日々の神の御言葉: 神の性質、および神が所有するものと神そのもの | 抜粋 241
地上にいるとき、わたしは人々の心の中において実際の神自身である。天では、わたしはあらゆる被造物の主である。わたしは山々に登り、川瀬を渡り、また、人間たちの間をふらりと訪れては去った。誰が実際の神である者に公然と敵対するだろう。誰が全能者の支配から独立できよう。誰がみじんの疑いもな…
神の出現を待ち望むすべての人を歓迎します!
聖書の中のヨブの物語では語られていない事実がひとつある。それが今日のテーマである。ヨブは神を見たこともなければ自分の耳で神の言葉を聞いたこともないが、ヨブの心には神の居場所があった。ヨブの神に対する態度はどのようなものであったのだろうか。先ほど読んだように、「ヤーウェのみ名はほむべきかな」というものであった。ヨブは神の名を無条件に、無制限に、理屈抜きに称えた。ヨブは神にその心を捧げ、神に自身の心を支配してもらった。ヨブの考えたこと、決心したこと、心に計画したことは神の前に明らかにされ、隠されることはなかった。ヨブが神に敵対することはなかった。彼は神に対して何かしてほしいあるいは与えて欲しいと願ったことは一度もなく、神を崇拝しているからと言ってなにか途方もない報いを期待することもなかった。神に対して取り引きの話をしたり、神になにかを要求したり、命令したりするようなことはなかった。ヨブが神の名を称えたのは、すべてを支配するその偉大な力と権力故であり、祝福を受けたからとか、災いに遭ったからというものではない。ヨブは神が人々に祝福をもたらすか災いをもたらすかに関わらず、神の力と主権は不変であり、故にその人の状況に関係なく神の名は褒めたたえられるべきだと信じていた。神の主権故に人は祝福されるのであり、人に災いが降りかかるのもまた、神の主権故である。神の力と権威は人間のすべてを支配し計らう。様々な人間の富は神の力と権威の現れであり、人がどう見ようと、神の名は褒めたたえられるべきである。ヨブはそれを自らの人生で経験し、悟ったのである。ヨブの考えたことと行なったことのすべてが神の耳に届き、明らかにされ、それは神に重要なものと見なされた。ヨブの認識と、ヨブがそのような心の持ち主であることを神は大切に思った。ヨブの心は常に、どこにいても神の命令を待ち、自分にいつ何が起ころうとも、すべてを歓迎した。ヨブが神に何かを要求することはなく、彼はひたすら神の計らいを待ち、神の計らいを受け入れ、向き合い、従った。ヨブはそれを自身の本分とし、それこそ神がヨブに望んでいたものである。ヨブは神を見たこともなく、神の言葉を直接聞いたことも、命令や教えや指導を受けたこともなかった。今日の言葉で表現するならば、真理に関して神から何の啓きも導きも、施しも与えられていなかったヨブがそのような知識と姿勢を持つことができたのは、神にとって尊いことであり、ヨブの表現したものは神にとって十分であり、称賛に値する証しであり、神はそれを大切に思った。ヨブは神を見たこともなければ直接神の教えを聞いた事もなかったが、ヨブとヨブの心は、神の前で難しい理論を説いたり豪語したりいけにえを捧げたりはするけれども神の真の認識を得たことはなく、心から神を畏れたことのない人々の心より遙かに尊かった。ヨブの心は純粋で神から隠れておらず、正直で優しい人格の持ち主であり、義と正しいものを愛した。そのような心と人格を持ち合わせた者だけが神の道に従うことができ、神を畏れ悪を避けることができる。そのような者が神の主権を知ることができ、神の権力と力を知ることができ、神の主権と采配に従うことができるようになる。そのような者だけが真に神の名を褒めたたえることができる。それはその者が、神が祝福を与えるか災いをもたらすかを見ておらず、すべては神に支配されていることを知っており、人間が思い煩うのは人の愚かさ、無知、理不尽さ、そして神がすべてのことにおいて主権を握っていることへの疑いと神への畏れのなさが原因であることを知っていたからである。ヨブの知識は正に神が求めていたものであった。それではヨブはあなたより素晴らしい理論的知識を持っていただろうか。当時の神の業と言葉は僅かで、神に関する認識を獲得するのは容易ではなかった。神の業を経験しておらず、神の声も聞いておらず、神の顔も見ていないにも関わらず、ヨブがそれだけのものを達成したのは見事である。ヨブは神に対してそのような態度でいることができたのは、彼の人間性と彼が追い求めたもの故であり、それは今日の人々にはないものである。「ヨブのように全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかる者の世にない。」と当時神が言ったのは、そのような理由からである。神はその当時すでにヨブをそのように評価しており、ヨブをそのような人と結論付けたのである。神の言ったことが今日でも真実であることは言うまでもない。
『神を知ることについて』「神の働き、神の性質、そして神自身 2」(『言葉』第2巻)より
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地上にいるとき、わたしは人々の心の中において実際の神自身である。天では、わたしはあらゆる被造物の主である。わたしは山々に登り、川瀬を渡り、また、人間たちの間をふらりと訪れては去った。誰が実際の神である者に公然と敵対するだろう。誰が全能者の支配から独立できよう。誰がみじんの疑いもな…
ヨブの人生における取り組みと進歩により、ヨブは安らかに死を迎えることができた 聖句では、ヨブについて、次のように述べられている。「ヨブは年老い、日満ちて死んだ。」(ヨブ記42:17)これは、ヨブが死んだ時、彼には何も後悔することがなく、苦しむことも無く、この世から自然と去ったこと…
神は地上に来るたび、自身の名前、性別、姿、働きを変えるものの、自身の働きを繰り返すことはない。神は常に新しく、決して古くない神である。以前に来たとき、神はイエスと呼ばれた。再び到来した今回、神はやはりイエスと呼ばれ得るのか。以前に来たとき、神は男性だった。今回も男性であり得るのか…
自分の良心的感情だけに依存するなら、人は神の愛しさを感じることができない。良心だけに依存するなら、神への愛は弱々しいものになるだろう。神の恵みと愛に報いることだけを語っているなら、あなたの神への愛には何の活力もないだろう。自分の良心的感情に基づいて神を愛することは受け身なやり方で…