全能神を受け入れることを拒否する人々をなぜ神は災の只中に置くのであろうか。

2017年11月25日

関連する神の言葉

わたしの愛する者はみな、必ず永遠に生き、わたしに敵対する者はみな、必ず永遠に刑罰を受ける。わたしはねたみ深い神だから、わたしは人間の行いを軽々しく赦さない。わたしは地上すべてを観察し、世界の東に義と威厳、怒り、刑罰をもって現れ、すべての人間たちにわたしを現す。

『神の出現と働き』「全宇宙への神の言葉、第二十六章」(『言葉』第1巻)

わたしは、一人一人の終着点を、年齢や年功序列、苦しみの量、とりわけ憐れみを誘う度合いではなく、彼らが真理を持っているかどうかに基づいて決める。これ以外の選択肢はない。神の心に従わない人たちはすべて懲罰されることをあなたがたは悟らなければならない。これは不変の事実である。よって、懲罰される者たちすべては神の義ゆえに懲罰されるのであって、彼らの数々の邪悪な行為への報いである…

わたしの憐れみは、わたしを愛し、自分たちを否定する者たちに現わされている。そして、悪い者たちにもたらされる懲罰はわたしの義なる性質の証明そのものであり、それ以上にわたしの怒りの証である。災いがやって来ると、わたしに反抗する者たちすべてに飢饉や疫病が降りかかり、彼らは涙を流す。あらゆる種類の悪事を犯してきたが、長年わたしに従って来た者たちは罪を免れることはできない。彼らも時代を超えて、ほとんど目にしたことのない災いのただ中で、絶えず恐怖と不安を抱き生きるだろう。そして、わたしだけに忠誠を示して従って来た人たちは喜び、わたしの力に拍手喝采する。彼らは言葉に表せないほどの満足感を体験し、わたしが人類にいまだかつて与えたことのない喜びの中で生活する。

『神の出現と働き』「終着点のために十分な善行を積みなさい」(『言葉』第1巻)

このノアの物語の記述から、神の性質の一部を見て取れるだろうか。人間の堕落、汚れ、暴力に対する神の忍耐には限界がある。その限界に達すると、神はもう耐えることはしない。新しい経営と新しい計画を開始し、神がしなければいけないことを開始し、神の業と、神の性質のもう一つの面を現すのである。それは、神を決して怒らせてはいけないという意味でもなければ、神は権威と怒りに満ちているという意味でもなく、人間を滅ぼすことができると示すためでもない。神の性質、神の聖い本質が、このような人間が自身の前で生き、自身の支配の下で生きていることをこれ以上許さず、これ以上耐えることもできないのである。つまり、全ての人間が神に敵対していたとき、地上で神が救うことができる人間がいなくなったとき、神はそのような人間に対し忍耐することをやめ、一切の躊躇なく、そのような人間を滅ぼす計画を実行するのである。これらの神の行動は、神の性質によるところなのである。これは必然の結果であり、神の支配の下にある全ての被造物はこれに耐えなければならない。

『神を知ることについて』「神の働き、神の性質、そして神自身 I.」(『言葉』第2巻)

神の働きの段階では、救いは様々な災害を通す方法が採られ、その数に含まれる人々はすべてそこから逃れることはできない。最後になってようやく、「第三の天同様に穏やかで、ここに生きるものたちは、大きいものも小さいものも調和のうちに共存し、けっして『くちびるの言葉で争う』ことがない」という状況が地上に現れる。神の働きの一面は、言葉を用いて全人類を征服し、選民を獲得する。また別の面では、神の働きは様々な災害を通して反逆の子らを全て征服する。これは神の大規模な働きの一部である。神の望む地上の国を完全に達成するにはこの方法しかなく、これは純金のような神の働きの一部である。

『神の出現と働き』「『全宇宙への神の言葉』の奥義の解釈、第十七章」(『言葉』第1巻)

今日、わたしは赤い大きな竜の国に降り立つだけではなく、わたしの顔を全宇宙に向け、天空全体が揺れるようにする。わたしの裁きが行われない場所が一つでもあるだろうか。わたしの投げつける懲罰が行われない場所が一つでもあるだろうか。わたしは行く先々に、あらゆる災いの種を蒔いた。これは、わたしの働く方法の一つで、必ずや人間を救う行いなのであり、わたしが人間に差し伸べるものは、何であれ、一種の愛なのである。わたしは、さらに多くの人々がわたしを知り、わたしを見ることができるようにし、そうして長い間人々が見ることのなかった神、だが、今日、現実となった神を、崇めるようにしたいのだ。

『神の出現と働き』「全宇宙への神の言葉、第十章」(『言葉』第1巻)

働きのこの段階において、神を裏切った人々すべてが再び神の玉座の前にひれ伏すよう、神は地球のいたるところで自身の全行為を表したいため、神の裁きにはまだ慈悲と愛がある。神は世界中で現在の出来事を利用して人々の心を揺さぶり、駆り立て、人々が自身のもとに来るようにした。故に、神は「これは、わたしの働く方法の一つで、必ずや人間を救う行いなのであり、わたしが人間に差し伸べるものは、何であれ、一種の愛なのである。」と言うのだ。

『神の出現と働き』「『全宇宙への神の言葉』の奥義の解釈、第十章」(『言葉』第1巻)

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