日々の神の御言葉: 終着点と結末 | 抜粋 597

人類が安息の中に入る前に、各々の種類の人が罰されるか、それともよい報いを受けるかどうかは、彼らが真理を求めるかどうか、神を認識するかどうか、見える神に従うことができるかどうかによって決まる。神に仕えてきたが見える神を認識しないあるいは彼に従順でない人たちはみな真理のない人である。このような人たちは悪を行う人であり、悪を行う人は疑いなくこらしめを受ける対象である。しかも彼らは、彼らの悪行に応じて罰せられる。神は人による信仰の対象であり、また人が従うに値する存在である。だが、漠然とした見えない神だけを信じる人たちはみな神を信じない人たちである。その上、彼らは神に従うことができない。もしこのような人たちが神の征服の仕事が終わるときまでに、依然として、見える神を信じることができず、しかもやはり肉の中の見える神に背き逆らうことを続けるなら、このような「漠然派」は疑いなく滅ぼされる。それは、現状、あなたがたのうちの人々においても見られる。たとえば、あなたがたのうち、口先では肉となった神を認めるが肉となった神に従うという真理を行うことができない人は誰でも、最後には淘汰され、滅ぼされ、また、口先では見える神を認め、しかも見える神が表現した真理を食べ飲みするが漠然とした見えない神を追い求める人はなおさら将来滅ぼされる。このような人々の誰も、神の働きが終わった後の安息の時まで生き残ることができない。このような人はだれも安息の時まで生き残ることができない。悪魔の類の人はみな真理を実行しない人である。彼らの本質は神に逆らい、背く人であって、彼らは神に従う気が少しもない。この様な人々はみな滅ぼされる。あなたが真理をもっているかどうか、神に逆らっているかどうかは、あなたの本質によって決まるのであり、あなたの外貌あるいは時折の言行によって決まるのではない。人が滅ぼされるかどうかは、その人の本質によって決まる。すなわち、彼らが事を行い、真理を追い求める過程で外に現れる本質によって決まるのである。同様に仕事をししかも同じ程度の量の仕事をする人々のうち、人間性の本質が善であり、真理を持っている人々が、生き残る人々であり、人間性の本質が悪であり、見える神に背く者は、滅ぼされる人々である。人類の目的地に向けられた神の働き及び言葉の何もかもが、人類を、各人の本質に従って適切に取り扱う。そこにはどんな事故も無ければ、些細な誤りもない。人が仕事を遂行するときこそ、人の情感あるいは意味が人間の中に入り込むのである。このとき、神が行う働きが時宜を得る。彼は、いかなる生き物にも不当な要求をもってこない。今、未来の人類の終着点を感じ取ることができず、しかもわたしが話す言葉を信じない多くの人々がいる。真理を行わない人々と同様に、信じない人々は皆、悪魔である。

『神の出現と働き』「神と人は共に安息へと入る」(『言葉』第1巻)より

信仰上の悩みや疑問がありましたら、いつでもご連絡ください。

関連記事

日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 561

全人類はサタンによって堕落させられ、人間の本性は神を裏切るものです。しかし、サタンによって堕落させられたすべての人間の中には、神の働きに服従して真理を受け入れられる人もいます。それが真理を得て性質の変化を成し遂げられる人なのです。また、真理を求めることに集中しない人もいます。この…

日々の神の御言葉: 聖書にまつわる奥義 | 抜粋 271

聖書にあることがみな、神が自ら語った言葉の記録というわけではない。聖書はただ、神の働きのうち以前の二段階を記載しているに過ぎない。その一部は預言者たちによる預言の記録で、別の一部は各時代で神に用いられた人々の経験と認識である。人間の経験には人間の意見や認識が紛れ込んでいるが、それ…

日々の神の御言葉: 神の性質、および神が所有するものと神そのもの | 抜粋 255

あなたが本当に永遠のいのちの道を得たいと望み、飽くことなく探し続けているなら、まずこの質問に答えてほしい。今日、神はどこにいるのか?おそらくあなたは、神は天にいると答えるだろう。もちろん、あなたの家に住みはしないだろう。あなたは、神は明らかに万物の中にいると言うかもしれない。…

日々の神の御言葉: 人類の堕落を暴く | 抜粋 312

数千年にわたり、この地は不浄の地であった。耐えがたいほど汚れ、悲惨に溢れている。至る所に幽霊がはびこり、欺し偽り、根拠のない言いがかりをつけ、冷酷かつ残忍であり、この幽霊の街を踏みつけて屍だらけにした。腐った屍の悪臭が地を覆い空気に充満し、そこは厳重に守られている。誰が空の彼…