あなたはまだ信者になって10年ほどでしょう。まだ新米です。私はもう何十年も宗教について研究してきたのですよ。責任をもって言えることはこの世に神は居ないし、救世主もいなかったということです。神を信じるとかいう話は曖昧過ぎて現実味がないのです。私たちは二人とも知識人ですね。事実と科学の観点からものごとを見なくては。唯物論や進化論のような科学的観点から物事を見なければなりません。何故神を信じなくてはならないのです。私たち共産主義者は無神論と進化論しか信じません。ダーウインの進化論は人類史上でも特に重要な理論です。進化論によると、すべては自然の働きで創造されたということがわかります。人類は自然の進化の過程における偶然の産物で、サルから進化したのです。論理的にも十分に証明出来ます。これだけで人類は神によって作られたのではないことが分かります。聖書の言葉は神話や伝説でまともには取れません。もっと唯物論や進化論を学ぶことをお勧めします。これらは実際的な論理で、色々な疑問を解決できます。いったいはっきり物事を見れば宗教的信仰についても正しく理解して漠然とした信仰から脱却できるでしょう。共産党に従うしか未来はありませんよ。

2019年4月3日

回答:共産党は無神論の政党です。当然進化論と唯物論を信じています。でもその結果どうなりました? 多くの人々は唯物論や進化論を拒否しています。人々は次々と神様を受け入れて神様に戻っています。ますます多くの人が神様の言葉が真理だと信じています。世界は終わりの日の最後にたどり着いています。神様の働きはいよいよ最後段階に入りました。神様は全ての業をお見せになります。天地のすべては神様に創られ、神様に支配されているということを終わりの日の人々がお見せになるためです。ちょうど全能神の言葉どおりです。「広大な宇宙と天空において、数えきれない被造物が生き、再生し、生命の周期の法則に従い、一つの不変の規則を守っている。死ぬ者は生きる者の物語を抱えて行き、生きている者は死んだ者と同じ悲劇的な歴史を繰り返す。そこで、人類は自問せずにはいられない。なぜわたしたちは生きるのか。そして、なぜわたしたちは死ななければいけないのか。誰がこの世界を支配しているのか。そして、誰がこの人類を創ったのか。人類はほんとうに大自然の生み出したものなのか。人類はほんとうに自分の運命を支配しているのだろうか。……数千年にわたり、人類はこうした問を何度も何度も発している。残念ながら、人類がこうした問に頭を悩ませれば悩ませるほど、ますます科学への渇望が強くなった。科学は、ささやかな肉の欲求の充足と、つかの間の肉の楽しみを与えるが、人類を魂の奥底にある孤独や寂しさ、かろうじて隠している恐怖と無力感から解放することなど到底できない。人類はただ心を麻痺させるために、肉眼で見、脳で理解できる科学的知識を用いている。しかしそのような科学的知識は、人類が奥義を探ることを止めるのに十分ではない。人類は、宇宙と万物の支配者が誰であるかをまったく知らないし、ましてや人類の始まりも未来も知らない。人類はこの法則の中で否応なしにただ生きている。誰一人、逃れることができないし、誰もこれを変えることはできない。あらゆる物事の間と天において、永遠から永遠にすべてを支配しているのは、ただお一方だけだからである。それは、かつて人間が見たことがないお方、人類が知ることもないお方、その存在を人類は信じたこともない。しかし、それは人類の祖先に息を吹き込み、人類にいのちを与えたお方である。人間の生存のために施し、養い、今日まで導いて来たお方である。さらに、人類が生き残るために依存する唯一のお方なのである。彼は万物を支配し、天の下のすべての生ける物を支配している。彼は四季を支配し、風と霜、雪、雨を呼ぶ。彼は人類に陽光を与え、夜の訪れをもたらす。天と地とを整え、人間に山々と湖、川、すべての生き物を与えたのは彼である。彼の業はあらゆるところにある。その力はいたるところにある。その知恵はいたるところにある。その権威はいたるところにある。その法則や規則の一つひとつは彼の業の具現であり、その一つひとつが彼の知恵と権威とを明らかにしている。誰が彼の支配を免れることができようか。また、誰が彼の采配から逃れることができようか。万物は彼の眼差しの下にあり、さらに、彼の支配の下で生きている。彼の業と力の前に人類は、彼が実際に存在し、万物を支配していると認めざるを得ない(『神の出現と働き』「附録3:神の経営の中でのみ人は救われる」〔『言葉』第1巻〕)

