日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 561

2021年10月24日

全人類はサタンによって堕落させられ、人間の本性は神を裏切るものです。しかし、サタンによって堕落させられたすべての人間の中には、神の働きに服従して真理を受け入れられる人もいます。それが真理を得て性質の変化を成し遂げられる人なのです。また、真理を求めることに集中しない人もいます。このような人は教義を理解するだけで満足し、立派な教義を聞いてそれを守り、理解した後は自分の本分を尽くせますが、それもある程度までです。こうした人たちは言われたことをする、凡庸な人間性の持ち主なのです。ある程度は自分を費やし、世俗の物事を捨て、苦しみを耐えることを厭いませんが、真理に関して言えば熱心ではありません。罪を犯さなければ十分だと思い込み、真理の本質を理解するなど決してできません。このような人が最後に固く立てるなら、生き残ることもあり得ますが、性質の変化を遂げるのは不可能です。堕落を清められ、いのちの性質の変化を受けたいと望むのであれば、真理への愛と真理を受け入れる能力をもたなければなりません。真理を受け入れるとはどのような意味ですか。真理を受け入れるとは、自分にどのような堕落した性質があろうと、あるいは赤い大きな竜のどの害毒が自分の本性の中にあろうと、神の言葉によって暴かれたらそれを認め、それらの言葉に服従するということを指しています。言い訳したり選り好みしたりせず、無条件でそれを受け入れ、神が述べることを基に自分を知るようになるのです。それが神の言葉を受け入れるということです。神が何と言おうと、神の発する言葉がどれほどあなたの心を刺し貫こうと、神がどのような言葉を用いようと、神の言うことが真理である限り、あなたはそれらを受け入れることができ、現実と一致する限りそれらを認めることができるのです。自分がどれほど深く理解しているかにかかわらず、あなたは神の言葉に服従でき、また聖霊によって明かされ、兄弟姉妹によって伝えられる光を受け入れ、それに従います。このような人はある程度まで真理を追求してきたのであり、真理を得て性質の変化を成し遂げることができます。たとえ真理を愛さない人が優れた人間性を有していても、真理のことになるとその人は混乱しており、真剣に捉えません。二、三の善行をなし、神のために自分を費やし、捨てることができたとしても、性質の変化は不可能です。ペテロの人間性と他の使徒や兄弟姉妹の人間性を比較すると、いずれもほぼ同じでしたが、ペテロは真理を熱心に追求する点で傑出しており、イエスが言ったすべてのことを真剣に考察したのです。「シモン・バルヨナよ、わたしを愛するか」とイエスに訊かれたペテロは、「わたしは天なる御父のみを愛し、地におられる主を愛したことはありません」と正直に答えました。その後ペテロは理解し、「これは誤っている。地におられる神は天なる神であられる。天地の両方におられる神は、同じ神ではなかろうか。わたしが天なる神しか愛していなければ、わたしの愛は本物ではない。わたしは地上の神を愛さなければならない。そのとき初めてわたしの愛は本物になるからだ」と考えました。このようにして、ペテロはイエスの言葉を熟慮することで、イエスが述べたことの真意を理解するようになったのです。神を愛するには、またその愛が本物であるためには、地上の受肉した神を愛さなければなりません。漠然とした目に見えない神を愛するのは現実的でも実践的でもありませんが、現実の目に見える神を愛するのは真理です。ペテロはイエスの言葉から真理を得、神の旨に関する理解を得ました。明らかに、神に対するペテロの信仰は真理の追求にのみ重点を置いていたのです。最終的に、ペテロは実際の神、地上の神への愛を成し遂げました。真理の追求にひときわ熱心だったのです。イエスから忠告されるたび、ペテロはその言葉を真剣に熟慮しました。聖霊に啓かれて神の言葉の意味を理解するまで、おそらく数ヵ月、一年、あるいは何年も熟慮したはずです。このようにしてペテロは真理に入り、その後いのちの性質が変わって新たにされました。真理を追い求めなければ、その人は決して真理を理解しません。字句と教義を一万回唱えることができても、それらはやはり字句と教義に過ぎません。中には「キリストは真理であり、道であり、いのちである」としか言わない人もいます。この言葉を一万回繰り返したところでやはり役には立たず、あなたがその意味を理解することもありません。キリストは真理であり、道であり、いのちであると言われるのはなぜですか。経験から得たそれに関する認識を説明することはできますか。あなたは真理、道、いのちの現実に入りましたか。神が言葉を発したのは、あなたがたがそれを経験し、認識を得るようにするためです。単に字句や教義を述べるのは無意味なのです。神の言葉を理解してそれに入ったあとでなければ、自分を認識することはできません。神の言葉を理解していなければ、あなたは自分を認識することができないのです。真理があるときにだけ識別でき、真理がなければ識別できません。真理があるときにだけ物事を完全に理解することができ、真理がなければ何も理解できません。真理があるときにだけ自分を認識することができ、真理がなければ自己認識は不可能です。真理があるときにだけ自分の性質を変えることができ、真理がなければ性質は変わりません。真理を得て初めて神の旨にかなう形で奉仕することができ、真理がなければ神の旨にかなう形で奉仕するのは不可能です。真理を得て初めて神を崇拝することができ、真理がなければあなたの崇拝は宗教的儀式を執り行なっているに過ぎません。こうしたことはすべて、神の言葉から真理を得ることにかかっているのです。

『終わりの日のキリスト講話集』「どのようにして人間の本性を知ればよいか」(『言葉』第3巻)より

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