことができ、難なく真理を実行する強さを持つことができます。なぜ多くの人は自分の肉体的な好みに従うのでしょうか。そのような人は自分のことを極めて良いと見なし、自分の行動は正しく、正当化され、自分には何の落ち度もなく、完全に道理があるとすら思っているので、正義は自分の側にあるという前提で行動することができてしまうのです。自分の真の本性が何なのか、どれほど醜く、卑劣で、哀れであるかに気が付くと、人は自らをあまり誇りに思わず、ひどく傲慢ではいられず、以前のようには自分にそれほど満足しません。「わたしは誠実になって地に足をつけ、神の言葉をいくつか実践しなければならない。そうでなければ、人であるという基準に達せず、神の面前で生きるのが恥ずかしくなるだろう」とその人は感じます。その人は自分はちっぽけで取るに足らないと本当にわかります。この段階では、その人が真理を実践するのは簡単で、より人間らしく見えます。自分自身を真に忌み嫌って初めて、人は肉に背くことができます。自身を忌み嫌わないのなら、肉に背くことはできません。自分自身を真に憎むことは、二、三のことから成ります。第一に、自分の本性を知ること。第二に、自分自身を貧しく哀れであり、極めて小さく取るに足りない者と見なし、自分の哀れで汚れた魂を見ることです。自分が本当は何であるのかを完全に悟ったとき、そしてこの結果が得られたとき、人は自分自身を真に知り、完全な自己認識を得るに至った、と言うことができます。そうして初めて、自分自身を呪うほどに真に憎むことができ、人間とは似ても似つかぬほどサタンによって深く堕落させられたと真に感じることができるのです。そうなると、ある日、死の脅威が現れると、そのような人は思います。「これは神の義なる罰なのだ。神は本当に義なる方だ。わたしは本当に死ななければならない」。この時点で、この人は不満を抱くことも、ましてや神を責めることもなく、自分は神によって消し去られなければならないほど貧しく惨めで、汚れていて、堕落しており、自分のような魂は地上で生きる資格などないと感じるだけです。この時、この人は神に抵抗することも、ましてや神を裏切ることもありません。自分自身を知らずに、いまだに自分を極めて良いと思っている人は、死が近づいて来たら、こう思います。「わたしは信仰においてこんなによくやってきた。どんなに努力して追い求めてきたことか。こんなにも与え、こんなにも苦しんできた。なのに最後は、神はわたしに死ねと言うのか。神の義はどこにあるのか。なぜ神はわたしに死ねと言うのか。わたしみたいな人間でさえ死ななければならないのなら、誰が救われるというのか。人類は終わりを迎えようとしているのではないのか」。まず第一に、この人は神について観念を抱いています。第二に、この人は不平を言い、服従の欠片も見られません。これはまさにパウロと同じです。パウロは亡くなる寸前にも自分自身を知りませんでした。そして神の罰がそばに迫った時には、悔いても遅かったのです。

『終わりの日のキリスト講話集』「第三部」(『言葉』第3巻)より

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