日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 546
神を信仰する者になるというのは、自分が行なうすべてのことを神の前に示し、神の吟味に晒さなければならないということである。自分が行なうすべてのことを神の霊の前に示せても、神の肉の前に示せないのであれば、あなたが神の霊による吟味に晒されていないことを示す。神の霊とは誰のことか。神が証…
神の出現を待ち望むすべての人を歓迎します!
神の働きは前進を続けており、その目的が変ることはないが、神の働きの実行手段はたえず変化しており、それによって神に従う人々も変化していく。神の働きが多ければ多いほど、人はいっそう深く神を知るようになり、それに応じて人の性質も神の働きとともに変化する。しかし、神の働きがたえず変化しているため、聖霊の働きを知らない人々や真理を知らないばかげた人々は神の敵対者になる。神の働きは人が抱く観念とは決して一致しない。神の働きはいつも新しく、決して古くないからである。神は古い働きを決して繰り返さず、むしろこれまでなされたことのない仕事を行う。神はその働きを繰り返すことはなく、人は例外なく神の過去の働きに基づいて今日の神の働きを判断するので、神が新しい時代の働きを各段階で実行するのは困難を極める。人はあまりにも多くの妨げとなる物を突きつける。人の考えは偏狭すぎる。誰も神の働きを知らないのに誰もがその働きを規定する。神から離れたら、人はいのちも真理も神の祝福も失ってしまうのに、神が人類に与えるいのちや真理を受け入れず、ましてや大いなる神の祝福も受け入れない。すべての人は神を得たいと願っているのに、神の働きのいかなる変化も許容することができない。神の新しい働きを受け入れない人々は、神の働きは不変であり、永久に停滞したままであると信じている。彼らの信条によれば、神から永遠の救いを得るためには律法を守ってさえいれば十分であり、悔い改め、罪を告白しさえすれば神の心は永遠に満たされる。彼らは、律法の下の神、人のために十字架につけられた神だけが神のはずであると考えている。また、神は聖書を超えるべきではないし、超えることはできないとも考えている。まさにこうした考えが彼らを古い律法に堅く結びつけ、死んだ規定の中に束縛し続けてきた。さらに多くの人々が、神の新しい働きは、たとえどのようなものでも預言による裏付けがなければならず、その働きの各段階で、本心で神に従うすべての者には啓示が示されなければならない、そうでなければそれは神の働きではありえないと信じている。人が神を知るようになるのはただでさえ決して容易なことではない。さらに、人のばかげた心、ならびにうぬぼれという反抗的な本性を考慮すると、人が神の新しい働きを受け入れるのはなおさらむずかしい。人は神の新しい働きを入念に調べず、謙遜して受け入れることもない。むしろ、軽蔑的な態度をとり、神の啓示と導きを待つ。これは神に反抗し、敵対する人の行動ではないだろうか。そのような人たちがどうして神の承認を得ることができようか。
『神の出現と働き』「自己の観念で神を規定する人がどうして神の啓示を受けられるのか」(『言葉』第1巻)より
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神を信仰する者になるというのは、自分が行なうすべてのことを神の前に示し、神の吟味に晒さなければならないということである。自分が行なうすべてのことを神の霊の前に示せても、神の肉の前に示せないのであれば、あなたが神の霊による吟味に晒されていないことを示す。神の霊とは誰のことか。神が証…
終わりの日の働きはあらゆる規則を打ち破る。そして、あなたが呪われているか罰されているかに関わらず、わたしの働きを助け、今日の征服の働きの役に立つ限り、また、モアブの子孫であろうと赤い大きな竜の末裔であろうと、この段階の働きで神の創造物としての本分を果たし、出来る限りの努力をするの…
人の働きはある範囲内にとどまり、限界がある。一人の人ではある一段階の働きしかできず、時代全体の働きをすることはできない。さもなければ、その人は他の人たちを規則の中へと導くであろう。人の働きはある特定の時間または段階にしか適用できない。人の経験には範囲があるからである。人の働きを神…
いのちのために備えるときは、神の言葉を飲み食いすることに集中しなければならず、神についての認識と人生に関する自分の見識、そして特に神が終わりの日に行う働きについて知っていることを話すことができなければならない。あなたはいのちを追求しているのだから、こうしたものを身につけなければな…