天地の創造以来、神様は三段階の働きをなさりました。その一つ一つの段階において神様は沢山の真理を明かしてくださいました。聖書は律法の時代と恵みの時代の神様の働きの記録です。全能神は終わりの日の裁きの働きをしにいらしたのです。全ての真理を明らかにして人類を清め救うためです。その働きは殆ど「言葉は肉において現れる」という本に記録されています。私たちに神様の霊体はみえませんが、神様が現れて働いた各時代に言われた言葉は全て読むことが出来ます。聖書の言葉を成就しています。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった(ヨハネによる福音書1:1)。サタンによる人類の堕落からずっと神様は人類を救うために話し、働かれてきました。律法の時代に神様はイスラエルで働いて人類の地上での生活を導くために律法と戒めを公布しました。恵みの時代には神様は主イエスとして肉になりユダヤで贖いの働きをなさいました。終わりの日には全能神が肉に現れ中国で働きをなさるのです。聖書に記された神様の言葉と終わりの日に「言葉は肉において現れる」に書かれた神様の言葉は神様が人類を導き救うことの証拠です。神様の霊がなければ誰がそれほどに威厳のある力強い言葉を発することが出来るでしょうか。人は神様の霊を見ることが来ませんが、神様の霊が発した言葉を聞くことはできます。これで神様の霊が人類を救い導くために語り働き続けてきたことを証明するのには十分です。人は神様の言葉のとおりに信じるしかありません。心から神様に祈るとき聖霊の働きと神様の存在を知ることが出来るのです。皆さんは神様を信じたこともなければ、聖書も神様の言葉も読んだことがないし神に祈ったこともありません。ですから神様の存在を感じられないのです。終わりの日に神様は肉となり人の子として人々に混じって語り働かれます。全能神が発する言葉は全て真理であり、ほかの誰も発することが出来ないような力と権威に満ちています。これが神様の霊が語っていることの証明です。神様の霊が現れ働くために肉となったのだと。全能神によって表された「言葉は肉において現れる」を読んでからこの言葉は神様から来たものだ。これは神様が人類に語り掛けているのだとの確信しました。ですから私は全能神を受け入れました。10年以上神様の働きを体験して神様の言葉の力と権威を感じて聖霊の啓示を感じ神様の素晴らしい業を目の当たりにしたのです。私のこころの中で神様の権威、力、全能性、支配はこれ以上ないほどにリアルでした。すべての心あるものは神様が創造されたもの全てと神様が表される真理から、神様の存在とその支配を見ることが出来ると言えます。主イエスはおっしゃいました。「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない(マタイによる福音書24:35)。全能神は言われます。「天地は滅び行くが、わたしが言うことの一点、一画としてすたれることはない(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第五十三章」〔『言葉』第1巻〕)。全ての預言、全ての神の言葉が成就しつつあり達成しつつあるということから神様の言葉だけが真理であることがわかります。人類全体が神様の全能性と支配を理解しないといけないのです。

映画『対話』より引用

前へ: 私は神を見たことがないし、神のどのように働いたり世界を支配しているのかも見たことがない。私には神を認識して受け入れるのは難しい。私の長年の宗教研究からは宗教的信仰は精神的な栄養に過ぎないと思います。人類の精神的空洞を埋めるものです神を信じる人たちも最終的には皆死にますね。そして死んだ人のうちだれが天国に行って誰が地獄に落ちたのかなんて誰も知らないのです。全ての宗教的信仰は非常に曖昧で非現実的です。科学が発達し人類が進歩するにつれ、宗教的信仰なんてものは捨てられ消えていくでしょう。我々はまだ科学は信じなければなりません。科学こそが真理であり現実です。これはだれも否定できません。科学はまだ神を否定していませんが、神の存在を証明もしていません。もし科学が神の存在を証明し、神がすべてを支配していることも証明出来たら神を信じることはできます。我々共産主義者は科学を信じるのです。科学を信じ発展させることによってのみ人間社会は進歩するのです。科学は人間社会の問題を沢山解決することが出来ます。神を信じることによって人は何を得られますか? 一時的な精神的な安心以外に何の役に立つのですか。実際的な問題には何の役にも立ちませんよね。従って科学を信じたほうが神を信じるよりずっと現実的です。私たちは科学を信じなくてはなりません。

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